賭け

 再会したての頃は正直、登にだって余裕はなかった。しかし少なくともひと月前はもう、それができるだけの関係は取り戻せていたはずなのにと、そう感じたのは登の独りよがりだったのだろうか。


 どうしたって確執がなくなるわけではない。思い出せば嫌悪が湧くのも仕方ないだろう。それでも、登は許すと言ったし、そこに偽りや誤魔化しの気持ちなどなかった。なのに許すなと突っぱねたのは相馬のほうで、あれは今でもまったく理解ができていない。


 何がしたかったんだよと本人を睨むように遺書を睨んでも、文の中の相馬はただ苦笑いを浮かべるだけで、答えなどくれるはずもなかった。


 ――『最後にひとつ、賭けをしようと思う』


 ひと月前に告げられたのと同じ、柄じゃない言葉が綴られている。顔をしかめた登に、何故か当人は妙に吹っ切れたような笑みで瞳をなごませる。


 ――『あの日の弁天台場で起きたことを、お前は忘れていないだろう。私も忘れられなかった。ずっと、お前に顔向けできなかった』


 そんなのは知っている。でも、だから許したじゃないかと苦く歯噛みしたところで、もはや登の想いなど届くことはない。


 ――『中島。もし今、「あの時のことに、お前の知らない真実があった」と言えば、お前は信じるだろうか』


「は?」


 つい、声が漏れた。


 ――『行方不明となった土方さんの居場所を、今となっては唯一、お前だけが見つけられる立場にあるのだと言ったら、お前は信じるだろうか』


「何?」


 ――『信じたとして、結果、私はもう一度お前を傷付ける。それを踏まえた上でも、お前が私を信じるか、信じないか。それが私の、生涯、最初で最後の賭けだ』


 登は呼吸を忘れ、息を詰めた。


 遺書を握る手がどうしようもなく震え、文が歪み、紙に大きな皺が寄る。


 それでも相馬の言葉は変わらず落ち着いて、ただ、後悔と心配と親愛をすべてごった煮にしたような笑みが、文字の向こうに透けていた。


 ――『唯一無二の友垣と慕うお前の大切に想うものを、何ひとつ守れない、甲斐ない男ですまなかった。私のことは一生涯、許さなくていい』


 言葉はそこで終わっていた。身震いの止まらない手で握り続けていては遺書を破ってしまいそうで、どうにか半ば取り落とすように指を開く。泥沼の染みの上に、かさりと乾いた音を立ててそれが広がり落ちる。


「……何が賭けだ」


 誰が聞いても頼りないであろう、掠れた声が追ってこぼれ落ちていく。


「今さら何なんだよ。相馬、お前……何がしたかったんだよ」


 どんなに切に問うたって、二度とあの声は返ってこない。


 登はうずくまるように、遺書の横、乾いた血の上に身を横たえた。座っているだけではわからなかったが、乾き切っているはずのそこには、まだわずかに鉄生臭いにおいが染みている。吐き気を誘う生々しいにおいに、しかし相馬の命の欠片がまだ残っているような気がして、額をこすりつける。


 ――本当に、何もわからない。


 迷いと後悔と憤りばかりが胸に渦巻いて、傷になるほど唇を噛み締める。それでも何ひとつ気は晴れなくて、きつく目を閉じる。


 その日はそこで眠った。


 けれど相馬が夢枕に立つようなこともなく、翌朝の日差しが、ただ目に痛いだけだった。

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裏切りは墓場まで-新選送葬- 弓束しげる @_shigeru_

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