守りたかったのに傷つけた。あの恋の続きの話。

稀葉

守りたかったのに傷つけた。あの恋の続きの話。

人混みを歩くたび、胸の奥でイヅナたちがわずかに身じろぎする。

妖の匂いを探しているのだ。餌を求める獣のように。


まだ、オアズケだよ。


抑えつけるように息を吐き、大希ひろきはスマホに視線を落とした。

スクランブル交差点を抜けて足を速める。待ち合わせのカフェまではあと数分。ぎりぎり間に合う。

 

 

 

――あなたが殺したのよ。


姉の声だけは、今も呪いのように耳に残っていた。


宿主はイヅナを養うために狩り続けなければならない。

そうしなければ彼らは、宿主の心にいちばん近い者の生気を喰らう。

それを知ったのは物心つく頃、母を喪ったときだ。


だから、誰かに心を寄せることだけは避けてきた。

誰も彼も、同じ距離に置いておくようにしていた。


それなのに──あの時だけは崩れた。

大学三年、二歳下の後輩との時間が“特別”になりかけていると気づいてしまった自分に、心底うんざりした。


あれ以上踏み込めば、彼女の生気を奪っていたかもしれない。


『あの子? ないない。重そうだし、処女っぽいじゃん。面倒だよ』


彼女が聞いているのをわかったうえで、最悪の言葉で切り捨てた。


守るための拒絶──そう言えば聞こえはいい。けれど本当は、自分自身にとどめを刺すためでもあった。

彼女が逃げるように、わざと最悪の形を選んだ。


うまくいった、つもりだった。

つもりでしかなかったと、今さら突きつけられることになるとは思いもしないまま。

 

 

◇   ◇   ◇

 

 

呪いの代行業。

その実、人を呪ってやろうと渦巻く悪意や失意に寄ってくる妖を狩るための立て看板だ。


今日の依頼人が「呪殺」を希望していることは事前に知らされていた。珍しくもない。


大希は重たい息を飲み込んでカフェへ入った。

店員に待ち合わせだと告げ、二十席ほどの店内を見渡す。


八割方埋まった席の奥──淡い水色のニット。後ろでひとつに束ねた長い髪。事前に聞いていた通りの姿はひとりしかいない。


「すみませーん、お待たせしま……」


向かいの席に滑り込み軽やかに声をかけた瞬間、言葉が喉に張り付いた。


彼女だった。


「えっ……九重ここのえ先輩!?」


小さな丸テーブル越しに、メニューを開いたまま目を見張る彼女。

数年のあいだに少し大人びたが、柔らかな雰囲気は変わらない。


「お、お久しぶりです」

「う、ん……久しぶり、だね」


その瞬間、胸の奥でイヅナたちがざらりと蠢く。

“特別”に反応したのか、依頼人の悪意を拾ったのか判別できない。


「……依頼人、君だったんだ?」


後者であってほしい、と願う。

彼女が誰かを恨むような、他人を呪い殺してやりたいと願うような人間に変わっていた方が、都合が良かった。

そう思った自分をごまかすように、にこりと笑みを貼り付ける。


「依頼? あ、いえ、私、待ち合わせで……」


彼女はきょとんと首を傾げる。

大希は「僕がその相手だよ」と言いかけたけれど、呪殺依頼の張本人がかつての知り合いだとは、普通は思わないだろう。


少し苛立ちを覚えながら髪をかき上げると、もう一度ゆるく息を吐いて微笑む。


「とりあえず、話だけ聞くよ」


彼女は一瞬迷い、けれど素直に頷いた。


「はい。久しぶりですし、少しだけなら」


会いたかった、と認めそうになる自分が鬱陶しい。

何から話したものか考えながら口を開こうとした、その時。


「久しぶりじゃん、陽向ひなた


軽い声とともに影が差した。

見覚えのない男が、ふたりのテーブルをのぞき込む。


彼女が驚いて身を縮めるより早く、男は大希を見るなりニヤついた。


「へぇ……こいつ? “処女面倒”とか言ってた男」


胸がひやりと冷える。


「……は?」


「処女が面倒だって言われて、他の男と寝るような女ですよ、こいつ。で、俺が寝てやったんだよな?」


思考が停止したまま向かいに視線をやれば、陽向は真っ赤になってうつむき、肩を震わせていた。


「よかったじゃん、お望みどおり相手してもらえるようになったんだ?」


淡いリップで彩られた唇が「やめて」と小さく動いたが、声にはならなかった。


「ま、痛がるばっかでつまんなかったけどさ。また遊びなら付き合ってやるよ」


勝ち誇るような目を残して、男は小馬鹿にした声で「ごゆっくり~」と手を振って去っていった。


一言一句が、大希の呼吸を奪った。


陽向は顔を伏せたままだ。

泣いているのかと思った。


謝るべきか。追いかけて殴るべきか。


宿主の乱れた感情はイヅナに直結する。ともすれば、怒りの矛先を向けた相手を殺しかねない。

抑え込むように拳を握ったそのとき、スマホが震えた。


《すみません! 電車が止まってしまって遅れます》


依頼人からだった。


その瞬間、ようやく理解した。


――彼女は、依頼人じゃない。


目を伏せる彼女へ、かける言葉を探す。


迷う大希の前で、陽向はゆっくり顔を上げた。


泣いていると思ったのに、驚くほど穏やかに笑っていた。


「あー、はは、すみません。え、と……今のは……その……そういうんじゃないです」


口元が小さく震えている。

なにかを飲み込むような唇から、「対象外なのは、ずっと前から……わかってましたから」と小さくかすれた言葉が零れる。


「久しぶりにお会いできて、嬉しかったです。……時間、そう時間なので! 失礼しますね」


席を立ち、頭を下げたまま背を向ける。


行かせるべきだ──頭ではそう理解している。

引き留めても仕方ない。


理解しているはずなのに、身体が勝手に動いた。


「……待って」


大希の手が、彼女の細い手首を捉えていた。

イヅナたちが胸の奥で、熱を噴き上げる。


どう考えても、もう“対象外”では置いておけないほどに。

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