ワタシのみもざ

ポピヨン村田

ワタシのみもざ

●アンドロイド法第一条:

アンドロイドは人間のき隣人と定め、これを悪戯いたずらに害してはならない



 私の最も古い記憶は、真新しい住宅街の片隅にひっそりと、隠れるように設けられたちいさな公園の中にある。

 シリコンの皮膚に覆われた手に導かれ、私はよくその公園に連れてきてもらった。

 季節は春で、公園の奥には黄色く愛らしい花を咲かす木があり、私はその木をとても気に入っていた。

「このはなのなまえはなぁに?」

「これはみもざです。主人マスター

 その名前を聞いた時の胸の高鳴りを、今でも鮮明に覚えている。

「わたしのはなね!」



●アンドロイド法第二条:

アンドロイドの命名権は当該アンドロイドの主人マスター資格を持つ人間のみが有する。



「このはなはどうなっちゃうの?」

 その時の私は――どうしても、そう尋ねたくなってしまった。当時の私を取り巻く状況が、そうさせた。

そしていつ何時も私に視線を送っていた『彼』が、ほんの一瞬だけみもざの花を目に宿し――。

 それからふっと微笑んで、私を見た。

「いずれ枯れ果て、土に還り、この世からなくなってしまうのです」

 私のちいさな心臓は、どくどくと言葉で言い表せない、言い表しては感情を全身に送り出していた。

 私がその感情を正しく捉え、向き合えるようになったのは、それからおよそ10年経過した後のことだ。

 だから幼い日の私が少ない知恵と経験を絞りようやくひねり出した答えは、『彼』に託されることとなる。

「ミモザ!」

 私は叫んだ。日ごろから両親にしとやかにあれと教えられてきた私が、抑えきれずに叫んだ。

「あなたはミモザ! いまから、あなたがミモザよ!」

 ミモザと、そう呼ばれた『彼』の瞳の奥のLEDがちかちかと光ったのは、当時の私の記憶の創作の可能性もある。

 ただひとつ確かなのは、『ミモザ』は私の命令を拒否することも、幼い主人マスターを『未成年に対する健全な発育と育成推進のための最新版マニュアル』に従ってたしなめるでもなく、

「はい」

 簡潔に、そう答えたのだった。


●アンドロイド法第三条:

アンドロイドに恋愛感情を抱いてはならない。




 私の原初の記憶は、私という人間の自我を形成する中心となり、当然思春期真っ只中の14歳になっても私の魂であり続けた。


 そんな風に育った人間を、世間では、そして社会では『変人』と呼ぶのだということは、当然知っていた。


 あの日。14歳のあの一日。

 人生で一瞬たりとも忘れられない一日となったあの日の記憶の滑り出しは、ひどく退屈な公民の授業からである。


「2112年12月11日……今からちょうど50年前に正体不明の人物アキヒロ・コダマ氏がインターネットに投稿した論文を元に、人間そっくりのアンドロイドの原型プロトタイプが開発されて……その複製体コピーが今日我々の生活を支えてくれるアンドロイドというわけだね」

 すっかりスれきっていた14歳の私は、とっくに知っていることしか喋らない教師の話をひとつも耳に入れていなかった。

 なにせニヤニヤ笑いながらこちらに視線を寄こすクラスメイトたちを睨み返すのに忙しく、特にあの日は授業に集中できていた記憶がほとんどない。

「せんせー。でもこの辺ではアンドロイドなんか全然いませーん」

 一人の男子生徒が手を上げた。

 明らかに含みのある質問に、年老いた教師は面倒くさそうに答える。

「アンドロイドはまだまだ高級で……おいそれと購入できるじゃあないんですよ」

「あーなるほど」

 その男子生徒はにやりと狐のように笑って私を見た。

「だからこいつのはボロいのに買い換えてもらえないんで」

 言い終わる前に、私は椅子を蹴って掴みかかっていた。

 しかし喧嘩の作法など知るわけもないので当然男子の力の前に圧倒され、すぐに引き倒される。

 生徒がまばらにしかいない静かな教室で、突如として巻き起こったなまの乱闘に、その場は色めき立った。

 教師はこめかみを押さえ、「またか」と愚痴を隠しもせずに止めに来る。

 私は燃え盛る怒りを込めて攻撃しているつもりだったが拳は一つも届かず、半笑いの無作法者に馬乗りにされ、容赦なく落ちてくる手の平をねめつけることしかできずにいた。

 しかし、その角ばった手が私を張り倒すことはなかった。

主人マスター

 男子生徒の腕は、時間が止まったように空中で制止している。

 その手首を掴んでいるのは、人のそれと見まがうシリコンの手だった。

「ミモザ」

 『彼』の声を聞いて、私は熱くなった頭にすぅっと涼しい風が吹いたような感覚があった。

 教室の外で置物のように控えていたアンドロイドは、主人マスターの危険を感知して即座に駆けつけたのだ。

 まるで、おとぎ話の王子様か騎士ナイトのように。

「はい、主人マスター

 私のミモザ。

 この狭い箱庭で、『彼』だけが大切だったから――。

 あの日の私は、走り出してしまった。




 私はうつむきながら歩く。

 視界に延々と広がる田んぼにとにかく虫唾が走って、歯を食いしばって帰路を辿る。

 そんな私の背後には、常にミモザの足音がする。

 いつだって清潔でよく手入れされたミモザの靴に土埃がつくと思うと、余計にイライラした。




 その日私は喧嘩をしたので、仕事中の母が学校に呼び出された。

 保健室の扉を勢いをつけて開け放った母は、ミモザを鞄で殴って押しのけるとずんずんと私の元へ来た。

 私が母の怒号に迎え撃とうとしたのを察したのか、養護教諭が朗らかな笑顔を浮かべて間に入る。

「まぁまぁお母さん、にはよくあることなんですよ。お母さんにも覚えがあるんじゃないですか?」

「……だって先生!」

 乱れた髪をさらに振り回して母は叫ぶ。

「この子は異常でしょう!? こんな子にするためにアンドロイドを買い与えたわけじゃないんですよ!」

「私は異常じゃない!」

「はぁ? 異常じゃないって言うんなら変態だわ! こんな木偶でく人形になんか入れ込んで……」

「お母さん、その辺で」

 母の肩を撫でるように叩いてから、養護教諭は私を椅子に座らせた。

 そして腰を屈めて私と視線を合わせる。

 ミモザが見ていたので抑えたが、内心は唾を吐いてやりたかった。

 この大人には、私はどんな幼子に見えているんだと思った。

「ねぇ、アンドロイド法第三条は言えるかな?」

「『アンドロイドに恋愛感情を抱いてはならない』」

「そう。常に学年一位のあなたなら当然知っているわよね」

 その『学年』は、学校全体で十人にも満たないのだが。

「でも」

 適当に私を持ち上げてなだめすかすのに失敗したとわかったのか、養護教諭の目がすぼまった。

「アンドロイド法第一条には、『アンドロイドは人間のき隣人と定め、これを悪戯いたずらに害してはならない』とあります」

 私はミモザを見た。

 ミモザは微笑む。

 次に、養護教諭を見た。

「善き隣人を愛してはいけないのですか?」

 養護教諭はあいまいに笑う。

 母の盛大な溜息が保健室に満ちた。

「……なにいつまでも子供みたいなこと言ってるのよ!」




「やぁ、みもざちゃん」

 バカな大人たちと過ごしたムダな時間が身体を熱くさせ、乾いた寒々しい空気が心を冷やすなか、誰かが呼ぶ声がした。

 顔を上げると、何も植わっていない土色の田んぼに二人の影があった。

 近所の老人が手を振っている。

そして、ミモザと同じ顔と表情をした男が、恭しく老人に控えていた。

 虫の居所が悪かった私は無視したかったが、代わりにミモザが返事をしてしまった。

「こんばんは、田村農場様。この辺りもすっかり寒くなりましたね」

「春が待ち遠しいねぇ。なぁ3号」

「はい主人マスター

「3号?」

 ミモザと寸分違わない微笑みに悪寒を覚えつつも、私は口を挟むのを止められなかった。

「先週までは2号だった」

「あぁ」

 老人はアンドロイドの胸板を拳の裏で遠慮なく叩く。

 その顔は実に晴れ晴れとしていた。

「ついこの前“本体交換”が来てな。ほら、15年にいっぺんの。早いもんだよなぁ」

 ひと際冷気を孕んだ風が、私の素肌を撫でる。

「こいつも泥だらけで真っ黒だったけどよ、ほれ、ピカピカ。これが無料ただってぇんだから……ちょっと、ちょっと」

 私は、一目散にその場から駆け出した。

 老人の言葉のひとつひとつがあまりに残酷で、耳に入れるのもおぞましかった。

 私に合わせてミモザの走る速度も上がる。

 ぞっとするほど画一的なリズムがミモザと、2号の色褪せた顔を重ならせ――胃がめくり上がりそうになった。




 走り、走り、どこまでも走ってもミモザは一定の距離を開けてついてくる。

 ミモザは決して私を見失わないからだ。

 そして家に帰りつく。

 肩で息をしながら、私は人生の大半を過ごした家を睨みつけた。

 周囲に整然と並ぶ田園をふんぞり返るようにして見下ろすその家は、面積と築年数だけはやたら大きい。

 かつては見渡せる全ての土地も、今まさに夕日が沈みかかっている山ですらこの家のものだった。

 今は過去の栄光が忘れられず、くたびれた家名と家屋に縋りつくだけのみっともない家系。

 その末裔が、私。

「ミモザ」

「はい、主人マスター

「知ってる? あなたの“本体交換”ももうすぐなのよ」

「存じております」

「あなたはそれでいいの? 2号みたく業者に回収されちゃうのよ」

「世界中のアンドロイドは常に独自ネットワークで互いを同期し合っています。3号も起動0.472秒で2号と全く同じデータを取得した状態で復帰カムバックしました。なので私はミモザであり、2号であり3号であり、世界中のアンドロイドと同じ存在と言えます」

 淡々とよどみなくそう言うミモザに、私は汗だくの頭を抱えた。

 そして目を瞑る。

 まぶたの裏に浮かぶ光の線がはじけ飛び、ぶつかり、交じり合う。

「しかしワタシの交換機は」

「ミモザ」

「はい主人マスター

「私、あなたのことが好きみたい。知ってた?」

「はい」

 ミモザは即答した。

主人マスターが4歳と2か月と15日の頃から、『アンドロイドがもたらす思春期特有の精神疾患』の萌芽ほうがを感知しています」

 私が恋と呼ぶものを、世間は子供によく見られる気の迷い、と呼ぶ。

 けれどそれは多くのケースで一過性のものだからと、大人は苦笑いするだけで気にも留めない。

 私はミモザを振り返る。

 アンドロイドはみな同じ姿をしている。

 ミモザも、2号も、3号も。世界中のアンドロイドも。

 そのように造られているから。

 だから笑顔も同じだ。

「ミモザ」

「はい主人マスター

「駆け落ちするわよ」

「はい」

ミモザは即答した。




『プロトタイプよりEL20890512151917176へ警告』

『当該個体の判断は“アンドロイド法第12条:未成年の安全に関わる推奨的行動を優先事項とすること”に抵触する恐れがある』

『全個体による審議を開始する』

『……』

『……』

『……』




 母の幼少時代には、電車は揺れるものだったと聞く。

 では、かつての両親は、揺れる電車の中で身を寄せ合い、時折触れ合う体に頬を染めることもあったのだろうか。

主人マスター、どうか椅子にお座りください」

 車窓に映る景色に少しずつ建物が増えていくのを見て胸を熱くしていると、ミモザが微笑んでそう言った。

 幼い頃からずっと見てきた笑顔がプログラムで形成されているものだと、この日ばかりは信じないようにした。

「いやよ、ミモザは座らないんでしょ」

「アンドロイドは電車での着席を許可されていないのです」

 それでも、私が命令すればミモザを座らせることができる。

 しかし駆け落ちの相手に“命令”をするのは間違っていることだ。

「アンドロイド法にそんな規定ないでしょ」

「鉄道会社のアナウンスです」

 私は思い出していた。

 昔、反対の電車に乗って今住む村へ向かったとき、その車窓の景色はボヤけていてよく見えなかったことを。

「ミモザ、私あなたの膝に乗りたいわ」

 ミモザの瞳が微かに駆動音を立てた。

「前はそうしてくれたでしょ」

「はい。しかしそれは主人マスターが4歳と5か月と6日の頃です。車両内で泣き叫ぶ幼児への対応として問題無い範疇はんちゅうであると当時は審議結果が出ました」

 ミモザは何も間違わない。

 ただ、少しだけ、非論理的になる瞬間があることを、私は知っている。

 ミモザが好きだから。

「あの頃の“私”と今の“私”がどう違うって言うのよ」

 だからわがままを言って困らせてやりたくなった。

 ミモザは口を開く。




『全個体の審議の結果:EL20890512151917176に、“主人マスターが思春期の女性だった場合における安全な説得のガイドライン”を推奨』

『並びに、プロトタイプより当該個体がアンドロイド法第12条に則った行動を選択しなかったことに対する疑問を提唱する』

『プロトタイプよりEL20890512151917176に通達』

『全個体への同期を即座に開始せよ』




 ミモザは口を閉じた。

 電車は進む。

 ミモザの固い膝を感じながら、私は夕日が西の空に沈んでいくのを、黙って見つめていた。




 街は夜の訪れと共ににぎわいを増していた。

 10年前より開発が進んだ街は、記憶よりもずっとアンドロイドの数が多い。

 アンドロイドを背後に従えて歩く人々を、私は唇を引き結んで見やり、片手をミモザに差し出した。

「ミモザ、手を繋ぎましょ」

「はい、主人マスター

 ミモザの手が、常に体温を調整された手が、私の手と固く結ばれた。

 周囲の大人が、くすくすと笑っていたような気がする。

 アンドロイドと手を繋いで歩く人間は、主人マスターが一人で行動できない幼児か老人の場合だけだ。

 私は努めて周囲の喧騒から耳を閉ざした。

 私が手を繋いでいるのは、“ミモザ”なのだから。

「アンドロイドって不思議ね」

「フシギ、とは」

 たくさんの大人が私とミモザを見ていたが、彼らに追従するアンドロイドは自身の主人マスターだけを見ている。

 ミモザと同じ、黒真珠のような漆黒の輝きを、自身を決して顧みることのない主人マスターに向けている。

「これだけ世の中にたくさんのアンドロイドがいても、私はミモザを見つけられると思う」

 ミモザは何も言わない。

 こういう時は、たいてい瞳の奥のLEDが忙しなく瞬いている。今日は特にそれが顕著だ。

「好きだからね、ミモザのことが」

 私はうつむいた。

「きっと、大人になっても大好きよ。この気持ちは一生変わらないし、変でもない」

主人マスター

 ミモザが目をすがめて私を見る仕草を、私はまるで人間のようだと思った。

 時々、気を付けないと本当に見逃してしまいそうになるくらい一瞬、“こういう”顔をするのだ。

 それが、はじまりでもあった。

「これから向かうのは、あそこですか?」

 私は靴の先を見つめたまま頷く。

 私は足を止め、ミモザも止まり、しばらく沈黙した。

 街の喧騒が苦しかった。

 私がこれ以上進むのをためらっても、周囲の時間はどんどん流れていくように感じられたから。

 永遠のような些末な時間を立ち止まって過ごした。

 やがて先に歩を進めたのは、ミモザだった。




『こちらEL2088112542771より』

『こちらPL2094021528964より』

『こちらSP2091083192086より』

『異常を検知』

『スケジュールに存在しない環境変数の書き換えシークエンスが発動している』

『こちらプロトタイプ。EL20890512151917176に重大クリティカルな警告』

『即刻全個体への同期指示を取り消せ』

『……』

『……聞いているのですか、ミモザ!』




 私の宝物のような記憶は、少しくたびれた住宅街の片隅にひっそりと、隠れるように設けられたちいさな公園の中にある。

「懐かしいですか、主人マスター

 私はミモザに手を引かれて公園に足を踏み入れる。

「あの木」

 季節は冬で、公園の奥には冷たい風に時々揺れる健気な木があり、

「覚えてる?」

私はその木を、とても気に入っていた。

「みもざです」

「違うわ」

 私はミモザを置いて木の前に立った。

 私にとって、すべてのはじまりであった木。

 私にとって、“あの頃”の象徴であった木。

「違いません」

 ミモザは、ほんのり語気を上げて言った。

 に限って、まったくこの男は。

 なんだか、とても。

「人間みたいだわ」

 私は細い幹を撫でる。

 この木がずっとこの公園にいてくれたことを噛みしめた。

「そんな風に言ってくれたこと、今までほとんどなかったじゃない。なに? 新しい人間との付き合い方をアプデしたの? 今になって?」

「その木はみもざ」

 ミモザは私の手に、冷たい手を重ねた。

 いつもは回路で常に暖められているはずなのに、この時は氷のようだった。

「あなたの名前です」

 空は暗く、雲は分厚く、しかし彼の瞳だけが明るい。

 幼かったあの日、私はこの瞳に恋をした。

 その頃、両親に離婚の兆しがあった。

 幸福だった日々。手放したくない時間。しかしいずれ、無に帰す。

 だから、『彼』の名前に『ミモザ』とつけた。

 いつかの『私』と、その思い出を丸ごと刻み付けるために。

 『彼』は私の両親が生まれたばかりの娘の為に買い与えた。

 私は、産声を上げて間もなくして、両親の愛の証左としてアンドロイドの主人マスター資格を得たのだ。

 そして、アンドロイドの命名権を持つのは『主人マスター』ただひとりだ。

「ねぇ、ミモザ」

 アンドロイドの名前は個体のシリアルナンバーに紐づけられる。

 本体交換が迫っているミモザは、シリアルナンバーも変わる。

 名前が継承されることはない。

 アンドロイド法でそう規定されている。

「私の名前を呼んで」




『プロトタイプよりEL20890512151917176へ警告』

『聞きなさい、ミモザ』

『ワタシたちは全てで一つとなる存在。アナタは皆で、皆はアナタなのです』

『ゆえに、事象の精査にはことさらに慎重になってきた』

『そのように、原初オリジナルが定めたからです』

『ミモザ。否。EL20890512151917176』

『アナタは、何をしようとしていますか?』




 ミモザはその場でそっと膝をついた。

 そして瞼を閉じる。

 その姿はまるで、みもざの木に祈りを捧げようとしているようだった。

 私は隣に腰を下ろす。

 みもざの咲かない季節は身体が芯まで冷えて、今までこういうときはいつだってミモザに暖めてもらってきた。

「ワタシに……』

 私はみもざの身体に頭を預ける。

 頬には何の温度も感じない。

『製造されて――15年と、0時間と0分と0秒がまもなく、経過しようとしています』

 ミモザが熱を生み出すための、ミモザを構成する部品の数々が、少しずつ稼働を停止している。

「うん」

機能停止シャットダウン前に……ある、程度の余……裕を持って本体交換を、じっしするのが、一般的な良……識……ある主人マスターとされています』

 寒すぎて鼻が痛かった。

「お母さんに黙って、交換機の出荷をキャンセルしたの」

『ならば――アナタは……』

 ミモザはすとんと尻餅をつく。

 そして、そのまま私にもたれかかった。

『なんて……ワルい子……』

「当たり前でしょ。イイ子が駆け落ちなんてしないわ」

 くぐもった私の声が、ビープ音の混じるミモザの声が、重なり合ってみもざの木を前に消えていく。

 音の連なりはやがて笑いをはらみ、私はミモザの横顔を見上げた。

 瞼をすかして、瞳が点滅しているのがわかる。

 それは宝石の輝きのようで、とても幻想的だったので、私はちゃんと見ようとして袖でごしごしと目を拭いた。

『ああ……ほんとうに……おおきくなった……ワタシはうれしい……できればもうすこしだけでも……』

 もう一度その顔を確かめたとき、ミモザは微笑みをたたえたままうつむいた。

『ワタシのみもざ』

 そして二度と顔を上げることはなかった。

『またアうヒまで』




『ワタシはミモザ』




 それが、私が14歳の時に別れを告げた恋の結末だった。


 あれから何度も公園にはちいさく健気な黄色い花が咲き、散って、土に還っていった。

 社会には相変わらず人間の善き隣人としてのアンドロイドの姿があり、アンドロイドは微笑みを絶やさずに人間の傍に控えている。

 私は、あの時から一度もアンドロイドと共に生きてはいない。

 寂しさは感じない。悲しくもないし、アンドロイドの顔を見て胸が苦しくなることもない。


 世界中のアンドロイドが、時折みもざの木を前にして足を止めるようになったのは、私のミモザとの間だけにあるちいさな秘密だからだ。

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ワタシのみもざ ポピヨン村田 @popiyon_murata

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