とどまり

@torubonnn

第1話

20時7分。キーボード、辞典、小説に面積のほとんどを割かれている机でペンを手に取る。書こうと思うが知らぬ前に意識はずれていき、すぐそばにある窓から近所の家の光を眺めはじめる。ぎっしりと家々が並んでいて、景観とは無縁である。そのうち赤ん坊の泣き声がきこえる家のほうに、自然と視線がずれる。振り子のようなリズムかと思うと急にブザーのような咆哮を上げる。そんな音を聞きながら私は、赤ん坊と私は本当に同一の世界に存在しているのかと疑問に思う。あの子は数年後、なぜ泣いていたのか説明できるのか?いや、できないであろう。今度は、目の前のコルクボードに刺さっている青い画鋲を見つめている自分に気づく。やはり同じ世界だろうか。

20時20分。もうこんなに時間が経ってしまったと、あわてて紙にかきはじめる。≪くだらない考えというものは、なぜこうも時間を奪うのだろうか。≫




私には山村という友人がいた。山村はいい奴だった。そして、話せば話すほど、知れば知るほど、ただただ変な奴だともいえた。疲れたくないと思いながら砂浜を往復ダッシュする。そんな男。だが実際そんなに変だったのであろうか?最近そう思う。しかし、この考えが浮かんだ理由が分からない。だからあの日々を文章で起こしてまとめようと思った。

世の中には、これを伝えよう、これを表現しようと意気込み、目的を眼前にしかと構えながら物語を書く作家がいる一方で、書きながら書く目的を探し求める作家もいるらしいのだ。

ならば、私も後者の作家のように書いてみよう、肚の中に渦巻く何かを求めながら。


彼との出会いは読書会だった。開催場所は、メンバーの一人が経営しているカフェ。そこは、乗用車、トラック、バスが往来する大通りに隣接した家々の奥にひっそりと構えている。本業は氷屋であったが、メンバーの夫が父親から店を継いだタイミングでカフェのようなスタイルをとることになったそうだ。


カフェの北側の入り口から入ると、右側の少し床が高くなっているところにある大きな模型が目に入る。大雪の中を真っ赤な電車が小さな音楽を鳴らしながら走っている。すこし視線を左にずらすと、レジがみえる。店の中央には大きなテーブルがあり、針葉樹の置物だったり、派手な色をした尖がり頭の家の置物だったりが置かれていて、なんだか北欧っぽい。

店の左側はカウンターになっていて、壁にこれまた北欧っぽい絵がある。さらに首を左に動かすと、メモ帳と何冊かの本を机に置き、左手で顎をさすりながら本を読んでいる男がいる。「カフェで読書」という題目でもついていそうなほど、ありきたりというか誰もが想像しそうな感じだった。私はこの男が山村なのではないかと思った。実は彼のことは大学からの友人高橋から聞いていた。盆休みに帰省した高橋と久しぶりに飲みに行ったときである。休みの日は何をするもなく、ただぼうっとしてると話したら、高橋は妙に私を心配し、山村と読書会を紹介してきた。

「山村はお前と歳が近いし、誰にでも柔らかく話す奴だ。それに多趣味ときている。山村と仲良くなって、なんかいい刺激でももらってこい。」

「刺激ねぇ。」

「たまに若い女性も出入りする。どうだ?少しはやる気がでたろ?俺から主催と山村に連絡しておくよ。ちなみに主催の女性もいい人だ。」

「はいはい。」

こういう強制的なイベントを待っていたようなふしもあったので、特に断ることもなく受け流した。

あの日高橋が言っていた雰囲気に一番近い「カフェで読書」男に話しかけるかどうか迷っていると、四十代前半らしい女性が「こんにちは」とバカでかい声で出迎え、いちごシロップがたっぷりのかき氷をお盆にのせて、満面の笑みでこちらに歩いてくる。「これサービス!八木くんでしょ!高橋君が言って通りの感じね!」と近くに来ても声の大きさは変わらずであった。まじかで見るとかなり力強い女性である。彼女はここに何十年もいる。いや備わっている。それほど、体にぶれがなく頼もしさがあり、気分のいい圧迫感を私に与えた。私から先に紹介させてもらうと、彼女は鏡花さんといって、マスターの妻だ。

この店が元は氷屋であることは前述した。7月下旬からの1か月間、いわゆる夏休みの期間はかき氷の提供を行っていた。


好きなところに座ってと言いつつ鏡花さんは店の中心のあの大きなテーブルにかき氷を置いたので、そこで食べることにした。私には一瞬だったが、鏡花さんには日が暮れるほど遅く感じたのであろう。でも嫌味はない、ただてきぱきと動きたいだけなのだ。

席につくと、あの男とは背中合わせになった。レジの奥にある鏡の反射ですこしだけ観察できる。もっと背筋を伸ばせばみえるが、いまさら姿勢を正すのも変であろう。猫背であることを後悔しながら、かき氷を食べた。おいしかった。夏休みに家で作る、暇つぶしと暑さ逃れからくるあの水道水臭いかき氷ではない。食べるべくして食べるかき氷だ。

そのまま黙々と食べていると、誰かが私に右横にきた。あの男だ。

「八木やぎさんですか?」

「はい。」と私は返す。

「そうです。ようこそ「本読み会」に。山村です。よろしくお願いします。」と手を差し出してきた。そこまで身長が高いわけではないが、手は大きい。

「よろしくお願いします。」と彼の手を握り返した。席を立たなかったことを後悔して立とうとするが、山村はすぐに向かいの席に座った。鳩胸で肩幅が広い。

「このお店、良い雰囲気でしょう?読書するにはもってこいですよ。電車が走る音と鏡花さんの大きな声がいいんですよね。聞いていると、集中できるんですよ。静かすぎるのはよくない。」と無邪気に山村は話した。それでいて鏡花さんのような圧はない。粛々としている。

「そうですね。カフェってものに来たことがないもんで、よく分かりませんが…..たしかにいい雰囲気だと思います。」と返したころ、山村は眉毛を上げて、二、三度頷いた。

「ところで課題図書はどうでしたか?ちょっと難しかったですかね?実はですね、鏡花さんはもっと易しめの本がいいと言ったんですけど、あの赤いセーターを着たお爺さん。佐々木さんっていって、大学で非定期的に憲法の講義をしているんです。あの方が予定通り哲学系の本を課題図書にするべきだって言って、鏡花さんと長いこと議論しましてね。結局、間をとって、古典で普遍的な問題を扱ってるものが選ばれたんですよ。」と山村は少々前のめりになった体を後ろに戻し、話すのをやめた。

つかの間の沈黙から、私は口を開いた。

「そうなんですか。結構、真剣に取り組んでいるですね。場違いだったかもしれません。」

「あ、驚かせるつもりなはなかったんです。ただ真剣なだけです。大丈夫ですよ。」

「はぁ…..実はあまり本は読まないんですよ。いや、あまりというか、まったく。課題図書を読むのに苦労しましたよ。この一週間で今までの人生より読書したかもしれません。感想なんてさらに悩んで悩んで….本当に大丈夫ですかね?」

山村は眉をさっきよりも大きくあげ、大きく鼻から空気を吸い、「そうですか」と息を吐き出すようにして答えた。

「僕も苦労しましたよ。読み終わった後は、本当に自分は読んだのかと疑いたくなるほどに。」

「本当ですか?初対面でこんなこというの失礼だと思うんですけど、見るからに知的ですよ。本当は立派な感想を用意しているんじゃないですか?」

山村は容姿に似合わず、大きな声で笑った。

「そんなそんな。人に言うのも恥ずかしいものですよ。いつも読書会の後は自分の感想を振り返っては、体がむずむずするぐらい。」

彼はくだけた話し方をするが、丁寧な部分は崩さない。私の緊張を解こうと逆に彼が緊張していそうなところが節々に見える。そんな点を気に入ったが、最もいい点は、彼が私を見下すような態度がない部分だ。大学を通して何も得ず、働いても何もすることがなく、無心で通勤する。そんな私が知識人であろう人たちの集いに参加する。彼の態度、声の圧からは、はっきり言って成人かも怪しく見えるであろう私を下に見るようなことはなかった。


「ずいぶんかたいね。お二方。」近くにある机を拭きながら鏡花さんが言った。「山村君、ちょっとぎこちないよ。」

「ばれていましたか。」と山村は笑いながら言った。「実は私も緊張しているんですよ。」

私は鼻で、「ふっ」と答えた。一瞬で、山村が少し年をとった気がした。

「よし、そろそろ集まろうか!じゃ電車模型の近くに行ってて」鏡花さんが私が座っている机を大雑把拭きながら言った。


指定された場所に行くと、一人また一人とメンバーらしき人が集まってきた。佐々木さん、中年の男2人、お婆さんと多種多様であった。メンバーが、2人用の正方形のテーブルをつなげて会場設営をしていたので、私も手伝った。すると、マスターがに二頭筋をむき出しにしながら大きなホワイトボードを運んできた。「本の集い」と赤い文字で書かれている。

私はとりあえずホワイトボードに一番近い場所に座った。山村は左斜め前だ。私の緊張の度合いは頂点に達していた。こんな時は決まって自分を洗脳する。今回の場合は、何かを成し遂げてインタビューを受けている年寄りだ。受賞の瞬間は?と聞かれ、「まずは家内に報告しました。」と答える。私の場合は誰がいいだろう?まあ家族でいいか。

誰かが歯切れのいい音で手を叩いた。私は世界に戻ってきた。心臓の鼓動は少し弱まっている。

「それでははじめますか。まずは初参加の八木さん。自己紹介をおねがいします。」と鏡花さんが言った。


「八木です。友人の紹介でこの読書会に参加することになりました。本は全く読みませんが、この機会に読書を趣味にしていこうと思っています。よろしくお願いいたします。」我ながら淀みなく喋れて上出来だと思う。

「ありがとう。じゃあみんなも軽く自己紹介して、その後に感想を発表していこうか。トリは八木さんで。」と鏡花さんが続けて進行し、そのまま自己紹介を続けた。

「じゃあ私から。瀬戸鏡花です。好きな本のジャンルは教養小説です。未熟な主人公が成長して何かを成し遂げるとこが好きです。大きなことじゃないけど、身近にある大切なこと気づく。そんなところに感動します。ーーそれとポピュラーサイエンス。趣味は海外旅行で、半年に一回はどこかの国にお邪魔しています。よろしくお願いします!では感想に」

鏡花さんが本とメモ用紙を片手に話し始めた。うるさいが、不快にはならない声だ。彼女にならつらい朝に挨拶をされても、うれしい気持ちが勝つだろう。感想はなんと言っていただろうか。周りの大人たちの圧力によって子供らしさを奪われた少女。そんな少女が絶望の淵にたったその時、自分で選択し、未来に向かって成長していくことに感動した。本当にやりたいことを自分の力で、血眼で見つけることができたのなら、周りの大人を殴り飛ばしてまでも突き進むべき。少女にもそうあってほしい。そんなことを言っていたと思う。前向きで彼女らしい感想だ。私だけではない、おそらく皆も思ったろう。彼女は、万人受けのよい人だった。年寄りは親せきの妹、年下は姉のように、年寄りは親戚の妹のように接していたし、女学生なんかは親戚の姉のように慕っていた。無論、私も慕っていた。


そして山村も慕われていたのだろう。どちらかとういうと慕われる以外に道がなかったという方が正しいのかもしれない。極端に真面目で丁寧、これが鏡花さんとはまったくもって違う彼の特質だ。いってしまえば無害、だから誰も彼を嫌わない。この関係性が続くと彼を慕うという点にまで至る。

この日、山村と鏡花さんのどちらも私を魅了した。やや山村が先行していたが、鏡花さんが逆転した。理由は、彼女の感想を先に聞いたから。それだけである。シーソーは鏡花さんのほうに傾く。すると山村の欠点を見つけ出したくなる。山村だけ本の出版社が違い紙は真っ黄色で、カバーは分厚い、臭そうだ。くだらぬ理由が鏡花さんのほうにさらにシーソーを傾かせる。

山村が自己紹介と発表を始めたが、あまり頭に入ってこない。

彼よりも彼の後ろにある大きな写真に目が行く。フィンランドだろうか?スウェーデンだろうか?いやフィンランドだろう。寒そうだ。

「どうも山村です。これといって好きな本のジャンルはありません。本に限らず色々なことを薦めていただけば嬉しいです。よろしくお願いします。」

私は軽く頭を下げながら、写真の中にいる女性が気になった。鏡花さんだろうか?それにしては少々華奢すぎる。今目の前にいる実物は、もっと肩幅が広く、がっしりとしている。あんな希望満載のことを言う人だ。ごつごつを生えそろう大木と写真を撮ったら、引けをとらないはずだ。

山村は感想の発表を始めた。初参加のくせに、真剣に人の話をきかない自分をよくないと思いつつ、写真が気になる。ここまで気になる自分がおもしろおかしくなってくる。

「私は、結果的にこの少女が得をしたと思います。」

私は視線を山村に戻した。そして周りの人間を見た。鏡花さんも、高校生も、年寄りも、真面目に聞いていた。

「目的故の行動ではなく、手段故の行動をしていると気づき、一足先に世界の大きな渦から抜け出ることが出来た彼女を羨ましく思います。」

と締めくくった。

よくわからないが、虐待ともいえる扱いを受けた少女に、その経験が良かったとは、人道上いかがなものかと思った。だが所詮小説内の話であり、考えを360度どこでにでも飛ばすことができる実験室のようなもので、何をしようが大した問題でもないなと思った。鏡花さんは眉間に皺を寄せて、目をつぶっていた。佐々木さんは橙色を放つ灯りをじっと眺めながら、よく咀嚼するように何かを考えていた。他の参加者は、私と同じく鏡花さんと佐々木さんを交互に見つめていた。

すると、佐々木さんが手を挙げた。

「なるほど。つまりつぶされたことに気づかずその他の砂利と一体化しそのまた他の砂利をつぶしまわるより、その力から抜け出しつぶされことに気づく、俯瞰的にその事態を飲み込むことができた。その点がいいことだと思っているんですね。」

「まあ、そうですね。まあそれは結果的にということで、うまくまとめることができませんが、私そして世界の人々が結果的にという論を作り続けているので、もしかしたら少女は生まれながらにして……」と山村は急に口を止じ、「なんでもないです。他になにありますか?」と声色を変えて話した。

鏡花さんがたくましい腕を伸ばし、手を挙げた。

「そうだな。山村君は、少女がつぶされたことによるその後の人生にではなく、つぶされていきのびたその瞬間に意識が、というか、良さを見つけだしったことなのかな?」

参加者の一人が姿勢を正し、木の椅子のきしむ音が響く。

「後者ですね。」

ほんの数秒であるのは確定しているが、山村が口を開くまで、やけに長く感じた。電車がどこまでも走っていきそうなほど。

均衡が崩れる。好奇心が山村のほうにシーソーを傾かせる。

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