📖 『【金色の汚物】キンフルエンザと馬車馬の父』

Tom Eny

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1. 起:【金色の不運と呪いのフケ】


日暮(ひぐらし)の頭を、疲労の末に掻いた指が離れた。パラパラと、トラックの汚い座席に降り落ちたのは、微かに鉄のような冷たい匂いを放つ、金色のフケだった。


彼は五年続いた対話拒否症の呪いを、ただ頭の痒みとして受け止める。声を失った父の嘶きは、このフケの金色の光に吸い込まれていくようだった。彼はただ、たった一週間の先行者利益で地獄を買ったことを思い出していた。すべては、あの日の公園から始まった。


その日、日暮は久しぶりのオフだったが、妻からのLINEメッセージ――「今月の稼ぎは?早く家賃を用意して。あなたはいつも、言葉を持たない馬車馬ね」――という冷たい一文が、彼の胸の錆びた釘のように刺さっていた。ヒカリ(5)は無邪気に「パパ、キラキラ!」と遊び、日暮は心ここにあらずだった。


「パパ、あっち行こう!」


ヒカリが日暮の手を引いた一瞬の不注意。ヒカリの足が**「グチャッ」**と音を立てた。彼女が踏んだのは、ゴールデン・レトリバーの、大きく、豊満な排泄物――だがそれは、光を反射する純金色の塊だった。


日暮の心は、絶望と、そして強烈な嗅覚的な矛盾で満たされた。


ああ、なんてことだ。この子の人生に降ってくる「運(うん)」は、いつだって汚いものだ。しかし、この生臭い獣のような臭いの中に、わずかに鉄のような、冷たい金の匂いが混ざっている。


ヒカリは自分の汚れた靴を見て、コミカルなショック顔(アーニャの「ガーン」顔)になった瞬間、鼻がムズムズした。彼女は指を鼻に入れ、「ほじほじ!」と一掻き。指先を見つめると、汚い鼻くそではなく、光を反射する純金の粒が付着していた。


「わーお!キラキラ!これ、お星さまのおはな?」


ヒカリは無邪気に目を輝かせた。その瞬間、日暮は悟る。


*「運(うん)が悪い」と思った。しかし、これは、金を生み出す、最悪に皮肉な「幸運(うん)」。そして、彼の頭から落ちた金色のフケは、すでに感染の始まりを告げていたのだ。


2. 承:【キンフルエンザと一週間の独裁】


奥さんの狂気は、ヒカリの能力が**「飛沫感染する」「インフルエンザのように一週間ほどで治る(=金も出なくなる)」**と気づいた瞬間、最高潮に達した。彼女はそれを「キンフルエンザ」と命名し、自宅を金生成のための独裁国家に変えた。


奥さんが日暮に突きつけたノルマは、「一週間で億万長者になること」。


「早くこの子から出すのよ!感染が広まったら金の価値が暴落するわ!時間は七日間しかないのよ!私たち、もう二度とあの貧しさに戻らない!」


奥さんの手には、金色の汚物を回収するためのゴム手袋と専用の網が握られていた。彼女の目は、ヒカリの**「汚い排泄物」にのみ向けられ、愛情は完全に生産性**に置き換えられた。


ヒカリのトイレは回収作業場となった。


「ヒカリ、今日のはビッグサイズね!ママ、嬉しいわ!」奥さんが歓声を上げる。ヒカリは誇らしげに胸を張り、「へへっ!」と得意げな顔を見せる。彼女にとって、それは排泄物ではなく、**「身体から作った、キラキラした最高の作品」**だった。


そして、日暮の役割は、**「ヒカリを笑わせる馬車馬」**だった。


「ほら、パパの変顔よ!笑って!くしゃみを出して!もっとフリクション(飛沫)を!」奥さんが日暮を鞭打つ。日暮は、言葉を失った父として、娘の無邪気な生理現象を、富に変えるための卑しい見世物に仕立て上げなければならなかった。


3. 転:【学校の狂乱と父性の爆発】


五日目。奥さんの目を盗んで登校したヒカリが、教室で**「ハックション!」**とくしゃみをした。金色の微粒子がパラパラと舞い散る光景に、教室は瞬時に狂乱の坩堝(るつぼ)と化した。


教師と生徒たちは、衛生観念を捨て、床に這いつくばって金粉を奪い合い始めた。「汚い」という概念は、金の純度と輝きの前で無力だった。


「キンフルエンザ」の噂はSNSを介して瞬く間に社会全体に拡大。学校は「集団感染」を理由に学級閉鎖を発表したが、親たちは**「これで家でも金が生成できる!」**と歓喜し、自宅へと急いだ。


しかし、七日目。奥さんの焦燥は頂点に達した。


「嘘よ!金の量が減っているわ!純度が落ちている!早くもっと出させなさい!」


奥さんは、ヒカリの口元に、まだ汚物が付着したままの金色の鼻くそを近づけ、「これを食べればまた金が出せるわ!もっと生産しなさい!」と狂ったように叫んだ。


その瞬間、日暮の脳裏に、妻の冷たいLINEの文字と、彼が言葉を失ったあの日の絶望がフラッシュバックした。


「やめろッ!」


日暮は叫んだ。何年ぶりかの、感情のこもった、富よりも娘の健全な心を優先した父としての声だった。


奥さんは日暮の腕を振り払った。 彼女の目は、ヒカリではなく、純粋な富の消滅だけを恐れていた。


「あなたには、もう言葉なんて必要ない!」


日暮は、その言葉に、五年間失っていた父の重さを感じた。 だが、もう声は出なかった。 彼の呪いは、富の消滅を待たずして、すでに家族に深く刻まれていた。


4. 結:【汚物の紙屑化と永遠の負債】


八日目の朝。キンフルエンザはインフルエンザと同じように「治癒」し、ヒカリの身体から金は一切出なくなった。


日暮がトラックのラジオをつけると、ニュースが流れた。


ニュースキャスター(冷静に):「キンフルエンザの蔓延により、金相場は前日比マイナス99.9%を記録。市場は、金は汚物と同じ価値に戻ったと見ています。各国政府は、金に代わる新たな**『価値の基準』**の模索に入りました…」


日暮一家には、億万長者になれるほどの富は残らなかった。残ったのは、汚物処理の莫大な負債と、偽りの愛を失い、富への信仰を失った奥さんの空虚で冷たい視線だけだった。


日暮は悟った。富は、**「安息」ではなかった。「汚い富の永遠の管理」**という、新たな、そしてより卑しい労働を与えただけだったのだ。


彼は、キンフルエンザのきっかけとなったヒカリの汚れた靴をガレージの片隅に放置し、再びトラックの運転席に座る。


ヒカリは日暮を見上げ、無邪気な笑顔で言った。 「パパ、今日はお金が出ないね。でも、パパとママが怒らないから、うれしい」


日暮は、何も答えることができなかった。


彼の声は、沈黙に戻っていた。


汚いものを排出し続ける世の中で。


今日も彼は、ゴミを運び続ける。


永遠の馬車馬として。


無言で、アクセルを踏み込んだ。

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