4、薫と辰巳 -私たちはもう、恋を諦めている。-

 客観的に見たらなかなかにいい男が釣れてしまった気がする。


「いつ結婚します?」

「展開が早い」


 訂正。ちょっと変な男が釣れてしまった気がする。


「私達まだ学生なわけよ」

「知ってますよ、だから確認です。卒業してすぐ結婚か、数年付き合ってるふりしての結婚か、それともまさかの学生結婚か、どれでもいいですよ、選んでください」

「ねぇ私に都合がよすぎるんだけど。あとあんたの胆の据わりっぷりにビビるんだけど」

「やだなぁ、薫さんを愛してるから逃がしたくないんですよ」


 愛の告白に白けた目を返してしまう。思わず手に持っているモヒートを頭からかけたくなった。勿体無いからやらないけれど。

 少し薄暗いいつもの居酒屋のいつものカウンター席。そんなところでこちらを見つめてにっこりと笑う後輩兼偽装彼氏? 偽装婚約者? の辰巳は、確かにそれが様になる位にはカッコいい。それは認めよう。

 だがあまりにも嘘くさ過ぎたし、そもそも私達の始まりは恋愛できない同士の契約結婚の提案だ。


「無駄な口説きはいらないんだけど」

「それっぽい事しといたほうがいいかなって」

「いらんなぁ」

「そうです? まぁ薫さんが必要ないならそれでいいですよ。あ、先輩呼びに戻した方がいいです?」

「どっちでもいいわ、そんなん」


 傷ついた様子も楽しそうな様子もないのは、本当に私が必要としてるかも、という気持ちでやってくれたからなんだろう。ありがたい事だ。ありがたい事だけど、でも。


 何でここまで献身的なんだろう。


「ねぇ、私、あんたにここまでされる事したっけ?」

「えぇ? 何今更引いてんです? だって契約結婚なんて馬鹿みたいなことに付き合ってくれようとしてる相手ですよ? 逃がしませんよ、そりゃ」

「あ~、そういう。なるほどね、確かに私もあんたを逃したらこんなことに付き合ってくれる相手はいないわ」

「でしょう? なら相手のご機嫌伺いながら話を進めもしますよ」

「うん、わかった。でもさ、それ私も一緒なのよ。あんたのご機嫌伺いながら話し進めたいわ。というわけで、あんたの希望も言いなさい」


 そう言うと、きょとんとした目をしてから考え出した。

 希望。私の希望はどうだろう。

 恋をしろ、恋人を作れ、結婚をしろ。善意や体面や心配から周りの人間がそんな言葉を繰り出してくるのを黙らせたい。黙らせたいというのは、心配をかけたくない、という思いも含まれる。わかっているのだ。私が一人でいる事を純粋に心配してくれている人もいる事に。それをありがたいとは思えないけれど。

 ともあれ、周りを黙らせる、納得させるということさえ達成できれば、他に望むことは無い。だから正直、辰巳が彼氏として間違いなく存在してくれれば、結婚はいつでもいいと思っている。まぁ、周りがうるさくなる前に、とは思うが。


「……実際さぁ、私とあんたじゃ事情が違うと思うんだけど、そこらへん訊いても平気?」

「事情っていうと?」

「私はさ、多分だけどさ、アセクシャル寄りなんだと思う」

「……あー……そっち?」


 アセクシャル。もっと正確に言えばアロマティック・アセクシャルに近い。性的欲求も恋愛感情もない、そんな人間。


「そっちがどっちだかわかんないけどそっち。まぁ推しとかにときめいたりはしてるからもしかしたらノンセクなのかなぁとも思うけど。人としてね、好きとか嫌いはあるけど、その人だけっていう特別な感情がわからない」


 沢山の漫画に小説にドラマに映画、それに何より友達の話。そんなところからどれだけ恋愛の話を聞いて学んでも、結局私の心が動くことは無かった。誰かに見かけを美しいと思う事はあるけれど、性的欲求もに結び付かない。というか、性的欲求が何のことだかわからない。勿論、恋愛感情というものも。


「親友と友人の違いとかはあるんです?」

「あるねぇ。それこそ親友にはアセクシャルかもっていうのは言ってあるし、それを受け止めてもらってる。何でも話せるし何だってしてあげたい相手だよ。でも、その親友だって二人いるからねぇ。やっぱり誰か一人が特別っていうのはわかんないな」

「……じゃあ俺も言いますけど、俺は好きというか自分の中心にいるのが朱鷺子なんですよ。でもまぁ正直綺麗な感情ではなかったし本人に言うつもりもないし周りに言える事でもないでんで、まぁ離れて普通の人っぽく振舞いたいなぁ、と」

「……ん?! え待って朱鷺ちゃん?! 朱鷺ちゃんってだってあんた、え?! あ、そうなの?! ……ッあ~……ああ、そうなの……」


 辰巳の告白は中々に頭へ嵐を呼び込んだ。朱鷺ちゃんは私にとってはサークルの後輩で結構仲のいい子。そして間違いなくこの目の前の男の双子の姉。


 ああ、なるほど。なるほど、恋愛とは厄介だ。ただ一人の宝物を見つけても、それが周りに見せられるものとは限らないのか。


「一瞬にして色々と飲み込んでもらったようで感謝します」

「いや飲み込むしかないでしょこんなの。そっかぁ……ここまでよく頑張ったね」

「その返しは予想してませんでした」


 フッと笑う辰巳が少し肩の力が抜けたように見えて、同時に彼が私を手放したくないという気持ちもようやく理解出来た。

 何てことだ。本当にお互いにとって都合のいい隠れ蓑だった。


「……辰巳」

「はい」

「結婚しよっか」

「はい、しましょう」


 私達は恋愛が出来ない。正確に言えば、正しい恋愛が出来ない。知識として知ってはいても、実感として伴わない。だけど誰かを思いやる事はできる理性の生き物だから、こんな馴れ合いでお互いを支え合う関係はありなんじゃないかと思う。全員に理解されるとは思わないから黙っているけれど。


「ねぇ辰巳」

「何です?」

「三人目の親友になってくれる?」

「その立ち位置を狙ってたところです」


 私達は恋を諦めている。正確に言えば、恋を求めていない。だって別にそんなものが無くても生きていけるし人生を楽しむ事なんて出来る。その事は知っている。

 恋は諦めている。だけど、例えば尊敬とか友情とか、そうじゃなくても愛とは別の何らかの情とか。

 そんなものはまだ願っている。

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僕たちはもう、恋を諦めている。 柳瀬あさと @y-asato

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