不思議な洞窟

矢間カオル

第1話 不思議な洞窟

「ゴウちゃん」

思い出の中の母は、僕の名前を呼ぶとき、少し嬉しそうな顔をする。

なんでも、子どもの頃から好きだった渋い俳優さんの名前だからだそうだ。

自分に子どもが生まれたら、絶対にこの名前をつけたかったんだって言ってた。


「ゴウちゃん、おばあちゃんの家の裏山にね。不思議な洞窟があるの。大人になったら絶対に行ってね。」

まるで楽しい秘密をこっそりと教える子どもみたいな顔をして、そんなことも言ってたっけ。




僕の家は母子家庭で、母は女手一つで僕を育ててくれた。

近所のクリーニング屋さんで一生懸命に働いている母を、小学生の頃は何度も見に行った。

汗水たらして働く母を、僕はかっこよくてきれいだなって思った。


学校から帰ったら、僕は一人でお留守番。

だけど、寂しいなんて思わない。

だって、母は僕のために働いてくれているんだもの。

それに、余りある愛情を僕に注いでくれていたから・・・。


いつか大人になったら、僕もしっかり働いて、母に楽をさせてあげようって思っていたのに・・・。


大学に入学して一年目の秋に、母は交通事故で急逝した。

余りの突然の死に、僕は途方に暮れてしまったが、母が僕のためにと残してくれた保険金で、なんとか毎日の暮らしも大学も、そのまま困らずに続けることができた。

母は死んだ後まで、僕に愛情を注いでくれたのだ。


そんな僕も大学卒業後は就職し、笑顔の可愛い嫁さんと、やんちゃだけど愛してやまない息子ができた。

親バカよろしくスマホで息子の動画を撮っては、会社の同僚に見せた。


動画を撮る幸せをかみしめること早三年。

ああ、僕の嫁さんと息子を、死んだ母にも見せたかったなぁ・・・

それだけが、今の僕に残る切ない思い。




会社の出張で田舎の祖母の家の近くまで行くことになった。

祖母の家は段々畑に囲まれた農村地帯。

祖父は早くに亡くなって、今は一人暮らしだけど、自分が元気なうちはこの家を守るなんて言って、周りの心配をよそに、気丈に振る舞っている。


祖母の家はずいぶん遠いから、法事があるときぐらいしか行くことがなかった。

だけど、せっかく近くまで行くんだから、久しぶりに祖母に挨拶しに行こう。


「おやまあ、ゴウちゃん、久しぶりだねぇ。急にどうしたんだい?」

「いや、出張でね。はい、これお土産。」

都会の香りがする和菓子をプレゼントする。


「ゴウちゃんが来てくれて嬉しいよ。」

嬉しそうに目を細める祖母と、ゴウちゃんと呼ぶ母の顔が重なる。

そして思い出した。


― ゴウちゃん、おばあちゃんの家の裏山にね。不思議な洞窟があるの。大人になったら絶対に行ってね。―


「ねえ、おばあちゃん、母さんが昔、裏山に不思議な洞窟があるって言ってたけど、知ってる?」

「ああ、知ってるよ。」

祖母は簡単な地図を書き、その場所を教えてくれた。


歩いて十分ほどの場所に、その洞窟はあった。

人が歩いた跡と、周りの草を刈り取っているところを見ると、どうやら、祖母がこの洞窟を守っているみたいだ。


人の背の高さほどの洞窟の中に、僕は恐る恐る足を踏み入れた。

母が勧める洞窟なんだから、きっと何か面白いものでもあるんだろう。

うす暗い中を一歩一歩と足を運ぶ・・・。


洞窟は思ったほど長くなく、すぐに行き止まりの土壁が見えてきた。

なーんだ、何にもないじゃないか・・・・と残念に思っていたら、ぼーっと人影が現れた。

えっ?幽霊?

びっくりして逃げ出したくなったけど、何故か周りの空気が暖かくて、僕を優しく包んでいる気がする。


逃げるのはやめて、目を丸くしてじーっと見ていたら、その人影は段々と形がはっきりしてきて、一人の少女が現れた。

黒髪を三つ編みにしたあどけない少女。

小花が散りばめられたワンピースを着ている。

年のころは中学生くらい? 

でも、でも・・・、か、母さん?

昔見せてもらった母さんの中学生時代の写真と同じ姿で、左目の下の泣きボクロの位置まで同じだ。


「か、母さん? 母さんだよね?」

僕は思わず叫んでた。


「あら、私はあなたのお母さん? じゃあ、あなたはゴウちゃんね。」

「そう、僕だよ。ゴウちゃんだよ。」

「わあ、こんなに大きなゴウちゃんに会えたのね。」

「母さん、僕ね。結婚したんだ。かわいい息子もいるよ。もう三歳になる。」


僕はスマホを取り出して、嫁さんの写真を見せた。

「嫁さんの名前はサユリって言うんだ。それから、これは息子の動画。」

「まあ、可愛いわね。目元はゴウちゃんにそっくりだわ。口元はお嫁さん。ふふっ」

母は幸せそうな笑みを浮かべて、スマホの動画を見てくれた。


「母さん、僕は今幸せだよ。」

「そう、幸せなのね。それは良かったわ。じゃあね、ゴウちゃん。」

母は最期にそう言って、手を振りながらふわりと消えた。


母が消えた後は、洞窟は何の変哲もないただの洞窟に戻っていた。




祖母の家に戻ると、祖母は暖かいお茶を淹れてくれた。

さっき洞窟で感じた温かさを思い出す。

祖母はお茶を飲む僕を優しい笑顔で包んでくれる。

もしかして、祖母は何か知っているのかな?


「おばあちゃん、洞窟の話、何か知ってる?」

「ああ、知ってるよ。ゴウちゃんのお母さんから聞いたよ。」

「えっ? 何て言ってたの?」

「あの子が中学二年生のときだったかねえ。未来の息子に会えたって喜んでた。嫁さんの名前は有名な女優さんの名前で、三歳の息子までいるんだってね。見たことのない四角くて薄っぺらい機械で見せてくれたって・・・。」

「母さん、そんなこと言ってたの・・・。」


ずっと母に嫁さんと息子を会わせたかったって思ってたけど、母は、本当はもう会ってたんだ・・・。

なんだかずっと感じていた肩の重い荷物を降ろしたような気がした。

祖母はそんな僕に手を伸ばし、子どもを可愛がるように、僕の頭をなでた。




あれから、祖母の顔を見に、年に数回嫁さんと息子を連れて田舎に行くようにしている。

嫁さんと息子を洞窟にも連れて行ったけど、残念ながら母の姿を見ることはなかった。

息子は洞窟探検だなんて言って、短い洞窟の冒険を楽しんでいたけど・・・。




息子が小学五年生になった年、法事で祖母の家に行った。

息子は法事がよっぽど退屈だったようで、坊さんの説教が終わったとたん外に飛び出した。

法事の片づけが終わった夕方ごろに息子は帰って来たけれど、なんだかちょっと興奮気味。


「どうした? 何かあったのか?」

「お父さん、ちょっとこっち来て!」

どうやら、嫁さんには聞かれたくないらしい。

僕だけに話したいことって何だろう?


「あのね、僕、裏山を探検していて、最後にあの洞窟にも入ったんだ。」

「ああ、お前が探検ごっこをしていたあの洞窟のこと?」

「そしたらね。奥にきれいなお姉さんがいたんだ。」

「きれいなお姉さん? もしかして、黒髪の三つ編みじゃなかった?」

「違うよ、そんなんじゃない。ちょっと茶色っぽいきれいな髪で、肩ぐらいまでの長さだった。すっごくきれいで、笑ったら可愛いんだ。何とかって言う会社のOLしてるって言ってたけど・・・・」

「名前は聞いたのか?」

「それが、うっかりして名前を聞くの忘れちゃった。また会えるかな?会えたらいいな。」


嬉しそうに話す息子に、僕はちょっと、いや、かなり確信して言った。


「きっと会えるよ。君が大人になったらね。」


息子との話が終わり、皆の元に戻ったら、嫁さんが帰り支度を終えて僕たちを待っていた。

荷物をトランクに入れて、二人が乗ったら出発だ。


「おばあちゃん、お世話になりました。」

「いいや、遠慮せず、これからも来ておくれよ。」


僕は車を都会へと走らせる。

祖母は名残惜し気に、車が見えなくなるまで手を振り続けている。

バックミラーに映る祖母と家と裏山は、夕日色のオレンジに輝いていた。

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不思議な洞窟 矢間カオル @yama2508

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