【効率厨がいく辺境スローライフ】魔法省の重鎮にクビにされた魔法職員は、田舎に引っ込んで趣味の魔法研究に没頭する

アララキアラキ

はじまり



「素人質問で恐縮なのですが」


 そう言った瞬間、魔法省主催の学会場がざわめいた。

 私の立場は〈魔導第二技官〉。資料整理や報告書の下書き、魔法式の管理など、いわば裏方の裏方である。

 そんな存在が壇上の研究者へ質問するなど、前例すら怪しいらしい。


 ゆっくり顔を上げると、壇上の男――魔法省の重鎮にして“毒素理論の開拓者”と呼ばれるフラム=ザハルス卿が、まるで不躾な虫でも見るように眉を吊り上げ、私を見下ろしていた。

 しかし、声をあげてしまったからには続ける以外に選択肢はない。


「新型触媒〈ザハルス式中和晶〉により、毒素分解の成功確率は従来の三倍となる……とありましたが、その式の第三項、触媒の魔力対流が逆流していませんか? このまま運用すれば、魔力流束が詰まり、術者の負荷が跳ね上がるはず。場合によっては術者本人が死亡すると思ったのですが、この点はいかがお考えでしょうか」


 私がそう言うと、他の者も配布資料に目を通す。

 

 すると、またもや学会場の空気がざわついた。

 たしかに、とか。これは、とか。まさか、とか。

 なにやらひそひそと話しているのが耳に入る。


 私が質問するまで、誰も気づかなかったのだろうか?


 いや、違う。

 書かれた式を精査すらしていなかったのだろう。

 ここにいる大半は、権威の名前だけで納得する観客だ。


 ザハルス卿は私を見送りながら、口角をひくつかせ問うてきた。


「や、やぁ、見ない顔だね。質問をどうもありがとう。しかし、君は誰なのかな?」


 そう言ったザハルス卿の声は、怒りを必死に抑えたように震えていた。

 視線が私へと突き刺さる。

 

 ああ、そう言えば、質問の前に名をあげていなかったな、と今更ながらに思い出す。


「申し遅れました。魔導第二技官、アラルド・キーパーソンと申します」


 私がそう言って、ザハルス卿へと深く礼をした瞬間、会場の空気はさらに重く沈んだ。

 その空気を裂くように、ザハルス卿は手元の資料を乱暴に閉じられる。


 あぁ、これは、やってしまったのかもしれない。


 


 ◆


 


「……で、それが原因でお前はクビになる、と」


 二週間後。

 事の顛末を語り終えると、向かいの席で書類整理をしていた同僚ビーセントが盛大なため息をついた。


「仕方ないだろ。ザハルス卿のテーマは、いま魔法研究界隈でもっとも熱い話題――『レプティアノの中和理論』だ。私も個人的に研究していて、興味があったんだよ」

「はぁ、だからってあんな正々堂々ザハルス卿の問題個所を指摘しなくてもよかっただろう」

「あの場で聞くのが、最も効率がよかったんだ。それに、匿名投書をしたところで返ってこない可能性のほうが高い。非効率的だ」


 私がそう即答すると、ビーセントは額を押さえた。


 レプティアノ――それは魔物・魔獣の体液に含まれる特殊毒素の一種である。

 致死性はもちろん、魔力構造に干渉し、治癒魔法も妨害する厄介な代物。

 魔法で中和できる方法はいまだ確率されておらず、現状はどれも手間が多く、なにより中和できる可能性が極端に低い。

 その中和が容易になれば、人類圏の防衛は格段に向上する……と思ってはいるんだが。


 ザハルス卿の発見は素晴らしいものであったが、術者へ危険があるのであれば、それは本末転倒だ。

 欠陥のある理論をそのまま世に出すわけにはいかない。


「……こんの効率厨め」


 投げるように言われた効率厨という言葉。

 ビーセントは、私のことをよくそう蔑称する。


 自覚はないのだが、周りから見れば、たしかに私は効率ばかり追い求める愚か者に映るのかもしれない。

 しかし、効率とは生活を豊かにするために必須な技巧だ。

 惰性や妥協に流れるほうが、よほど愚かだと私は思っている。


「とにかくだ。ザハルス卿、学会のあと顔真っ赤だったらしいそ? お前の名前、何度も叫んでたらしい」

「熱心だな。研究の話なら、喜んでご相反にあずかりたいが」

「なわけねぇだろ。見つけ次第、抹殺しようとしてる感じだぜ。さっさと謝罪文を提出して、自分が間違っていたって公表しろよ。そうすれば、減給くらいで済むだろうさ」

「はっ、矛盾しているぞ、ビーセント。見つけ次第、殺したい相手の謝罪なんぞ、誰が受け取るものか」


 私はそう言って、ビーセントが持っていた本を取り、さっさとカバンにしまう。

 もう職場も退職処理中。資料も返却済み。この仕事場ともお別れだ。

 案外、天職だと思っていたらしいが、こうなってしまってはどうしようもない。

 抗うだけ、無駄というものだ。


「ちっ……これからどうすんだよ、お前」

「趣味の研究を続けるさ」

「どこでだよ」

「辺境の田舎でだ」


 私は迷いなく答えた。


「魔物の生息地は、辺境のほうが豊富だ。素材採取効率は中央の比じゃない。利便性では劣るし、大規模な研究施設もないが……トータルで見れば十分ペイできる」

「お前、ポジティブって言葉が捻じ曲がってない?」

「私は言葉を曲解したりしない。ただ、効率的に生きているだけだよ」


 そう言って、私はカバンを閉じた。


「はぁ……お前がそんなんじゃ、リリアちゃんがなんていうか」

「リリア? 彼女はこの件となにも関係ないだろ」

「関係ないと思ってるのは、お前だけだよ。あの子が今回の件を耳にしたら、なんというか」


 ビーセントがそう言った瞬間である。


「――師匠!」


 いきなり、甲高い声が執務室に響いた。

 

 勢いよく駆け込んできたのは、魔法学校の俊才であり、私の一年研究助手を務めてくれた女学生――リリア・ロン=ハーラル・クローリー。


 柔らかな銀髪は肩のあたりで自然に波打ち、瞳は淡い瑠璃色をし、その細い体つきは、育ちの良さを示すように姿勢だけは驚くるほど綺麗なのが特徴的だ。

 そんな彼女が息を切らしながら、瞳をうるませ、私へと詰め寄った。


「お、お仕事をやめられるって、本当ですか……!?」

「あちゃ~」

「耳が早いな、リリア。正確にはクビだがな」


 まさか、一介の女学生にまで今回の件が耳に入るとは。

 魔法省は意外とおしゃべりな連中が多いのかもしれない。

 

 私がそんな益体もないことを考えていると、リリアが驚いた顔をし、そしてぎゅっと握りこぶしに力を入れた。


「し、師匠がやめられることなんてないですよ! ただ、学会で質問しただけで、そんな!」

「人には面子というものがある。私はそれを軽んじてしまった。力ある者が、害を排除するために力を振るうのは至極当然のことだ」

「私は納得できません!」


 涙を滲ませ、拳を握りしめるリリア。

 ビーセントが気まずそうに視線をそらした。


「こうなったら、私が直接、魔法省に行って」

「やめろ」


 私はリリアの肩を掴み、その行動を止める。


 もう無駄なのだ。上層部が決定した以上、決議は覆らない。

 これ以上、無駄なことに時間を割くのは、非効率的な考え方だ。


「リリア。君は私の弟子の中でも優秀な生徒だ。将来も約束されている。来年、君には魔法省へのスカウトがあるらしい。私なんかのために、遠回りをするな」

「で、ですが……!」

「教えただろう、リリア。効率が悪いことをするな、物事を最適化しろと。それに、君が魔法省の重鎮にでもなってくれた方が私としても助かる。いつか、助成金のひとつでも回してくれれば、それで十分だ」


 私はそう言うと、すっかりリリアもおとなしくなったようで、さっきまで血気盛んな雰囲気は霧散していった。


 はぁ、やれやれ、いつまでも手がかかる弟子だ。

 しかし、情熱だけで物事を為すのは若者の特権でもある。

 それで身を滅ぼさないうちは、うんと無理をするのも決して悪いことではない。


 人は経験し、学び、そこから成長する生き物だ。

 彼女の成長を間近で見られないのは残念だが、いつか大成したその姿を見るのも、私の楽しみのひとつでもある。


 だからこそ、ここは私のためなんかに人生を遠回りしてほしくはない。

 私は自分の荷物をまとめたカバンを持ち、そのまま執務室を後にしようとする。


「おい、もう発つのか?」

「いいや、今日は家の引き払いもあるから、出立は明日の朝だ。見送りは要らないから、気兼ねなく仕事に励むといい」

「へっ、最後までお前らしくて現実味が湧かねーの」


 ビーセントはやれやれと言って、肩を竦める。

 私は変わらない友人の姿を見ながら、ふっと笑い、そのまま執務室を後にした。





 ◆



 

 翌日。

 私は中央駅のホームに立っていた。


 朝靄と魔導蒸気が混ざった空気は、ほんのり金属の匂いがする。

 高い天井では魔導ランプがゆっくりと明滅し、行き先表示板が光っていた。


 黒鉄色の鈍行魔導列車が遠くから姿を現す。

 ゆっくりと、それでいて確実に線路を軋ませながら近づいてくる様は——まるで巨大な生き物が息を潜めているようだった。


(さて、まずは辺境の村で拠点探しだな。それから毒素の採取地点を……)


 音と振動をぼんやりと背景にしながら、私は頭の中にこれからの工程を並べていく。


 と、そんな時だった――。

 

「――ししょーーー!!」


 聞き慣れた声が遠くから飛んできた。


 まさか、と思い振り向く。

 私の聞き間違いであったことを願いながら、さっきの声を発した存在へと目線をやる。


 ……が、どうやら私の望みは神には聞き入られなかったらしい。

 声を発した張本人を見て、私は思わず固まってしまった。


「……お前、なんでいる」


 そこには、昨日別れたはずの弟子。

 銀髪が朝日を弾き、息を切らしながら全力で走ってくるリリアの姿があった。

 

 巨大な滑車付きトランクを片手で引きずりながら、息を荒げ、それでも全力の笑顔でかけてくる姿は、ある種、犬を彷彿とさせる光景である。


 リリアは私の目の前まで駆け寄ると、ふぅと落ち着くように息を整える。

 そして、額に張り付いていた髪を、そっと耳にかける仕草をした。


「えっと、来ちゃいました!」

「来ちゃいましたじゃない。……学校は?」

「辞めちゃいました!!」

「そうか、サボってきたのか……って、辞めた?」

「はい! 辞めちゃいました!」


 駅のホームに、リリアの元気な声が響き渡る。


 どうやら、私の聞き間違いではなかったらしい。

 この馬鹿弟子は、あろうことか、学校を辞めてきたと真剣に宣っているようである。


 いやいや。


「お前、昨日の私の話を聞いていたか!?」

「ええ。一言一句逃さず聞いていました。だから、ここに来たんです。師匠の近くにいるほうが、総合的な効率が高いと判断しましたから!」

「判断が極端すぎるだろ!!」


 私の絶叫が、魔導列車の排気音に負けないくらいホームに響き渡る。

 近くにいた旅客らしき人間が揃って眉をひそめ、遠巻きに視線を送ってくるが、そんなことすら今はどうだっていい。

 

 こんの、馬鹿弟子が……!

 昔から、まっすぐで、決めたらそれに一直線に走る悪癖はあったが、ここでそれが出てしまうとは。


 リリアの口ぶりからして、学校へ退学届を出したのも、昨日か今日のことのはず。

 学校としても、この秀才を取り逃すのは惜しいと考え、そう簡単に退学手続きを受理していないはずだ。

 今からでも学校に行って、早急に手続きを取り消せば、まだなんとか……。


 しかし、リリアは私がそんなことを考えているのなんてどうでもいいみたいに、私の手を掴んだ。

 そして、そのまま魔導列車へと乗り込む。


「これも、師匠の教えです。効率の悪いことをするな、物事を最適化しろ。私はそれに従ったに過ぎません」

「いや、あれはこういうことではなくて」

「さ、行きましょう、師匠! 辺境での研究生活、楽しみですね!」

「いや、待て! まだ話は――」


 その瞬間、魔導列車が汽笛を鳴らしたことで、人の波が雪崩れ込むように動き、私たちは抗う暇もなく流される。

 くそ、こんな日に限って、なんでこんな乗客が多いんだ!?

 ずんずんと奥の方へと向かわされる私とリリア。

 もはや、ここからリリアを説得し、降ろすにも途方のない手間と労力がかかる。


「くっ……それは、非効率的だ……!」


 ならば、仕方ない。

 リリアをある程度満足させて、そうしたらさっさと学校へ突き返したほうが効率的だ。

 学校だって馬鹿じゃない。

 このリリアの行動を疑問視し、退学受理まではそこそこ時間がかかるだろう。


「ふふ、楽しみですね、師匠♪」


 ――こうして。


 私の静かで孤独な研究計画は、乗車一秒で消滅した。

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