旅立ち




「これでええか?」

「うん。手伝いに来てくれてありがとう、燎悟くん」

「ほな、僕は先に下に降りとるから」



 燎悟は最後の荷物を持ってエレベーターに乗り込んだ。

 左手しか使えない結丹を気遣って引っ越しの手伝いに来てくれたのだ。

 これから結丹は燎悟の助手として、燎悟が生まれ育った研究所に住む。

 そして、燎悟について日本中を旅して回るのだ。



「さよなら。父さん。それから、晴臣」



 結丹はふたつの遺骨の包みの前で呟いた。

 ひとつは父親の、もうひとつは晴臣の遺骨だった。



 事件の後、結丹はひとつの考察をした。

 晴臣が本当に愛していたのは、結丹の父親ではないか……と。



 あの白い闇の中、結丹の父親は何度も二の腕を擦っていた。

 そこは、晴臣の片羽のアゲハ蝶の刺青がある場所と同じだった。



 晴臣の愛する人は結丹の父親であったなら、そして結丹の父親も晴臣を愛していたならば。

 父親が凶行に至るまで抱え込んでいた苦悩も、晴臣が結丹を引き取ったことも、その後の晴臣の奔放な性生活も、しかし結丹には手を出さなかったことも、結丹の養父を名乗らなかったことも。

 説明がつく気がした。



 もちろん、これはあくまでも結丹の考察であり、父親も晴臣も死んでしまった今、真実が明かされることは無いのだが。



「だから、これは僕の勝手な考察による勝手な結論。《白き霧よ。白き闇よ。光を喰らえ。闇を喰らえ。獲物を喰らえ》」



 部屋が、真っ白な霧に包まれる。

 もうひとつの、結丹が抱える《胎児》。

 霧のような白い闇の中、結丹は左手でふたつの遺骨の包みを指し示す。



「《喰らえ》」



 右手の銃と同時に抱えた《胎児》である為、発動の言葉は似通っている。

 ゆらゆらと揺れる白い闇。

 やがで結丹の指し示した遺骨の包み付近の霧の濃度が増し、何も見えなくなると……。



 ガリッ。

 ボリッ。

 乱暴に何かをかみ砕く音が白の中に響いた。

 やがて、霧は薄くなり……消える。

 結丹の視線の先には、包みも遺骨も跡形も無かった。

 白い闇が喰ったのだ。



「僕が抱えるこの《胎児》が父さんによって孕まされたものであるなら……やっと父さんと一緒になれたね、晴臣」



 もちろん、あくまでも結丹の考察の結果から導き出した結論ではあるのだが、これでやっと結丹は新しい自分を生きられる気がした。

 宝条燎悟の助手、雁野結丹として。

 結丹は部屋を出てエレベーターに乗り込み、管理人に鍵を返すと燎悟の待つ駐車場へと向かった。





『ドグラ・マグラ』とは、夢野久作氏の著書。

 有名小説の題名である。

 同時に作中に登場する「とある精神病患者が執筆した」書物でもある。

 『胎児の夢』とは、作中に登場する教授が書いた論文だ。



 この世界では絶望や恐怖などの心的外傷を負った時、稀に「その時点で成長が止まってしまった自分」が内側に誕生する。

 《胎児》と呼ばれる“それ”は、心的外傷を負った瞬間に感じた絶望や恐怖を“悪夢”として繰り返し体感し続けている。

 この“悪夢”を繰り返し体感し続けるのは、当然ながら、激しい苦痛を伴う。

 故に《胎児》は、自身の存在に気づいて欲しいと願い、《胎児》を抱える人間……《母体》に自身の見続けている“悪夢”を追体験させようとする。



 《母体》が《ドグラマグラ》と呼ばれる怪異に触れることで、《胎児》は顕在化して自我を持つ。

 そして《母体》に自身が見続けている悪夢を見せる。

 《ドグラマグラ》に触れた胎児により“悪夢”を見せ続けられた《母体》が発狂すると、《胎児》は《母体》を乗っ取り、次の《ドグラマグラ》を発生させる。




 今日もまた、日常の裏側で恐ろしくおぞましい怪異が発生している。

 そして、人知れず怪異と戦う者たちもまた、存在する。

 彼らは、自らも発狂し怪異となる危険に怯えながらも、この世界と日常を守る為、命と正気を磨り減らし、終わらない戦いに身を投じている。





End.

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残響迷夢―惨劇の母体たち― 星坂蓮夜 @dssKIRItoMAYU

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