勇者、剣を売る。美品。

@pzld

第1話

築30年、木造アパートの六畳一間。レオナルド(43)はスマートフォンの画面を睨みつけていた。

画面にはフリマアプリの出品ページが表示されている。被写体は、壁に立てかけた一本の長剣。刀身はオリハルコン製、柄には聖なる宝石が埋め込まれ、かつては魔族の血を吸って青白く輝いていた。伝説の聖剣、エクスカリバー。俺が二十年の歳月をかけ、命を削って振るい続けた相棒だ。

レオは震える指で、価格設定の欄に数字を打ち込んだ。『¥ 1,000,000,000』、十億円。これでも安すぎるくらいだろう。俺はこの剣とともに世界を救ったのだから。

「本当にすまん……頼む。売れてくれ」

祈るように出品ボタンを押す。


5年前、魔王との最終決戦の直後、次元の裂け目に飲み込まれてこの「日本」という世界に落ちてきた。最初は希望を持っていた。次元が違うとはいえ世界を救った英雄だ、この世界でも敬意を持って迎えられるはずだと。

だが、現実は無慈悲だった。新宿の交差点で「私は聖セント王国に認められし勇者だ!魔物はどこだ!」と叫べば、通行人には白い目で見られ、すぐに警察官数人に取り押さえられた。魔法はこの世界では発動しなかった。自慢の剣技も、いや、剣を持つこと自体が銃刀法という法律の前では犯罪でしかなかった。異世界から来たのだと説明しても困った顔をされるだけ。職を求めても、面接官は40手前の職歴なし(勇者業は書いていると面接にすらたどり着けないので書くのを辞めた)の男になど見向きもしない。「エクセルも使えない?資格もないんですか…何もできないのに、給料の希望額だけは一丁前ですね」と鼻で笑われ、履歴書を突き返される日々。

気がつけば5年が経ち、43歳になった勇者は、交通誘導の夜勤アルバイトで食いつないでいた。長年の戦闘で酷使した腰は悲鳴を上げ、昨日はぎっくり腰で現場を早退した。今月の家賃が払えない。腰の治療のために病院にも行けない。売れるものは、もうこの剣しかなかった。


スマートフォンが振動した。コメントがついたのだ。レオは期待に胸を膨らませて画面を見る。

『桁間違えてますよw』『ラノベの読みすぎ』『まぁまぁいい出来のコスプレグッズじゃん。千円なら買うわ』『動画投稿サイトでフリマの商品を紹介するチャンネルを運営しています。この出品を紹介してもよろしいでしょうか?』

レオの顔から血の気が引いた。違う。これは本物だ。俺はこれでドラゴンの鱗を切り裂き、魔王の心臓を貫いたんだ。

『嘘じゃない!これは正真正銘の』

反論を打ち込もうとして、レオの親指が止まる。やめろ。みっともない。この五年間で嫌というほど学んだじゃないか。必死になればなるほど、この世界では「痛いおじさん」として嘲笑されるだけだと。

『通報しますた^^』『詐欺乙w』

次々と投げつけられる「w」の文字が、魔族の呪いよりも深く心を抉る。目頭が熱くなり、視界が歪んだ。悔しい。情けない。だが、明日の家賃は待ってくれない。

覚悟を決めた。奥歯を噛み締め、編集ボタンを押した。十億を消し、一億へ。反応なし。 1000万へ。100万へ。10万へ。それでも「高い」「ゴミ」と罵倒は止まない。

嗚咽を漏らしながら、最後のプライドをへし折った。『¥ 4,500(送料込み)』今日の夜勤の日当よりも安い金額。それが、俺の英雄としての誇りの価値だった。

変更した瞬間だった。『SOLD』赤い文字が画面に浮かんだ。購入されたのだ。購入者は『MA-0』というアカウント。取引メッセージには、一言だけこうあった。『都内手渡し希望。一時間後、ホテルエンパイア東京のラウンジへ来られたし』


煌びやかなシャンデリアの下、レオは身を縮めて歩いていた。着古したダウンジャケットに、ソールのすり減ったスニーカー。背中には新聞紙でぐるぐる巻きにした「商品」を背負っている。指定されたソファ席には、仕立ての良いスーツを着た男が優雅にコーヒーを飲んでいた。レオはその顔を見て、息を呑んだ。

「…よう。随分と老け込んだな、勇者」

男がサングラスをずらし、ニヤリと笑う。見間違えるはずがない。五年前、心臓を貫き、次元の彼方へ共に飛ばされた宿敵。魔王だ。

「き、貴様…生きていたのか」 「この世界は素晴らしいぞ、レオナルド。暴力ではなく、知恵と金ですべてが支配できる」

魔王は、この世界に来てからの五年間でIT企業を立ち上げ、莫大な富を築いていた。六本木のタワーマンションに住み、移動は運転手付きの高級車。日雇いバイトで腰を痛めている元勇者とは、天と地ほどの差がついていた。

「見ていられなくてな。かつて私を追い詰めた男が、顔も見えない有象無象に『嘘つき』と罵られ、泣く泣く聖剣を叩き売る姿など」

魔王はテーブルに封筒を放り投げた。厚みがある。100万は入っているだろうか。

「買い取ってやる。4500円だったか?」

「……馬鹿にするな」

「チップだ。とっておけ。貴様のプライドへの香典だ」

レオは拳を震わせた。この場で剣を抜き、こいつを斬れば、勇者の誇りを取り戻せるだろうか。いや、そんなことをすれば今度こそ刑務所行きだ。俺はもう、英雄ではない。ただの、金に困った中年男なのだ。

レオは力なく首を振り、背中の包みを差し出した。

「……商談成立だ。商品を確認してくれ」

「必要ない。貴様が剣の手入れを怠る男でないことは、私が一番知っている」

魔王は包みを無造作に脇へ置くと、封筒をレオの方へ押しやった。そして、腕時計を見る。 「さて、次の会議がある。…達者でな、元勇者殿」

魔王は颯爽と去っていった。残されたレオは、震える手で封筒を掴んだ。屈辱的だった。惨めだった。だが、この厚みがあれば、家賃を払ってもお釣りが来る。腰の治療もできる。元勇者は、ホテルのラウンジで、一人、声を殺して泣いた。


アパートへ戻る電車の中、スマホが通知を告げた。取引完了の知らせだ。レオは恐る恐る画面を開く。また罵倒が書かれているのではないかと身構えながら。

評価:☆☆☆☆☆(非常に良い)コメント:『商品は確りと手入れが施されており、最高品質でした。かつての所有者の並々ならぬ献身を感じます。弊社社長室のオブジェとして、大切に保管させていただきます』

そして、コメントには追伸があった。

『追伸:弊社では現在、本社ビルの警備員を募集中です。剣の腕はともかく、体力と真面目さだけは評価しております。もし職をお探しなら、人事部までご連絡を。福利厚生と腰痛治療の補助は保証します』

レオは鼻をすすり、電車の天井を見上げた。窓に映る自分は、疲れた中年男の顔をしている。  だが、出品ボタンを押した時の絶望的な表情よりは、少しだけマシに見えた。

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