STAGE:?



                    1



 一週間が経過した。

 ある人物からの呼び出しを受け、銀四郎は制服姿で――――一軒のラーメン店に足を踏み入れる。

 フロアは貸し切りの状態だ。スペースをカウンター席が占めるタイプで、テーブル席は存在しない。

 そこに二人の男性が並んで座り……ズルズルとラーメンをむさぼっている。

 彼らは振り返らない。とりあえず座れということだろう。

 帰りたくなる気持ちを抑えて、右隣に腰かけた。すると今度は厨房側から……店の黒い制服を着て、頭にバンダナを巻いた、厳格な顔つきの男性が出てきた。

 じっとこちらを見ている。どうやら注文しなければならないようだ。

「……八極タンメン一つ、普通で」

 彼は無愛想にうなずき、お冷のコップと水差しを置いて厨房に戻った。

 さっそく注いで、のどを潤していると……左の男が話しかけてきた。

「ここの八極って激辛だろ。食えるのか?」

「好物です。そんなことより、なんであんたがいるんだ――――高崎さん」

 高崎祥太たかさきしょうた。ひょろりとした二十代後半、自分の監視係だった刑事。

 だらしないスーツ姿に跳ね放題のくせ毛、死んだ魚の目も以前と変わらない。

 彼は味噌ラーメンを淡々とすすっている。辛いものはダメらしい。

「おかしいと思わなかったか? 『紅桜』による暴走とはいえ、お前の父は最悪の凶悪犯だ。監視を緩くするはずがない。もちろん、副來智菜ふくらいともなの正体も掴んでいた」

「泳がせていたってことか。でも、どうして?」

「もっと決定的な情報が必要だった。何か一つ……奴らが事件を起こしてくれれば、それでよかった」

「だから、発生をわざと見過ごした?」

「ああ」

「ふざけるな。あの人は『事変』を起こそうとしていた」

 空気が、張り詰めてくる。

 銀四郎が睨んでも、高崎は平然としたまま食事を続ける。

 やはりただの刑事ではない。彼はエージェントと同じ属性の人間。

「『公安』か。ロータリーで副來が倒れた時、俺を真っ先に取り押さえた連中だ」

「あの日は近くで待機していた。お前のやり方には恐れ入ったよ。警官による事故という形で処理されちまった」

 もし、拳銃や他の武器を使っていた場合……自分の未来はなかった。

 といっても、完全犯罪ではない。ローファーを調べれば済む話だ。

「できなかったのは、どこかからの『圧力』か? さすがに『八咫烏』は違うだろ。病院に運ばれた副來は意識不明、いまだ生死の境をさまよっている。しきたりは適用されない」

「お前は『千理の瞳』、『八咫烏』、『公安』……すべての手を逃れたわけだ。お父さんも喜んでいるだろうよ」

「はぐらかすな、俺一人の力じゃない。答えろ、どこの圧力だ?」

「『遠山家』さ」

「え?」

 そこで、ゴトンと――――目の前に激辛の八極タンメンが置かれる。

 ちょうど、高崎も完食して席を立った。

「これ以上は話せない、そろそろ失礼するよ。今後の監視はきちんとしたものになる。くれぐれも、抜け出そうなどと思わないように。それと、もう一つ」

「なんだよ?」

 高崎はこちらに顔を寄せ、こっそり耳打ちしてきた。

「この話は他言無用だ。実は俺たち『公安』も、八咫烏みたいなエージェントを育てる計画を進めている」

「勘弁してくれよ……」

「ところがだ。市ヶ谷の辺りも似たことを考えている。おそらく争いは激しくなるだろう。でも、お前がいてくれたら――――」

「断る」

「かわいい子も用意し――――」

「くどい」

 はいはい、と彼は離れ……支払いを済ませる。

 店を出ようとする背中を、銀四郎は呼び止めた。最後に聞きたいことがあったのだ。

「高崎さん、あんた自身は『公安』の正義をどう思っている?」

「俺は、組織の方針に従うだけ。個人が掲げる正義の無力さは、お前も痛感しただろ」

「たしかに俺たちは失敗したけど、後悔はしていない。副來のことを知っていながら、何もしなかった連中とは違う」

「……いずれわかるさ。大人になれば、な」

 高崎は寂しげに言い残し、引き戸をガラガラと開けた。



                    2



 銀四郎はタンメンをすすりながら、もう一人の男――――『金鵄』に話しかけた。

「あんたも、ここが好きなんだな」

「君のことは調査済みだからね。共通の好物があって、うれしいよ」

 こちらもスーツ姿で、おなじみの深編笠ふかあみがさをかぶったまま……タンメンを食べている。

 意地でも見せたくないのか、口元のみを解放していた。

「俺はまったく。それで、本当の用件は? 高崎さんはついでだろ」

「ようやく事後処理が終わった。報告が気になるはずだ」

「……アリスたちは?」

「大丈夫だよ。ちゃんと成果を挙げた以上、処分は免れた。今も『窓際』で頑張っているよ」

「左遷の扱いってことか」

 彼女たちは疲れていた。第一線で心と体をすり減らすより、マシなのかもしれない。

 金鵄はどんぶりを持ち上げ、激辛スープをゴクゴクと豪快に飲みつつ……話を続ける。

「この一週間で、君の『紅桜』も落ち着いてきたようだね」

「公安が早めに引いてくれたおかげで、すぐに治療を受けることができたんだ」

 とはいえ、完全に消えたわけではない。

まだ右腕に残っている。つまり、春祭りの時と同じ状態に戻ったのだ。

しかし、戻らない者もいる。

「副來さん……」

「とんでもない女性だ。君の蹴った弾に撃たれてもなお、彼女は『死』の瀬戸際で『生』を保っている。しきたりは成立せず、君を組織に迎えることができない。残念でならないよ」

「その割には、あまりガッカリしていないように見えるぞ」

「ああ、代わりに君の恐ろしさを知ることができた」

 ゴトン、とどんぶりを置いた顔の見えない男は……ニヤリと、不吉な笑みを浮かべる。

「君はカラスたちの傷ついた翼を癒し、再び飛べる力を与えた」

「俺は励ましただけだ。アリスたちは自力で立ち直った」

「他にもある。教団のマーガという男……アレの下手人は君だろう」

「――――」

「なのに、彼女たちは自分がやったと主張して譲らない。まあ証拠はないから、真実は闇の中だけどね」

 空っぽになった金鵄のどんぶりを、店の男が静かに回収する。

 銀四郎は機械のように食事を続けていた。

「……何が、言いたいんだ?」

「カラスを癒し、味方につけるカリスマはまさしく――――『金鵄』の素質だ」

「バカバカしい」

「おかしな話じゃない。かつて『八咫烏』が『三羽烏』と呼ばれていた頃……組織を敵に回して、生き残った者がいる」

 すでに聞いた。遠山景元、金四郎との関わりだ。

「だが、それは……本当の名を手に入れるための『試練』だった」

「え?」

「彼はみごと合格した。そして『金四郎きんしろう』に隠された――――『金鵄郎きんしろう』を襲名する」

 そこで、ゴトンと――――金鵄の前に、二杯目の激辛タンメンが置かれた。

 しかも八極のさらに上、マグマのように赤黒い究極である。男はフーッ、フーッ、と息を荒げながら麵をすすり……怪しい提案を持ちかけた。

遠山銀四郎とおやまぎんしろうくん、僕についてこないか? 君なら歴代最強の『金鵄』になれる。この辛さの領域にも到達できるさ」

「ごちそうさまでした」

 自分のタンメンを完食して席を立ち、支払いもすばやく済ませる。

 金鵄はしつこく勧誘してきた。

「八咫烏の『金鵄』に就けば、いいことずくめだよ。お気に入りのエージェントを集めた、ハーレムだって――――」

「くどい!」

 付き合っていられない。背を向けて、引き戸の前に向かう。

 ガラガラと開け、出ようとした時だった。

「君は『銃眼』で光を捉えるたびに、動いてしまう。どのみち、戦いから逃れることはできないよ」

「…………」

 百も承知だ。無視して、その場を後にした。



                    3



 店を出て、雑多な喧騒に包まれた繁華街を歩いていく。

 今日は五月の中旬、昼下がり。長いこと入院していたせいか、陽射しが少しきつい。

 気温も徐々に高くなりつつある。リハビリも兼ねて、体を慣らしておきたかった。

 公安の監視はもちろん……周囲からも、じろじろと遠慮のない視線を向けられる。

 副來との一部始終はネット上に拡散されていたが、誰もがパニックに陥った警官の射撃だと誤認している。

 まさか弾を蹴ったなどとは夢にも思わないだろう。とはいえ、疑う者も多い。

 紅桜は写っていない。公安がすぐに身柄を押さえたことで、カメラの目を免れたのだ。

 現状はグレーだった。今までとそんなに変わらない。銀四郎は構わず進み続ける。

 バスやタクシーが並ぶ、大きめのロータリーを通り……駅に入った。

 世間の紅桜に対する偏見は、改善の一途をたどっている。送迎も必要ないと判断された。

 改札を抜けて、ホームで電車を待つ。学校は明日からだ。灰色の日常に戻る時が来た。

 ところが、その瞬間――――ガタンゴトンッ! と何のアナウンスもないまま、普通電車がやってくる。

「ん?」

 掲示板にも載っていないソレは、このホームに止まった。

 どの車両の窓ガラスもマジックミラー張りで、内部がまったく見えない。

 引き戸も閉ざされていたが……銀四郎の前だけ、自動的に開く。

 迷いはなかった。周りが戸惑う中――――まっすぐに踏みこんだ。

 あっ、と公安の一人が声を上げる。自分が乗りこむと、引き戸は閉まり……再び走りだす。

 そして、明るい笑顔で迎えてくれたのは――――真紅のツインテール少女、アリスである。

「久しぶりだな、シロウ」

「ああ、こんな形で会えるとは……って、その格好は?」

 いつもと違う服装だ。清楚な白ブラウスにワインレッドのベストを着て、黒のロングスカートを履いている。

 まるで、喫茶店の制服。いや、それ以前にここが……喫茶店そのものだった。

 座席やつり革は除かれ、向かいのスペース半分をカウンター席と固定されたスツール、もう半分を横に伸びた畳の座敷と座卓のセットが占める。

 こちら側には、二人用のテーブル席がいくつか床に取り付けてあった。窓にもカーテンがついている。

 アリスが楽しげにくるくる回りながら、説明を始めた。

「戦利品の『ガンライナー』を、私たち『窓際』の部署に改装したのだ。まずは、ゆとりある雰囲気の喫茶店を作った」

「な、なるほど……」

 うわの空だった。彼女の華やかな制服姿に見惚れてしまっていた。

 アリスは視線に気づかず、意気揚々と語り続ける。

「もちろん、武装も怠っていない。ところで、シロウ――――『車上しゃじょう蓄電ちくでんシステム』という言葉を知っているか?」

 現実的な話題で、はっと我に返った。

「え、あ、おう。電車がブレーキをかけた際に発生する電力を、走るためのエネルギーとしてチャージするんだよな?」

「そうだ。おかげで停電に陥った場合も、蓄電したエネルギーで動くことができる。だが、私たちは一味違う」

「え?」

「このガンライナーはな――――チャージした電力で、レールガンを撃つことも可能なのだ!」

「ゆとりある雰囲気は⁉」

「さて、シロウはお客様……記念すべき第一号だ。明日に備えて、英気を養っておくといい」

 文句はあっさりスルーされ、カウンター席へと誘われる。

 公安の方がマシだったのではないか。漠然とした不安を抱きつつ、スツールに腰かけた。

 アリスが反対側に立つ。彼女の周りには食器棚やコーヒーメーカーが置いてある。

「何が飲みたい?」

「おすすめは?」

「カフェラテだ」

 激辛タンメンを食べたばかりの胃にちょうどいい。

「じゃあ、それでよろしく」

 よし、と彼女はエスプレッソとミルクの準備を始めた。

 おなじみの香ばしい匂いに浸りながら、辺りを見回す。

「貞乃たちはいないのか?」

「別の車両で準備中だ。さっきも言ったが、シロウが最初のお客様。みんな、気合を入れているぞ」

「そいつは楽しみだな。ちょっと怖いけど」

 ふと、自分が当たり障りのない会話で逃げていることに気づく。

 あの件について聞かなければならない。銀四郎は覚悟を決めて切り出した。

「アリス、どうして俺を庇ったんだ?」

「お前を守りたかったのだ……私だけじゃない、みんなの総意だった」

「俺は、卑怯な人間だ。先生を救えなかったし、今も周りを欺いて生きている。こんな俺を守っても――――」

「シロウ。なぜ、この店を始めたと思う?」

「何かの任務じゃないのか?」

 赤い少女はゆっくりと首を横に振る。

「私自身が、やりたかったことだ。誰かがやらなくてはならないこと、じゃない」

「……まぶしいな。俺には、やりたいことがない」

「これから探していけばいい。そして、いつか聞かせてほしい。貸し借りはこれでナシにしよう……約束だ」

 アリスが小指を差し出す。銀四郎も同じように伸ばし、そっと絡ませる。

 やがて、一杯のカフェラテが目の前に置かれた。

 ほかほかと湯気を立てる表面に、ミルクを使った白いラテアートが施してある。

「桜、か」

「春は過ぎてしまったが、季節は巡る。紅色じゃない本物にも……また出会える」

「その時は、みんなで花見?」

「悪くない提案だ」

 ふふ、と二人で笑い合う。

 そろそろ、いただくことにした。アートを崩さないよう慎重に口をつける。

「……おいしい」

「ありがとう」

 エスプレッソの濃厚な味わいと、ミルクのまろやかさが絶妙にマッチしていた。

 ブラックはまだ飲めそうにない。受け入れがたい現実のように苦いからだ。

 いつかは飲み下せる日がやってくるのか。それもまだ、わからない。

 ガタンコトンッ! と車内が揺れ、ドタバタと隣の車両が騒がしくなってきた。

「あいつらかな?」

「間違いない。来るぞ、シロウ」

 ガラガラと、車両をつなぐ通路の引き戸が開いた。

 そこから青い和服を着た貞乃、メイド服の姫子、セーラー服の江野、とバラバラな三人が現れて……最後にブレザー制服の茂木がひょっこり出てきた。

 まさしく烏合の衆。アリスと視線を交わして、一緒に――――思いっきり笑った。

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銃GUN ―八咫烏VS千理の瞳VS紅き遠山桜― シナワリ @TKYAAA

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