第3話「父の影 その2」
19世紀末のアメリカは、目覚ましい発展と深い混沌が同時に渦巻いていた。工業化が一気に進み、蒸気機関や鉄道網が国土を貫き、街は昼夜問わず活気に満ちた。
しかしその繁栄の裏には、急増する移民、都市の過密化、貧困、衛生問題といった影の部分もあった。とりわけシカゴは、1871年の大火から再建され、石造りの高層建築が立ち並ぶ活気ある都市へと成長していた。
だがその中心部からわずかに外れれば、スラムと工場が入り混じった薄暗い路地が続き、犯罪者や闇商人が跋扈していた。夜になればガス灯の明かりだけが弱々しく灯り、不審な影が行き交うその街は、吸血鬼が潜むには十分すぎるほどの環境を備えていた。
その夜、イーサンはノースの話を手掛かりに、シカゴ中心部から少し離れた裏路地を歩いていた。
冷たい靄が地面すれすれを這い、瓦礫の隙間から鼠が走る。人の気配はほとんどなく、かわりに、空気の奥に薄く仕込まれた血の匂いが鼻を刺した。
ノースが見たという“死体を蘇らせた吸血鬼”が近くに潜んでいるのは間違いない。
イーサンは闇に溶け込むように足を進め、街の喧騒が消えるたびに呼吸を浅くした。霧の向こうで、何かが僅かに動いた。
吸血鬼は予想以上に多かった。角を曲がるたび、屋根を越えるたび、まるで腐った土から湧き出るように次々と現れる。イーサンは片手のリボルバーで頭蓋を撃ち抜き、もう片手で刃を振り抜き、血飛沫が闇に線を描く。
「邪魔だ」
吐くように呟きながら、彼は一体一体を的確に仕留めていく。吸血鬼たちの動きは鈍く、雑兵に過ぎなかった。しかし、これほどの数が一夜に集まるのは尋常ではない。何かに呼び寄せられている。イーサンはその違和感を抱いたまま、さらに深い闇へと踏み込んだ。
次の瞬間、手応えのない斬撃が空を裂いた。刃は吸血鬼の首を切り裂いたはずなのに、肉は割れず、血も出ない。
「……は?」
吸血鬼はゆらりと微笑み、真紅の瞳でイーサンを見た。
首筋には傷ひとつついていない。
皮膚はまるで鉄のように硬く、常識外れの再生速度すら感じられない。
ただの下級種ではありえない。
イーサン自身の“混血の力”が反応し、背筋を冷たいものが撫でる。
その異常な吸血鬼は、イーサンの目を見た瞬間に踵を返し、闇へと走り去った。
「逃がすか……!」
イーサンは屋根を蹴って跳躍し、吸血鬼の影を追う。路地を縫い、塀を越え、狭い通路を抜けていく。
ただの逃亡ではない。
吸血鬼の足取りには“誘導”の匂いがあった。
追い詰めた場所は、古い工場の裏にある窪地だった。ガス灯も届かない、完全な暗闇。イーサンが足を踏み入れた瞬間、気づいた。
「……誘われた、か」
周囲の建物の影から、複数の赤い目が一斉に灯る。
二十、三十……いや、それ以上。
完全に包囲されていた。
下級種がまとまって行動するなど本来ありえない。
だが、今夜は違う。
中心にいる“何か”の指示で、すべてが動いている。
イーサンはゆっくりとリボルバーの弾倉を確認し、短く吐息を漏らした。
「まとめて地獄へ落とす」
吸血鬼たちは一斉に襲いかかった。イーサンの動きは迷いがなく、刃と銃声が闇を切り裂いていく。
しかし、倒しても倒しても終わらない。
まるで無限の闇が形を成して襲いかかってくるようだった。
その中に——突如として現れた“圧”があった。
空気が重くなる。
呼吸が詰まる。
イーサンの混血の血が震える。
——来る。
——この気配は……。
人間でも吸血鬼でもない。
もっと深く、もっと古い何か。
“帝王の気配”。
ノースが語った“死体を蘇らせる吸血鬼”と同じ圧力が、闇の奥から歩み寄ってくる。
イーサンは思わず息を呑んだ。
「……父さん……なのか?」
闇が裂ける気配がした。
V Blood Neru° @daihuku723
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