赤い糸の靴下

夕月ねむ

***

 誰かの靴下を拾った。落ちていたのだ、道端に。もちろん、普通の靴下であれば拾ったりしない。そんなもの触りたくもない。私がそれを拾ったのには理由がある。


 その靴下は編みかけだった。未完成の手編みの靴下だったのだ。


 赤い毛糸で編まれた靴下で、透明な袋に入れられていた。片方はすでにできていて、もう片方も半分くらいは編めている。これを失くした人はさぞかし嘆いているだろう。細い細い編針で編まれた靴下は、赤一色。アランセーターのようななわ編み模様が入っている。私も編み物をするから、これにかけられた労力も時間や材料費もわかってしまう。見なかったふりなんてできるわけがなかった。


 とはいえ、相手がどこの誰かなんてわからない。その靴下が落ちていたのはバス停近くで、おそらくは待ち時間にベンチで編んでいたのだろう。バスに乗ろうと急いでしまって落としたのか。


 持ち主に返してあげたい。バス停にあったのだからバスの運転手にでも託せばいいのだろうか。逡巡しているうちに、バスが来た。私が乗る予定のものではないけれど、この靴下を落とし物として渡そうか?


 そう思った時だ。バスから慌てて降りてきた人がいた。

「すみません! ここに赤い毛糸の編みかけ、落ちてませんでしたか!?」

 どうやら、運転手に渡す必要はなさそうだ。


 靴下を持ち主に返すことができてホッとして、私はそのまま帰ろうとした。けれど、持ち主は「何かお礼を」と言ってくれて、現金を受け取るよりはとコーヒーをごちそうになることになった。


 意外だったのは、その靴下の持ち主、赤い毛糸で細かい模様を編んでいたのが男性だったこと。


「あ……すみません。俺、なんかこれじゃあナンパしたみたいですよね」

 彼はそう言って苦笑して、それから改めて丁寧に礼を言ってくれた。


「私も編み物をするんです。だから、大切なものだろうなって思って」

「それで拾ってくれたんですね。踏まれたりしていなくて本当に良かった」

「編みかけなのに、編針が折れたりしたら悲しいですからねぇ」


 私たちはコーヒーを飲みながら編み物の話をした。どんな毛糸が好きなのか、普段どんなものを編むのか。彼は細い毛糸で小さいものを編むのが好きらしく、手袋と靴下は実用性もあるから良い、なんて言っていた。


「今日この後、手芸屋さんに行きませんか?」

 つい、そんなことを言ってしまって、相手の都合も聞かずに不躾だったと赤面した。でも彼はにこりと笑うと、いいですねと承諾してくれた。



 ***



 彼とは連絡先を交換し、何度か手芸店巡りと編み会をした。お互いに身近に編み物をする人がいなくて、話が通じる相手に飢えていたのだ。靴下のかかとは難しいとか、手袋の指の間に穴が開くとか、編み物の本の通りに編むとサイズが合わないとか。同じ趣味を共有していないとわかってもらえない、そんな話題が彼とならストレスフリーにやり取りできる。


 いっそ付き合ってしまおうと言い出したのは彼の方で。私もまんざらではなかったから、その告白らしからぬ告白を受け入れた。彼の赤い毛糸の靴下は無事に完成し、私は彼にニット帽を編んだ。彼からはハンドウォーマーをもらった。同棲の話が出た時には、毛糸の保管場所をどうするか話し合わなきゃならなかった。


 一緒に暮らし始めてからも、仲はいいと思う。


「手触りならやっぱりアルパカでしょう!」

「いやいや、ウールでも質のいいメリノならちくちくしないって!」

「えー。メリノかぁ」

「ところで君がこの間買ったアルパカの糸、獣のにおいがするんだけど!?」

「仕上げに洗えばどうにかなるよ……たぶん」


「ショールを編むのが楽しいのはわかるけど、こんなに数あってどうするの?」

「そっちこそ手はふたつしかないのに今年手袋いくつめよ、それ」

「だって知らない編み方だったから編んでみたくて」

「去年も同じこと言ってた!」


「よく金属の針で編めるね? かちゃかちゃうるさくない?」

「慣れるよすぐに。竹製は折れそうで怖いし」

「竹はこの滑りにくさがいいんだよ。まあ……折ったことはあるけど」

「やっぱり折れるんじゃないの」

「滅多にないよ。普通は折れないって」


「ねぇ、ちょっと。ショールの本増えすぎ! これ以上どこに置くの?」

「それを言うなら靴下の本もね!」

「だって推しにはお布施しないと」

「私だって同じなんですけど!?」

 えっと、うん……仲はいい。いいんだよ、本当に。


 あの日、バス停に落ちていた編みかけの靴下が私たちの間を取り持ってくれたわけで。もしもこの小指に赤い糸があるとしたら、それは毛糸に違いないと私は思っている。



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赤い糸の靴下 夕月ねむ @yu_nem

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