血染めの磔台

 魔力の光が収束し、女魔王が磔台ごと投げ出された先は、どこかの森の奥深くだった。

 磔台を担いでいたローブ姿の少女は、女魔王を地面に下ろすと、休む間もなく彼女を縛る厳重な拘束具を壊すべく、手を掛け始めた。


  カシャン!


 鎖に繋がった手枷が開き、女魔王の左腕が久方ぶりの自由を取り戻す。

 少女が続けて右腕の枷に取り掛かろうとするが、女魔王は自由になった左手で猿轡を引き剥がすと、間髪入れずに屈み込んでいた少女の胸倉を、有無を言わさぬ力で鷲掴みにして引き寄せた。


「答えろ!」


 胸倉を掴み上げられた衝撃で目深に被っていたローブのフードが滑り落ち、少女の顔が露になった。

 その顔を見て、女魔王の目に怒りと共に確信の色が宿る。


「やはりか……答えろ! あれは何だ!? よ!」


 女魔王の咆哮は、夜の森に響き渡った。

 彼女が掴み上げた少女こそ、勇者一行に帯同し、情報収集と索敵を担っていた、斥候役の少女に他ならなかったのだ。

 今その顔は、彼女の普段の役割──感情を隠し、情報を集め、影に徹する者──が必要とする無感情・無表情そのものに見える。

 しかし、女魔王にはその深く沈んだ瞳の奥で、怒り、屈辱、悲嘆、そして無念、悔恨、絶望といった、複雑な感情が渦巻いているのを捕えていた。

 少女は慌てず冷静な声で、まず女魔王を宥めようとする。


「落ち着いて頂戴。まずは貴方の手足に残った枷を外しましょう」


 しかし、女魔王は激しい拒絶の意志を示した。

 彼女の左手は、少女のローブを握りしめたまま緩むことはない。


「いや、このままでいい。下手に自由になれば、裏切りの理由を聞く前に、このままお前を絞め殺そうとしてしまうかもしれないからな」


 その言葉に、少女は僅かに表情を硬くしたが、抵抗はしなかった。

 女魔王の静かな威圧に少女は観念すると、瞳を伏せ、押し殺したような声で、全てを語り始める。


「王城へ着いて、すぐに貴方と引き離されたのは、ご存知の通りです」


 その言葉に女魔王は同意を返す。

 思い返せば、あの時の勇者達も、引き離される事に困惑していた表情を浮かべていたので、彼等にとっても想定外だったのかもしれない。


「私達は、まず国王陛下と対面することになりました。しかし、面談で使われた部屋には仕掛けがあり、突然毒ガスが注入され、そこにいた陛下……いえ、国王のや、茶の準備をしていた侍従、勇者パーティーの抹殺が謀られたのです」

「は?」

 

 女魔王の目に驚愕の光が走り、思わず間の抜けた声を上げてしまう。

 少女は更に悲痛な事実を続けた。


「本来なら毒だけでは、私達はそう簡単にやられはしません。しかし、王城内で、しかも国王との面会という最も油断してしまう場所でこんなことがあろうとは、誰も予想だにしていなかった。故に、動揺もあって、私達の動きは極端に鈍ってしまいました」


 少女は続ける。


「それに加えて部屋にいた侍従──いえ、あれは恐らく死を前提にした死兵でしょう。彼らは毒で死にゆきながらも、私たちにしがみつき、『封魔の首輪』の劣化コピー品を次々に嵌めていったのです。これによって、私たちは揃って弱体化され……後から入ってきた防毒マスクを被った刺客達によって……そのまま……」


 少女は、ついに言葉を途切れさせたが、その瞳が語る内容は明確だった。

 勇者パーティーは、暗殺された。

 その事実に、女魔王の全身に雷のような衝撃が走った。

 彼女は、あまりの衝撃と信じがたい現実に、掴んでいた少女の胸倉を、思わず手放してしまった。自由になった左手は、そのまま顔を覆う。

 何という、無残で、卑劣で、そしてあまりにも手際の良い作戦だろうか。

 彼女は、頭の中で全ての時系列を整理した。

 引き離し、毒ガス、死兵の特攻、『封魔の首輪』のコピー品、そして暗殺。


「……最初から、国王は裏切るつもりだったのか」


 女魔王の唇から、絞り出すようにその言葉が漏れた。

 これだけ手の込んだ仕掛けを即座に用意できるはずもない。ずっと前から計画し、準備が進められていたのだろう。

 この綿密な計画と、勇者という人類の英雄を平然と葬り去る冷酷さを目の当たりにし、彼女は改めて人類の盟主たる王国の、底知れぬ悪意を実感するしかなかった。

 女魔王は、顔を覆っていた左手をゆっくりと下ろすと、目の前の悲嘆に暮れる少女を見つめ、静かに尋ねた。


「では、何故お前だけは助かった?」


 斥候の少女は、深く息を吐き出した。

 それは、彼女がまだ生きていることの、痛々しい証拠のようだった。


「私はあの時、もうどうしようもないと悟ってしまいました。だから、歯の奥に仕込んでいた秘薬を噛み砕き、服用したのです。それは通称『仮死薬』と呼ばれるもの。服用すると身体を一種の冬眠状態にするもので、これにより、先に散布された毒ガスによってやられたと、をしました」


 もちろん、それは命懸けの賭けであった。念の為にトドメを刺される可能性も、即座に死体を処理されてしまう可能性もあった。だが、少女はその賭けに、皮肉にも勝つ事ができた──否、勝ってしまった。

 そして、少女が再び意識を覚醒させた時、彼女は信じがたい状況に置かれていた。


「次に目を覚ました時、私達は──私と勇者パーティーの皆は、既に地中深く、埋められた後でした。空気はほとんどなく、窒息寸前。しかし、幸いというべきか、折り重なった勇者達の肉体と肉体の間に、わずかな空間ができていた。そのお陰で、かろうじて呼吸ができ、身動きも取ることができました」


 そうして、何とか地上へと這い出た時、空はすでに夜の闇に包まれていた。

 だが、這い出た場所を見て彼女は更に驚いた。

 そこは王城裏手にある、侍従や下働きなどの身分の低い者達が共同で利用する、粗末な墓地であった。


「あの勇者達を、こんな場所に雑に埋め、弔いすら感じられない後始末。その事実こそが、この王国の悪意の深さと、私達が人類に利用され、嘲弄されていたのだという絶望を、私に突きつけました」


 その言葉には、英雄の死に報いることもできない、敗北者の悲痛な怒りが込められていた。

 女魔王は少女の証言を深く受け止めていた。

 その表情は、もはや怒りというより、深い虚無と冷徹な現実認識に満ちていた。


「なるほど。この国の王は、たかだか目先の権力闘争と、敗者の晒し者という卑俗な余興のために、あっさりと勇者達を切り捨てたのだとすれば……」


 女魔王は、深く、深く、息を吐き出した。


「この王国は、腐りきっているにもほどがある」


 もはや、勇者が目指していた共存の可能性も、人類との和平の道も、全てが絶たれた。目の前で、真の敵が、その醜い本性を露呈させたのだ。

 女魔王の冷徹な断罪を聞いた斥候の少女は、次の瞬間、まるで張り詰めていた糸が切れたかのように、女魔王の胸に顔を埋め、激しく震え始めた。

 彼女の顔は見えない。しかし、女魔王の服をきつく握りしめるその手の震えと、肩から伝わる熱によって、彼女が耐えきれない悲嘆に打ちひしがれている事が伝わってきた。

 少女は、嗚咽に塗れながら、途切れ途切れに言葉を絞り出した。


「勇者も、聖女も、聖騎士も、賢者も……皆、死んでしまった……っ!」


 次の瞬間、少女の胸の内にある、もう一つの個人的な悲しみが噴き出した。

 彼女は女魔王の胸にしがみついたまま、呻くように、悲鳴のようなその言葉を吐き出した。


「私はまだ、あの人に想いを告げてなかった……! それが叶わないと分かっていたけど、せめて最後に、振って貰うことさえできなかった……っ!」


 女魔王はその告白を聞き、「そういえば」と合点がいった。

 王都への道中、傍から見ていただけに過ぎないが、この少女が勇者に深く恋い焦がれていたのは、何となく察する事ができていた。肝心の勇者は、幼馴染の聖女と親密な雰囲気にあり、少女の秘めた気持ちに気付いていたかは怪しいものだったが。

 それでも、少女にとっては、失恋という区切りをつける事で、その感情を乗り越え、新しい人生へと歩みを進めようと思っていたのだろう。しかし、そのわずかな未来への可能性すら、卑劣な暗殺によって奪い去られたのだ。


 一通り、胸の内で全てを吐き出すように泣きじゃくった斥候の少女が、静かに顔を上げる。

 その表情を見た女魔王は、思わず背筋が凍る思いがした。

 少女の顔は涙の痕で濡れていたものの、先ほどまでの悲嘆や怒りといった、人間的な感情が全て抜け落ち、石膏像のように虚ろな無表情と化していた。


「ねぇ、……これからはどうなされるのですか?」


 女魔王はその問いに、躊躇なく即断した。


「決まっている……『復讐』だ!!」


 その声は、森の闇を切り裂く、新たな戦いの宣誓であった。



 ◇ ◇ ◇



 女魔王の宣誓を聞いた後、少女の虚ろな瞳に決意の光が新たに灯った。

 彼女は女魔王の胸倉から手を離すと、再び残りの拘束具を壊していく。

 やがて鎖と枷から解放されると、女魔王はようやくその足で大地を踏みしめる事ができたが、『封魔の首輪』は彼女の首に残されたままだった。

 斥候の少女によれば、女魔王のものは『女神』の加護が付与された特別性で、壊すのは不可能だという。しかも鍵は五本あり、勇者一行の者達がそれぞれ管理する事になっていた。

 斥候の少女が隠し持っていたもので若干封印を弱める事はできたものの、それ以外の鍵は王国に回収されてしまったらしい。


 謝罪の弁を述べる少女に対し、女魔王は僅かでも力を取り戻せたので充分だと慰めた。

 だが、女魔王は表情を即座に冷徹な支配者のものへと引き締めると、少女に向き直った。


「これより、新生魔王軍を結成する」


 彼女は、全てを失った少女の目を見据え、その忠義と決意に応える、最高の栄誉を与える事にした。


「魔王が告げる。私と共に復讐の道を行け。新生魔王軍、その四天王の一角を其方に任じよう」


 その言葉は、悲しみに打ちひしがれていた少女を、一瞬にして、新たな使命を持つ戦士へと変貌させた。


「謹んで拝命いたします」


 斥候の少女は地面に深く跪き、人類のそれではなく、魔族側の軍勢が主君へと捧げる最上の敬礼を取った。

 その姿は、人類の英雄の斥候ではなく、復讐に燃える魔王の忠実な将であった。


 その光景に満足した女魔王だが、ふと足元の巨大なX字状の磔台に目が留まった。手足用の枷が壊された今、それはただの無様な木製のオブジェに過ぎない。

 だが、女魔王は地面に手を伸ばし、その磔台の交差部分を掴むと、そのまま肩に担ぎ上げた。戻った魔力を全身に巡らせれば、その重さも苦にはならない。

 斥候の少女は、驚きと戸惑いから問い掛けた。


「魔王様、それは、何をするおつもりですか?」


 女魔王は、担いだ磔台の先端、かつて己の四肢が繋がれていた部分を力強く掴み、冷たい笑みを浮かべた。


「決まっておるだろう」


 彼女の瞳は、王都の方向を見据えていた。


「この磔台に、あの腐りきった国王を括り付けて、人類全てに見せ付けてやらねば、の気が済まぬからな!」


 復讐の誓いを新たにし、女魔王は闇の中を歩き出す。

 その背には、屈辱の象徴であり、今や復讐の旗印と化した、巨大な磔台が聳え立っていた。

 彼女たちの旅路は、まず『封魔の首輪』の封印を解く術を探すことから始まる。

 力を完全に回復させ、魔族領に戻り、魔王軍の残党を集める。

 そして、その先に繋がる、王国への血の復讐への道が、今、開かれた。



 ◇ ◇ ◇



 王都での事件から、どれほどの時が経っただろうか。

 人類がようやく掴んだの日々に、静かな陰りが見え始めていた。


「あれは、まさか! 『血染めの磔台ブラッディクロス』だと!?」


 ある戦場で王国の兵達が驚愕の声を上げながら、無惨にも殴り飛ばされ、抉られ、叩き潰された。

 それは最近、各地で発生する要人襲撃や魔族の収容所への強襲事件で目撃されるようになった、謎の賊が持つ武器──いや、赫黒い巨大な磔台の呼称。

 剣や槍で受け止めようとすれば、魔力を纏った大質量の前にその武器はへし折られ、骨までもが砕け散る。身を護るはずの鎧でさえ、その一撃の前には紙屑同然でしかなかった。


 X字状の巨大な磔台を振り回し、嵐のように暴れ狂う女魔族。

 そして、それに付き従う暗殺者の少女。

 

 その二人組は王国各地を襲撃し、囚われていた魔族や不満分子を解き放ちながら、やがて大反乱を扇動していく。

 魔族の女──否、女魔王は肩に担いだ磔台を、まるで誓いの剣のように強く掴み、静かに、しかし王都に届かんとばかりに強い意志をもって宣言した。


「待っているがいい。必ず、この磔台で貴様らを屈辱と絶望の底へと叩き込んでくれる」

 

 未だ『封魔の首輪』は外れておらず、復讐の道は、まだ始まったばかり。

 これからその道が、王都の運命、そして世界の歴史にどう繋がっていくのかは、まだ誰にも分らない。



【 エピソード完 】



 ◇ ◇ ◇



あとがきは近況ノートへお願いします

https://kakuyomu.jp/users/SAIFISU/news/822139840528449592

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