精一杯の語り部

小狸

掌編


 小説は人生を変える。


 きっと。


 それは届いてはいないかもしれないし、そもそも記憶に残っていないかもしれない、執筆活動のご迷惑になってしまったかもしれないし、そもそもそういうものを読む方だとも思えない、よって僕が送った二通の手紙は、全く意味のないものになっているだろうことを承知の上で、この文章を書いている。


 今までは物語は読み、また書いてきただけで、語ったことなどは一度としてない僕が、語り部を務めさせていただくというのは、大変光栄だし、恐縮である。自らを語るということが、これほど羞恥を伴い、また取り返しが付かないということを、痛感している。見ての通り稚拙な語り部ではあるが、最後までお付き合いいただけると幸いである。


 人生で、二度。


 僕は、さる小説家の先生に、手紙を送ったことがある。


 ファンレターである。


 二度とも、学生時代のことであった。


 今から思えば拙劣な文章ではあったが、当時は郵便局の窓口の人に手渡すまでに、何度も何度も推敲し直して、失礼のないようにして、出版社宛に送った。


 僕はその先生の小説で、人生が変わった。


 具体的に言えば、僕が小説家になりたいと思った契機きっかけが、小学校時代にその先生の小説に出会ったことなのである。


 大好きであるとか、憧れているとか、作風が似ているとか、傾倒しているとか、夢中であるとか、発売日に必ずその先生の小説を購入しているとか、人生の1冊を選ぶとするならその先生の小説を選ぶとか、その先生の新作が生きるかてになっている――とか。


 もうそんな次元ではないし、多分、僕のその先生の作品への感情は、もはや言葉にできない領域に到達している。


 それくらいに、僕の小説を書く上のいしずえとなっている。


 未だ小説家になることはできていないけれど、決心したあの日から、今日に至るまで、その選択を後悔したことは一度もない。


 感謝している。


 小学校時代の僕は、毎日暴力を伴ういじめを受け、親から不登校も許されず、ほとんど人生を諦めていた。


 もう何をやっても自分は駄目なんだと思い込み、それでも逃げられない現実に直面させられて、生きる気力をなくしていた。


 そんな時に、物語を書くという道を、小説家という夢を見出させてくださったのが、その先生のその小説である。


 叶うならば、その先生にお会いしたい。


 感謝の意を伝えたい。


 などと、度を越えた夢を、思うのである。


 いや。


 いや、いや、いや。


 分かっている――つもりだ。


 僕は、特別ではない。


 同じようにその先生に影響を受け、小説家を目指した人というのは、大勢いるに違いないし、その中でファンレターを送ったファン、というのも、大勢いるのだろう。


 大勢の中の一人なのだ、僕は。


 それに、あり得ない可能性だが万が一、その先生とお会いする機会に恵まれたとしても、僕は緊張で何も話せなくなるか、感動で落涙して場に混乱を招くだろう。


 それくらい、僕の人生において大きな割合を占めている。


 そして、小説家を目指したことを後悔したことがない――というのも、ひょっとすると偶然なのかもしれない。


 何かのボタンの掛け違いで、何かの言葉のすれ違いで、何かの批評を受けて、何かの拍子に、小説家なんて目指すんじゃなかった――と、悔いる未来も、あったかもしれない。


 そう思う。


 そういう意味では、苛烈で劣等感にまみれた、どうしようもない人生ではあったけれど、僕は恵まれていた。


 小説家になりたいと思い――思い続け、書き続けられる環境で、生きることができた。


 間違いなく、幸運である。


 その先生の著作は、著者インタビューやムック本の付録短編小説、絶版本、単行本化されていない作品含めて、ほとんど全て集めている。集めて、読了している。


 勿論もちろん、その先生に特別視されたい、覚えてもらいたい――なんて、そんな傲慢なことは、つゆほども思わない。


 そんな夢物語を語るくらいなら小説を書け、と言われるだけだろう。


 近くにあるのか、遠くにあるのかすら分からない、小説家という夢を、現実と摩擦で火花が起きるくらいまで隣接させながら、これからも僕は、見続けるのだろう。今まで以上に苦しむことになるだろうし、辛い思いをしながら、生きてゆくことになるのだろう。


 伝わらないことは、分かっている。


 届かないことは、分かっている。


 それで良い。


 その先生は、世界にぽん、と小説を上梓した、というだけである。


 その先生が僕という特定個人を救ってくれた、などという謙虚さを欠く言葉は口が裂けても言えないし、そんな重荷を課してはいけないと思っている。先生の作品を読んで、変わったのは、思ったのは、決めたのは、他ならぬ僕自身なのだ。


 それでも。


 これだけは、語ることを許してほしい。




 あの頃の僕を生かしてくれて、ありがとうございました。




(「精一杯の語り部」――了)

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