海殺し

芦谷 犬彦

第一章 再会

第1話 帰郷

 薄暗いオレンジ色の灯りがまばらに連なるトンネルを抜けると、目の前が一瞬だけ白くなる。視界が元に戻ると、バスの車窓から広大な海が目に飛び込んでくる。自分の家を出るまでは毎日のように見ていたので、正直飽きていたが、こうして外から見ると案外きれいなものだ。真っ青な海に聳え立つ雲の塔、車窓越しに聞こえる蝉の声、いかにも夏らしい光景である。


 そんな事を思っていると、降りる駅が近づいてきたのでボタンを押した。「次、止まります」と無機質な声が車内に響く。僕以外の乗客は既に下車したようで、運転手と僕だけがバスに乗っている。どうせすぐに降りるので、僕は運転手の近くにある手すりに掴まろうと、重たいカバンを背負って前方へ移動した。すると徐々に減速し、プシューと音を立ててやがて停車した。

 僕が降りる駅は終点で、周囲には特になにもないので元々降りる人は少ない。故に運転手は不思議そうな顔をしてこちらを見ている。「兄ちゃんこんなところで降りるのかい?、珍しいね〜観光しに来たの?」中年らしき運転手はそう言った。

「いえ、実家がここにあるので里帰りみたいな感じですよ。」

「あら、そうだったの。しっかしここは綺麗だね〜!兄ちゃんが羨ましいよ。」

「そうですかね。このあたり特に何も無いし、それに住んでいたら海なんて見飽きますよ。じゃあそろそろ行きますね。」

「はいよ、代金は百二十円だよ。」と他愛もない話をしてバスを降りた。瞬間、爽やかな夏風が停留所のある高い丘に吹いた。まるで帰ってきた僕を歓迎するかのように。


 程なくしてバスは再び動き、来た道を引き返していった。黒浪村と書かれた少々錆びた停留所の看板と待合小屋は二年前とそこまで変わっていない。そう、この黒浪村が僕の故郷だ。僕は現在高校二年生、夏休みを利用して久しぶりに村へ帰ってきた、といった感じだ。一年生の頃は帰省する生徒が少なかったので、寮の仲間と毎日騒いでいたが、今年は寮の改築があるため、仕方なく帰ってきた。

 嫌々帰ってきたとはいえ、ここには海もあるし、電気もしっかり通っている。ひと夏を過ごすのには申し分ない。早速僕は停留所から村に向かう坂を下り始めた。坂道に沿って連なる段々畑には色とりどりの夏野菜が実っている。畑が途切れ始めた頃、ようやく村の家々が見え始めた。山間の緩やかな傾斜地に建ち並ぶ日本家屋、コンクリートの港に浮かぶ数多の漁船など、漁村という言葉がぴったり当てはまる景色だ。


 少し長い坂を下り終えた頃、村の入口である四つ辻の左手側から誰かに名前を呼ばれた。「お〜い諒太!」と聞き覚えのある声でそう聞こえた。見ると路地の奥にある豆腐屋から褐色肌の少女がこちらに駆け寄ってきた。その時、村にいた頃の記憶が瞬時に蘇った。

 彼女の名前は沖本渚、僕の幼馴染である。「もしかして渚か?」と尋ねると彼女は「そうだよ!久しぶりだね!」と言って肩を組んできた。このどこか男っぽいところも村を出る前と大して変わらない。

 白いTシャツにホットパンツ、肩から下げた買い物袋から覗く長ネギといった様子から、御使いの途中だと感じられる。僕が村を離れていた二年の間に、彼女は少し大人びた雰囲気を纏ったように見える。そのせいだろうか、先程から僕の心臓が喧しく脈を打っている。しかし彼女がそれを知る由はない。

「帰って来るって言ってくれたらうちに泊めたのに...」とちょっと不機嫌そうに彼女は言った。

「ごめんごめん、村にいるのは夏休み中だけだしお世話になるのは悪いかなって思ってさ。それに村にいる間は実家に泊まるつもりだから大丈夫だよ」

「ふ〜ん、でも折角久しぶりに会ったんだし晩御飯だけでも付き合ってよ」

「わかった、取り敢えず先に片付けとか済ませたら、夕方ぐらいにそっちに行くよ」

そう僕が言うと彼女は

「お、じゃあとびっきり美味しいの作らないとね!絶対来てよ!」

と言って早足で路地の奥へと消えていった。三週間程生活できる食料や物資は祖父母に頼んで送ってもらっているが、ご馳走になるのも悪いことではないだろう。それに渚の家はかなり裕福で料理は絶品、僕は今晩のご飯に期待しながら実家への道のりをまた歩き始めた。

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2025年12月12日 12:00 毎週 金曜日 12:00

海殺し 芦谷 犬彦 @Ashiya-inuhiko11

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