悪魔特製・一生使い切れない預金通帳

天使猫茶/もぐてぃあす

途方もない残高

 汚れた床に書かれた魔法陣からモクモクと黒い煙が上がり始める。それは部屋いっぱいに広がるが、しかしある瞬間にまるで嘘であるかのように引いて行った。

 そして煙が晴れると、魔法陣の真ん中には先ほどまではいなかったはずのスーツを着た中性的な出で立ちの人物が一人立っていた。

 その人物は頭には角が生えており、背には黒い羽が、そして腰のあたりでは黒くしなやかな尻尾が動いていた。


 ひげのない美しい顔に微笑を浮かべたその悪魔は、自身の前にいる部屋の主である青年に向かい頭を下げると、お呼びいただきありがとうございますと礼を言った。


「太古よりの契約により、どんな願いでも一つだけ叶えましょう。その代わり、死んだときには対価としてあなたの魂をいただきます」

「一つだけ? 三つじゃないのか?」


 悪魔の言葉に対して青年はそう尋ねる。青年が手に持っている古ぼけた本には「三つの願いを叶える悪魔」と書かれているのだ。青年の言葉に悪魔は申し訳無さそうな表情をすると「こちらも最近は不景気でして」と答える。


「その代わり、これまで以上に誠心誠意務めさせていただいております。悪魔が誠心誠意なんて言っても信用できないでしょうが」


 悪魔は謎めいた微笑を再びその顔に浮かべるとそう言った。

 その後何度問答しても答えは変わらないと理解した青年はため息を吐くと、あらかじめ考えていた三つの願いすべてを叶えてもらうことを諦めてその中の一つだけを口にする。


「一生かかっても使い切れない大金をくれ」

「良いですね。お金は良いものですよ。ある意味では、三つどころかどんな願いでも叶えられる素晴らしい望みですよ、はい。それでは、こちらをどうぞ」


 青年が願いを口にすると同時に悪魔の手にはなにかが出現しており、それを青年の方へと差し出していた。

 青年が受け取ったものを眺めてみると、それは一見するとどこにでもありそうな預金通帳とキャッシュカードだった。


「それはこのわたくし、悪魔特製の預金通帳とキャッシュカードです。入金はできませんが、出金はどんなATMでも窓口でもご自由に行えます。もし仮に紛失してしまったとしても他の人には使えませんし、一日経てば手元に戻ってくるので安心してください」


 その説明を聞き流しながら青年は通帳を開く。そこには大量のゼロが並んでいたが、それは青年が思っていたほど圧倒的というわけではなかった。

 無限とでも書かれているのかと思っていた青年は一瞬拍子抜けするが、しかしまあきっと使い切れば補充でもされるのだろうと思いそのまま通帳とカードをポケットにしまった。

 それを見届けた悪魔は、なにかご質問は? と青年に尋ねる。


「使い方などでご質問がありましたら、どのようなことでも誠心誠意お答えしますよ」

「いや、いい。キャッシュカードの使い方くらい分かる」


 その返答に悪魔はそうですかと慇懃に頭を下げ、それでは死んだときにまたお会いましょうと言い置くと煙のように、夢のように消えてしまった。

 だが青年のポケットには確かに通帳とキャッシュカードの感触が残っている。これからの人生を思い、青年はにやりと笑った。


 それから青年は金にあかして享楽の日々を過ごした。

 酒、女、煙草に賭け事、高級車。ときには慈善事業でもしてやろうと多額の寄付を行ったこともあった。


 そんな生活をしていたある日、青年は通帳の残額がほとんどなくなっていることに気が付いた。

 しかし青年は気にしない。これは悪魔との契約で、自分の魂を担保にしてまで手に入れたものなのだ。

 きっと使い切れば補充されるのだろう、と。

 そしてとりあえずいまある金を引き出すために近場にあるATMへと向かい、金を下ろすとそれを財布に押しこもうとして……。




 存外お早い再会でしたね、と楽しげに笑う悪魔の手により地獄へと連れて行かれている青年はブツブツと文句を言い続ける。


「なんてことだ。金を下ろしたところで強盗に襲われるだなんて。せっかく悪魔と契約してまで金を手に入れたっていうのに。こんなことならもっと早く金を使えば良かった」


 青年の言葉を聞きながら悪魔は楽しそうにクスクスと笑いながら、青年に聞こえないように小さく独り言を呟く。


「一生使い切れない大金、でしたねぇ」

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