スラ医ム先生の診療録

野生のイエネコ

第1話

 テイマーの村に生まれて、スライムしかテイムできない欠陥品の少女は、どのような扱いを受けるだろうか?


 蔑まれる? 虐げられる?


 いいや、そんなふうに存在を認識されることさえもない。

 スライムしかテイムできないテイマーの少女、リン・ラクトゲルは、村の大人達から完全に存在を無視されていた。


 無色透明。完全に存在しないものとして扱われることの苦しみが、リンの心を日々蝕んでいた。それでもリンが完全に絶望しないでいられたのは、スライムがリンのそばに寄り添っていたからである。


 スライムは、リンにとっては一言で形容できない存在だった。スライムしかテイムできないせいで、村の中での立場はない。けれど、スライムだけはテイムできるおかげで完全な孤独にはならずに済んでいる。


「はぁ……」


 リンが自分のテイマーとしての才能の無さに落ち込んでいると、ぽよんぽよん、ぷるるんとスライムたちがやってくる。


「プリンにポルン、励ましてくれるの? ありがとう」


 ぽよぽよと揺れるスライムたちを撫でつつ、水を汲み終えたリンは小さな家の壁にくてりと背を預ける。

 この家にはリンしか住んでいない。

 父は物心つく前からおらず、母は随分昔に亡くなってしまった。


 孤独なリンは、一人住まいの家の中で、丸くなった。


 友達もいない。やることもない。スライムの採ってきた果物や木の実を食べるだけの日々。


 そんな虚しい日常に、ある日変化が起きた。


「おい! リン、いるか! おい!」


 どんどん、とリンの家の戸が叩かれる。

 扉を開けると、村長の息子がそこに立っていた。


「な、なんですか? 何か用ですか?」


 普段は完全に存在を無視されているのに、わざわざ家まで訪ねてくるとは何事だろうと、リンは訝しんだ。

 何か粗相をしてしまったのでなければいいが、と不安げな面持ちのリンに、村長の息子は外へ出ろ、と顎をしゃくる。


「ついてこい」


 それだけを言って背を向ける村長の息子に、慌てて着いていく。


 立派な村長の家には、今までリンは入ったことがないけれど、村長の息子は入れと指示をした。


 緊張しながら玄関に足を踏み入れる。来客用の部屋に連れて行かれて、戸惑いながらドアを開けると、そこには村長と、やけに洗練された都会的な男性が座っていた。

 美しい長い銀髪に、切れ長の瞳。こんなに綺麗な男の人は見たことがなくて、リンはぼうっと見惚れてしまう。


「この方が、スライム使いの少女ですか?」

「は、はぁ。ヴィクター様はこんな娘をお求めで?」

「えぇ、もちろん、村の仲間の方を連れていくのです、その分支援はさせていただきますよ」


 じゃらり、と机の上に、重い貨幣の音をさせた布袋が置かれる。

 村長の目はそれに釘付けになった。


「リン! こっちへこい! お前はこれからこの方に付き従って旅をするのだ」

「えっ、えっと、どういうことですか?」


 事態を把握できないリンは、戸惑いながら村長に問いかける。

 それに対して、村長ではなく、ヴィクターと呼ばれた男が答えた。


「私はヴィクター・グレイモア。医術師として旅をしています。私の医術にスライムの力が必要なので、スライム使いに旅に着いてきてほしいのです」

「リン! 着いて行きなさい。お前のような無能のテイマーが求められることなど、そうそうないのだぞ」


 村長の言い分はともかく、リンは、初めて他人から必要とされたことに、じんわりとした喜びを覚えていた。

 戸惑いはある。知らない人と旅に出るだなんて、まだ十三歳のリンには、不安だらけだ。

 それでも、必要としてくれるなら、とリンはこう答えた。


「わかりました。行きます」

「ありがたい。どのようなお仕事をお願いするかについては、道中で説明いたしましょう。さあ、リン。荷物をまとめてください。共に出発しましょう」


 ヴィクターは優しげに微笑み、リンに手を差し伸べる。

 今まで無色透明だったリンが、この世界で色づいた瞬間だった。


 少ない荷物をまとめて、友達のスライム達を連れて、ヴィクターの元へ戻る。

 そこには立派な馬車と共に、ヴィクターが待っていた。


「こ、こんな立派な馬車に乗るんですか?」

「ええ、この馬車の中で、お仕事の説明をしますね、リン」


 ヴィクターは馬車に荷物を乗せるようリンに促し、馬車に乗り込む。


 ふかふかの椅子はリンが今まで一度も座ったことがないようなもので、それだけでも緊張してしまう。


「さて、ではあなたにどのような仕事をしてもらうか、説明しましょうか」


 そう言ってヴィクターは、懐から何かの本を取り出した。


「これは異界の医術書です。この医術書を読み解き、私はこの世界の医術を発展させようとしています」


 曰く、その本には、この世界の医術とは異なる、大幅に発展した知識が記されているのだという。言語魔法に長けたヴィクターは、その異界の言葉で書かれた医術書を読み解き、治療に応用しているのだそうだ。


「そして、ここに記されている『点滴』や『カテーテル』という技術を、私は再現したいのです。この世界の技術ではこの『点滴』の管を作ることが叶いません。ですが、スライムならあるいは……」


 示されたのは、異界の医術書の一ページ。謎の袋と、そこにつながる管の精巧な絵だった。


「これをスライムで作ることはできませんか?」

「え? ええと、頼めば作れるとは思いますが……」


 まかせろ、というように、スライムがぽよんと跳ねた。

「でも、この装置が医術にどう関係するんですか?」


 ヴィクターの優しげな雰囲気が質問しやすくて、リンは好奇心の赴くままに尋ねてみる。


「生き物には、血液というものが流れているでしょう? その血液を補う液を作って、血管という血液の流れる管に流し込むのです。それに、お薬を直接体に流し込むこともできるのですよ」

「お薬を?」

「ええ。そうすると——少し難しいのですが、お薬の効果の発現が迅速だったり、肝臓で分解されるのを避けたりすることができるんですよ」


 うぅん、とリンは唸る。やっぱりヴィクターの話は少し難しくて、リンには理解が及ばなかった。

 けれど、スライムが役に立つということはわかった。


 テイマーの村で、テイムしても意味がない雑魚魔物として扱われていたスライムが、医術に有用だというのはつくづく嬉しい話だ。

 リンは難しくても理解したいと、さらなる話をヴィクターにねだった。


「この点滴の構造はこの絵の通りに、液体を入れる袋と、それを通す管、そして血管に刺す針が必要になります。その針は、これから行くドワーフの国で作ってもらおうと思っています」

「ドワーフの国……!」


 幼い頃に母から寝物語で聞いたことがある。鍛治の得意なドワーフ達の国。山の中の洞窟に居を構え、人間よりも小さな体躯を持つ種族は、童話の中の世界のように美しい国を作っていると聞く。


「楽しみですか?」

「はい!」


 ヴィクターは、はしゃぐリンに優しく微笑む。


「少し遠いので大変ですが、ゆっくり旅をしましょう」


 優しいヴィクターと、無口だが親切な御者のウッド。そして初めての旅にワクワクとするリンの一行は、穏やかに旅を続けていった。


 そして——。


「ふわあ。ここがドワーフの国……!」


 リンの口はぽかんと開いてしまう。

 ごつごつとした岩肌の覗く山裾で、あちこちに洞穴が開いており、その内外を忙しなくドワーフが行き来する。

 石造りの小さな建物もあり、そこの煙突からは絶えず煙が立ち上っている。鍛治を行っているのだろう。


「では、ドワーフの鍛治師の元へ参りましょうか」

「はい!」


 ヴィクターの案内で、ドワーフの中でも特別細かい細工が得意だという鍛治師の元へと向かう。


「ゼナス殿の工房はこちらですか」

「ああ、そうだがよ。人族が何の用だ?」

「筒状の針を作っていただきたいのです、このような」


 ヴィクターは医術書の絵を指し示す。

 

「あぁ? 筒状の針だぁ? 随分とけったいなもんを欲しがるなぁ」

 

 髭もじゃ姿のドワーフが、うろんげにヴィクターを見やる。


「医術に必要なものなのです。二日酔いにも使えますよ」

「おお! そりゃあいい!」


 酒飲みで有名なドワーフ族は、一転して笑顔を浮かべる。


 ヴィクターはゼナス相手に、絵を示しながら細かい仕様について説明していく。


「ほうほう。……へぇ、面白いじゃねぇか。腕がなりそうだな」


 ゼナスはにやりと笑うと、肩をぶんと回す。


「任せろ。明後日には試作品を出してやる」


 ゼナスに依頼を出した後は、ドワーフの国にある人族用の宿屋へと向かう。ドワーフ仕様の小さな家の中で、煉瓦建てのその家だけが大きくて、それが少し不思議な感じがする。


 宿屋はそれなりに繁盛していた。


「まずは食堂に寄りましょうか」

「はい。美味しそうな匂いがしていて、楽しみです!」


 食堂からは、香ばしく焼き上げた肉の香りや、シチューのまろやかな香りが漂ってきている。まだ夕方だが、すでにエールを飲んでどんちゃん騒ぎしている旅人達もいる。


「では、この宿屋のおすすめのセットをお願いします。リンは?」

「私も同じものを」


 配膳されたのは、とろとろに煮込まれたすじ肉の煮込みに、こんがりと焼かれた黒パン、そして野菜のスープだった。


「ん、おいしいです!」


 リンは母を亡くしてからというもの、スライムの採ってくる果実や、時折村人から渡されるカビの生えたパンなどばかり食べて生きてきた。

 そんなリンにとって、宿屋の素朴な料理の数々もご馳走だ。

 料理に舌鼓を打ちつつ、あっという間に食べ終えてしまったリンは、宿屋の部屋に下がるとあっという間に寝ついてしまった。


 そうして試作品が出来上がるまで待っての、翌々日。


「わぁ、細い!」

「そうだろうそうだろう。これほど細い針を細工できるのは、ドワーフと言えど一流のみだ」

「この針を量産して欲しいのですが、できますか?」

「任せろ、兄ちゃん。俺は一流職人のゼナスだぜ」

「では、三日後に取りにきます。それまでに作れるだけ作ってください」


 商談が終わり、宿屋へ戻る。だが、これまでの喧騒とは違い、嫌なざわめきが宿の食堂を包んでいた。


「どうしたんですか?」

「それがよ、人族の旅人が誤ってドワーフ用の酒を飲んじまってひっくり返ったんだ。人間には強すぎるってのによ」


 宿屋の親父さんが、ヴィクターの問いかけに説明をする。


「私は医術師です。その方のところへ案内してください」


 ヴィクターは厳しい表情になって、宿屋の親父さんにそう告げた。


「リン、初めての仕事になるかもしれません」

「……はい!」


  食堂の片隅に、旅装束に身を包んだ、黒髪の男性が横たえられていた。


「意識がないですね。……痛み刺激にも反応なし、か。リン、説明していた点滴の形にスライムを変形させることはできますか?」

「は、はい。やります!」


 ヴィクターの指示で、スライムを点滴の袋と管の形に変形させる。


「親父さん、塩水をいただけますか? 濃度はこのくらいで」


 ヴィクターは小さな紙片に量を書きつけると、宿屋の親父さんに依頼する。


「リン、昨日説明したルート確保をしますよ」


 ヴィクターは、倒れた男性の腕を縛り上げ、血管を怒張させる。

 試作品の針に、生活魔法である『清浄』の魔法を掛けて清潔にすると、スライムの管に接続した針を、そっと浮き出た血管に刺入した。

 すると、スライムの管の中を、赤い血液が上っていく。血管の中に針が入った証だ。


「よし、逆血が来た」


 ヴィクターは男性の腕を縛っていた紐を解くと、金属製の針だけを抜き、スライムの管の先端を血管の中に留置した。


「塩水、できましたぜ!」

「ありがたい。それでは、リン、これをスライムの袋の中に入れて、少しずつ血管の中に送り出すことはできますか?」

「は、はい!」


 リンは、言われた通りに塩水を少しずつ男性の体の中に送り込んでいく。


「ここから先は、時間が解決していくのを待つばかりです」


 ヴィクターはそう呟き、男性の傍に座り込む。


 しばらく待っていると、不規則に呼吸していた男性の息が徐々に規則的なものへと変わり、意識の状態も、皮膚をつねると反応する程度にまで回復してきていた。


「いい調子ですね」


 そうして、空が白み始める頃、ついに男性は目を覚ました。


「うわぁ、人族がドワーフの酒を飲んで助かるなんて、奇跡だぜ!」

「ドワーフの酒は人族にはキツすぎるからなぁ」

「ここは……」


 事態を見物しながら夜通し飲んでいた旅人達が盛り上がる。起き上がった男性は、その喧騒にいったい何事かと不思議そうな顔であたりを見回していた。


「お客さんは、間違ってドワーフの酒を飲んでしまったんですぜ。それを助けたのがこちらの医術師様でさぁ」


 宿屋の親父さんが、旅人の男性に説明する。


「私は大したことはしていませんよ」


 ヴィクターは謙遜するが、旅人の男性は感激したようにヴィクターの手を取った。


「ドワーフの酒を飲んでしまって助かるだなんて、なんと感謝をしていいものか。あなた様は聖教会の魔術医様ですか?」

「いえ、野良の医術師ですよ」

「ですが、これほどの腕前を持っておられるとは! 実は私は、腕の良いお医者様を探しているのです。私が勤めるさる貴族の家のご令嬢が難病でして、それを癒す秘薬がないものかと旅をしておるのです」

「ふむ、なるほど。詳しくお聞かせください」


 ヴィクターは、リンを伴って近くのテーブルに腰掛けると、少しまだ顔色の悪い旅人の男性から話を聞く体勢となった。


「私はカンシと申します。私の勤める貴族家のお嬢様が、一年前から原因不明の病に冒されておりまして」

「症状は?」

「頭痛に発熱、めまい。それに……、数ヶ月前から、カエルが潰れたような奇妙な声になってしまっているのです。年頃のご令嬢が、可哀想で可哀想で」

「ふむ、聞いているだけでは絞りきれませんね。カエルの潰れような声とは……奇妙な」

「ええ、本当に奇妙な病なのです」


 旅人の男性と、注文してあった針が完成したらともにその貴族家に赴くことを約束して、その日は別れた。


 白み始めた空の下。ほぼ徹夜で男性に点滴を行っていたリンは、疲れて食堂の椅子に座ったままうとうととしてしまう。


「リン……リン?」


 遠くで呼びかけるヴィクターの声がする。起き上がらなくてはと思うものの、体に力が入らない。


「仕方ありませんね」


 ヴィクターは苦笑すると、船を漕いでいるリンの体を抱き上げた。


「さあ、部屋に戻りましょうか」


 ヴィクターはリンの部屋に入ると、そっと寝台にその身を横たえる。


「おやすみ」


 翌日、針の完成を待つ間、リンはヴィクターから医術の指導を受ける。リンもまた医術師として修行をすることになったのだ。


「出ているのは非特異的な症状ですが、嗄声させい……声の枯れと言うのが気になります。喉の感染症などであれば、数ヶ月も続くのはおかしいですから」

「なるほど……」

「実際に見てみなければ判断はつきませんがね」


 そんな話をしながら、人体の構造などの基礎的な部分から、ヴィクターに教わっていく。ヴィクターの持つ異界の医術書は魔法の本で、無限に等しいほどのページを持っていた。


「不思議なご本ですねぇ」


 ペラペラとページを捲ると、解剖学のページから、症候学のページまで、様々な知見が書いてある。


「このご本はどこで手に入れられたのですか?」

「それは……秘密です」


 ヴィクターは困ったように微笑んだ。

 

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