ぼくはお前だ、お前はぼくだ

干蛸

ぼくはお前だ、お前はぼくだ

 いまから恥ずかしいことを書くけど、よかったら読んでほしい。

 ぼくはぼっちだ。クラスで孤立している。いじめられているわけでもなく、悪口をささやかれているわけでもなく、ただクラスの中でいない人、空気、そういう扱いだ。もう慣れた。

 成績も中庸。これがもっと良いか悪いかで目立てば教師の視界に入るのかもしれないが、そのまま放っておけばなんとかなりそうな生徒というのは、教師の視界からも外れる。


 学校に来てすることがない、というわけでもない。本を読むのは好きだ。

 でもひと気のないところで読みたくはある。ぼくに全く関心のない人たちの喧騒を好ましくおもえるわけがないのは、わかってもらえたらうれしい。

 校庭のすみっこ、屋上への登り口に窓があって読書に十分な明るさがあるところ。

 明るいところであれば、どこでもできるのが読書という趣味だ。

 最近はめっきり寒くなってしまったので、自然と校庭を避け、屋内。窓があって日が差すところ、人気のないところで本を読む。


 同じようなことが続くなか、ある日、変化があった。

 いつも本を読む屋上への上り階段。そこにいわゆるエロ漫画雑誌がうち捨てられていたのだ。あ、うち捨てられている、と言葉が浮かんだが、ここはうち捨てられたものがたどり着く場所なのかもしれない、と苦笑した。雑多な漂着物がそのままに放置された砂浜を想像した、そのなかにぼくもいる。

 汚いものかどうかを案じた。というのも、内容の清潔さはともかく、物理的に汚損しているなら不快な気持になったろうという意味。状態は悪くなさそうだ。これはどうやら読み捨てされた、もの珍しさで消費されただけのものらしい。恐る恐る手に取る。


 COMICフェアリーという雑誌は、当然ながら扇情的なイラストが表紙を飾っていた。

 読書経験のなかでも、ライトノベルの表紙や挿絵できわどいものがあるのは目にしてきた。意外と知られていないかもしれないが、純文学でもエロティシズムをテーマにした作品はおおく、そういう作品たちをよんで、エッチだなと感じることは少なくない。

 しかしこうダイレクトに視覚に訴えかけてくるものは、物珍しさもあって興味をひかれた、内容を知りたくなった。きれいな表現をえらんでしまったが、年齢相応、性別相応の胸の高鳴りがあったことは否めない。

 とりあえず学校でこれを読むのはふさわしいことではない。さすがにこの現場を確保されたら言い逃れはできないだろう。まわりを見渡して、すばやく鞄に差しこむ。


 夜が更けて、両親も寝静まったころに鞄からそれを取り出し、中を開いてみた。

 巻頭をかざるのは、女性の胸の大きさにとことんこだわったようなハイテンションな漫画だった。なるほど、やっぱりそうなるのか、と少し笑った。そういうのが好きなひと向けの雑誌だったな、と実感する。

 いくつかぱらぱらとみれば、はやりのアニメ調、ちょっとホラーテイストなもの多少犯罪性のあるものなど、さまざまな種類の漫画があった。

 雑誌の巻末あたりに配置されたひとつの漫画が気になった。

 ちょっと線が細くて、背景なども細かく、表情の表現も繊細だ。絵がうまい作者だなとかんじた。

 ただほかの漫画とくらべればエロティシズムがすくない。またセリフもおおいし、行為するページも他に比べれば少ない。文学性があるなとおもったが、よく言い過ぎだろうか。

 漫画雑誌は巻頭に人気作品、巻末にはそうでない作品が掲載されると聞いたことがある。だからこの漫画はたぶん人気がないのだろうとおもった。

 その漫画を読んで、どことなく後ろ髪がひかれるものがあった。


 雑誌の巻末に目次があって、それぞれの漫画に作者がひとこと添えられてある。

 その巻末の漫画の作者の一言が

「俺はお前だ、お前は俺だ」

 だった。簡単に意味がはかりかねるが、さまざまな含みがあるように感じた。

 そしてぼく自身に語りかけられたもののように感じた。すこしばかり運命的な言葉との出会いなのかとおもうところがあった。

 ひと気のない場所にうち捨てられた漫画雑誌、その中でも繊細でかつ、人気がない、境遇への共感があったのかもしれない。

 デスクからカッターナイフを取り出して、その漫画、その目次ページだけを切りだして、クリアファイルブックに収めた。

 雑誌は悪いけどどこか、ひと気の少ないゴミ箱で処分することにした。


 半年ほどが経った。よく立ち寄るコンビニエンスストアでの出来事。

 雑誌などを置いている棚。メジャーな青年向け漫画雑誌の表紙に、その漫画の作者名が中くらいの文字で書かれていた。

 いくつもの作品が映画化やドラマ化されるような、だれでも名前を知っているような青年向け漫画雑誌。

 おもわず手に取ってそのページを探す。まぎれもなく同じ作者だった。あの絵柄、あの線のタッチ。青春の物語だった。波乱な時代におかれた少女の物語で、一話だけでも十分惹かれるような、先がとても気になる漫画だった。

 そういうこともあるのか、と驚いた。

 雑誌の一番奥にうち捨てられていたわけではなかったんだ。誰かがそれをしっかり読んで、才能を見出して、一流の雑誌でデビューする。

 おもわず目次に作者のひと言をさがした。

「メジャーデビューできてうれしいです。機会を大切にしたいです」 

 とあった。あらあらしさを感じたあの言葉からは一転している。初々しさがあった。


 ぼくも、とおもった。これは機会だ。ぼくも変わる機会なのだと。

 とりあえず、志望校のランクを一つ上げてみようという目標をつくった。

 そうして自分の居場所というものがかわれば、またものの見方や言葉もかわるだろう。

 ぼくも自分なりのベストを目指していれば、誰かの目に留まるかもしれない、という期待があった。

 目立たなくていい、できるかぎりをつくして、機会を待って、新しい何かを得たら、誰かに言葉をつなげていきたいとおもう。

 これを読んでいるかもしれない、ぼくのような誰かに向けて

「ぼくはお前だ、お前はぼくだ」

 と。

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