散ったはずの高嶺の花は、まだ僕の前に咲いていた
御伽草子913
散ったはずの高嶺の花は、まだ僕の前に咲いていた
「――昨日、白石さんが……亡くなりました」
「……え」
珍しく青ざめた表情で現れた担任。
その朝の第一声がそれだった。
気付けば、思わず声が零れていた。
周りからも同様に零れている。
言葉の意味はわかるけど、理解だけが追いつかず、頭が真っ白になった。
学園の”高嶺の花”『
そんな知らせを聞いたのは、”あの日”の翌日の朝礼だった。
……一瞬、信じられなかった。
いつまでも続くと思っていた日常が、こんなにも簡単に壊れるものなのか――
人は、あっけなく死ぬ。
そんな当たり前の事実を、初めて真正面に突きつけられた気がした。
けれど、そのときの僕はまだ実感がなかった。
悲しみに沈む空気の中で、ただ一人、ぽつんと取り残されているようだった。
さっきまでうるさかった教室がひどく静まり返る中、担任の震える声だけが続いた。
彼女は昨日の下校途中、心臓発作を起こした。
救急搬送されたものの、帰らぬ人になった――と。
肩を震わせる者、顔を伏せて泣く者、呆然と立ち尽くす者。
教室のあちこちで嗚咽が漏れ、椅子の軋む音がやけに大きく響く。
……教室の空気は、哀しみに包まれていた。
――そんな中、僕だけは違った。
『昨日』という言葉を聞いた瞬間。
嫌な予感が、静かに胸のそこをなぞった。
その『理由』を思い当たったとき、息が詰まる。
胸の奥に、冷たい何かが沈んでいく。
涙は出なかった。
悲しくなかったわけじゃない。
けれど、それ以上に、胸のどこかが鈍く痛んでいた。
周囲が嘆き、泣き崩れる中で、
僕だけが、その場に置き去りにされたみたいだった。
ただ、説明のつかない痛みだけを、胸の奥に残したまま――
……この時は、まだその痛みの正体に、気づかなかった……
……思い返せば、今年の春、高校入学と同時に転校してきた彼女は、まるで最初からここに居場所があったかのように、気づけば学年の中心にいた。
誰もが振り向く程の容姿端麗で成績優秀、そして、誰にでも分け隔てなく優しくて、皆から慕われているほどの完璧美少女。
そんな才色兼備の彼女に勘違いした男子が続出、告白しては玉砕していった。
杉多くん曰く、その屍は一個中隊を超えたらしい。
その名声は同学年どころか、上級生にまで広がっていた。
――けれど、僕には関係のない世界だ。
彼女とは接点もない。
話しかけたこともない。
あるとすれば、小学生のように明るく挨拶する彼女に挨拶を返したのと……
……落とし物を拾ってくれた、あの一度きりの会話くらいだった――
「――天宮くん!」
「なに?」
「はい、消しゴム、落ちてたよ!」
「……あっ、ありがとう」
「ふふ、どういたしまして!」
……なぜか、そんな彼女との会話が、今でも耳に残っている。
その時に見せた太陽のような微笑みに、思わず心が掴まれたからか。
それとも、近づいたときにふわりと香った彼女の匂いがすごく良かったのか……
思わず心が揺れた。
ただの落とし物を拾われただけの一瞬なのに、今もその光景だけは、鮮やかに胸の奥に残っている。
そんな些細な記憶が、今になって胸を刺すとは思わなかった。
改めて思えば、正直、少し惹かれていたのかもしれない。
――好きになっていたのかもしれない。
……が、そんなのは錯覚だ。
僕みたいなボッチが勝手にドキッとしただけで、彼女にしてみれば、ただの通りすがりの善意にすぎない。
だから、そんなことで彼女に本気で惚れるなんて、あるわけがない。
……少なくとも、ボッチの僕と、才色兼備の彼女じゃ釣り合う訳がない。
そもそも――好きになってはいけない人物だ。住んでいる世界が違う。
二人だけの閉じた世界ならまだしも、”世界”がそれを許さない。
例え奇跡的に付き合えたとしても、周りが放っておくはずがない。
そんな甘い”奇跡”など、ラノベかネット小説か、せいぜいエ〇ゲの中だろう。
それが、この甘くも優しくもない、容赦のない現実だ。
それに、誰にでも優しいのも考えものだ。
彼女は別に好意で接しているわけじゃない。ただの性格だ。
――だから、勘違いする馬鹿どもが量産されるのも仕方ない。
その意味では、彼女も少しは”罪つくり”な子なのかもしれない。
それが無意識なのか、わざとなのかは知らないけれど。
……ともかく、“身分差”というのは本当に残酷だ。
青春の中心で輝いている彼女と
青春がないのも青春なボッチの僕。
そんな僕と彼女は、最初から相容れない立場にいた。
……だから、このときの僕は、そんな彼女に興味なんてなかった。
美しく凛々しく咲く華は、僕にはただ、遠くで咲いているようにしか見えなかった。
……手の届かない、永遠に咲き続ける華。
それならば、対岸で見ている方がお互いに傷つかずに、楽だった……
そんな、決して散らないであろう高嶺の花が――
あっさりと散った。
――人生3度目に参加する葬式は、今までのどれよりも盛大だった。
参列者は驚くほど多く、聞けば彼女の小・中・高時代の同級生たちが大勢駆けつけているらしい。
今年転校してきたばかりだというのに、遠方から来た子までいた。
僕も、クラス全員での参加が半ば強制のように決まったため、気乗りしないままその列に加わっていた。
……正直、僕は行きたくなかった。
家に早く帰りたかったのもあったけど――それ以上に――
”会いたくなかった”
それでも、ここで外れれば間違いなく“浮く”。
空気が読めない僕でも、それくらいはわかっていたから、行かざるを得なかった。
……ただ、激しい喜びや絶望や後悔もない平穏な生活を送る為には、保身に走らなきゃならないのだ。
……盛大にもかかわらず、無宗教形式なのか、会場にお坊さんの姿はなく、静かで悲しげなBGMだけが流れている。
その音が、かえって胸の奥を冷たく締め付ける。
そして、ウチが普段使っているのよりも匂いが強い線香に、記憶にあった彼女の匂いがかき消されていくのを感じる中。
……みんな、泣いていた。
担任は涙を零しながら弔辞を読み、女子はすすり泣き、玉砕した男子でさえ顔を伏せて肩を震わせた。
親友だった子はショックで過呼吸を起こし、倒れる騒ぎにもなった。
SNSでも、追悼の言葉が途切れることはなかった。
――白石美華は、それほどまでに“特別”な子だった。
だけど。
そんな誰もが涙を流す中でも、僕だけは泣けなかった。
”きっと、ボッチの僕の葬式には、こんな風には誰も来ないだろう……”
”誰も、僕のことを悲しむ奴なんて、この先も現れないだろう……”
”……もう、全てを失ってしまった僕には……”
皆が泣く中、そんな自分勝手な考えが頭をかすめていた。
そのことに気付いた時、胸の奥がじんわりと痛んだ。
同時に、小さな罪悪感が静かに沈んでいくように広がっていく。
……取り返しのつかないことをしてしまったのに。
以外と、呑気にやっている自分が、許せなかった……
献花が終わり、彼女の棺に釘が打たれ始めて、ついにこの世との終わりが近づいた頃。
――ふと目に留まった。
一輪の花が、蓋の隙間から、かすかにはみ出していた。
誰もその花に気付かないまま、容赦なく釘の音だけが響く。
……なんの花かは、わからなかった。
だけど、キレイな花だった。
花は汚れもなく、いま咲いたばかりのように鮮やかだった。
そして、まるでその花は彼女のように見えた。
穢れていない心洗われるような純白のまぶしさを放つ花。
まるで、高嶺の花が、最後まで “まだ終わりたくない” と、静かに訴えているように――
燃やされることを拒むように、必死に外の光を掴もうとしているように見えた。
係員も、同級生も、最愛の家族ですら気づかない中。
淡々と釘の音だけが続く中。
……その花に気づいたのは……僕だけだった。
それが、胸に重くのしかかる。
そして――心のどこかに――
小さな穴が、あいたような感覚だけが残った。
……そんなことを思い返しながら、家に入る前に玄関先で塩をこれでもかと全身に撒いた。
そうしないと、”霊”が家に入るからだ。
……その日から、あの花が燃えていく夢を見続けた。
ずっと……
……ずっと…………
……そんぐらいか。彼女のことは。
……こうして、高嶺の花の物語は終わった。
……16歳の少女は死んだ。
……青春も、恋愛もなく、未来も子孫も残せずに消えた。
……いずれ、みんな彼女のことを忘れていくのだろう。
……僕は、一生、花が燃える夢を見つづげるのだろう……
それが、生きていく為の業と、割り切りながら――
……今はただ、哀しみと”後悔”だけを残して、彼女の物語は閉じられた……
――はずだった。
――だが。
僕たちの物語は、終わらない。
―――――――――――――――――――――――――――
「――みなさん、おはようございます。今日も一日がんばりましょう」
「あ、おは――」
「うるせえよバカ!」
「えっ!? いきなりバカ呼ばわりはヒドイよ!」
朝、僕の席に先に座る男女に例の挨拶をしてみたら、いきなり怒鳴られた。
え、ひどいなぁと素で思ったが、”詠唱”の途中なのでぐっとこらえた。
すると、僕の椅子に座る栗色の綺麗な髪の毛の女子制服の子がスマホの画面を見せながら続けた。
「とりあえずこちらのスマホの画面を見て下さい」
「え、うん? なになに?」
僕も無言のまま、差し出されたスマホの画面を見てみた。
「……え、なにこれ」
珍しく彼女が引いた声で言った。僕も同じ表情をしていると思う。
そこには、とても見覚えのある二人のオッサンが幸せそうに腕を組んで結婚式をあげているイラストが映っていた。
「――なんだこのYouTube出禁な
確かこれ、当時の風刺画だったかな?
モロトフ=リッペントロなんとかさんの協定の風刺画だっけ?と思っていたら、その女子制服の子が答えた。
「ヒトスタって知ってるかい?」
「いや知らない」
「なにそれ?」
彼女が言うと、それに答えるように勢いよく立ち上がり、短く折ったスカートがふわりと舞った。ちょっとエロいと感じてしまゲフンゲフン!
――ともかく、ソイツが声高らかに言った。
「極右極左の代表する二人が織りなす禁断のラブストーリー!
「…………」
「…………」
さっきまでうるさかった教室内が、一瞬で静かになった。
無理もないよね。
だって朝から下ネタとかキツイもん……
しかも、そっち系だし。
その証拠に、全クラスメイトの冷めた視線が僕たちに向けられている。
そんな状況で何事もなかったかのように座る彼に、僕は言った。
「……えっと、なにがあったの? 杉多くん」
「ホントだよー」
とりあえず、例の詠唱も途切れたので彼に説明を求めると、なぜか頭を抱えた。
あの、こっちが抱えたいんですけど……ただでさえ、僕もソッチ系に見られているし。
そのことも含めて遺憾の意を表明すると抗議しかけた時に彼が答えた。
「……昨日さ、YouTubeでよぉ、そういうWW2ゲームの動画ネタがあってよぉ……」
「うんうん、それで」
「そのフレーズが、さっきからずっと頭から離れないんだよぉ~……」
「……なるほど、そんなパワーワードじゃあな……」
と、僕が言った。
すると、彼女も言葉を連ねる。
「意味がわからないけど、確かに強烈だね――」
「――――よって、心の友としては、直ちにその動画を見てもらうことを提案いたします」
「えっ」
「え?」
急にそんな提案をし始める杉多くんに、思わず素で声が零れる僕。
それとサラっと例の詠唱に戻るんじゃあない。あと勝手に心の友にしないでくれ。
てか、早く自分の席に座りたい。なので彼が次の詠唱に入る前に早速本題に入った。
「なんでそんなモノを見せてくるの?」
「そりゃあ、面白かったモノを誰かと共有したいからだろ? そうは思わんかボイル?」
「誰がボイルだよ」
「あ、それなんかわかる! 友だちと共有するのって楽しいよね」
僕の隣に立つ彼女が共感したのか、嬉しそうに手を合わせて言った。
……その時の笑顔としぐさに、少しドキドキしたのは、秘密にしとこう。
彼女は、そういう人だ。
ともかく、共有することにそんなに面白いことなのかな?とすっかり冷めてしまった心でそう思った。
……残念ながら杉多くんとは友だちではない。
ただのこのクラスの話し相手に過ぎない。
僕は――ボッチだ。
友達なんか、もう――いない。
だけど――
「それはそれとして、ちょっと気になるから見てみたいな」
「え、見たいのっ!?」
「よう言った! それでこそ漢や!」
そんなこと叫びながら、杉多くんはまた勢いよく席を立つ。
おかげで見たくもないスカートの中が見えてしまった……
まあ、黒タイツだから大丈夫だったけど……
いや、タイツのランガード部分が見えたから実質アウトだわ!
――杉多くんは男子だ。
しかし、着ている制服は女子制服だ。
しかも、顔と髪も女子的な感じだから、近くで見ても完璧に美少女に見えた。
つまり、男の娘ってことだね。
……それが、いま僕が“話している唯一の相手”。
というより、僕はもう、彼としか話していない。
なのに――
「詳しくは、YouTubeで【ヒト×スタ】と検索してくれ。そうすればまた世界が広がるゾ」
「へえ、そうなんだ! ちょっと気になるかもっ、ねえ天宮くん――!」
一瞬で、背中にひんやりとしたものが這い上がった。
鼓膜を直接なぞるように、
“ここにいるはずのない声”が、確かにはっきりと僕の名前を呼んだ。
だけど、僕は彼女を無視し、彼の目を見ながら言った。
「……じゃあ、家帰ったら見るね」
「ひひひ、約束だゾ」
「……ふう、相変わらず、つれないね。天宮くん」
……いま、教室に流れている音は、杉多くんの声と、周りの笑い声と、机の軋む音と、スマホの電子音だけのはずなのに。
それらのどれにも属さない“声”が、確実に、現実として、僕の耳に入り込んでくる。
誰も、振り向かない。
誰も、返事をしない。
誰も、そこに“誰かがいる”ことに気づいていない。
だから、さっきまで話してた杉多くんも彼女を無視する。
周りも、彼女を無視する。
前なら絶対に無視しなかったはずなのに、今は迷いもなく、無慈悲に無視する。
だって――
誰も彼女のことを”認識”できないから。
だから、僕もその流れに従う。
平穏な居場所を守るためには、常に安全圏から、保身を心掛けないとならないから……
……振り向いてはいけない。
……見てはいけない。
……反応してはいけない。
もし、反応すれば、僕はイカレタ人間扱いをされる。
だから今日も、僕は――
あえて彼女を無視する。
なのに――
彼女の声だけが、
昔とまったく変わらない調子で、
すぐ隣から、当たり前みたいに話しかけてくる。
無意味に……
毎日……
何事もなかったみたいに……
”あの日の後”から、僕に話しかけてくる。
その声を聞くたび、
胸の奥に、見えない穴が、少しずつ広がっていく。
塞がることもなく、痛みだけが、静かに溜まっていく。
それでも――
僕は、今日も無視を続ける。
そう――
彼女の名は――
『白石美華』
一ヵ月前に、亡くなった高嶺の花。
そして、なぜか――
今も、僕にだけ見えている。
※続く?
散ったはずの高嶺の花は、まだ僕の前に咲いていた 御伽草子913 @raven913
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます