エンタイトルツーベース
秋乃光
チャンステーマが鳴り止まない
目の前にヒーローがいる。ぼくがその気になればヒーローは助かるだろう。血まみれで、息も絶え絶えなのに、ぼく以外の通行人はだあれもそのヒーローに見向きもしない。こんだけ重傷なので気付いちゃいるんだろうけど、……あ、いまおじさんと目が合った。おじさんは「わしゃなにもみんかったぞ」っていう顔をして、視線を外す。帽子を被り直して、心なしか、足早に去って行った。
「少年」
ヒーローは意味のある言葉を吐き出す。きっとぼくに向けた言葉だと、思った。少年と言われる年頃なのかはさておき、周りに少年と呼べそうな子どもはいない。たぶん、ぼくだ。ぼくが呼ばれた。
「なんでしょう?」
なんでしょうじゃないよ、って表情を浮かべている。助けを呼べ、と言いたいんだろうけど、そこまでの体力がなくなってしまっているほど、このヒーローは弱っていた。ぼくが蹴りを入れたり、石で殴ったりすれば、命を奪えてしまう。だからぼくはただ見ているだけで、何もしない。
ぼくがこんなに薄情なのにはちゃんと理由があるんだ。聞いてほしい。このままだとぼくが悪いヤツみたいに思われてしまうだろうから、ここから弁解しておこう。死にそうな人を見殺しにするとんでもないヤツの中でも、よりいっそう邪悪な人、というわけではないということを。――これって誰に向かって喋っているんだろうな。まあいいか。
この世界にヒーローが現れたのは、ぼくが生まれるちょっと前ぐらいのことだ。二十世紀から二十一世紀に切り替わるぐらいの頃合いに、アメリカのエリアなんとかだったか、ロシアだかの発電所の辺りで、最初のヒーローが生まれた。最初の、というのは最初のソイツが主張しているだけで、本当はあちこちに――それこそ、仮面ライダーや戦隊モノのように――ヒーローはいたのだけど、ソイツは高らかに起源を宣言している。ソイツのヒーローの開闢宣言のおかげで、他のすべてのヒーローはまがいものとなり、ソイツを中心としたヒーロー組合がヒーローを管理するようになった。
そろそろヒーローがゲシュタルト崩壊してきた頃じゃなかろうか。まあでもヒーロー組合に所属しているヒーローたちは、自分たちこそが真のヒーローであるとして、未所属のヒーローたちを迫害し始めた。主に、組合のヒーローたちの悪行を、未所属のヒーローたちになすりつけるようなせせこましくみみっちい形が取られている。ヒーローが己の正義を行使するとき、破壊は付きものだ。建物が壊れるのは日常茶飯事で、車とか電車とか、いろんなものが犠牲になるのは当たり前として、人命もまたしかりだった。
助かる人がいる代わりに、助からなかった人もいる。その選択権はヒーロー側にあって、ぼくのような非ヒーローは、まるで台風か地震が発生したあとの被害者のようなもので、いつ選ばれない側に立たされるかわからない。
助かった人はいいよな。助かった人たちからの寄付金によって、ヒーロー組合は運営されている。いつからだったか、助からなかった側の遺族たちの声がデカくなりすぎてヒーロー組合が無視できなくなり、被害に対しての補償金が支払われるような制度が出来上がった。ただし、支払うというのは建前で、本音としてはヒーロー組合は一銭も払いたくないわけで、実際に支払われたという話を聞かない。
こういう阿漕なことをしているから、ヒーロー全体の評判が下がっていった。ヒーローは非ヒーローと違って、頭に触角のようなものが生えている。開闢宣言の後に生まれたヒーローたちにはこの触角があった。この目の前で倒れているヒーローにも、もちろん触角がある。たまに萌えイラストでお見かけするアホ毛のようなものを想像してほしい。それだ。虫の触角を想像した人には申し訳ない。
ぼくは一週間前に住んでいた家がなくなった。ぼくの住んでいた家は単身者用の、家賃三万円のウサギの小屋みたいな部屋だ。三階建てのアパートの、三階の角部屋。
ほとんど寝に帰るだけだったから、このぐらいの狭さで十分だった。自分の着替えが置けて、布団が敷けて、シャワーがあれば、他に必要なものはない。都心に出やすいロケーションもよかった。のだが、ヒーロー同士のいざこざに巻き込まれて、なくなってしまっている。ぐしゃぐしゃばきばきのめちゃくちゃになってしまった。
世紀の大げんかを経て実家から出たのに、これこれこういう事情なので帰りたい、と親父に頭を下げて、実家に帰っている。ぼくのプライドなんて、住むところがない哀しみに比べたら。お袋は「まさかあんたが被害者になるとはね……」とぼくを慰めてくれた。
世の中こういう人がたくさんいる。ヒーローからの被害を受ける確率は、九十九里浜でトンビに食べ物を盗まれるのと同じぐらいだ。最悪なのは回避策がないってこと。トンビの被害は食べ物を見せなきゃいい。そもそも九十九里浜に行かなければいい。ヒーローは天災のようなものだ。
ヒーローは後天的になるものである。まれに先天的にヒーローとなる人もいるらしいが、ヒーローの多くはヒーローになったきっかけとして「空にかかる虹と金色の鳥を見た」と語っている。この、前触れもなく現れる虹と鳥を見上げると、頭からにょきにょきと触角が生えるらしい。そして、摩訶不思議な力を行使できるようになる。
「……」
ぼくの家を壊したのがこの死にかけヒーローかどうかはわからない。コイツがなんでこんなに大けがを負っているのかも、ぼくには関係ない話だ。他の通行人たちのように、ぼくはコイツを無視してしまってもいい。なのに、何故かぼくはかがんで、触角を撫でた。なんだかざらざらしている。
コイツを助けたいのなら、ヒーロー組合に電話をすればいい。ヒーロー組合に電話をすれば、ヒーロー組合に所属している誰かがコイツを救いに来る。組合に所属していないヒーローだったとしても、ヒーロー組合は分け隔てなくすべてのヒーローを助ける――とのことだ。実情は知らない。
「偽善者かな」
自虐的なセリフを言って、ぼくは倒れているヒーローを抱き上げた。こうやって自虐しなければ、過去の自分がぎゃあぎゃあと喚きそうだ。
ヒーローは抵抗しない。ぼくになされるがままだ。死体を運んでもしょうがないので一応確認したが、胸は上下しているし脈はある。
倒れているこのヒーローが結構かわいい美少女だったからかもしれない。恨みこそあれど、ワンチャンあるんじゃないかっていう邪な気持ちもあったのかもしれない。コイツを助けなければ、未来に助かった命があるかもしれない。もしかしたら、今度はぼくの知っている人が巻き込まれるかもしれない。
こんなご時世にヒーローなんて救ったところで何になるかといえば、ただの偽善にすぎなくて。けれども、ぼくがやらねばならないような気がして。だって誰もが無視するんだもの。ぼくが選ぶ側に立つしかない。
こういうときって、病院に連れて行った方がいいんだろうな。ぼくは救命講習は受けたけど、医師免許とか看護師の資格とかは持っていない。ヒーローになる前は普通の人だったわけだから、保険証ぐらい持っていてほしいが、持ち歩いているんだろうか。
とりあえず、実家に連れて行くべきか。ぼくが何かしようとするよりは、お袋の方が知識はありそうだ。あと、異性から何かされるよりは女同士の方が話しやすいだろうし。死にかけの状態から目を覚ましたら知らない家で、しかも知らない男が近くにいたらちょっと嫌だろうと思う。ぼくは何かする気はなくても。勘違いされて攻撃されたら元も子もない。ぼくには反撃の手段がないし、助けたヒーローに殺されたらとんだお笑いぐさだ。天国でウケそう。天国でウケても仕方ないんだよな……。
腕が疲れてきたので、ぼくはいったんヒーローをおろして、今度はおんぶにした。こんな休日にぼくは何をしているんだろう。新しい服とか靴とかを買おうと思って外に出かけたのに、女の子を連れて帰る息子でごめん。親父はなんて言うだろう。またケンカになったら、ヒーローの力で新しい家を探してもらおうかな。
「あっ」
虹が見えた。金色の鳥が、飛んでいる。
エンタイトルツーベース 秋乃光 @EM_Akino
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