エピローグ

 さて、それからの俺たちの話を少しだけしよう。



 俺は相変わらず講義とバイトに明け暮れる日々で、「ふたくら」からの帰りに配信を聞く習慣も相変わらずだ。夜果が配信をしていればそれを聞くし、そうでないときは適当に他のVtuberの配信を聞いたり、ラジオを聞いたりする。



 寒河江は、相変わらず髪は癖毛だし眼鏡は分厚いし猫背だし、人を寄せ付けないようなオーラを放っている。そして相変わらず、夜果の魂としての活動を続けている。



 夜果の配信スタイルもやはり変わらない。


 雑談がメインでときどきはメッセージやスパチャを読み上げたり、ゲーム実況をしたりもする。チャンネル登録者数は少しずつ、少しずつ増えていて、寒河江はそのことが嬉しいような恐ろしいな複雑な心持ちらしい。



 そんな相変わらずな俺たちの中で変わったことといえば、「実践英語」の単位を無事に獲得し、講義で顔を合わせる機会がなくなったこと。


 そしてもう一つは、二週間に一回くらい、二人で食事に行くようになったことだ。食事、といっても、そんな大層なものじゃない。その辺のバーガーショップとかファミリーレストランとか回転寿司とか、そういうあんまり金のかからない場所で、食べたり喋ったりする。その時の暗黙にして絶対の取り決めは、代金の支払いはあの白い封筒の中に入っている金でする、ということだった。



 最初のうちは、あの一万円が支払いの原資になった。俺が斎藤さんからもらい、夜果に投げ、寒河江が返そうとした一万円。五回か六回目の食事のとき、そろそろ店を出ようかという時になって、寒河江が不意に言った。



「そろそろ、無くなるだろうから」



 何が、とは言わないまま、寒河江は財布から取り出した一万円を封筒に入れて、俺に差し出した。封筒の中で、ちゃりん、と小銭がぶつかる音がする。


 そのとき俺がどれだけ嬉しくて、平静を装うのにどれだけ苦労したか、寒河江にはきっと分からないだろう。


 だって俺は、一万円を使い切ったときに、俺たちのこの微妙な、友情未満の付き合いも終わってしまうことを、ひっそりと覚悟していたのだ。



 ドリアを、漬けまぐろを、あるいはポテトを食べながら寒河江が語ることは、いつも面白かった。


 夜果の魂をやっているだけあって、寒河江は知識が豊富で、俺が知らないような歴史上の出来事だとかニッチな雑学だとか、そういうものをたくさん知っていた。


 宇宙には果てがあるのか。本はどのように作られるのか。少し血なまぐさい、未解決事件の話。慎重に選ばれた言葉で寒河江が語る、俺が知らない世界の話は、とても魅力的だった。


 もちろん、知識だけじゃない。物事全般に対する夜果の見方や考え方、どこか臆病で孤独なそのスタンスが、やはり俺は好きだった。


 それこそ、もっと仲良くなりたいと思ってしまうくらいに。


 


 だけど、俺という人間はどうだろう。「ふたくら」で長くバイトをしているおかげか、人の話を聞くのは上手なほうだと自負しているけれど、そもそも俺たちの関係において寒河江は客じゃないし俺は店員じゃない。適切なペースでの相槌とか、そういうものを寒河江が必要しているとは思えない。


 そうなると、いよいよ俺は寒河江に返せるものが何もないのだった。知識もなければユーモアもない、ついでに言えば金もない俺と話しているこの時間に、果たして寒河江は価値を見出しているのか? 



 寒河江と出かけるたびに、楽しさの陰で少しずつ積み重なっていった卑屈な感情を取り払ってくれたのが、寒河江のその言葉で、その一万円だった。別に、金額なんかは問題じゃなかった。その一万円が五千円でも、千円でも、それどころか一円だったとしても俺は同じように救われただろう。


 それは、言葉を丁重に扱う寒河江が俺に見せてくれた、何より雄弁な意思表示だった。



 だけど、ありがとう、なんて言うのもなんだか違う気がして、俺は一万と千八百三十二円が入った封筒を寒河江から受け取りながら、



「今夜は配信あるんだっけ?」



 気恥ずかしさをどうにか隠して、そう尋ねた。



「一応、二十三時くらいからやるつもりだけど」


「そっか、じゃあ間に合ったらリアタイする」



 うん、とも、いや、ともつかない声を出しながら、寒河江が頷く。寒河江が夜果となった詳しい経緯や、どんなことを考えて夜果をやっているのかを、聞いたことはない。聞き出そうとも思わなかった。


 配信の予定開始時間をちょっと教えてもらう、それくらいで今は充分だった。



 会計を済ませて店を出ると、もう日はとっくに沈んでいて、深い紺色に包まれた街並みの中を肌寒い風が吹き抜けていた。もう、年末が近い。



「寒河江は、年末年始、実家に帰ったりすんの?」


「いや……今年は、年越し配信をするから、帰らない」


「え、すごいなそれ」



 年越し配信というのは、大晦日の夜から配信を始めて、年越しの瞬間をリスナーとともに迎える、という趣旨の配信のことだ。夜果の年越し配信はきっと盛り上がるだろう。


 俺たちリスナーはみんな、夜果と同じ孤独や違う孤独を抱えて、その孤独を抱えたまま、ほんの少しつながったりしていたいのだから。



「リアタイできるかな……俺、年末年始もバイト入れてるんだよね。年賀状の仕分けするやつ」


「ああ……そうなんだ」



 こくりと、寒河江が頷く。俺が寒河江の事情に踏み込まないのと同じように、寒河江はあまり、俺の事情に踏み込もうとしない。


 俺が自分のことを話せば、そうなんだ、と頷いて聞いてくれるけど、それ以上に話させようとはしてこない。寒河江にだったら話すけどな、なんて思う一方で、その程よい距離が心地よいのも確かだった。



「……あ、あ、あのさ」



 店を出てしばらく歩いたところで、寒河江が言った。



「うん、何?」


「ぼ、僕は、あの、」



 並んで歩きながら、寒河江の言葉の続きを待つ。寒河江はときどき、こんなふうに言葉がつっかえる事があった。夜果は一度もそんなふうになったことはないのに、と思うけれど、誰かと対面で話すのと、不特定多数に向けて配信で話すのでは違うんだろう。



「僕は……あの、お、小篠と、友達になれて、よかった」



 その言葉に、俺は思わず足を止めた。不思議そうに、寒河江も立ち止まる。



「え、あ、ご、ごめん……」



 違うんだ、謝る必要なんてない、そういう気持ちを込めて俺はただ首を振った。言葉ってやつはなんて不便なんだろう。嬉しいとか、ありがとうとか、そういう返事じゃ俺の胸に満ち満ちている感慨なんて寒河江にはきっと伝わらない。



 だけど、寒河江はきっと、待ってくれるだろう。俺が、俺の気持ちを、俺の言葉で差し出すまで。ただ黙って、目の前で立っていてくれるだろう。



 一体何から言えばいいのか、もはや途方に暮れたような気持ちになりながら、俺はふと、夜空を見上げた。


 街の灯りに追いやられて、星々の光はここからでは見えない。


 それでも、たとえ見えなくても、星は確かにあることを俺は知っている。


 いまだ漠然としている感情、それを象る言葉を探しながら、、俺はゆっくりと、寒河江に向き直る。

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ブライニクルと一万円 柴崎 @yuukiaoi

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