罰ゲームから始めるラブコメはありですか!?
苗奈えな
プロローグ
秋の放課後。柔らかい風が吹くたび、赤や黄色に染まった葉がひらりと宙に舞い、さらさらと控えめな音を残して地面へと落ちていく。
日は傾き、校舎裏には長い影が伸びていた。昼間あれほど満ちていた生徒の声や足音は跡形もなく消え、世界そのものが音を潜めたような静寂が広がっている。
そんな静かな空間の中心で、長い髪を明るい茶に染めたギャルと、前髪で目元まで隠れた眼鏡の男子が向かい合って立っていた。
二人の間には、静かな空気だけが漂う。男子は瞬きすら控えるようにじっとギャルを見つめ、対してギャルは落ち着かない様子で左右へそわそわと目を動かす。
どれほどの時間が流れたのか、やがてギャルは小さく息を吸い込んだ。迷いを振り払うようにぎゅっと唇を結び、そして前に立つ男子をまっすぐ見上げる。
「……森澤、前からあんたのこと好きだったんだ。あたしと付き合って」
声は思っていたより高く、早く、震えも混じっていた。
言ってしまった瞬間、ギャルは視線をそらし、足先で地面をそっとなぞる。頬は夕陽の色よりさらに濃く赤くなり、両手は緊張を閉じ込めるようにきつく握られる。指先は心の動きを隠しきれず、かすかに震えていた。
「ええ、いいですよ。よろしくお願いします」
対して男子は、ごく自然に躊躇いひとつなく答えた。その声は落ち着いていて、驚きも迷いもない。
この日、一組の幸せなカップルが誕生した――わけではなかった。
――いや断れよ!
ギャルは、心の中で叫ぶ。
どうして、こんなことになったのか。
ギャルは、こうなった経緯ゆっくりと思い返し始めた。
その日の昼休み。
教室では、男子四人と女子三人が弁当を食べ終え、小さな円を作るように周囲の机と椅子を占領していた。
七人の間には、食後のゆったりした空気と一緒にくだけた雑談が広がっていく。机の上に置かれたスマホやペットボトルが光を受けてきらりと揺れていた。
「飯も食い終わったし、大富豪やろうぜ!」
「やろやろ〜。優愛もやるよね?」
「うん」
その声が合図になったように、机の上では次々とスマホが取り出された。軽いタップ音がぱちぱちと重なり、休み時間の教室特有のざわめきと混ざって心地よいリズムをつくる。
君島優愛も、その流れに合わせてそっとスマホを取り出して、大富豪のアプリを起動した。読み込みの円が静かに回り始め、ゲームの始まりを知らせる光が優愛の頬を淡く照らした。
「はいはい、部屋作ったから入って〜。合言葉は『notest』ね」
「サンキュー。それで、今日の罰ゲームはどうする?」
「またジュース奢りとか?」
そのとき、優愛は少しだけ顔を強張らせた。
六人分のジュース代は、学生の財布には正直かなり重い。昨日も一昨日も優愛は負けていて、出費はすでに無視できない金額になっていた。頭の中で、合計額がじわりと形を持ち始め、胸の奥がひやりと冷える。それでも、ここで反対の声をあげれば、明るい空気が一瞬で萎んでしまうのが目に見えていた。
『優愛ちゃんって、そういうところあるよね――』
その言葉が頭をかすめた瞬間、嫌な記憶が鮮明に蘇る。昼休みの教室で一人だけ取り残された感覚、あの無機質な視線と冷たい沈黙。それらが一気に胸へ押し寄せ、優愛の体は反射的にブルッと震えた。
だから、優愛は引き攣ったような曖昧な笑みを浮かべることしかできない。机の下では、不安をごまかすように指先をぎゅっと握りしめていた。
「いや、毎回それだしつまんなくね」
「もっと面白いのにしようぜ」
男子の一人が反対したことで、ほっとする。
七人の間に、少しだけ沈黙が落ちた。その静けさを破るように、一人の女子がぱっと顔を上げた。目がきらりと輝き、閃いたことが全身から伝わるように、弾む声が教室に軽く跳ねた。
「負けた人が告白するってのはどう?」
「うわ、それおもろ!」
「アリだな」
「いいじゃん。面白くなるし。優愛もいいよね?」
「……い、いいと思う!」
「よし、決まりね。大貧民は告白で!」
優愛は、思わず小さく肩を落とした。ため息がひとつ胸の奥で小さく揺れ、気持ちを切り替えるように指先でスマホの縁をそっとなぞった。
「じゃ、スタートするぞー」
男子の掛け声とともにスマホの画面が切り替わり、カードが配られた。
「うわ、あんま良くないかも」
「お、めっちゃ良い」
他のメンバーがそれぞれ声を上げる中、優愛もそっと自分のカードに視線を落とした。スマホの光が手札の数字を柔らかく照らし、カードの並びが静かに目に飛び込んでくる。
――悪くない。
ゲームが始まってしばらく経ち、場に出されたカードが重なっていくたび、優愛の手札は着実に減っていった。
しかし、あがりには届かず、気づけば残りは三人。優愛の画面には、強い数字のカードが整然と並んでいた。順番さえ崩さなければ勝てる。そんな確信が、胸にふわりと灯っていた。
ところが、その油断を断ち切るように、画面の流れが急に不穏へと傾いた。
「はい革命!」
場に出されたのは同じ数字がそろったカードの束だった。一際豪華な音が鳴り、流れを百八十度変える。
優愛の胸は一瞬で冷たくなり、勝ち筋を信じていた手が震えた。
「優愛ヤバいじゃん」
「明人最悪~」
「明人ナイス!」
あがって優愛の後ろで観戦していた二人が、スマホを片手に身を乗り出しながら楽しそうに笑い、軽い調子で茶化した。背後から届くその明るい声は、教室のざわめきと混じって耳に入り、優愛の気持ちだけを置き去りにしていく。
「ちょ、待って!」
必死に声をあげても、ゲームのターンは変わらず一定のリズムで進んでいく。優愛の手札は暗く、選択肢を失っていた。指先が迷っては戻り、戻っては迷う。そのたびに胸の奥がじわりと冷えていく。もう逆転できる余地は残されていなかった。
そして、ついにスマホ画面に淡い光のポップアップが浮かび上がる。
《YUA 大貧民》
「はい、優愛罰ゲーム確定!」
「告白! 告白!」
完全にみんな罰ゲームに乗り気で、机を囲む顔には悪ふざけ特有の明るい色が浮かんでいた。
「ちょ、ちょっと待って! まず相手決めてなくない!? 誰に告白するの!?」
「ああ、それな。誰にする?」
「俺は!?」
金髪のお調子者の男子が、椅子をぎしっと鳴らしながら身を乗り出し、手を高く挙げて言った。その表情にはいたずらっぽい笑みが浮かばれている。
「高野はつまんねえ」
「ええ!?」
「なんかもっと面白いやつにしようよ」
「……じゃあさ」
女子のリーダー格でもある、宮田あかねがニヤッと口の端を上げ、スマホを素早く操作し始める。少しして見せて来た画面には、数字がずらりと並んでいた。
「男子の出席番号書いたから、ルーレットが止まったその番号のやつにするのはどう?」
「いいねいいね!」
「俺もワンチャンあるじゃん!」
「高野だったらもう一回で」
「なんで!?」
「え、ちょ……!」
優愛の声は、教室のざわつきにあっさりと飲み込まれていった。
――関係ない人を巻き込むのは、さすがに良くないんじゃないの?
心の中でつぶやいても、その考えは胸の奥にそっと沈んでいく。あかねが決めたことなら、もう止められないのだ。
「じゃあ、いくよ」
あかねが指を滑らせた瞬間、画面のルーレットが勢いよく回り始めた。スマホの明かりが彼女の指先や机の表面に反射して、くるくると細い光の帯を描く。数字が高速で切り替わり、まるで画面の中だけ小さな風が吹いているようだった。
優愛は無意識に息を呑む。胸の奥がきゅっと縮まり、肩にほんの少し力が入る。
やがて回転はゆっくりと失速し、数字の帯がふわりと形を失っていく。そして、最後にふっと動きを止め、矢印が指していたのは――18だった。
「18番って誰だっけ?」
「森澤じゃなかった?」
「森澤かあ」
特に目立った特徴もなく、控えめで大人しいイメージの男子。その名を聞いて、優愛は彼の机へ視線を向けた。しかし席には誰もおらず、彼はどこかへ行っているようだった。
「反応薄そうでつまんなくね」
「それが逆におもしろくない?」
「それもそうか」
「じゃあさ、森澤が告白受けるかどうかでまた賭けようよ」
「いいね!」
「え?」
優愛の気持ちとは関係なく、罰ゲームの告白はとんとん拍子で決まってしまった。
――どうしよう。
みんながわいわい盛り上がる中、優愛は小さく肩を落とした。
――まあでも、森澤もいきなり告白なんかされても断るでしょ。さっさとやって、さっさと終わらそう。
森澤と特に関わりがあるわけではない。なら、告白を受け入れる流れにはならないはずだ、と自分にそっと言い聞かせる。
深く考えても意味がないことを悟り、優愛はひとまず頭の中を静かにさせることにした。
そして、時は再び現在へと戻る。
少しだけ顔を上げた優愛の視界に、窓からこちらを覗く友人たちのニヤけた姿が映った。
――絶対なんか企んでる……。
ブブブ、と手元のスマホが震える。画面を見ると、あかねからメッセージが入っていた。
『彼氏おめ! すぐ罰ゲームって言うのもかわいそうだし、一か月は付き合ってあげてね』
「は!?」
優愛は一瞬、体がふわっと軽くなるような感覚に包まれた。胸がぎゅっと縮まり、足元の地面が頼りなく感じられる。
つい数分前まで、優愛はただ罰ゲームをどうにか乗り切ることだけを考えていた。告白して、断られて、みんなに笑われて終わり──そんな結末を想像していたのに。実際には、森澤は躊躇いもなく承諾して、そして友人たちからは“一か月付き合え”という意味不明な追撃まで飛んでくる始末だ。
――ウソでしょ……。こいつと一か月も?
森澤はといえば、夕陽の中で静かに立っているだけだった。眼鏡の奥の表情は読み取れないが、その無表情に近い落ち着きが、逆に優愛の心をざわつかせる。
こうして、君島優愛は特に好意を抱いていたわけでもない男子――森澤健太と、周囲に押し流されるように付き合うことになったのだった。
夕陽の色が薄れていく校舎裏で、その現実だけがやけにはっきりと胸に残った。
罰ゲームから始めるラブコメはありですか!? 苗奈えな @anioji
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