第3話 言葉で戦う侍

【帝都・元老院議事堂】

バロア帝国の首都・通称『帝都』。

湖上に浮かぶ城塞都市の中央区画に聳え立つ大理石の建物、元老院議事堂。


この国は皇帝制を敷いてはいるものの、実質的な政治の実権はこの元老院が握っており、 こここそが帝国の中枢であった。


衛兵「ジパング国の外交使節、御入室願います」


三人は赤い絨毯を踏み、静かに歩みを進める。


天井には国教である八大神正教の神々を象った巨大なステンドグラスに光が差し込み、虹のような光彩が議場を照らしている。

壁には歴代皇帝の肖像画が並び、その視線がすべてこちらを見据えているように感じられる。


ノノ「う、うわぁ……お、重たい空気……」


ステラ(おおお……さすが帝国の中心部……緊張感がケタ違い……!)


そんな中でもナオは表情を崩さず一歩前へ進む。

外交官としての顔に切り替わり、その背筋はまっすぐ伸びていた。


ステラ(……ナオちゃん、ほんと場慣れしてるなぁ。あたしなんて足震えてんのに)


ノノ(挨拶、噛まないようにしなきゃ……!)


衛兵に案内され、三人は応接室へ通された。

ナオとノノは用意された椅子に座り、ステラは二人のすぐ後ろに控える。

テーブルの向こう側で書類に目を通していた男が、ゆっくりと顔を上げた。


ハヌス「ジパングからの使節が我が国を訪れるのは、実に二十年ぶりだな。今回の使節は……ずいぶんとお若く見える」


エドワード・ハヌス。

帝国外務局における高官であり、今回の会談の帝国側の代表。

柔らかな口調と対照的に、鋭く研ぎ澄まされた眼光と立派に整えられた口ひげが威厳を醸し出している。


ナオ「改めまして。ジパング国は豊臣幕府・外国奉行のもと西洋外交役の任を拝命しております、梅原ナオと申します。

こちらは書物奉行付の文官であり、私の補佐を務める茅森ノノ。そして、現在駐留しております村にて我々を支えてくださっている協力者、ステラでございます。

この度はお招きいただきましたこと、感謝至極に存じます」


姿勢を正し、穏やかな笑みを浮かべ挨拶をするナオ。


ノノ「よ、よろしくお願いいたしますぅ……!」


ナオの隣に座ったノノが、ピンと背筋を張って緊張気味に挨拶をする。ステラはドア近くに控え、落ち着いた動作で一礼した。

ハヌスはノノのその声にほんの少し微笑む。


眼鏡をかけた、瘦せ型の青年が書類を持って前に出る。


ギュースケン「遠路、帝都までお越しいただきありがとうございます。私はハヌス様の秘書にして、今回の会談における帝国側書記官を務めますドナルド・ギュースケンと申します。

どうぞよろしくお願いいたします」


ドナルド・ギュースケン。

ハヌスの秘書官であり、今回の会談の帝国側の書記官も兼任する男。

神経質そうな見た目に違わずその動作は迅速で無駄がなく、いかにも帝国の官僚という感じである。


ハヌス「先だって通達した通り、今回の会談の目的はジパングとの和平通商条約の更新、そして両国の安定した関係を改めて確認することにある。

帝国としても、ジパングとの友好関係は維持したい考えておる」


ナオ「我々としても、同じく考えております。長らく鎖国体制を貫いてきた我がジパング国にとって、大陸最大の強国であるバロア帝国との外交は、何にも代えがたい財産にございます」


ハヌスは若いながらも礼儀をわきまえたナオの言葉遣いに、内心感心して目を細める。


ギュースケン「では、まずは条約に関しての書類から…」


彼が分厚い書類を机に並べようとした、その時…。



パカッ



厳格な雰囲気に不釣り合いな軽い音が、応接室の空気を切り裂いた。


ギュースケン「なっ!?」


ステラ(ゲッ!!?)


ナオの被るシルクハットのクラウンが、右側にパカっと開いた。

そこから、ヒノキのカウンターがせり上がるように飛び出す。そしてカウンターの向こうから板前姿の河童が二体、半身を乗り出してきた。


ハヌスは眉を動かすこともなく、その光景を凝視している。

二体の河童の手元には、きゅうり巻きがびっしり詰まった折詰弁当。


河童1「先輩…こんなきゅうり巻きのみの折詰弁当誰が買うんすか…?絶対売れないですってこんなの」


河童2「馬鹿野郎ッ! こういうのが粋ってもんだろうが!素材の味を活かす……この潔い緑色!!これがプロの矜持よ!!」


河童1「いや誰がこんな青臭いだけの弁当買うんすか!?色味悪いし……せめて、醬油とガリぐらい添えましょうよ!!」


河童2「ったく、最近の若ぇもんは気取りすぎなんだよ!引き算の美学ってやつだ!」


先輩河童は得意気な表情で巻きすをパーンと梅原の帽子の縁に叩きつけた。

その音だけが、議事堂の重厚な静けさに不気味なほどよく響いた。


ギュースケンは書類を握りしめたまま、理解が追いつかない表情で固まる。

ステラは無言で(終わった…)と額に手を当て、天を仰ぎ、ノノはその光景をみてただただオロオロする。


当のナオは笑顔ではあるものの若干顔を引きつらせている。

ハヌスだけは、鋭い目を細め帽子の上の混沌劇を凝視している。


河童1「いやいやいや!引きすぎてきゅうりしか残ってないんすよ!!」


河童2「そこが粋なんだよッ!!素材に不要な飾りは乗せねえ……シンプルに“きゅうり”一本勝負!!」


河童1「先輩、そういうのを世の中では手抜きっていうんですよ……!」


ついにナオが耐えきれず、ぎこちない声で口を開いた。


ナオ「も、申し訳ありません。この帽子、たまにロクでもないことをしでかすもんで…」


ハヌスの肩が、震えた。

一瞬、怒っているのかと全員が身を固くする。


ハヌス「…フッ」


ナオ「?」


ハヌス「フハハハハハハハハハハハハ!!!」


重厚な議事堂に似つかわしくないほど豪快な笑い声が、石造りの柱に反響する。


ギュースケン「は、ハヌス様!?」


ステラ(え!?笑ってる?)


ノノ「え!?…えええ!!?」


ハヌスは腹を抱え、涙すら滲ませながら笑い続ける。


ハヌス「いやはや!!その帽子は二十年前とまっっっったく変わっておらん!!!むしろ自由度が増しておるではないのかねぇ!?」


ナオの引きつった表情が、少しだけ緩む。


ナオ「……師匠の時にも、こういうことが?」


ハヌス「うむ。当時はこんな珍妙な生物こそ出ては来なんだが……。『タコヤキ』という謎の丸い食べ物を焼く鉄板がその帽子から現れてな!

当時の議員全員が腰を抜かしたものよ!」


ノノ「た、タコ…ヤキ……?」


ハヌス「そうだ。丸い食べ物が鉄板でコロコロと転がされて……なんとも言えん、香ばしい匂いがしてのぉ。

誰も見たことがないのに、妙に食欲をそそる香りでな」


ギュースケン「な、なんですかそれ!?私は、そんな話聞いたことがありませんが…!?」


ハヌス「当時の書記官が“理解不能”と判断して、記録を放棄したからのぉ。だが私を含め、あの場にいた者はみな忘れられん出来事よ」


河童たちのきゅうり論争を眺めながら、ハヌスは懐かしむように目を細めた。


ハヌス「そなたの師、杉原センポ殿はすごい男であった。

このバロア帝国政治の中枢・元老院に、使節としてたった一人で乗り込み……その帽子の混沌ひとつで、荘厳な議場を一瞬で立食パーティー会場へ変えてしまったのだ!」


ナオ「……まあ、センポさんなら、やりそうです」


ナオは帽子のツバに軽く触れ、懐かしむように笑う。

その頭上では、相変わらず河童たちが延々としょうもない口論を続けている。


河童1「だから醤油は入れましょうよ!!こんなんに金払ったら、投げ返されますよ」


河童2「素材の味を活かすのがプロなんだよ!醤油に頼る職人は二流よ」


ハヌス「ちなみに私も、そのタコヤキをいただいたが……あまりの熱さに舌をヤケドしてなぁ!!

当時の議員たちに大笑いされたものだ!フハハハハハハ!」


豪快な笑い声がまた議事堂に響く。そんな中、ギュースケンは唇を震わせ、声を搾り出した。


ギュースケン「……あ、あの……ハヌス様……っ!?」


ハヌス「なんだ?ギュースケン君」


ギュースケン「……こ、これはその……外交会談といって、いいのでしょうか……?つ、続け…られますか?」


ステラ(うわぁ…この人完全に脳がこの状況の処理を完全拒否してるわ。気持ちはすっごいわかるけども)


ノノ(すみませんすみませんすみませんごめんなさいぃぃぃぃ!!!)


ギュースケンの声の裏に混じった心の悲鳴を受け取り、ハヌスは愉快そうに笑った。


ハヌス「当然だとも!続けようではないか」


ギュースケン「ええ!?こ、この状況でですか…!?このような珍事、元老院の風紀が」


彼の言葉に、ハヌスはすっと背筋を伸ばし、鋭い目で答えた。


ハヌス「いいかね、ギュースケン君。ジパングは鎖国による長い沈黙を破り、海を越えて我らと向き合う決断をした国だ。

その勇気を前にして、我々だけがいつまでも保守的な姿勢でいてよいはずがあるまい。世界は動く。ならば我々も、己を閉ざすのではなく変化を受け入れ、未来へ踏み出すべき時なのだよ」


……と、最高に格好つけたその瞬間。

ナオの帽子の上ではまだ河童がきゅうり巻きを詰め続けている。


河童2「とりあえずぶつくさ言ってねえで!仕込みだ仕込み!!開店に間に合わねえぞ」


河童1「いやこんなの売りつけたら、客に投げつけられますって!!」


ギュースケン「……いや、言ってることはすごく立派なんですが!!その変化の象徴が、会談中にきゅうり巻きのみの弁当売り始めてる謎生物でいいんですか!?」


ハヌス「問題ない。実に面白い」


ギュースケン「いやよくはありませんよ!?こんなの私記録できませんよ!!」


ついに頭を抱え崩れ落ちるギュースケン。

その後も、河童たちはナオの帽子の上で好き勝手暴れていたが。


数分後。


河童2「よし、仕込み完了だ!暖簾上げにいくぞ」


河童1「……絶対、天ぷらとか入れるべきだと思うんすけど」


ぼそぼそ言い合いながら、二匹は帽子の奥へと引っ込み、最後にカウンターがスーッと下がり、帽子が「パタン」と音を立てて閉じた。

騒がしかった応接室に静寂が戻る。


ステラ(……帰った……のよね?)


ノノ(お願いだから今日はもう誰も出てこないで……)


二人は内心そう思いながらソワソワし、ギュースケンは放心したまま机に突っ伏している。

そんな状況下で、ナオはあっさり外交官モードへ復帰する。


ナオ「ハヌス殿の寛容に、心より感謝申し上げます。では条約改訂案の第一項であります交易ルートの見直しにつきまして、我々の提案を説明させていただきます」


ハヌス「うむ。聞こう」


二人は、まるでさっきまでの混沌がなかったかのように自然に再開する。

しかも、さりげなく河童たちがテーブルに置いていったきゅうり巻きのみ弁当をつまみながら。


ハヌス「ふむ……やはり、ちと青臭いな」


ナオ「きゅうりだけ、というのは……さすがに厳しゅうございますね」


ステラ(いやいやいや!?なに普通に寿司食べ始めてるのこの人たち!?)


ノノ(ど、どういう神経してるんですかぁぁぁぁ!!?)


本来、ここはバロア帝国の政治の中枢であり、国家の未来を左右する議題を扱う厳粛な場。

そんな荘厳な雰囲気の中で、大陸最大国家と海の向こうの島国の代表者が外交会談の席で寿司を食べているあまりに異質な光景が静かに展開していた。


ナオ「ハヌス殿、良いものがございます」


穏やかな声とともに、ナオは静かに帽子のツバへ指を伸ばす。

直後、またしてもクラウン部分が「パカッ」と開いた。


ステラとノノは反射的に身構えたが、飛び出してきたのは河童でもカウンターでもなく小さな透明の瓶だった。

中には黒っぽい液体が入っており、彼はそれを手に取ってハヌスにみせる。


ナオ「これは、我がジパングが誇る特産品の一つで『醤油』と呼ばれるものでございます」


ハヌス「ほう……さっきの緑の生物たちが口にしておったものか!」


ナオ「海藻とジパングでのみ自生する特殊な豆を用い、発酵させて作る調味料です。野菜や魚に深い旨味を与えてくれます。

もしよろしければ……そのきゅうり巻きに、少しだけお試しを」


そう言って、ナオは瓶の蓋を静かに開け、きゅうり巻きにほんの数滴垂らす。

ハヌスは興味深くみつめてから、再びきゅうり巻きを口に運んだ。


ハヌス「……これは……!」


ギュースケン「ハ、ハヌス様!?」


ハヌス「青臭さが消え……旨味が増しておる……!これは……実に味わい深い」


彼の満足げな反応に、ナオは穏やかに微笑む。


ナオ「お気に召していただけたのなら幸いです。醤油は保存性にも優れ、長き船旅でも劣化いたしません。

帝国では濃厚な味付けが主流と伺っておりますが、この調味料が広まれば、そちらの料理文化にも新たな彩りを添えられるかと」


彼は帽子をパタンと閉じて、穏やかな笑顔のまま続ける。


ナオ「ぜひ、今後の輸入対象の一つとしてご検討いただければと存じます」


ハヌス「うむ、実に興味深い。大陸の南から輸入しているスパイスとはまた違う独特の風味…。この調味料が料理の幅を広げるのは確かだ。前向きに考えよう」


そのやりとりを横で見守っていたステラは、口を開けたたまま硬直した。


ステラ(あの河童の巻き起こしたカオスを逆手にとって、輸入品の売り込みにもっていった!?)


ノノ(う…梅原様。切り替えが、すごすぎる…)


書類の束を持って立ち上がったギュースケンも、思わず息を飲んだ。


ギュースケン(さっきまで謎の緑の生物が弁当を売りつけていた混沌の現場から……一瞬で空気を立て直して、条約の交渉材料に転換した……!?)


三人の視線の先で、ナオはまったくの平常心で話を続ける。


ナオ「では、交易ルートに関する案を改めてこちらから提示させていただきます。まずはじめに両国間における輸出入の海路の整備と、港湾設備の使用権について…」


そこには、さっきまでの『河童の仕出し屋』という混沌をまるで初めから計算に入れていたかのように扱い、国と国の利益へと結びつけていく外交官の姿があった。


梅原ナオ。

刀ではなく、言葉で国を守り、未来を切り拓く侍。

その穏やかながらも芯のある声は、混沌すらも味方に変える力を宿していた。

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梅原西洋使節団記〜平穏な日常と帽子の混沌〜 ろんど @umekanbu

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