血は胆汁に変わらず

示門やしゃ

第1話


 血は魂である。ロバートの周りにいる大人たちは皆そう言っていた。

 四体液説。この説によると血液は温度が高ければ胆汁に、低ければ粘液に変化するそうだ。だが、ロバートはそれを信じることができなかった。

 ある日、彼は刃物で手を切ってしまった。その際に出た血は地面にテーブルに落ちて冷えても粘液に変化することはなかった。

おかしい。血液は冷えたら粘液に変化するのではなかったのか。

疑問を解消するためにロバートは自身の血液を氷で冷やしてみた。するとどうだろうか。冷やす前の血液と冷やした後の血液はどちらも鉄臭い味がした。つまりは粘液に変化しなかったということだった。

 これは調べてみる価値がありそうだ。もしかしたら、温めても胆汁に変化しないのかもしれない。そう思い、今度は血液を温めてみた。

 予想通り、血の味は変わらなかった。胆汁と味を比べてみても、特有の酸味と苦みはなかった。

 これは大発見だ。ロバートは人生で初めて興奮と充足感を味わった。しかし、それらはすぐにかき消されてしまう。

 この発見を語っても、信じる者は誰もいなかった。特に大人達は子供の妄言だと一蹴するばかりか、ロバートの正気を疑う者さえいた。

 どういうことだ。正しいことを知っているのが大人ではなかったのか。なぜ自分が発見した事実を認めてくれない。

 ──いや、違う。

 自分の偏見を子供に刷り込んでいるだけじゃないか。失望が興奮と充足感を塗りつぶしていった。


 講堂の中。そこでは表彰式が行われていた。

 今学期での最優秀者が呼ばれた。

「ロバート・オブグリン」

 少年──ロバートがステージに登壇し、学長の前に立つ。

「ロバート・オブグリン。以下同文です」

 賞状が彼に手渡される。学長は神妙な面持ちでお辞儀をしたロバートを見下ろしていた。

 他の受賞者のように拍手はされない。沈黙だけが会場を包んでいた。

 ──いい気味だ。

 彼は心の中でほくそえんでいた。

 他の生徒とは違い、ロバートは神を信仰していなかった。それ故に周りからは異端者扱いされて疎まれていた。

だが、現状はどうだろうか。忌み嫌っている異端者が神を信仰している者たちよりも優秀だと証明された。

 教師たちはロバート以外に最優秀賞をとってほしかったのだろう。案の定、会場にいる彼らは苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべている。勿論、それはロバートも分かっていた。

「何であんな奴が……神を否定したイカレ野郎だろ?」

「いい気分だろうなあ。天才様は」

 生徒たちは口々にロバートをけなした。

 ──醜いですねえ、凡人どもが。ああ、いけない。笑うな、笑うな。

 散々迫害してきた連中を見下してやるのは気分がいい。ロバートは優越感に浸りながら席に戻った。


 ある教室の中。そこは夏休み前ということで生徒はみんな足早に帰ってしまっていた。その中にロバートだけが残って本を読んでいた。

 ──四体液説ねえ……

 本にはこう書かれていた。

『血液は冷やされて粘液に変化し、温められると胆汁に変化する』

 鼻で笑った後、ロバートは本を閉じて机に放った。

 ──神がこう言ったのなら、大ウソつきじゃあないですか。

 彼はこの現象が起こらないことを知っていた。それなのに、大人達は信じなかった。

 ──何が教え導くだ。真実を誤認している連中が正しさを語るなんて、笑い話にもならない。

 今日の表彰式でも教師たちはロバートの受賞をよく思っていなかったようだ。建前上では公平に評価するとのたまっていたくせに、自分たちの思い通りにならなければ嫌な顔をする。

 ロバートは溜息をついて席を立った。

「兄さん」

 教室の出入り口に彼と瓜二つな少年が笑顔で立っていた。

「やあ、レイ」

 ロバートは少年──レイに手を振った。

すると、レイは彼に抱き着いてきた。その勢いでやや後ろに後ずさる。

「おめでとう、兄さん!」

「ありがとう。君も学年で二位じゃないですか。すごいですよ」

ロバートはレイの頭を撫でたが、その言葉とは裏腹に彼は心の中で

──また、ちやほやされていたようだな。

レイを皮肉っていた。

 彼はロバートとは違い、成績は優れていないものの、人懐っこくて誰にでも好かれていた。それが気に喰わなかった。

 何故、実力もない者が人格だけで尊敬を集めているのだ。学校とは学問を修める場だろう。

「早く帰ろう。お父様とお母様が待ってるよ」

「ええ。そうですね」

 レイの後についていき、ロバートは教室を出ていった。


 純白のテーブルクロスが敷かれた長テーブル。そこには四人の家族が座っていた。

「ロバート。よく頑張ったな」

 口ひげを生やした男──父親が笑顔で言った。

「これからも頑張るのよ」

 ドレスを身にまとった女──母親が席に着く前にロバートの頭を優しくなでた。

「ありがとうございます」

 両親にロバートは笑顔を返した。

この瞬間はいつも楽しみだった。彼らは唯一ロバートを異端者扱いせずに認めてくれる。

「兄さんはすごいよ。僕はあんまり勉強できないし」

 レイが俯いたが、父親は、

「なあに、学問だけが全てじゃあない。お前には人に好かれる才能があるぞ」

 そう言って彼を励ました。

 その様子を見て、ロバートは心の中で舌打ちした。

 ──実力がないから他人に媚び諂(こびへつら)っているのでしょう? 何が才能だ。弱さの表れじゃないですか。

 自分だけをほめてほしいのに、両親はレイの事も同じように評価していた。それだけが唯一両親に抱いた不満だった。

 使用人たちが入り口から入ってきて、次々とクローシュがかぶせられた皿を持ってきた。

「今日はお前たちの好きな物を用意した。存分に食べてくれ」

 レイは無邪気にはしゃいで、ロバートは静かに微笑んでいた。

 ──お父様とお母様なら、私の発見も認めてくれるかもしれない。

 

 子供部屋の中で双子の兄弟が駄弁っている。

「そういえば兄さん」

 レイが鞄から一枚の紙を取り出し、ロバートに手渡した。

「これは……?」

 紙の表題には『王立学術コンクール』と書かれていた。そのほかには日時や締切日、応募条件などが記載されていたが、一番下にあった文言がロバートのめに止まった。

「ダレン・S・フォックス……?」

 国王直属の錬金術師の名前がそこにあった。

「すごいでしょ! ここでダレンに認められたら、一気に錬金術師に近づけるよ!」

 興奮気味にまくしたてて、レイは続けた。

「それでさ、兄さんはどんな内容で出すの? みんなには内緒にするから!」

「……レイ。私はこのことを初めて知りましたよ」

「えっ?」

 ロバートにはコンクールの通知はされなかった。

「みんなにも配られたんだけど、兄さんは?」

「受け取っていない」

 なぜだろう。ロバートは考えた。

 ──現象だけが独立して発生するわけがない。私だけがこれを受け取っていない原因は……。

 少し考えただけで理由は推測できた。

 ──おそらく、私が参加しないことで、レイが優勝するという筋書きでしょうね。

 上等だ。やってやろうじゃないか。

「まあ、今知れたから問題ありませんよ」

「……それもそうだね」

「でも、出展する内容は教えませんよ」

「えー? いじわる!」

「本番まで内緒ですよ」

 自分を認めなかった連中に吠えずらをかかせてやろう。ロバートは肚の中で決意した。


 出展する内容はこうだった。

 血液の温度による性質の変化。

 目的は四体液説で言われている、血液を温めると胆汁に変化するのかを検証する。

 ロバートは経験で血液が胆汁に変化しない事を知っていたが、客観的に証明することが必要だ。そのためには実験をしなければならない。

 胆汁には乳化作用がある。それを調べるためには油と胆汁を混ぜて、油が拡散する様子を確認する。その後に、温めた血液を新しく油と混ぜて油が拡散しないことを確認する。

 そうすれば、血液が胆汁に変化しないことを証明できる。しかし、自宅では設備が揃えられない。ならば、学校の実験室を使わなければ。


 学校の事務室。

 生徒と事務員が言い争っていた。

「なぜ実験室を貸してくれないのですか⁈」

 ロバートはこめかみに青筋を浮かべながらまくしたてる。

「なぜも何も、勝手に小動物の死骸を持ち込んだからだろう?」

 事務員は淡々と言葉を返した。

「そんなことで? そんなことで権利をはく奪すると?」

「それだけじゃない。お前は神を否定して、それどころか敬虔な生徒を侮辱した。日頃の行いが悪い者に実験室を使わせるわけにはいかない。悪いが、ルールはルールだ。」

 彼の言葉を受けてロバートは舌打ちをし、乱暴にドアを開けて出ていった。


 事務室を出て、学校の廊下に出る。乱れた足取りでロバートは歩いていた。

 ──クソッ、どうすれば……。

 学校の実験室がだめなら、最低限の設備を自宅でそろえるべきか。だが、それだと発表した際に設備不足を指摘される可能性が高い。結果にケチが付くことが最悪だ。

 床を踏み鳴らしながら歩いていると、見慣れた人物とすれ違った。

 ──レイ?

 彼は事務室に入っていった。後をつけて事務室の入り口付近の壁に背を付けた。

「すいません。実験室を使いたいのですが」

「ああ、構わないよ」

 心臓が大きく波打った。

 レイは日頃の行いが良かった。それが功を奏したのだろう。

 ──こんなところで、差が出るなんて……。

 下唇をかみ締めて、ロバートはその場を立ち去った。


 教室の窓際にある席でロバートは頬杖をついて座っていた。

 さっきから頭に血が上ってしょうがない。

 指で机をたたいていると、レイが教室に入ってきた。

「あ、いた」

 彼はまっすぐロバートの元に駆けてきた。

「なんですか? 笑いにでも来ましたか?」

 自嘲と嫌味を込めてレイに言葉を返した。

「違うよ。ちょっと来て」

 レイに手を引かれて、ロバートは椅子を立った。


「どこに行くんです?」

「いいから」

 レイは相変わらず手を引いて廊下を歩いている。

 ──ここは……。

 連れてこられた教室には実験室という室名札があった。

「……レイ、どうして」

 実験室の鍵を開けながら、レイは答えた。

「さっき使いたがってたでしょ? ついでだよ。ほら、入って」

 彼に促されるがまま、ロバートは実験室に入った。

「兄さん」

 レイがまっすぐ目を見て言う。

「勉強を頑張るのもいいけど、みんなとも仲良くしなきゃダメだよ? じゃないとだれも助けてくれなくなっちゃうよ」

 ロバートはレイの真剣なまなざしを受けて、ただ茫然と立ち尽くしていた。

 ──お父様が言っていた人に好かれる才能というのは、このことだったのか……。

 少し黙った後に、ロバートは続けた。

「……分かりました。私ももう少し仲良くしてみますよ」

「本当?」

「ええ」

「じゃあ、約束だよ!」

 レイの事は疎ましく思っていたが、少しは彼の事を見習おうと思った。


 実験を続けて数日。

「レイ、見てください」

 ロバートはガラスの瓶と小瓶を机に置いた。

「これは?」

「ネズミの胆汁と油を混ぜた水です」

 その次に胆汁が入った小瓶を手に取り、それを油と水が入ったガラス瓶に入れた。

 胆汁を入れて瓶の中身を撹拌すると、水と油が混ざり出して、上層に白い膜が形成された。

「確かに、胆汁が油を分解してるね。これを発表するの?」

「いいえ。ここからが本番です」

 そう言ってロバートは次に血が入った小瓶と水と油が混ざった瓶を机に置いた。

「血は温めると胆汁に変化すると言われています。しかし、私が温めた血を舐めても胆汁の味はしませんでした。という事は血をいくら温めても胆汁に変化しないことが考えられます」

「舐めたの⁈ お腹壊しちゃうよ……」

「体調は問題ありません。話を戻すと、血液が胆汁に変化するなら、これを混ぜた時にも同じ現象がみられるはずです」

 ロバートが血液を瓶に注ぎ、瓶の中身を混ぜると、一時的に水と油は混ざったが、しばらく置くと再び油層と赤みがかった水層に分離した。

「あれ? 油が混ざらない」

「ええ。つまり、血は温めても胆汁に変化しません」

「すごい! 教科書には逆のことが書かれているのに!」

 ロバートの実験は四体液説を覆すものだった。これを発表すれば最優秀賞も夢じゃない。

 実験室の扉が開かれた。

「ロバート。学長がおよびだ」

 二人の担任が入ってきた。

 レイとロバートは顔を見合わせる。

 嫌な予感がした。だが、今は大人しく呼び出しに応じた方がよさそうだ。

 

「退学だ」

 開口一番、学長からロバートに告げられた。

「そんな……」

 レイが落胆の声を上げる。

「お前の行動は目に余る。小動物の殺生に飽き足らず、神の冒涜まで……成績優秀者といえど、もう見逃すことはできない」

──終わりか。

 打つ手はなさそうだ。学校内の最高権力者である学長がそう言うのだから、だれも覆してはくれないだろう。

 諦めかけていたその時だった。

「待ってください!」

 レイが声を張り上げた。

「レイ。兄弟だからと言って肩を持つ必要はないぞ」

 学長は淡々と彼を諭す。

「確かに、兄がやっていたことは褒められたものではありません。しかし、僕が目を光らせておきます! 次からは小動物も殺させませんし、神様も否定させません。だから、どうか、兄の退学はなしにしてください」

 それを聞いた学長と担任は押し黙った後に、

「……分かった。次はないぞ」

「あ、ありがとうございます!」

「……」

「ほら、兄さんも」

 レイに促されて、ロバートも続ける。

「ありがとうございます」

 そうして、二人は学長室から出ていった。

 ──やけにあっさり承諾されたな。

 レイがいくら人懐っこいとはいえ、学校としての決定を簡単に覆すのだろうか。いともたやすく危機を脱することができたことがロバートにとっては逆に不思議でならなかった。

 学長室の中から話し声が聞こえたが、聞き取ることはできなかった。


 学術コンクール当日。

 レイとロバートの手には自身の研究をまとめた羊皮紙が握られていた。それを用いて彼らは聴衆の前で発表し、その後に討論を行う。

「頑張ってね。兄さん」

「ああ、行ってくるよ」

 ついにロバートの出番が来た。意気揚々と登壇した。


 ステージは異様な空気に包まれていた。上手く言い表せなかったが、どこか物々しい雰囲気が会場を覆っている。

 一番前の席には審査員が五人座っていて、その中の一人にダレン・S・フォックスがいた。

 物々しい空気の中、ダレンだけが柔らかい雰囲気を醸し出していた。

 ──発表しやすいようにしているのか?

 だが、焼石に水とはこのことだった。彼一人だけでは場の空気を軽くすることはできなかった。

「では、発表を始めます」

 ロバートは聴衆に向けて話し出した。

「私の研究内容は血液の胆汁への変化についてです」

 その言葉を皮切りに、会場全体がざわめきだした。

 実験方法、起こった現象、結果それらを具体的に話していく。その際に、ダレン以外の審査員は何かを話していたが、気にしない。練習通りにやるだけだ。


 発表が終わり、質疑応答の時間になった。その中で審査員の一人が手を上げた。

「ではダレンさん。お願いします」

 司会が質問者の名前を呼んだ。

「素敵な発表をありがとう。ロバート君」

 ダレンは続ける。

「君が発表した理論は四体液説に反するものだったが、異端者のように見られるのは怖くなかったのかい?」

「怖くはありません」

「なるほど。私からは以上だ」

 ダレンが着席し、司会は次の質問者を呼んだが、手を上げるものはいなかった。


 結果発表の時間。

 司会は審査結果が書かれた羊皮紙を受け取った。

「最優秀賞は──」

 ごく数秒それが途方もない時間に感じられた。ここまでやってきて、理論も完璧で矛盾はない。きっと大丈夫だ。そう思っていた。

「レイ・オブグリン!」

 その瞬間に会場が沸き上がった。レイもはしゃいでいる。

 ロバートは自分の席にもたれかかって、ただ茫然としていた。

 

会場を後にしたロバートはただふらふらと歩いていた。

 足に上手く力が入らない。だが、悔いはない。研究の質がレイの方が上だっただけだ。そう思って受け入れることにした。

 不意に会話が耳に入ってきた。

「上手くいきましたなぁ」

 担任の声だ。

「ああ。君たちの計らいで、異端者をわが校から出すことはなさそうだ」

 どういうことだと聞き耳を立てる。

「ロバートに入った票は全て無効票にしました」

 体中の毛が逆立って、脂汗が流れてくる。

 ──不正があったのか? 学校側が?

 

 失意の中、ロバートは帰路についていた。

 レイは励ましてくれたが、言葉を正確に思い出すことができない。

 自邸の扉を開ける。正面の階段の上には父親が立っていた。

「お父様……」

 ロバートは縋るように父親の元に駆けよった。

「ロバート。嘘を発表してはダメじゃないか」

 思考が全てかき乱される。

 ──お父様、何で、なんで? 貴方は私を認めてくれていたんじゃなかったのですか? どうして異端者を見るような目で私を?

 頭の中がぐちゃぐちゃだ。


 真夜中の庭。その中心ではロバートの自邸が燃えている。

──あれ? 何をしていたんだっけ? ああそうだ。お父様もお母様も私が毒殺して、火をつけたんだ。あれ? レイ? どこにいるんですか? 

 庭に跪いていると、

「兄さん! 無事⁈」

 レイが煤だらけになりながら走ってきた。腕には何かが抱えられている。

「レイ、それは?」

 彼はそれをロバートに差し出した。

「ちょっと燃えちゃったけど、これ」

 

 僕からの最優秀賞!

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血は胆汁に変わらず 示門やしゃ @zimon-yasha

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