第5話

 みふねはどうしているだろう。

 気になりながらもこちらから連絡するのは気が引けた。

 みふねを拒絶したのはわたしの方だから。


 金曜日の夕方。

 これから長引きそうな会議があるし、ライブはまた行けないかな、と思っていたところに着信があった。

 駆け足で廊下の突き当たりまで行き、深呼吸してから通話ボタンを押した。


「みなとさん、先週来なかったね。今日はどう? 仕事終わり来れそう?」


 みふねの声はいつもより遠慮がちに耳に届いた。気まずいと思っているのはこっちだけじゃないみたいだ。

 ますます気まずくなりそうだな、と思いながらも小声で答える。


「……ごめん。今日はこれから会議があって長引くかもしれなくて……ライブには間に合わないかも」


 重苦しい沈黙に包まれる。

 みふねが息を吸う音が固く耳をたたく。


「今日は大事なライブなの。それでも来れない?」


「こっちも大事な会議なの。仕事だから……ごめん」


 嘘だった。

 そんなに大事な会議じゃない。終わってから急いでいけば間に合うかもしれない。


 みふねとの間に流れるぎこちない空気がそう言わせたのだ。


「そう」


 みふねはそれだけ言って通話を切った。

 ズキズキと胸が痛んだが、知らんぷりをして職場に戻った。




 会議は意外と早く終わり、7時に会社を出ることができた。みふねのライブはもう始まっている。

 駅前まで最短で20分。ライブはいつも30分くらいだから、少しだけなら観られるかもしれない。


 渋滞でなかなか進まないバスよりは歩いた方が早い。早足で2週間ぶりのあの場所へと急いだ。


 みふねに会ったら謝ろう。

 アイドルへの誘いを無下に断ってしまったこと。

 そして、ずっとファンのままでいさせてほしいということ。


 いつものアーケードには、みふねの歌声が響いていた。

 SNSで重要なライブだと告知していたのだろう。観客はいつにも増して多かった。

 曲が終わり拍手が止むと、みふねは大きく一礼して観客一人ひとりと目を合わせるように見渡した。


「みんな、ありがとーっ! ラストの曲の前に、ちょっとお話したいことがあるんだけど、聞いてくれるかな」


 わたしは観客の最後列につき、まぎれるようにみふねを見つめた。

 観客は少しざわついたあと、しんと静まり返った。遠くで酔っ払いの笑い声が反響している。


「実はこのライブが、ここでやる最後のライブです」


 ファンの間に動揺が走った。

 それは良い知らせなのか、悪い知らせなのか。

 どちらか見当がつかないといったざわめきだった。


 みふねはなだめるように笑顔を崩さないまま視線を走らせた。


「ほんとはね、今日新体制ライブをやりたかった。そしたらここでずっとライブをやって、ご当地アイドルになるのもいいなって思ってた」


 みふねと目が合った。

 だけどほんの一瞬だった。

 いつもならもっと見つめてくれて、笑みを深くしてくれるのに。


「あたし、こんな田舎のちっちゃなアイドルじゃ終わらないよ。東京に行く。東京に行って、おっきなアイドルになるの」


 観客たちは沸き立った。自分たちが見守っていたアイドルのたまごが孵ろうとしている。その瞬間に立ち会えたというような、達成感に満ちた歓声が上がる。


「あたしがヒロインになる日まで見守ってて。あたし、小さな港を出て、大きくてすっごい船になるね!」


 その日を最後にみふねはアーケードから姿を消した。

 最後のライブの特典会に並ぶ権利などないと思い、意地を張ったのはバカみたいだったなと思う。


 わたしはみふねにとって何だったんだろう。

 ただのファン?

 友達?

 だったらアイドルになろうなんて誘わないだろう。


 船と港。


 きっとみふねは大きな場所へ旅立つためにわたしと出会ったんだ。

 わたしはみふねにとって留まる場所ではなかったんだ。


 大きな船になっても、小さな船のままでもいい。

 わたしはいつでもみふねを迎え入れる港でいるからね。

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ヒロインになる日まで 桃本もも @momomomo1001

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