あなたは私の星

小鹿野

第1話




「星が落ちてくれば良いのに」


 真っ暗な空に向かって真っ直ぐと手を伸ばし、そんなことを言った。

 星なんて落ちてくるわけがない、ましてやこの真っ暗な空に見える星は僅かなもので、目に見えるものはほとんどない。


「急にどうしたの?」

「星が落ちてくれば願いが叶うと思って」


 微笑む彼女は長らく外に出れていない。

 彼女がこの部屋の真っ白なに閉じ込められてもう数ヶ月。この部屋に入った時はまだ夏の暑さが厳しかった頃で、今はもう外には青々とした緑や茹だるような暑さもなく、ましてや赤々と色づく木々も、落ち葉を舞わせる木枯らしも何もない。寒さが厳しい季節は容赦なく身体だけでなく、心までも凍えさせるのかもしれない。

 此処に彼女がいる理由は不明だ。突然倒れて意識を失って、そのままこの部屋の主になったらしい。命に関わるような病気ではなかったことに彼女の両親は喜んだらしいが、彼女は嬉しそうではなかった。

 理由はやはり不明だ。


「願いたいことがあるの?」

「それはたくさんあるよ」

「教えてよ」

「嫌」


 以前此処にいる理由を訊ねた時も彼女はそう言って何も教えてくれなかった。それでも変わらず此処にいて、何をするわけでもなく窓の外を見ては溜息をついたり、本を読んだり、はたまた布団を目深に被って眠ったり……とにかく一日を有意義に過ごしている。


「君はいつも教えてくれないよね」

「願い事は言ったら叶わないから」

「叶うこともあるかもよ?」

「叶ったことがないもの」


 悲しそうに、諦めたように彼女は言う。心の底から願いは叶わないと信じて、諦めているのが見ていてわかる。

 確かに願い事は早々叶うものではない。努力しても叶うこともあれば、そうでないこともある。むしろ叶わないことのほうが多くて、諦める人を見てきた。


「努力をすれば叶うなんて……有り得ない」

「有り得ないなんてこと、有り得ないんじゃないの?」

「私の願い事はもうずっと叶わないもの」


 そう言って彼女はまた窓の外を見上げる。

 視線の先にはやはり真っ暗な空、何もない。ただ塗り潰されたような黒が広がり、街の煌びやかな明かりが僅かに見える星の光さえも霞ませている。もしかしたら彼女の瞳には何か見えているのかもしれない、それこそ眩い銀河が見えているのではないだろうか。

 きっとそんなことはないのだろうけどそう笑い飛ばしてしまいたくなるほど、彼女はこの数ヶ月で笑うことがなくなった。

 彼女が笑わなくなってしまった理由もわからない、とにかく自分にはわからないことだらけで手詰まりだ。

 正直、どうしたら良いのかわからない。


「星が……あの星が落ちてくれば私の願いは叶うの」


 そう言って彼女は今日も星に手を伸ばす。













 目を覚ましたら此処にいた。

 真っ先に視界に入ったのは真っ白な天井で、私の周りにはたくさんの機械と管、絶え間なく聞こえる規則的な音、そして安心したような両親の表情。

 何があったのか、どうして此処にいるのかわからない。頭が働かないと言うのもそうだけれど、あの時は混乱していたのだと今考えるとそう思える。

 自分の置かれている状況は身体に繋がれている機械や管が一つずつ減っていく度に理解し始めた。痛む身体や長い時間眠っていたから動かすことを忘れられていた手足が悲鳴を上げる度、嫌でも理解させられたと言うのが正しいのかもしれない。

 私は、夏のある日事故にあった。

 見晴らしの良い道路と言え、何があるかわからない。あの日私を含め、その場にいた人間は歩道に突っ込んできた車に轢かれたらしい。怪我人は多数、擦り傷程度の人もいれば私のように重傷を負った人もいる。

 そう、ネットニュースに書いてあった。

 その中の一文、死者は二名。その横には運転していた人の名前らしきものと、そしてもう一人。

 見慣れた名前がそこにあるなんて信じたくなんてなかった。


「何してるの?」


 泣いて、泣いて、このまま死んでしまおうかと思ったとある日。それは突然現れた。

 真っ白な無機質なこの部屋に、見慣れた彼の姿が現れた。

 彼は私が入院をしていることを聞きつけてこっそりとお見舞いに来た、笑ってそう言った。

 最期に見た時は浴衣だった。少し渋めの色合いで、お祖父さんのお下がりを借りたと照れくさそうに笑っていたのに今は制服姿で、あの日のまま彼は私の前に現れた。


「泣いてる……?」

「泣いてないよ、目にゴミが入っただけ」


 理由はわからない、これが幻でも幻覚でも何でも良い。もう一度彼に会えたのだからそれで良かった。だから何としてでも気づかれちゃいけないと思って、その日から私は泣くことを止めた。

 話していくうちに彼は私と付き合っていたことも、あの日に一緒に出掛けたことも何も覚えていないことがわかった。ましてや自分の名前すらあやふやで、それなのに私のことは大切な人と認識していて……それだけでもうその場で泣きそうになった。泣いて、泣いて、彼の名前を呼んで今すぐにでも触れてしまいたくなった。

 茹だるような夏が終われば、赤々と木々が色づく季節が来る。

 昼間に彼は姿を現すことはないからただ夜になるのを待つだけの私に彼の両親が面会に来た。

 合わせる顔なんてないし、正直会うのは怖かった。私だけ、生き残ってしまった。彼は死んだのに、私だけ……

 そんな気持ちは彼の両親と話していくうちに無くなったことは言うまでもなく、言われた言葉とあの事故のことと、そして……


「何食べてんの?」

「金平糖」

「夜に食べると太るよ」

「うるさい」


 噛み砕くと砂糖の甘さが口の中に広がった。

 その甘さが優しすぎて、泣いてしまった。


「え、泣いてるの……?」

「……うるさい」

「相変わらず泣き虫だよなぁ」


 ぎっ、と沈むベットの音や隣に座る彼の重みも、肩に触れた手の温もりも全部私の気のせいや思い込みだったかもしれない。

 それでも彼が隣にいて、泣いている私をいつものように慰めてくれていることだけは確かで、それがまた余計に私の涙を溢れさせた。

 その日から一つ、また一つと金平糖を食べる度に彼は自然に私との思い出を思い出し始めてしまった。それが偶然なのかはわからない、でも恐ろしくて食べるのを止めたら彼は姿を見せなくなってしまって……会いたくてまた一つ食べてしまった。

 金平糖を食べた日の夜は彼に会える、けれど無くなったら?

 今度はその恐怖に震える日々が始まった。


「本当金平糖好きだよね」


 彼がそう言ったのは冬の始まりの日。

 彼が私の元に現れてから数ヶ月、夜にだけ彼は現れ


「ほら、買ってきた」


 そう言って彼は自分のポケットから金平糖の袋を取り出すと私の手に乗せてくれた。当然のことだけれど私の手の上には何もない、それなのに重みを感じるのは何故なのだろうか。何かの本で頭は嘘をつく、そう見たことがある。だからこれは都合の良い私の妄想の類だとしても、目の前にいるからも手の中にある金平糖も“現実”のものなんだと思う。


「なんで金平糖が好きなんだっけ?」

「秘密」

「教えてよ」

「嫌」


 言えるわけない。ずっと秘密にしていたことだし、ましてや今の彼には尚更言えるわけもない。だから私ははぐらかし、誤魔化すように窓の外を見た。

 真っ暗な空の中に僅かに光る星、でもその星々も街の眩さに負けて姿を隠してしまっている。それでも私の目には見えてしまう。いつも、いつも探していて、見つけた星。


「星が落ちてくれば良いのに」


 思わずそう口にしてしまったのは金平糖の数が減り、彼も私との思い出もかなりの数を思い出した頃。

 冬の寒さが厳しくなったある日。


「急にどうしたの?」

「星が落ちてくれば願いが叶うと思って」


 咄嗟に答えた言葉に腑に落ちない表情で彼は考え込んでしまった。


「願いたいことがあるの?」

「それはたくさんあるよ」

「教えてよ」

「嫌」


 何度目かわからない、私達にとってはお決まりになっていたやりとりをしてしまう。このやりとりをするのは何度目だろう。思い出せないほどたくさんして、もう二度と出来ないと思っていたのに今も出来ている。


「君はいつも教えてくれないよね」

「願い事は言ったら叶わないから」

「叶うこともあるかもよ?」

「叶ったことがないもの」


 いつも教えなかったのは恥ずかしかったから。どうしても言えなくて妙な意地を張ってしまっていたから言えなかっただけ。

 そして願い事は言わなくても彼が叶えてくれていたから言ったことがなかった。

 何となくだよ、なんて何でもないことのように言って、照れながらも彼は私の願い事を叶えてくれていた。だから願い事を口にする必要もなかったし、口にした時ほど願い事ほど叶わなくて、また口にしなくなってから願い事は叶ったから言わなくなっただけ。


「努力をすれば叶うなんて……有り得ない」

「有り得ないなんてこと、有り得ないんじゃないの?」

「私の願い事はもうずっと叶わないもの」


 努力をすれば叶うなら努力をする。でも私の願い事はそんなことをしても叶うわけがない。

 もう絶対、二度と叶うことはないんだ。


「星が……あの星が落ちてくれば私の願いは叶うの」


 目の前に広がる星は彼には見えない。

 私にしか見えない、たった一つの星。
















 夢を見た。

 彼と私がまだ小さかった頃の夢だ。

 夏祭りの夜、二人で迷子になったことがあった。その時の私は親と逸れた不安からずっと泣いていて、せめて彼だけは何処にもいかないようにと彼の服を強く握り締めていたことを覚えている。その手を離すのが怖かった、とにかくずっと一緒にいたかった、それだけは覚えている。

 そんな私に彼はポケットの中から小さなガラスの瓶に入った金平糖をくれた。

 これもずっと一緒にいるから僕達も離れない。

 そんな気休めみたいなことを言って、私を慰めてくれた。

 その日から私は金平糖が好きになったし、自分の名前も誇らしく思えた。あの日から金平糖を見るたびに彼の名前を思い出すし、あの時に貰ったガラスの瓶は今も大切に飾っている。

 金平糖は優しい甘さだったから彼の優しさにも似ていて、食べるたびに心がむず痒くなった。悲しい時、辛い時、金平糖を食べればその優しい甘さと共に彼の優しさも感じられるような気がしたし、彼も覚えてくれていたのか私に金平糖をくれていた。

 大事な、大事な思い出。

 本当に彼の言葉のように“私”の中に彼を閉じ込めてしまえればこんなことにはならなかったのに。


「……すばる……」


 窓から差し込む陽射しがガラスの中に残る僅かな星を照らす。陽の光を反射させることもないこの星をいつまでもいつまでも閉じ込めておきたい。もう一度あの星を私の側に……


「私の願い事はもう一緒叶わないんだよ」


 夜空に浮かぶ星が見えないように、私の瞳だけに映る星はもう二度と私の元で輝くことはない。

 本当に彼は、夜空の星になってしまった。

 あの星が落ちてくれば良いのに、きっと私は今日もそれを彼の前で願い、そして彼を困らせるのだろう。口にしてしまえば叶わないとわかっていても口にせずはいられなかった。

 でももう一つ願うのならば、あの事故の前に戻りたい。

 それは叶いもしない願い事だとしても、それだけはどうしても口にすることは出来ない。願掛けなのかもしれない、無駄な機体なのかもしれない、それでも言葉として心の外に出すのが恐ろしい。ましてや、言葉にしてしまえば彼が消えてしまう気がして恐ろしい。

 涙が溢れそうで、近くにあった小瓶に手を伸ばし、震える指先で星の塊を口に放り込む。転がすだけで、心が落ち着いてくる。噛まないように大切に大切に口の中で転がすけれど、不意にその塊を噛み締めてしまった。

 かりっ、と噛み砕いた金平糖がほろ苦く感じたのは初めてのことで、外の景色のように心が冷えていく。

 あとどれくらい……そんなことを考えるようになったのはいつの頃からか。

 また、星が落ちてくることを願ってしまう夜が来る。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたは私の星 小鹿野 @shica8bambi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る