カリギュラ効果
αβーアルファベーター
絶対に開けてはいけません。
「絶対に開けてはいけません。」
白い紙に、黒いマジックでその一文だけが書かれていた。
三年三組、
誰も使っていない廊下端のロッカー。
その一番下に貼られた紙は、今日で三日目。
視界に入るたび、じわじわと胸がざわつく。
最初に見つけたのは、委員長の 雨宮海斗 と、僕—— 坂本蓮だった。
昼休みの終わりごろ、
海斗が足を止めて言った。
「……おい、蓮。
これ、いつから貼ってあった?」
僕も眉を寄せた。
「昨日はなかったよな?」
すると周囲にいたクラスメイトが数人、
興味津々と集まってきた。
「なにこれー?」「誰が貼ったの?」「怖っ」
ただ、怖いと言いながら、
誰もがその紙から目を離せない。
僕の頭にはある言葉が浮かんでいた。
——カリギュラ効果。
止められるほど、
触れたくなる心理のことだ。
「……やめた方がいいって。」
そう口にしたのに、
雰囲気はどんどん逆へ転がる。
「こういうのってさ、
開けてほしい合図じゃん?」
「逆に誘ってるよなぁ」
「てかドッキリだろ?」
クラスの中心、陽キャ三人組の 新谷・黒沢・椎名が、ニヤニヤしながらロッカーを囲む。
そして、
新谷がドアの取っ手に手をかけた瞬間。
「触るな!!」
怒号が教室中に響いた。
振り向くと、そこには普段は温厚な担任——石原先生が立っていた。
目が血走っていて、肩が震えている。
僕は思わず息を呑んだ。
あの先生が怒鳴る姿なんて、
見たことがなかったから。
新谷たちはビビって手を引っ込める。
しかし先生はさらに口を強く結び、
絞り出すように言った。
「絶対に開けるな。
……これは俺からの最後の警告だ。」
「先生、これ何なんすか?」
椎名が聞いたが、先生は答えない。
教室全体を睨むように見渡して、
「帰れ。これは、
お前たちが触れていいものじゃない。」
そう告げて、足早に職員室へ戻った。
その背中は、
怯えているようにしか見えなかった。
そして、先生が去った直後、
教室の熱はさらに上がった。
「先生の反応マジ怪しくね?」
「余計に気になるわ……」
——禁止されればされるほど、見たくなる。
本当に、
カリギュラ効果ってやつはタチが悪い。
◇◆◇
放課後。
僕は海斗に呼び止められた。
「蓮、来い。」
「どこに……って聞くまでもないか。」
海斗は頷いた。
「先生のあの反応、絶対普通じゃねえ。
気になって寝れねえわ。」
僕も、無視できない不安を抱えていた。
——もし放っておいて、誰か勝手に開けたら。
そう思うと、先に確かめるべきなんじゃないかという、奇妙な義務感が生まれた。
(……本当はただ、
僕が気になっているだけだ。)
そう気づいていたけど、認めたくなかった。
人気のない薄暗い廊下。
夜の学校特有の、湿った匂いがする。
ロッカーの貼り紙だけが頼りなく浮かび上がっている。
海斗がそっとその文字を指でなぞった。
「蓮……変じゃね?先生の目。
あれ、“バケモン”だったよな。」
「うん。何か見たみたいだった。」
「っつーか、何を“知ってる”んだよ……」
海斗が取っ手に触れた瞬間。
バンッ!!!
向かいの教室の扉が叩き開かれた。
「やめろッ!!」
石原先生が息を切らして飛び出してくる。
「……どうして、また分かったんですか?」
海斗が呟くと、先生は青ざめたまま言った。
「分かる……お前たちの目が、
“そこ”に引っ張られていたから。」
「引っ張られて?」
先生の喉が上下する。
「……あれを開けたら、“見つかる”んだ。」
僕らは顔を見合わせた。
「見つかるって……何にですか?」
先生は、答えられないように口を閉ざし、
震えた声で言った。
「早く帰れ。お前たちまで……
“連れていかれる前に”。」
意味が分からなかった。
けれど、背中に悪寒が走った。
◇◆◇
翌朝。
教室に入ると、騒然としていた。
海斗の姿がどこにもない。
新谷が息を切らして駆け寄ってくる。
「蓮!ロッカーの貼り紙……変わってた!」
胸が冷たくなる。
「な、何て書いてあった?」
新谷がスマホを差し出す。
そこに写っていた写真には——
昨日と同じ白い紙。
しかし文字が違う。
『雨宮と坂本は、閉じ込められています』
血のように赤黒い文字。
悪い冗談にしては、悪質すぎる。
「ふざけんなよ……」
そう呟いた瞬間。
僕の視界は、完全に暗転した。
◇◆◇
——ロッカーの中。
息苦しい。空気が薄い。
隙間から廊下の光が一本だけ差していた。
「おい!誰か!!助けてくれ!!」
「開けてくれよ!!ここにいるんだ!!」
隣から海斗の叫びも聞こえた。
確かに僕は“ここ”にいる。
なのに——
「バカだな。お前ら、ここにいるじゃん。」
ロッカーの外から聞こえる、新谷の笑い声。
「冗談にしても気味悪いわ。なあ海斗、坂本。」
(違う!!外にいるそいつらは!!)
僕らは同時に叫ぶ。
「僕たちじゃない!!そっちは偽物だ!!」
「みんな、逃げろ!!そいつらから離れろ!!」
しかし声は届かない。
何度叫んでも、空気に溶けていく。
やがて、外から足音が近づく。
ゆっくりと、僕の真上で止まった。
ロッカーの隙間から、
外の“僕”が覗き込んでいた。
顔はぐちゃぐちゃに歪んでいる。
皮がひび割れ、
目だけが真っ黒に広がっていた。
そいつは、ゆっくりと笑った。
「やっと……戻れた。」
——その瞬間、僕は確信した。
僕という存在は、ロッカーを開けた瞬間に“上書き”される。
外に出ている“僕たち”は、
もう僕でも海斗でもない。
そして、あのロッカーは——
誰かが興味を持つたび、
“本物”と“偽物”を入れ替える。
そのために“禁止する”。
だが禁止されればされるほど、
人は惹かれる。
カリギュラ効果は、
怪異の方にこそ都合がいい。
——気をつけろ。その紙を読む“あなた”にも、興味が芽生えている。
僕らの声は届かない。
でも。
開ければ分かる。
次は、あなたが閉じ込められる番だ。
カリギュラ効果 αβーアルファベーター @alphado
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