過去夢

見鳥望/greed green

「最近変な夢見るんだよね」

「変な夢?」


 大学のサークルで出会った里美と付き合って一か月。明るい笑顔がかわいくてノリもよく一年の頃からなんとなくいいなと思っていたが、二年になってから遊ぶ機会が増え、自然と二人だけで遊ぶようになり晴れて付き合う事が出来た。「実は私も気になってたんだよね」と言われた時には飛び上がるほど嬉しかった。

 そんな里美が珍しく曇った表情を見せていた。彼氏としては彼女の悩みはなんとか解決してやりたいところだ。


「予知夢ってあるじゃん? なんていうか、あれの逆みたいな」

「予知夢の逆?」

「しいて言うなら、過去夢みたいな」


 夢で起きた事が現実になる予知夢なら聞いた事はあるが、過去夢とはどういう意味か。いまいちピンと来なかったが、彼女の話を聞いてようやく理解した。

 彼女曰く、その日あった出来事をまるまる夢で見返すというのだ。つまり今日あった出来事、今こうやって俺に夢の相談をしている現実を夢で追体験するらしい。


「夢の中で里美はどういう状態なの?」

「んー視点は私。主観視点っていうの? 夢の中では意思を持って受け答えしているような感じなんだけど、次の日起きて思い返すとそっくりそのまま前の日と同じ動きをしてるだけなんだよね。だから明晰夢みたいに夢である実感もないし、行動を変える事も出来ないの」

「変わった夢だね」


 夢は記憶の整理だ。そう考えれば里美の見ている夢は至極まともに思えるが、実際こんな夢の見方をしている人間の話を聞いた事はない。


「それって昔から?」

「ううん。結構最近。それこそ恭介と付き合い始めてぐらいじゃないかな?」

「なんか、急にすごく俺に原因ありそうな感じしてきたけど」

「恭介が聞いたんじゃん。でも本当にそうかも」

「え?」

「恭介との時間が現実だけじゃ足りないのかも」


 先ほどまでの憂鬱な表情はどこへやら、里美はいつもの笑顔を俺に向けた。

 何やってんだ俺は。励ますつもりが励まされるなんて情けない。


「まあ別に実害とかないんだけどね。ただただ不思議だなって感じ」

「そっか。ならいいんだけど」


 そこで話は終わった。

 過去夢。不思議な話だと思った。何の為にそんな夢を見させるのか。過去夢が始まったタイミングが俺と付き合ってからというのも少し気になるが、里美に何もないならそれでいい。

 そう思っていたが……。




* 




「過去夢の話、覚えてる?」

「一週間前なんだからもちろん覚えてるよ」

「やっぱりちょっと変なんだ」


 里美の表情は前回と同じく曇っていたが、前よりも明らかに深刻度が増しているように見えた。


「内容は変わらないの。相変わらず自分の一日をなぞっているだけなんだけど……変な女がいるの」

「変な女?」

「うん。視界の中に不規則に女が現れるの。結構離れた位置にいるんだけど、常に私を真っすぐ見てるのよ。遠くてよく分からないんだけど、どことなく顔つきが怒っているっていうか険しい感じで」


 例えば昨日の場合、昼に俺と一緒に学食で昼食をとっていた所、学食の入口の方に女が立っているのが見えたそうだ。それ以前のものだと大学内を歩いている先で見かけたりと、同じく少し先に女がいるという状況だそうだ。


「なんか、心霊動画とか心霊写真みたいな感じ?」

「あ、そうそう。映像の中になんか違和感あるなって思ったら変な女がいるみたいな。なんか最近毎回その女が出て来てちょっと怖くなってきちゃって」

「その女の人には見覚えとかないの?」

「何か知ってる気もするんだけどやっぱり知らないなーって感じ」

「うーん、何だろうね……」


 確かに嫌な夢だ。夢とは言え訳の分からない女が毎回出てくるのは気持ち悪いだろう。

 一体女は何者なんだろう。里美は知らないらしいが、何かホラー映画とかで実は強く印象に残っているものがあって潜在的に現れている可能性はあるかもしれない。しかし色々思いつく事を里美に伝えてみたが、どれもしっくり来ていない様子だった。


「謎だよね。何なんだろう」


 残念ながらこの時ばかりはいつもの笑顔を見せてくれることはなかった。






 それから状況は悪化する一方だった。里美の過去夢は毎日続き、夢に出てくる女も変わらず現れ続けた。更に問題なのは女がどんどん里美に近付いてきているという事だった。

 以前までは少し離れた先でぼんやり顔が分かる程度だったものが、だんだん距離を詰められ今や5、6メートル先程度まで近付いてきているという。近くで見ると女の形相は凄まじく鬼のように険しい。近くで見てもやはり女の顔に見覚えはないそうなのだが、不気味な事に女は里美と同じ服装をしているそうだ。

 サークルや学内で他の友人達の前では笑顔を絶やさない彼女も、俺の前だけでは今までにない暗い顔を見せた。


「怖くて眠れないよ」


 出来るなら傍にずっといてやりたいが、彼女が実家暮らしという事もあってなかなかそうもいかなかった。

 

 どうしようかと悩んだ。

 精神的な病気なのか、それとも心霊的な何かなのか。

 しかし病院に行けというのもなんとなく口にしづらかったし、かと言って心霊の類として頼れる伝手なんてまるでない。でも彼女の力には絶対になりたい。

 とりあえず俺は友人達に相談して解決策を探った。




 



「んで、彼女が例の?」

「は、はい」


 目の前に座る男は言いながら小倉トーストを頬張った。


 ーーほんとに大丈夫かよ。


 目の前に座る男にどうしてもそう思わずにはいられなかった。

 時代錯誤。男に対しての第一印象。ホストのように逆立てたバチバチに決めた茶髪。首や手首にはジャラジャラとシルバーのアクセサリー。デニムのジャケットとダメージジーンズにブーツ。メンエグから飛び出たようなまさにギャル男そのものだった。


 男はレイジと名乗った。俺と里美がこのギャル男と会う事になったのは里美の夢の件を解決する為だった。


『クセはあるけど本物だし高いお金とったりもしないから安心して』


 友人の伝手を辿った結果、知り合いに確かな力を持っている人間がいるという事で繋いでもらった。紹介者から言われたクセという言葉が気にはなったが、会ってみれば納得だった。

 レイジには紹介者を通して里美の事について一通り説明済みだった。レイジからの要求は指定のカフェの小倉トーストを食べたいという事だけだった。トーストを齧るレイジに里美が改めて状況を説明したが、ふんふんと頷きながらも彼女を見ずにトーストに夢中になっている様に不信感は募るばかりだった。


「で、分かるんですよね?」


 自然と俺の語気は強まった。トーストを食べ終えたレイジは顔を上げて俺を見た後、彼女に視線を向けた。


「つかれてるね」


 見た目通りの軽薄な口調だった。


「や、やっぱりそうですか……」


 項垂れる里美に対して、「あ、ちがうちがうお姉さんそっちじゃなくて」と笑いながら否定した。


「疲れね。疲労の方。幽霊じゃなくて」

「へ?」

「何か怖いもんでも見たんだよ。自分でも忘れちゃってるような。人の脳なんて結構適当だからね。色んな事整理してんだよ。ただそれだけの事」


 はいこれでおしまいとばかりにレイジはずずっとブラックコーヒーを啜った。

 

 ーーは? それだけ?

 

 レイジの対応は到底納得できるものではなかった。


「ちょっと、それだけですか?」

「ん? そうだけど? まだ何かあるの?」


 どうやら本当にこれで終わりらしい。

 ふざけているのか。本物じゃなかったのか。


 ーー……騙されたか。


「帰ろう」

「え?」

「こいつ偽物だよ。時間の無駄だ」


 自分達とレイジの代金を机に叩き付けて俺達は店を後にした。





 


『レイジがもっかい会いたいって』


 その三日後、紹介者を通じて連絡が来た。


『あいつは本当に本物だから。嘘じゃないよ』


 正直会う気はなかったが、奴の意図を確かめるために結局俺は再びレイジに会う事にした。





「今日は俺が奢るから。ここのオグトーまじ美味なんよ」

「オグトー?」

「小倉トーストだよ、分かんだろなんとなく」


 変わらぬ軽薄さとギャルギャルしい見た目に早くも辟易としていた。


「で、わざわざ何ですか? 俺一人だけ呼び出して」


 今回の要求は俺一人で来る事だった。俺としてもありがたかった。こんないい加減な奴に里美をまた会わせたくはなかった。 


「この前はわりぃ」


 レイジはそう言って頭を下げた。予想外の行動に俺は戸惑った。しかし顔を上げたレイジの言葉に俺は更に困惑した。


「彼女の前でさ、迂闊な事は言えねぇじゃん」

「……どういう意味ですか?」

「まあ俺こんな感じだし、それで霊見えるとか言われてもマジ説得力皆無だし、そこんとこは分かってるつもりなんだけど、それでも彼女助けてぇって気持ちで会ってくれたわけじゃん? だから俺は嘘なんてつかねぇし、俺が見えた事感じた事は真実かどうかは別としてまっすぐ伝えるから」


 口調は相変わらず軽薄だが言葉はどこまでも真摯で真っすぐだった。


「まず彼女には何も憑いてない。これはマジ。死霊も生霊もなーんも。ただ疲れてるのはマジ。ま、それはストレスと寝不足からくるもんだからあんたでも分かることだけど」

「霊のせいじゃないって事ですか?」

「そりゃ守護霊とか多少憑いてるもんはあるよ? でも人なんて念を飛ばし飛ばされって生き物だからこれは正常値の範囲。彼女の悩みの要因とはまるで無関係。だからそういう意味ではなんも憑いてない」

「じゃあ、彼女の夢と女は……」

「原因は別っぽいね」


 可能性の一つが潰れた。


「彼女は病気なんですかね?」

「どうだろうね。霊じゃなきゃ俺はもうお手上げのノーパワーなんで」


 そう言ってレイジは両腕を上げた。


「違う線から調べた方がいいんじゃない?」

「違う線っていっても……」

「そこは彼氏なんだから頑張りなよ」


 レイジは少し呆れながら笑った。情けなくて俺は顔を伏せた。


 ーーいや、待てよ。


“彼女の前でさ、迂闊な事は言えねぇじゃん”


「……何か分かってる事はあるんじゃないですか?」

「分かってるってか、気になる事なら何個かあるよ」

「教えてくださいよ。その為に俺だけ呼んだんじゃないですか?」

「まあでも確証とか答えじゃねえよ? なんかヒントにでもなればいいな程度のもんだから」

「それでも、教えて欲しいです」

「分かったよ」







「昨日、私の目の前まで来た。もう限界」


 里美は部屋の中で膝を抱えうずくまっていた。俺はそんな彼女を出来る限り優しく抱きしめる事しか出来なかった。

 眠る事の恐怖から里美は俺の部屋に泊まりに来ていた。夢の中で女はかなりの距離にまで近付いていた。結局解決策は見出せなかった。ここまで来たらもう病院に行った方がいいだろう。霊の線から解決できないのなら現実的な解決策を探る他ない。里美も分かってくれた。明日一緒に精神科に行ってみようという話でまとまった。


『その女、あんたがいる時にだけ出て来てないか?』


 レイジからいくつかもらった言葉があった。その内の一つが夢の女が現れる状況と条件についてだ。里美に確認すると確かにそうだと言われた。

 夢の中で女は、俺が一緒にいる場面でしか現れない。里美に確認するとその通りだった。


“ううん。結構最近。それこそ恭介と付き合い始めてぐらいじゃないかな”


 里美の夢は俺に強く関係している。どうやらそれは間違いないようだった。

 だとするなら女の目的はなんだ?

 俺と里美の付き合いを良く思っていない何者かの念。単純に考えればそう言った嫉妬や妬みの類に思えたが、レイジは彼女に夢に関係するような者は何も憑いていないと言った。レイジの言葉が100%信じられるものかは分からないが、二度目に会った印象から嘘をつくような男では少なくともなさそうだった。そうなるとこの線も少し弱くなる。


 ーー箱の鍵。


 もう一つだけレイジがくれた手掛かりが残っていた。


『マジで意味分かんないと思うんだけど、なんていうか……絶対に外側からはどう頑張っても壊せない箱があって、その箱を開ける唯一の方法は鍵で開ける事。でもその鍵穴は内側にしかついてない。彼女にしか開けれなくて、彼女には絶対開けられない箱って感じ』


 ただこれは俺も里美も意味不明で結局活かす事は出来なかった。

 その箱を開ければ彼女の悪夢を終わらせられる。でも開け方は里美にしか分からない。現状では詰みだった。


「大丈夫。傍にいるから」


 俺が出来るのは彼氏としてあまりにも頼りなくかっこの悪い言葉を吐いて傍にいる事だけだった。







「……ん」


 気付けば朝になっていた。重い身体を起こすと既に里美は起きており台所に背を向けて立っていた。


「里美、大丈夫か?」


 声を掛けると里美はこちらを振り向きふっと微笑んだ。


「おはようございます」


 言いながら両手にコップを持ってこちらにやってくる。


「お茶、どうですか?」

「あ、ああ」


 戸惑いながら受け取り喉を湿らす。


「素敵な朝ですね」


 そう言って里美はまた俺に向かって微笑んだ。


 ーーなんだ、こいつ。


 明確な違和感。声も姿も間違いなく里美だが、違う。それだけははっきりと分かった。


「……里美、だよな?」


 それでも言葉に希望が滲んだ。違ってくれ。何かの間違いであってくれと願った。


「違いますよ。私はさとみです」


 そしてまた女は微笑んだ。俺が好きだったあの快活な笑顔とはまるで違う、気品さと上品さとどこか淫靡な空気を纏ったまるで別人の薄い笑顔だった。


 こいつだ。里美の夢の中に現れた女とはこいつだったんだ。

 そこでようやくレイジの話に全て納得がいった。レイジに見えるはずもない。彼女は霊ではないのだから。そして箱の話。


”彼女にしか開けれなくて、彼女には絶対開けられない箱って感じ


 一見矛盾しているようだがこれも正しい言葉だったのだ。

 里美にしか開けなくて、里美には開けない箱。

 女は里美の中にいた。里美には開けられないが、女には開ける事が出来た。

 女は里美でもあり、里美とは全くの別人なのだ。


 佐川里美。

 俺が見てきた”りみ”と、今目の前にいる”さとみ”。

 別人格が故かりみの中ではさとみの顔が自分と同じとは認識していなかった。だが、夢の中で女はりみと同じ服装をしているとも言っていた。

 どちらも肉体は同じ。ただ精神はりみが握っていた。しかしそのバランスがある事をきっかけにして崩れた。


“恭介との時間が現実だけじゃ足りないのかも”


 全てのきっかけは俺だったんだ。俺が彼女を呼び覚ましたんだ。

 さとみがそっと俺の顔を両手で包んだ。


「間近で見るともっと素敵ですね、恭介さん」


 寒気がするほど幸せそうな里美の笑顔が目の前にあった。







 今日もまた繰り返す。

 遠目で彼らを見つめる日々。

 

 当たり前の日常は全て奪われた。

 私はもうどこにも存在しない。誰も私を認識しない。


 恭介ですら。

 恭介の横にはあの女がいる。

 つい最近まで私がいた場所。私だけが許された場所。


 これがあの女の見ていた世界か。


 悔しさと怒りでおかしくなりそうだ。

 世界と私は確かに存在するのに、世界だけが私を置き去りにする。

 こんな理不尽な世界からまともな世界だけを見せられ続けたら。


 奪いたくなるのも当然だろう。


 ーー奪う。


 そうか。

 あいつに奪えたなら、私がまた奪う事も出来るじゃないか。


 ーー奪う。必ず。


 自然と私は女を睨みつけた。

 返してもらう。これは、私の世界なのだから。







「きょーちょんどんな感じ?」

『きょーちゃん? あぁ、恭介って奴? そんな仲良かったっけ?』

「別に」

『なんか付き合ってるよ普通に』

「ヤバイね」

『ヤバイよね』

「なんだかんだそっちもいい女だったのかもね」

『最低』

「しかしあの女何だったんだよ」

『里美? ヤバかったの?』

「あんなの初めてでマジ怖かったわ」

『でも対応してあげてたじゃん』

「一応守備範囲内だったかんな。でも見えただけ。遠回しにアドバイスするので精一杯」

『何だったの?』

「中で育ってた」

『は?』

「一瞬二重人格系かと思ったけど、ありゃ違うわ。なんか喰ってんじゃないかあれ」

『意味分かんないんだけど』

「一人二人じゃないわあれ。今のも前のもあれ本来の姿じゃないぜ」

『それって付き合う前の時点からって事?』

「奪い合ってんだよ中で。一人だけが外に出れてそれ以外は監獄。多分今回たまたま恭介って鍵が合ったから一人出てこれた」

『何それ。身体の中でデスゲーム?』

「何喰えばあんな事になるんだか。結婚でもすりゃ落ち着くのかね」

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