第11話 社交訓練/王城の空気は“戦場”と同じだ
王都行きの書簡が届いたのは、その二日後だった。
午前の座学が終わった直後。
教室の扉が静かに開き、学園執務棟の職員と──見慣れない紋章をつけた男が入ってきた。
銀糸で縁取られた黒い上着。
胸元には、翼と塔を組み合わせた紋章。
(ヴェルンハイト侯爵家の徽章……エリシアの実家)
教室内の空気が、わずかに変わる。
「リュクス=ハルト様。
ヴェルンハイト侯爵家よりの使いです。
放課後、執務棟の応接室までお越しください」
男は、事務的な口調でそれだけ告げると、軽く一礼して出て行った。
ざわ、と教室が揺れた。
「今の、ヴェルンハイトの紋章じゃないか?」
「婚約関係、やっぱり続いてたんだ……」
「でも“見直しもやむなし”って噂、聞いたぞ」
視線が、一斉にこちらへ向く。
露骨な好奇心。
打算。
それに、ごく少しの同情。
(“処刑ルート”の影は……まだ残ってる)
婚約見直し。
それは、そのまま処刑フラグの強化に繋がる。
だが、今は違う。
少なくとも学園内の破滅ルートは、大きく削った。
(ここからは“王都フェーズ”だ)
剣の柄に添えた指先が、わずかに震えた。
鞘の中で層が揃い、静かに鳴る。
段階1の光膜が、“落ち着いている”感触。
◇
放課後。
学園執務棟の応接室は、普段より少しだけ空気が重かった。
窓には厚手のカーテン。
机は磨き込まれた黒い木。
壁には、王都と貴族領を示す地図。
その中央に、さきほどの男が立っていた。
「お時間を頂き、ありがとうございます。
ヴェルンハイト侯爵家・家令代理のクラウスと申します」
年は三十代半ばといったところか。
落ち着いた雰囲気。
目の奥に、油断のない光。
(……側近の中でも“実務側”だな)
礼儀を整え、軽く頭を下げる。
「リュクス=ハルトだ」
「本日は、二つの用件がございます」
クラウスは書類を一枚取り出し、机の上に置いた。
「一つ。
先日の学園における一連の騒動について、侯爵家は“経過観察”と判断しました」
「……処罰ではなく、観察か」
「ええ。
現時点で、ハルト様側に明確な“決定的落ち度”は見られません。
ただし、学園内での評判や行動履歴については、王都にて再評価されます」
前世の記憶と、少し違う。
あの時は──
この書簡がほぼ“破棄宣告”だった。
(裏庭イベントと、結界事件と、呪術兵……
あれを全部崩した結果が、これか)
処刑ルートの“傾き”が、確実に変わっている。
「そして二つ目」
クラウスの声が、わずかに硬くなった。
「来月、王城にて“若手貴族の社交交流会”が開かれます。
ハルト様も、婚約者候補の一人として参加要請が出ております」
「候補、か」
「現時点では、あくまで“候補”です」
クラウスは表情を変えず続ける。
「交流会までの一ヶ月──
王都側で、最低限の社交作法と立ち居振る舞いに関する訓練を受けていただきます」
「……学園では足りないと?」
「足りません」
即答だった。
「ここは“貴族の子弟の教育機関”ですが、王城社交は別格です。
王家の前。
王都三家門の前。
そして、大陸の他国からの使節も来る場ですから」
(他国の使節……
後の“外部因果”絡みとも、どうせ繋がる)
前世のゲームでは、ここが大きな転換点だった。
王城交流会での“失態”。
それが、処刑ルートを太くした。
「訓練の場は、王城外縁部の礼法棟になります。
週に一度、学園から通っていただく形です」
「分かった。
拒否権は?」
「ありません」
やはり、そうか。
クラウスは一枚の通行証を差し出した。
王都の紋章と、エリシア家の徽章が並んで刻まれている。
「これを提示すれば、王城外郭までは自由に出入り可能です。
ただし──」
「王城内部は、許可された範囲のみ、だな」
「ご理解が早くて助かります」
クラウスが、少しだけ表情を緩めた。
「……ひとつ、個人的な助言をしてもよろしいでしょうか」
「聞こう」
「ハルト様」
彼は言葉を選びながら、ゆっくり続けた。
「王都は、学園よりも“噂”の巡りが早い場所です。
あなたがここ数日で積み重ねた行動も、すでにある程度届いています」
「良くも悪くも、か」
「ええ。
ですから、くれぐれも──
“王城で、学園と同じ戦い方をなさらぬよう”」
それは、忠告というより、確認だった。
俺は少しだけ笑う。
「心配するな。
王城は“別の戦場”だと理解している」
「……それなら結構です」
クラウスは深く一礼し、応接室を後にした。
◇
初めて王城を間近に見たのは、それから一週間後だった。
王都行きの馬車の窓から見える城壁は、学園の比ではない。
厚く、高く、魔術刻印の層が幾重にも走っている。
門前には、鎧姿の近衛が整列していた。
制服は学園と似ているが、纏っている空気が違う。
(“実戦を経験している兵”の動きだな)
視線の流し方。
僅かな重心移動。
どれも、前世のゲームで見た“王都防衛戦”の兵たちと同じだ。
通行証を提示すると、門番は一瞬だけ目を細め、すぐに敬礼した。
「ヴェルンハイト侯爵家関係者。
礼法棟への通行を確認しました」
馬車が石畳を走る。
王城を取り巻く外郭区画に入ると、空気が変わった。
きっちり整った庭園。
同じ高さに刈り揃えられた木々。
歩く侍従たちの足音は、ほとんど響かない。
(整いすぎている場所は、逆に“ひずみ”が目立つ)
剣の柄に、そっと指を添えた。
鞘の中で層が揃い、微かに震える。
視界の端に、薄い線がいくつも浮かぶ。
魔力灯の結界。
防御陣。
通信用の魔術線。
(学園より、ずっと密度が高い)
だが──
その中に、一箇所だけ“濁り”があった。
王城本丸に近い、塔の根元付近。
そこだけ、魔力線の流れが渦を巻き、わずかに歪んでいる。
(……断層の“予兆”か?)
前世のゲームでは、王都断層事件が発生するのはもっと後だ。
今はまだ、一見平和な時期。
にもかかわらず、すでに“濁り”が生まれている。
(世界の進行が、前より“早い”)
剣の層が、低く鳴った。
警告にも似た振動。
(分かってる。
今はまだ、触れる段階じゃない)
視線を逸らし、馬車は礼法棟の前で止まった。
◇
礼法棟は、本城から少し離れた位置に建っていた。
外見は質素だが、扉や窓の細工は丁寧で、いかにも“訓練用の場”という雰囲気だ。
中に入ると、すでに数人の若手貴族が集まっていた。
上流貴族の子弟。
地方領主の跡取り。
中には、見慣れた顔もいる。
「……リュクス?」
同じ学園の貴族科に通う少年が、目を丸くした。
「お前も、ここに?」
「どうやらな」
彼は“問題児の悪役貴族”としての噂しか知らないはずだ。
それでも、あからさまな嫌悪は見せなかった。
それだけでも、最近の評価の変化が感じられる。
やがて、室内に一人の女性が入ってきた。
深い紺色のドレス。
髪は後ろできっちりまとめられ、動きに無駄がない。
胸元の徽章──ヴェルンハイト侯爵家。
「本日より、皆様の社交作法訓練を担当いたします。
ヴェルンハイト家付き侍女頭、マリアと申します」
声は柔らかいが、目は笑っていない。
(……側近の中でも“内側から人を見抜く役”だな)
エリシアの身の回りにも深く関わっているはずだ。
「まずは、王城での基本礼法から。
王家に対する敬意の示し方。
王女殿下、王子殿下方への序列。
各家門との距離感」
マリアは淡々と説明し始める。
頭を下げる角度。
視線の配り方。
会話の始めと終わりに添える一言。
「……ハルト様」
途中で、マリアの視線がこちらを刺した。
「そのままの姿勢で失礼します。
左手の位置が、わずかに高すぎます」
自分でも気づかなかった癖を、一発で指摘された。
(さすが、だな)
わずかに姿勢を修正する。
「そうです。
“威圧”と“無礼”は違います。
こちらの意図とは別に、相手がどう受け取るかを常に想像してください」
言葉そのものは柔らかい。
だが、その裏で俺を“測っている”のが分かる。
婚約者候補としての価値。
家門としての扱いやすさ。
危険度。
全部ひっくるめて評価している視線だ。
(前世の俺は、ここで何度も失敗した)
苛立ち。
反発。
自尊心。
それらを抑えられず、態度に出した結果、
「侯爵家の娘を任せられない」と判断された。
今は違う。
この場は、“戦場”と同じだ。
剣で斬る代わりに、立ち居振る舞いで斬り結ぶだけ。
◇
休憩時間。
窓際で水を飲んでいると、マリアが一人で近づいてきた。
「ハルト様」
「なんだ」
「僭越ながら……初回としては、思ったより“まし”でした」
随分な言い方だ。
「思ったより?」
「はい。
侯爵家に届いていた学園での噂と比べれば、ずっと」
悪役貴族。
問題児。
粗暴。
手がつけられない。
そういうラベルが、向こうに届いていたのだろう。
「噂と違っていたなら、少しは評価を上げてもらえるか?」
「噂と違う、という事実は。
それだけで一つの“材料”にはなります」
マリアは窓の外、王城本丸の方角を見る。
「……エリシア様は、学園でのあなたの振る舞いを、あまり良く思っておられません」
「だろうな」
前世の俺の行動を思い返せば、むしろ当然だ。
「ですが、最近の報告には、少しだけ“別の評価”も混じり始めています」
「別の?」
「暴走魔獣事件。
学園結界の件。
そして、裏庭での事故未遂」
マリアの目が鋭くなった。
「これらの詳細な経緯は、はっきりとした形では上がっていません。
ただ、“結果だけ”を見ると──
あなたは、周囲の生徒を守る形で動いている」
ソフィアと、ほとんど同じことを言う。
「偶然かもしれない」
「そうであっても構いません。
エリシア様のご判断は、“結果”を重視されますから」
そこで一度言葉を切り、マリアは小さく息を吐いた。
「……エリシア様は、婚約を“完全に否定”しているわけではありません」
「ほう」
「ただ、“現状のままでは無理”とも仰っている」
それはつまり──
まだ“ひっくり返す余地”がある、ということだ。
(処刑ルートの芯は、やはり婚約か)
王都。
三家門。
断層。
そのすべてに繋がる軸。
そこを折らずに世界を守ることはできない。
「……忠告、感謝する」
素直にそう言うと、マリアは意外そうに目を瞬いた。
「意外ですね」
「何がだ」
「あなたはもっと、こう……
“分かっている、放っておけ”と返す方かと」
「昔の俺なら、その通りだった」
苦笑する。
「だが今は、処刑台に上る趣味はない」
「……」
マリアは少しだけ黙り、それから、ごくわずかに微笑んだ。
「その言葉が本心かどうか。
今後の訓練で、ゆっくり拝見させていただきます」
◇
その日の訓練は、形式的な挨拶と所作が中心だった。
立ち上がる角度。
歩幅。
扉の開け閉め。
椅子に座るときの目線の位置。
馬鹿らしいと感じる奴もいるだろう。
だが、これらは全部“情報戦の一部”だ。
(王城では、ほんの僅かな仕草が“家門の意思”として受け取られる)
俺の失敗一つで、ハルト家だけでなくエリシア家の立場も揺れる。
それを前世の俺は理解していなかった。
剣の柄を握る指先に、力が入る。
鞘の中で、光膜がわずかに揺れた。
(落ち着け。
ここで光らせる場じゃない)
段階1の光膜が、感情に引きずられて反応しないよう、深く息を整える。
今の俺には、刃の“オン・オフ”を意識的に切り替える感覚が、ようやく芽生え始めていた。
必要なときだけ、膜を濃くする。
普段は、完全に沈めておく。
(王城で剣を“異常な道具”として見せるわけにはいかない)
マリアの視線が、こちらの指先を一瞬だけ舐める。
気づかれたかもしれない。
それでも、彼女は何も言わなかった。
ただ、訓練の最後に一言だけ添えた。
「本日の出来は──
“王城の床に立つ”最低ラインは、ぎりぎり超えています」
「ぎりぎりか」
「初回としては、上出来です」
それは、多分本心だった。
◇
礼法棟を出る頃には、空が赤く染まり始めていた。
城壁の向こう、塔の影が長く地面に伸びる。
さっき見た“魔力の濁り”は、夕焼けのせいか、さらに暗く見えた。
(あの塔の下が、“王都断層事件”の震源になる)
前世のゲームでは、そういう設定だった。
だが、今は設定ではなく“現実”だ。
剣の柄に触れる。
層が揃い、静かに鳴る。
光膜は、完全に沈めたまま。
(段階1は……だいぶ“言うことを聞く”ようになってきたな)
学園での戦闘。
結界事件。
そして、今の礼法棟。
戦いだけでなく、“感情”にも刃が反応することが分かった。
(だからこそ、制御が必要だ)
王城は、剣を振るう場所であると同時に、
“剣を振るわないこと”が試される場所だ。
馬車のもとへ歩きながら、王城本丸を一度だけ振り返った。
塔の上には、王国の旗がはためいている。
その下に、目には見えない“世界の傷”が眠っている。
(婚約。
王都。
断層)
全部が、同じ線の上に並んでいる。
(まずは、婚約フラグだ)
処刑ルートの核。
それを、王城という“別の戦場”で折り曲げる。
剣の層が、低く、しかしはっきりと震えた。
その振動は、まるで──
「ここからが、王城アークの第一歩だ」
そう告げているようだった。
悪役貴族に転生した俺、最弱武器の古びた鉄剣が 進化するたび因果すら断つ最強武器だったので破滅エンドを全部へし折る @gomaeee
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