第3話 足りてないのは覚悟なんかじゃなくて2

「好きにした結果が。これなんだよね」

 鏡の中の私はよそ行きの顔に仕上がっている。普段からあまりメイクはしない。それでも今日はおそらく特別な日になるだろうから、それなりに気合を入れようと思った。

「亜美に。大事な話があるんだ」

 トキワは隠し事ができないし嘘もつけない。常日頃から言葉には感情が載せられているし、きちんと表情にも表れる。その時の顔は緊張に満ちていた。

 よほど大事なのだなと思って、そういえばこんな顔を見た事あるなとすぐに思い出す。告白してきたときだ。交際を申し込んだときと同じ顔。ということは、もう一段階踏み込むということなのだろう。私はきちんと察した。

「それは。どのくらい大事?」

「人生の一大事で一生に一回しか使いたくない申し込み」

 ああ、確定だ。プロポーズだ。

「分かった。待ってる」

 私はすぐに茜に報告した。茜はすぐに会おうと言った。

「へえ。結婚か」

 大学を卒業して。私は地元の会社に就職して、トキワは書店のバイトを始めた。トキワはやはり就職しなかった。自由に書く時間を確保したいからだと言った。私は賛成も反対もしなかった。ただトキワがやりたいことをやっている。彼はそれで充実している。私はそんな彼を見るのが嫌いじゃない。だったら不都合なんてどこにもない。

 ページを捲る音と打鍵音だけの世界は消滅した。そしてその世界は二度と現れないことも悟った。それくらい尊くて甘いものだったと知ったのは、きちんとその世界が終わってしまってからだった。でも元々不協和音も流れ出していたからちょうどよかったとも思った。

 トキワは時間があれば執筆をしていると言った。パソコンであるいはスマホで。二十四時間、暇さえあればだったり無理やり暇を作ったり。とにかく執筆に時間を注いでいた。

 トキワは楽しそうだった。会う頻度が減り、会うたびに痩せていくけれど、その表情は充実に満ち満ちているようだった。

「亜美。僕は。すごくすごく、生きてるみたい」

 それを聞くとデートを申し出るのを躊躇ってしまう。ふとしたときに電話を掛けるのを控えてしまう。

「トキワは。ひとりで執筆している時間があれば幸せなの?」

 感情が表情に豊かに現れるトキワと違って、私は常にポーカーフェイスだった。口調だっていつも平坦。だから非難めいた言い方にはなっていない。淡々と、事実確認のように訊ねた。

 トキワはきょとんとしていた。

「亜美がいなきゃ。僕は死ぬよ?」

 当然とばかりの顔でそんな答えが返ってきた。さすがに私も面食らった。

「結婚相手としては申し分ないじゃん」

 茜はおめでとうと言ってくれた。私がそれに上手く応えないでいると、

「何か不満なの?」

 ストレートに訊ねてきた。

「不満というか。不安なの」

「なにが」

「トキワが楽しむことから離れるのかなって」

 結婚するのは僕が小説家としてデビューしてからにしよう。トキワはそう言っていた。僕は書くのが楽しい。楽しいことが仕事になればもっと楽しい方向に進むと思うんだ。そこで亜美と結婚する。そうしたら楽しいことが掛け算されて、なんかもう、人生の到達点に来たくらいの喜びが僕の中に溢れると思うんだ。

「で。そのトキワはいまどうしてるんだ」

「バイトしてる」

「書いてるのか」

「たぶんだけど。最近は書いてないと思う」

「そっか。そういうことか」

「茜のところは学生結婚だよね」

「だね」

「ずばり。結婚の決め手はなんでしたか?」

 訊ねると茜はきょとんとした。

「決め手? ないよ」

「ないんだ」

「あるわけない」

「あるわけないんだ」

「だってさ亜美。呼吸をする意気込みは、とか聞かれて答えられる?」

 とりあえず。茜のところは夫婦円満なんだろうなという思いだけを強くした。


 

 

 

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明日晴れたら願いが叶ったことにしようよ 葉山ひつじ @fugen-j

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