生きている作品と死んでる作品

@sakigami_KAKU

生きてる作品と死んでる作品

 以下は「完結済みの長編作品」を対象とした話であり、それ以外には該当しない話であることをここに明記する。


 世の中には誰にも読了されずに沈む作品が多々ある。これは「誰にも1話すら読まれない」では無く「作者以外に誰も1話から最終話までを読まない作品」という意味である。


 1話すら読まれないならそれは、立地(公開サイト)が悪いか外観(タイトルやあらすじ)が悪いか時代(流行り)が悪いかの何れかで、大体はそれらの複数要因が絡まった結果としか判断の仕様がない。


 その昔、「1PVついたら即終了」という企画が存在したくらいなので、逆にそれが嫌ならば、工夫次第で防げることもまた事実であろう。問題は「作者以外に誰も1話から最終話までを読まない作品」である。途中までは誰かが読む。しかし完結までは追われない。数十万文字以上の、作者の思いの結晶が、である。残念ながらそのような作品は数あるのが現実だ。


 厳しい話だが、その作品は死んでいると表現出来るのかもしれない。既に完結しているのに、誰も完結までを知らないのならば、それは存在していないことと同義ではないか? とは言え、書ければ満足、書き切っただけでも尊いという考え方は、勿論否定出来ない。


 私の考えが絶対的なものだとは決して思わないが、それでも聞いて、想像して欲しい。


 開店準備を終えて、いざ開店した新店の初日。開店前には物見する人間がちらほら見えたが、肝心の客は一人も来ない…そんな状態が続いて、そのまま一日を終えたとする。店主の無念は計り知れないものだろう。


 二日目以降にお客が来て、その後口コミで繁盛店に、店主も幸せハッピーエンド…そんなこともあり得るだろうと言いたくなるかもしれないが、仮にそんな理想的な逆転劇が成ったとしても、それでも私は「死んでいた時間がある」と考えてしまう。


 開店前から物見していた客が、開店直後に来店してお客様第一号になる…つまり連載中からずっと追っていた読者が完結直後に読了者になる。そんな流れ、ライブ感があって、初めて作品・作中のキャラクターは、「生き続けた」と言えるのでは無いかという、あまりにも贅沢で傲慢な願いである。


 読まれて売れることが正義の商業作品は除外とするが、読まれることだけを目的とはせず、あくまで己が作りたいと思う作品を作り、磨き、公開する。その過程で、立地を考え入口を整え、掃除(推敲)をして見栄え(読みたくなるタイトルあらすじキャッチコピー)を良くする。店のサービス(作品の根幹)は一切変えずに、妥協出来るところだけを妥協して読了者候補の母数を増やす。


 その程度のことは、既にやってる人もやってない人も、やったけど駄目だった人も、最初からやる気がない人も、それぞれ沢山居るだろうけども。自分の主人公の物語が、誰にも最後まで読まれずに鼓動を停止させて良い訳が無いだろうと、そんな思いを胸に、創作をしたいと私は考えている。


 誰もが見て欲しい世界、共有したい世界があるからこそ執筆をして、態々外部に向けて公開しているのだろうと、そう思うから。

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