フィレンツェ・ルネサンスを彩る画家たちの野心と敬虔の花綱
磯崎愛
第1話
今年があと三週間ちょっとなんて信じられないですね!
僕は仏壇店に勤めていますが、11月もしまいになると店内装飾がお正月ならびにクリスマスっぽくなって吃驚している。
そんな季節なのでクリスマスに関係する話をしたい。
神の子キリストが生まれたのが12月24日深夜、厩で生まれたせいで牛馬などの絵が描かれることもある。
そのキリストがお披露目されたのが翌月6日、この日をエピファニー、公現祭などと呼ぶ。
ことにフィレンツェではこのお祭りを盛大に祝う習慣がある。いわゆるマギ(東方三博士)の礼拝、はい、これ進研ゼミ的にエヴァンゲリオン通過してるひとは知ってるよね?
いわゆるメルキオール、 バルタザール、カスパール である。
どうしてこのお祭りを盛大にするのかというと、信心会(兄弟会)の存在もあるだろう。マギを信奉する集まりがあるのです。
同時にルネサンス期にフィレンツェを掌握したメディチ家が絡んでくる。いわゆる彼らの宣伝、文化政策、パンとサーカスのサーカス部分とも言えるかもしれない(ちなみにメディチ家もその信心会の会員だ)。
ともかく、その最たるものが、メディチ・リッカルディ宮殿にあるゴッツォーリの絵画だ。詳しいことは下記の書物を読んでください。僕の恩師なので。ゼミのときにこの話してたわ~みたいなの懐かしいね。
前川久美子『巡礼としての絵画 メディチ宮のマギ礼拝堂とゴッツォリの語りの技法』
https://www.kousakusha.co.jp/DTL/junrei.html
さて、この絵が描かれたのがだいたい1460年くらいだ。ゴッツォーリという画家はフラ・アンジェリコの弟子だか助手だった。彼ほどの神秘性や精神性は感じられないものの、事物をきちんと描き出すちからは素晴らしい。なにしろメディチ家その他、フィレンツェ公会議の出席メンバーや画家も描かれている。
その後、このマギ絵画(略していい?)の名画を生んだのは誰であろう、僕の最愛のひとサンドロ・ボッティチェッリであった。
東方三博士の礼拝 (ボッティチェッリ、フィレンツェ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%96%B9%E4%B8%89%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%81%AE%E7%A4%BC%E6%8B%9D_(%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%AA%E3%80%81%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A7)
見ればわかる。この絵がよく出来ていることは。まるで完璧な舞台のようだ。
この絵のなかにはメディチ家や関係するひとびとがそっくりに描かれている(画家もいると言われている)。それが依頼主ガスパーレ・ディ・ザノービ・デル・ラーマのメディチ家の
ちなみにこれが1470年代半ばになる。
そして次、これが問題となる。ちなみに1481年ころだ。
東方三博士の礼拝 (レオナルド)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%96%B9%E4%B8%89%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%81%AE%E7%A4%BC%E6%8B%9D_(%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89)#cite_note-2
見ての通り未完だ。この精神性は素晴らしく感じるのだが、色を塗ったら案外そうでもないかな、とも思ったりする(どうおもう?)。
それはともかく、未完なので依頼主が困ってそれをフィリッピーノ・リッピに投げてきた。ちなみにボッティチェリの弟子である。
東方三博士の礼拝 (フィリッピーノ・リッピ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%96%B9%E4%B8%89%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%81%AE%E7%A4%BC%E6%8B%9D_(%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%94)
1496年のことだ。彼はたぶん「ぼくにも(この主題の名画を描くことが)できそう」と思ったにちがいない。
五歳年上のレオナルドに対してのライバル心もあっただろう。
実を言えば、ここで彼はメディチ家面々を描いている。師匠にあやかったと見るのが正しかろう。神経質そうな表情などは画家の気質と、当時のフィレンツェの社会状況にも関係するかもしれない。
しかし背景はだいぶ違う。
ほぼ前景のみのサンドロ、前と後ろのレオ、フィリッピーノは、そこから飛躍して画面の奥行に物語を詳細に描きこんでいる。
少々息苦しくもあるが、絵としての面白みは十二分にある。
ところで、フィリッピーノが「僕にもできそう」と思ったのではないかと今回調べながら感じたのは、これを見たせいだ。
東方三博士の礼拝 (フラ・アンジェリコとフィリッポ・リッピ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%96%B9%E4%B8%89%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%81%AE%E7%A4%BC%E6%8B%9D_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%81%A8%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%94)
これが15世紀半ば、そこのフィリッポ・リッピという名前はフィリッピーノの父親だ。ついでに弟子はサンドロ・ボッティチェッリ。フィリッピーノは、父親の教え子についた。
トンドと呼ばれる円形の絵、前景と中景と後景がふんだんに描かれていて、ことに右側上、坂のあたりなど色彩や雰囲気の違いこそあれ、師匠や年のちかいレオよりもよほど似てはいないだろうか?
彼はこの絵を見たことがあったのではないかと想像する。メディチ家依頼だし、たぶんあるだろう。
僕にもできそう、やれるぞ、とフィリッピーノは父親の絵を思い出したのだ、きっと。
約半世紀たち、時代はフィレンツェルネサンスの花が咲き染めるときから萎れるありさまになった。けれど、花は花として美しく、画家たちは野心と敬虔を胸に、この冬のお祭りを彩ったに違いない。
フィレンツェ・ルネサンスを彩る画家たちの野心と敬虔の花綱 磯崎愛 @karakusaginga
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