第5話
明かりがついた。何もない純白の部屋。その中央。光が揺らめき、一枚の水彩画を空中に描き出す。やがてその絵は立体へと変わり、一つの巨大な構造物が姿を現した。
「これは、天空の塔……?」
古い町並みから生え、雲を貫いて天へと伸びる塔。空からリング状の構造物が降下し、下部へ着地。そこへ無数の人々が往来し、次々と物資が詰め込まれていく。
やがて再びリングが上昇するとともに、その光景は空へ向かう。雲を突き抜け、天を超えて、闇が広がり、星が瞬く。無限の空へ向かう途中、円盤状の構造物が現れる。
「これは、私たちがいるこの建物か?」
リングが到着し、しばらくして円盤上部に位置する別のリングが切り離された。塔はそこで途切れ、その先は何本もの線となって続き、上へと向かう。
そして同じような円盤状の構造物にたどり着き、次の円盤へ。まるで階層を渡るように、いくつもの中継施設を経由していく。
「どうやら、これと同じ構造物がいくつも設けられているようだ」
リングとリングをつなぐ中間地点。円盤への輸送を繰り返しては上へと進み、ついにたどり着いた最終地点。
月。宙に一つだけの光の天体。
そこに設置された巨大施設に、輸送用と思われる金属の舟が宙の中で行き交う。大量の魔核を搭載した船が、まばゆい光を放ちながら、彼方へと吸い込まれていく。
「すごい。これが、千年前の世界……!」
ぼくは光に映る光景を見つめながら、無意識に呟いていた。
大いなる文明。魔法と科学が共存していた時代の証拠。神話の中でしか語られることのなかった、人が星へ昇っていた時代。
リュシエラが手を伸ばす。月に触れようとすると、その手は透けて通り抜ける。
科学の本には無かった、未知の技術。
「これは、幻影か?」
「光によって投影された映像という技術だ。幾多もの絵を高速で何回も繰り返し、ぼくたちの目に動くように見せている仕組みだよ」
「それはお前の言っていた過去の技術、科学なのか?」
「うん。でもここまでのものは本にも載っていなかった。失われた文明は、ぼくたちが思っていたよりもずっと進んでいたんだ」
天空の塔はこの反復行動を繰り返し、地上と月の人々をつないでいた。円盤を通じてリングが上下を往復し、物資と生命を運び続ける。そして月から船が放たれ、さらに果てしなく遠い宙へと旅立つ。
宇宙に散らばる新たな天体を捜索し、まだ見ぬ未知の星々を模索する。
人類が希望を持っていた時代。熱き情熱。
しかし、事態は一変する。
突如映像が歪んだ。塔の上部で眩い閃光が走り、宙が裂けた。天を二つに分ける赤い光の線が、船を砕き呑み込んでいく。
「あぁ!」
リュシエラが叫んだ。その声には遠く離れた8歳のころの記憶、かつて見た崩壊の残響が滲んでいた。
周囲のリング群が砕け、次々と暗闇の中に投げ出される。月の施設が分解され、閃光の中に呑まれる。天空の塔が、崩壊していく。
全てが、壊れていく。
「これが宙が落ちた日、か……」
「ああ、間違いなく覚えている。我々が全てを失った、あの日だ」
映像が移り変わり、地上からの光景が映し出された。空が割れ、天に赤い亀裂が走り、色は蒼から灰に染め上げられていた。
大地が震え、塔がゆっくりと傾き、断面から灼熱の炎を噴き上げる。崩れた巨大建造物は、街や人々を覆い尽くし、下敷きにした。
逃げる間もなく押し潰され、文化も技術も、何もかもが失われていく。やがて、空の彼方で月が現れた。歪み、禍々しい光を放ちながら灰色の世界に顕現する。
その光の横に歪みが発生する。歪みは円を形作り、黄色い球体を映し出す。鏡写しのように左右反転となった、二つの天体。
「二つ目の月が……!」
「神々が争い、空を裂いたと伝えられていた伝承。その瞬間だ」
赤い裂け目が天を貫き、全ての光を呑み込んでいく。
暗闇。その中で天より赤い光が点滅しながら地上へと流れ落ちる。
円盤。月へと向かう道の中間地点。
それは炎を纏いながら地上へと落下し、光を失う。映像に暗闇が戻る。
ただ一つ、部屋の中央に残された光。
心臓のように脈打つ、青の球体。
部屋に明かりが灯り、眩しいほどの白が中を包んだ。完璧なる純白の塗装の中心に、その青い球体が輝き続けている。
「まだ、生きているのか?」
ぼくは呟いた。
光は答える代わりに強く鼓動を高める。まだここにいると、自身の存在を示すように。この世界の科学はまだ死んでいないと、強く訴えながら。
「ハルカ」
リュシエラがぼくの名を呼ぶ。
恐れと希望、その両方を宿しながら。
「本当に、もう一度塔を立て直せるのか?」
「うん。必ず立て直す」
「そうすれば、私はまた、魔法を使えるようになるのか?」
「……いっただろう。約束するって」
青い光の鼓動に合わせて、心臓の鼓動が高なる。胸の奥底から熱い感情が激流のようにこみ上げ、全身を駆け巡る。
「創り出すんだ。ぼくたちの手で、未来を」
拳を握りしめる。
三十八年間。僕の生きてきたこの年月は無駄ではなかった。科学の本を探し出して、片っ端から読み漁り、理解できない言葉を全て翻訳した。誰にも理解されず、笑われ、それでも幾万冊のノートを書き続けた。
ひたすら勉強して、研究して、年月だけが過ぎた。出世もなくて周りは次々と成功していって一人取り残されて。孤独で。
それでも、わずかな希望を探し続けた。
リュシエラもそうだ。彼女は千年間戦い続け、この円盤を守り続けた。自分のやっていることが無駄だと悟りながら、無意味だと知りながら、ひたすらに。
剣を捨てず、矢を番え、戦い続けた。ただひたすらに、あの天空を昇るリングのように積み上げ続けてきた。
今ようやく分かった。ぼくたちは、ずっと同じ道を歩いてきていたのだ。千年と三十八年の交わった時間を超えて、同じ天空へと延びる巨大な塔を見上げていた。
今までの全てはこの一瞬、瞬間、この時のためにやってきたことだったのだ。
ぼくは設計図を取り出した。
古代遺跡で見つけた、天空の塔を建てるための全てが記された図面。千年前の人類が夢見た、果てしない宙への設計図。
それを青い光に充てると、光の線が図面を読み込むように走った。先端から先端に進み、微かな雑音を出しながら間をおいて、光が分解される。文字が、線が、数式が。光の粒となって宙に浮かび、形を成していく。
そして粒子は設計図に記された字をそのまま形作り、巨大な塔の構造を描き出した。基礎、支柱、動力炉、昇降環、そして天へと続く軸。それら全てが青白い光の線によって空間に再現されている。
「図面が、そのまま書き写された?」
青い線が複雑に絡み合い立体を作り出し、まるで命を持つように動いている。空中に描き出された光に触れると、その部分が集中し、拡大された。
手を動かせば拡大部分が別の部位に移動し、手を戻せば元の位置に戻る。つまむように指を動かせば塔全体が縮小し、全体図が浮かび上がる。
これなら塔の全てを立体的に見ることができる。
「すごいな、これは……」
手を横に動かし、塔の全体図をぐるりと一回転させる。上に滑らせれば塔の頂上、下に滑らせれば地中の基礎部。
前後左右斜め全ての角度から、多面的に全体像を確認できる。まるで塔がこの掌の中にすっぽり収まっているようだ。
「だが、全体が見渡せたところで、どうする?」
リュシエラがふと呟く。
「どうするってそりゃ、素材と人を集めて」
「集めたところで、その人間は信用できるのか?」
確かに彼女の言う通りだ。これを国に報告したとして、誰が純粋に手伝ってくれるというのかこの円盤を分解して武器に使用したり、光の投射システムを戦争に活用したり。
失われた古代技術を悪用される可能性が大いにある。人を集めるにしても、確実に信用できる人を見つけ出さなければならない。
「そうだね。まずは仲間集めから始めようか」
「ツテがあるのか?」
「まあ、二人ほどね。信頼はできないけど、信用はできるかな」
かなり癖が強いけど、これを見せれば食いつきそうなのが、二人ほど。
こうして、ぼくたちは天空の塔再建のためのパーティ集めに身を乗り出したのだった。
失われた異世界 音無來春 @koharuotonasi
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