求む、ワンナイト城攻め

月草

求む、ワンナイト城攻め

 気になる人がいる。悪い意味で。


 私、リリアーヌ・ウィースは王城で翻訳の仕事をしている。

 王城勤務と聞くといかにも華々しいが、住まいは実家は遠いから「本当に王城が借り上げているのですか?」と聞きたくなるような古びた集合住宅だし、家柄の良い人は自分で他国語を読み書きできるから翻訳家は軽んじられるしで給与以外はあまり良いとは言えない。


 そこに加わるのが、内務省官僚のルグレ・クピディタースという男である。


 ピスタチオグリーンの瞳にヘーゼルナッツのような柔らかな茶髪、甘やかな顔立ちと、外観に関しては女性に警戒心を抱かれにくい。更に言うなら次男とは言え侯爵家の出と言うこともあり、あけすけに言えばモテる男である。


 ただし、それは一定距離を保てた場合の話であり、近くで関わるとなると話は変わってくる。


 差し込みの仕事は多い、提出期限は常にカツカツ、横やりは日常茶飯事という仕事相手としては最悪を極めたような男だ。


 極めつけは、他人のプライベートにまでいちいち口を出してくる点だ。

 やれ帰りに飲み屋に行くな、やれ髪を切るな、他国との懇親会には僕といけ、エトセトラエトセトラ。


 流石に上司に相談したところ、「彼はほら、若いからね?君も察してあげて」と何故か私に非があるかのような口ぶりで流されてしまった。


 友人に愚痴をこぼしても、「リリーちゃんもちゃんと彼に向き合ってあげて」と言われる始末だ。


 察するとはなんだ。向き合うとはなんだ。肝心要のルグレ侯爵子息は、必要なことは何一つ言ってこないのに。


 私には悪い意味で気になる男がいる。外堀を埋めるくせにその意図含め何も言ってこない、回りくどくて面倒くさいクライアントとしても個人的心象としても最悪の男だ。


 今日だって、冬至祭に合わせて実家に帰るつもりであったのだ。

 だが、それも先日取りやめとなった。「また仕事が落ち着いたら来なさい」と書いてあったが、あの男が手を回しているのは明白であった。さも当然のように、冬至祭の夜に急ぎでもない仕事を入れようとしてきたのだから。業腹ながら察してやった。


 そう、察してはやった。だが、私はあの男を受け入れてやる気はもはやゼロを超えマイナスの領域に達していた。


 とはいえ、元友人も、上司も、実家も頼れない。いよいよもって外堀は埋め切られてしまった。


「なので、ただいまこの埋まりきった外堀に便乗して本丸攻めてくれる殿方を探してるのですが、いかがですか?ワンナイト城攻め」

「ワンナイトっ、城攻めっ」

 そう私が尋ねると、隣に座っていた男は引き笑いをしながらカウンターに崩れ落ちた。


 冬至祭のバーは人がまばらであった。私みたいな王都に出てきている人間は実家に帰るし、王都っ子も今日は家族と過ごすし、パートナーがいるならそれぞれの家で過ごす。


 自営業だって、店を開けている方が稀だ。このバーに行き着くのは、私のような何かしらの事情がある人間である。ファレーレと名乗ったこの男も、何かしらの訳あり人間だろう。


「っぶふ……いや、ゴメンね? 夜のお誘いは多いけど、そんなめちゃくちゃな誘い方してくる子は初めてだったから」

「モテそうですものね、貴方」

「否定はしないよ」


 そう話すファレーレの顔は、モテそうを否定せずにいることがイヤミにならないほどに整っている。

 最近流行りの型のスーツを粋に着こなし、撫でつけた黒い髪も艶やかで解れた毛も色気がある。たれ気味の目元もシャンパンカラーの瞳も、夢をみたい人間にはたまらなく甘やかに見えることだろう。


 まあ、それを消し飛ばすぐらいの大爆笑を今しがたなさっていたわけだが。


 しかし、赤い顔といい笑いの沸点の低さといい、だいぶ酒が入っているようだが、物言いははっきりしていてぐだついたところは見えない。


「さて、君の身の上は分かった。だからって冬至祭の夜に一人で飲んでるのは危ないよ。私が悪い男だったらどうする気だったのさ」

「悪い男の典型例みたいな顔で言われても……」

「これはこれ、それはそれ。で、本当にどうするつもりだったの?」


 大爆笑の名残りを口元だけに残して、硬質な視線をこちらに向けてくる。どうやら意外にも真剣に忠告してくれているらしい。


「そうですね、私もあの男以外ならもう誰でもいいという覚悟でここにいますから、もし貴方が女衒だろうがスパイだろうがヤリチンだろうが気にしません。なんなら同性でも構わないです。誰であってもあの男にダメージ入れられますから」

「なんという肝の座りっぷり⋯⋯というより捨て身かなこれは。けどその度胸は強みだ、君は軍に入ったほうがいいよ」

「このワンナイト城攻め終わったら確実に仕事干されるので、アリですね。軍部に転職」

「ひーーーっ!!」


 耐えきれないとばかりに、ファレーレは腹を押さえもう片手でカウンターをバンバン叩きながら笑う。色気のある顔台無しの大爆笑だ。

 

「ダメだ。その『ワンナイト城攻め』ってワードツボすぎる。禁止ね禁止!」

「では『冬至祭の一夜砲』」

「ファーーーーッ」


 ここまでいいリアクションを貰えると、こちらもちょっと面白くすらなってくる。

 これは、ここに来るまでの小細工を聞いたらなお笑ってくれるのではないだろうか。


「私実は、職場にダミーのコートと鞄を置いてここに来てたりします。アレが私の足止めに差し込みの仕事挟みに来るであろうことを『察してあげた』んです。偉いでしょう?」

「……ということは、今クピディタース侯爵子息は

?」

「お手洗いから戻らない私を張り込みしてるか、私が退勤してるのに気づいて慌ててるか、どちらかでしょうね」

「か、可哀想、にっ」


 憐憫の言葉を口にしながらも、笑いが堪えきれていない。冷静さを取り戻すために頼んだのであろうチェイサーも、プルプル手が震えているせいで今にも零れそうだ。


 それを口にする直前を見計らって、わざとらしく品を作る。


「ええ、本当に可哀想。仕事量のコントロールができないばかりに、クピディタース侯爵子息は冬至祭の夜をひとり淋しく残業です。お労しいこと」

「っ、んふっ」


 溜まりに溜まった一年分の毒をぶち撒けてやると、チェイサーは口に含まれる前にテーブルに置かれた。

 吹き出さないための判断力。やはりこの男、あまり酒に酔っていない。酔っていない上で笑っている、笑いの沸点が極端に低いゲラのようだ。

 上司も同僚も、家族や友人すらもストレスの元と化している私としては、この男は久々に見ていて面白いし、話していて楽しい人間だった。


 あの男以外なら誰でもいいというのは本心だ。だが、もし選ぶ自由があるならばこの男がいい。


「ん、んんっ。あー、そうだな。クピディタース侯爵子息と違って仕事量のコントロールのできる、レディ・リリアーヌに一杯ごちそうさせていただけないかな?」

「ではミスターファレーレ、ロングアイランドアイスティーをいただけますか?」

「チョイスが酷いな!」



 結局双方ザルなせいでお持ち帰りからのワンナイト城攻めは起きることなく、店主が店を閉めるまで楽しく飲んで冬至祭の夜を過ごしたのだった。


*****



「というわけで、仕事干されてるであろうレディを公私ともども引き抜きに来ました。ご機嫌ようレディリリアーヌ。先日は楽しい夜をありがとう」

「こちらこそ、久々に楽しい時間を過ごせました。ミスターファレーレ……偽名ですね、これ?」

「あっはっは、ゴメンね! 立場上、先日も今日も本名は名乗れなくてね!ファレーレで頼むよ。」

 


 休み明けの仕事始め。王城に出勤すると案の定、イライラを通り越して怒りを顕にしたクピディタース侯爵子息がそこにいた。


 どこに行っていたのか、誰といたのか。家族でも恋人でもなんでもないのにプライベートのことにズカズカと踏み込んで詰問を叩きつけてくる。

 上司を見やるが、素知らぬ顔で目を逸らす。同僚もやれやれといった様子で関わろうとしない。


 どうせ仕事は干されるだろう。ならばもういっそ、こちらから三下り半を突きつけてやろう。


「つかぬことをお尋ねしますが、何故貴方にお話する必要があるのです?」


 そう決めたら、するりと口からずっと言いたかった事が零れ落ちた。


「それは……っ! それは、僕が、直轄ではないとはいえ、君の上司に当たるからだ。部下の勤務態度や状況を確認するのも、上に立つ人間の仕事だからだ」


 声を荒げかけ、なんとか押し留めましたといった様子でもっともらしい御託を並べてくる。

 よろしい、そちらがその気ならこちらも遠慮なくカードを切れる。


「それなら、先日花街で遊びすぎて奥方のみならず娘さんからも3ヶ月の帰宅禁止と出金金額制限を受けた貴方様の直轄の部下である室長の方を、よーく確認なさった方が良いのでは?」

「はぁ!? 君、そんなことになってたのかい!?」

「り、リリアーヌちゃん!それどこで知ったの!?」

「知ったもなにも、この部屋の人間はみんな知ってますよ」


 突然の部下からの爆弾に慌てふためく上司に内心中指を立てながら、澄まし顔で教えてやる。

 私が退職したあとの空気は最悪になること間違いなしだが、知ったことか。


「勤怠でしたら、八股かまして女性8人にそれぞれ1発ずついい拳をお見舞いされて取らざるを得なくなった休みを「犬に噛まれた傷の経過観察」として申請した人もいましたね」

「いぃっ!?」


 まさかこちらにまで火の粉が飛んでくるとは思っていなかったのであろう。生暖かい気持ち悪い視線を送っていた同僚から、カエルの潰れるような奇妙な声が上がった。


「いずれもクピディタース侯爵子息の部下のことにですから、当然ご存知の上でこれらの不誠実を許容なさっていることでしょう。心底軽蔑します」

「待て待て待て待て!?僕、それらについて全く知らないのだが!?なんだい八股って!?人としてどうなんだいそれ!?」

「八股はしてない!してないですルグレ様!!」

「じゃあ何股だったんだい!?」


 突如として始まった暴露大会で混乱を極める中、


「やあ、職務に忠実な翻訳室の皆様。失礼するよ」


 何故か颯爽とファレーレが現れたのである──外務省高官、兼諜報部員として。



 そして、話は冒頭に至る。



「引き抜きとは、何事でしょうか? 彼女は内務省付きの翻訳室の人間で──」

「うんうん、知ってるよ。リリアーヌ・ウィース。書面としては騎士爵までしか輩出していない家柄ながら、一人王城勤務にまで登りつめる才女。個人資質としては豪胆で冷静、外国語に長け上司の上司を出し抜く観察眼がある。他の魅力も、冬至祭の夜によくよく教えてもらえたよ」


 ファレーレが冬至祭の夜と口にした途端に、クピディタース侯爵子息が苦虫を噛みつぶしたような顔をした。

 よし、もっとやれ。その他の魅力とやらが十中八九、酒の強さとノリの良さだとしてもだ。


「しかしながら、彼女がいかに優れていても貴方の元で働けるとは思えません。外務省の仕事はいずれも荷が勝ちすぎる」

「私としては是非、新しい職場の職務内容は把握しておきたいです。続きをどうぞ」

「リリアーヌ!何を考えてるんだ!?」


 悲鳴のように名前を呼び捨てにされたが、気に留めてやる義理はない。何をもなにも、新しい職場について考えているに決まっているではないか。


 外堀を埋められたということは、外から中に攻め入りやすいと同時に中から外へも出やすいということ。私は城主ではあるかもしれないが城そのものではないので、こうしてこれまでを放棄するという選択肢も当然あるのだ。


 ファレーレが軽薄ともとれる笑みを浮かべながら、しぃとクピディタース侯爵子息の口元に騒ぐ子供にするように指を添えた。

 クピディタース侯爵子息が屈辱に顔を赤くしながらも押し黙る。


「……さて、職務内容だったね。外交官のちょっと先の伴侶として、国外で翻訳したり暗号解いたりする簡単なお仕事、といったところかな。詳細は言えないのが少し心苦しいけど、まあ『察して』くれ」


 わざと『察する』というワードを強調するファレーレに、今日は私が吹き出しそうになる。あの日の愚痴をよくよく聞き覚えていてくださったようだ。


「いいですね国外。貴方のサポート付きなら暮らしに支障は出なそうですし」

「は!?君、まさか飲むつもりかい!?」

「ええ、ちょうどよく家族からは仕事に集中していいと言われてしましたし、友人とも疎遠になっていますしで、国内に留まる必要は少ないので」

「な、それは、そうじゃなくて……!ご家族もご友人も!君の将来を考えてのことで……!」

「だから、私は気兼ねなく国外に行けるのですよ」


 自分が私が国内に留まる必要性を潰していたことにようやくご自覚が湧いたらしく、はくはくと言葉にならない声を押し出すように口を開閉させる。


「決まりだね。今夜個人で詳細を……だと余計な横やりが入りそうだから、このままうちのボスへの挨拶についてきてもらっていいかな?」

「ええ。うちの上司は両方とも『部下の管理不備』でお忙しいでしょうし、私のみにはなりますが」

「流石冬至祭にひとり淋しく残業していた方だね。そのあたりの環境も外務省の方が整っているから安心してくれたまえ。職務内容上、家柄より実力主義だからね」

「それはまた、魅力的ですね。最初から外務省付きの翻訳家になれていたらよかった」

「ま、待って!待ってくれ!!」


 ファレーレの後について出ていこうとする私たちを、いつになく慌てた声が引き止める。


「リリアーヌ!君は本当に外務省に、いや、国外に行く気なのかい!?」

「ええ。誰かさんのせいで国内だと息が詰まって仕方がないので」


 食い下がるクピディタース侯爵子息クソヤロウに、内心で親指を振り下ろす。

 ファレーレが来る前からすでに、我慢は限界を迎えていた。真剣に嫌がっているのを痴話喧嘩扱いする職場にも、勝手に私が鈍いのが悪いとする元友人にも、私の意思確認をする気のない家族にも──この国内で私が生まれてから培ってきた、全ての人間関係に対して。

 どうせ更地に返すなら、国の外に出た方がしがらみがなくていい。


「考え直してくれ!今までのやり方が気に食わなかったなら謝罪するし、悪いところは直すから!僕は、君を愛し」

「悪いところもなにも、私は貴方の全てが嫌いです」


 直すなら生まれる段階からやり直してください。

 そう、今までなら絶対に言えなかったであろうことを言って、部屋の外に出た。



「っふー……ついに言ってやれました」

 

 その達成感と解放感に、両手を突き上げて伸びをする。酷い砂かけだが、それをするにあたう仕打ちを受けていたと私は思うので、反省などしてはならない。


「挽回チャンスはあげなくていいの?」

「なんであげる必要があるんですか? それよりも補佐とはいえ、降って湧いた外交官キャリアというビッグウェーブに乗るべきでしょう」

「今までの経歴も実家からの後ろ盾もなくなっちゃうかも知れないけど、そのあたりはいいの?」

「人は逆境でこそ強くなれるものです。あと、さんざっぱら他人に横やり入れられてきたのだから、まっさらなキャンパスに自由に描きたい気分でもあります」

「うん、気風がよく実に男前。そうでないと務まらない仕事だしね。見込んだ甲斐がある」


 前を歩くファレーレの声は楽しげで、嘘は感じ取れない。

 あの夜に言われた「軍に入るといい」というのは、あながち嘘ではなかったらしい。


「ところで、ちょっと伴侶云々は」

「あ、そこは真剣かつ慎重に、君個人の好みに照らし合わせてご検討いただきたいかな。フラレるのはいいけど、一夜の経験に流されて〜っとか、現状打破のために〜とかの逃げはされたくないから」

「そうですか」


 回りくどい真似をせず、されたくないことはされたくないと事前にはっきりと口にする。慎重になれと諭しながらも、こちらに選択肢を渡してくれる


「国内の人間関係は真っさらにしたいぐらい嫌気がさしてますが、貴方は嫌いじゃないです」


 名前は未だに偽名で、諜報部だからこれから嘘もつくだろう。だが、それを含めて嫌いではないなと、そう思えた。


「点数で言うと?」

「59点」

「お、あと1点で及第点か。いいね、好きになってもらえるよう頑張ろう」

「そう気張らなくてもいいですよ。もう本丸はあの冬至祭のワンナイトで落ちてますから」

「ぶっふぉっ」


 今日からの上司兼夫候補は、あの夜のように腹を抱えて崩れ落ちた。

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