🌟 ナナの咆哮とカローラの誓い

Tom Eny

🌟 ナナの咆哮とカローラの誓い

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Ⅰ. 宣戦布告


1995年、初秋。宗介は、自分のトヨタ・カローラが、彼女――ナナコと友人タクヤの手で赤いレカロのバケットシートが収まる改造車へと変貌しているのを見た。ボロボロになった純正シートが撤去された車内には、新品のビニールと、ごまかせない古いオイルの残り香が混じり合っていた。


ナナコからのメモには「感謝してね。愛を込めて」とあったが、宗介の心は怒りと絶望で満ちていた。彼の心には**「人生の選択権を他人に渡すのが怖い」という、自分の人生に無関心だったことへの自己嫌悪**と、無力感があった。


外装は純正のまま、控えめなローダウン。しかし、初めてキーを回すと、低くこもった「フ〇ジツボ」独特の静音ながらも力強い唸りが響いた。それは、純正の「ブーン」という音とは全く違う、生きている機械の咆哮だった。


初めて踏み込んだカーブ。路面に張り付くような安定感、そして体の横ブレを完全に受け止める赤いシートのホールド性能が、宗介に**「車を操る快感」という、人生で初めての情熱を教えてくれた。ナナコは、彼に宣戦布告をしたのではない。彼女は、彼にこの「生きている実感」という名の、オイルと汗にまみれた情熱**を、無理やりにでも押し込みたかったのだ。


Ⅱ. 譲れない男と女


怒りは、やがて興味へと変わった。宗介は、ナナコが待つタクヤのガレージへ、自分の意志で足を踏み入れた。ガレージには、タクヤのR32がけたたましいアイドリング音を響かせ、天井から吊り下げられた蛍光灯の下、オイルと古いタイヤゴムの匂いが混じり合っていた。


「ナナコ、お前の仕掛けた罠に、まんまとハマったよ」


宗介の言葉に、ナナコは涙ぐんだ。「良かった……。もし怒ってたら、もう会えないかと思った」


宗介はタクヤに歩み寄った。「タクヤさん。あのバケットシート、本当に腰にくる。……減衰力って、どうやって硬くするんですか?」


タクヤは驚きと喜びが混じった顔で笑った。「それ、カローラの乗り方を理解したってことだ。ほらよ」


二人は、ナナコが不在の時にカローラのサスペンション調整ダイアルを共に回し始めた。分厚いチューニング雑誌を広げ、宗介が戸惑うと、タクヤは「ほら、これを見ろ。サーキットのセッティングだ」と、ページが破れるほど読み込んだ雑誌を指差した。工具箱から聞こえる乾いた金属音、そして、缶コーヒーをすすりながら、ただ車について語り合う夜が始まった。


Ⅲ. ナナコの愛のセッティング(回想)


その夜、宗介はナナコに尋ねた。「なんで、あのカローラなんだ? もっと簡単なチューニングもあっただろ」


ナナコは微笑んだ。その顔には、宗介が知る由もなかった、二日間の徹夜の痕があった。


(ガレージでの回想シーン)


宗介のカローラを前に、ナナコは新品のバケットシートを指差した。「マフラーは、排気効率はいいけど、音量が合法範囲に収まるフ〇ジツボの静音タイプよ。夜中に帰っても、近所に迷惑はかけさせない。社会性は保たせる」


タクヤは驚いた。「お前が合法性を気にするなんてな。本気で乗り心地も考慮してるのか?」


「当たり前でしょ」ナナコはカローラのタイヤハウスを覗き込んだ。「サスは、テインのフルタップを入れる。車高は限界まで落とすけど、減衰力は、今は一番緩いところにしておく。いきなりサーキット仕様にしたら、ケンジの腰が砕ける」


そして彼女は少し悲しげに言った。「ケンジは、自分の人生の選択権を、私に渡すのが怖いんだと思う。だから、相談しても逃げる。でも、完成したものを渡されたら、もう拒否できないでしょ?これは、私がケンジの人生に仕掛けた、最高のサプライズなの。公道という名の日常を、決して退屈なものにしないためのね。」


タクヤは、その言葉を聞いてR32のタービンを置いた。彼らが仕上げたのは、ただの改造車ではない。それは、**ナナコの、豪快で、不器用で、そしてあまりにも一途な「愛の塊」**だったのだ。


(現在)


「あの時ね、ケンジ。私が一番怖かったのは、あなたに嫌われることじゃなかったの」ナナコは宗介の肩に寄りかかった。「あなたが、あなた自身の情熱を、永遠に諦めてしまうことが、一番怖かった」


宗介は、カローラのボンネットに手を置いた。「次はタワーバーとポテンザ RE-01みたいなハイグリップなタイヤが欲しい。お前が俺に教えてくれたこの車を、俺はもっと速くしたいんだ。ナナコのくれた情熱を、俺はもう誰にも譲らない」


ナナコは、宗介の顔についたオイルの煤を、優しく拭い取った。宗介は、もう二度と、彼女の情熱の世界から逃げ出さないと誓った。


Ⅳ. エピローグ:時を超えた証


――さらに二十年後。


宗介は、あの熱狂的な青春の日々から遠く離れ、当時ローンを組めなかった静かなミニバンを運転している。**車内の匂いは、古いオイルではなく、娘がこぼしたジュースと、チャイルドシートの布の匂いだ。**ある日、ガレージの奥から、使い込まれた赤いレカロのバケットシートと、ナナコの力強い字で書かれたメモを見つけた。その小さなシートと、長年染み込んだガソリンとオイルの独特な匂いが、あの夜のガレージの熱と匂いを蘇らせた。


「パパ、それ、何?」


運転免許を取得したばかりの娘が、興味津々で尋ねる。


宗介は、バケットシートを抱え上げ、笑って言った。「これは、パパがママに命を懸けてついていくと決めた時の、最高のシートだよ」


その横で、すっかり落ち着いたナナコは、娘の手に小さな六角レンチを握らせながら言う。


「車はね、単なる箱じゃないのよ。自分を表現するための相棒なの。でも、改造するときは、ちゃんと彼の同意を得るのよ。……ママみたいに、勝手にやっちゃダメだからね」


娘はクスッと笑い、「パパのカローラ、本当に速くなったの?」と聞く。


宗介は、カローラのバケットシートを見つめながら、穏やかに答えた。


「ああ。少なくとも、あの時の俺の人生で、一番速くて、一番最高の車だったよ」


二人の言葉を聞きながら、宗介は、あのカローラに施された過激なチューニングが、今も、そしてこれからも、自分たちの家族の情熱の源として生き続けることを確信した。

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