『世界でいちばん短い手紙』

🦊神宮寺結衣🦊

『世界でいちばん短い手紙』

僕の名前は佐藤悠真、二十五歳。職業は「手紙屋」だ。


駅前の古いビルの三階、表札もない小さな部屋で、僕は人の想いを紙に閉じ込める仕事を請け負っている。

恋文、謝罪文、遺言、別れの手紙……どんな内容でも構わない。ただし条件が一つだけある。


「本当の気持ちを、絶対に嘘をつかずに書いてください」


だからこそ、僕の店には毎日、泣き顔の客がやってくる。


その日も、閉店間際の十九時五十分、ドアのベルが小さく鳴った。


入ってきたのは高校生くらいの女の子だった。

制服のブレザーに、雨粒が光っている。傘を畑に忘れてきたみたいに、髪の毛がびしょ濡れだ。


「……手紙、書いてもらえますか?」


声が震えていた。震えすぎて、最初は風邪を引いているのかと思った。


「もちろん。でも、君が本当に伝えたいことを、ちゃんと聞かせてくれる?」


女の子は小さく頷いた。名前は「七瀬灯花(ななせとうか)」。

そして、彼女が僕に頼んだ手紙の宛先は――


「未来の自分へ」


僕は一瞬、言葉を失った。


これまで何百通と手紙を書いてきたけど、「未来の自分」宛ては初めてだった。


灯花は震える手で一枚の写真を取り出した。

そこには、同じ制服を着た灯花が、もう一人写っていた。

双子のようにそっくりな顔。でも、写真の中の灯花は笑っている。

今の灯花は、泣きそうな顔で唇を噛んでいた。


「……私、明日死ぬんです」


さらっと言われた。


僕はペンを握ったまま固まった。


「正確には、明日、私じゃなくなるんです」


灯花は説明した。


彼女には「もう一人の自分」がいて、それは「明日から表に出てくる本当の七瀬灯花」らしい。

今の灯花は「仮の人格」で、明日の零時ちょうどに消えてしまうのだという。


「医者には解離性同一性障害って言われました。でも違うんです。私、本当に明日消えるんです。

 だって、もう一人の灯花は、私の記憶を全部持ってるのに、私のことを『前の子』って呼んでるから……」


だから、最後に手紙を残したい。

明日から「本物の灯花」になる自分に、今の自分が伝えたいことを。


僕は、初めて震える手で原稿用紙をめくった。


――これだけは、嘘をつけない。


灯花は語り始めた。


「私、生きてて楽しかったよ。

 お母さんの作るカレーが好きだった。辛口なのに、いつも福神漬け多めにしてくれるよね。

 学校の屋上でお弁当食べたこと、覚えてる? 風が強すぎて、おかずが飛んでいっちゃった日。

 友達と帰り道に寄ったゲーセンで、初めてUFOキャッチャーでぬいぐるみ取れた日。

 全部、私がやったことだよね?」


涙が原稿用紙に落ちて、インクが滲んだ。


「でも、きっとあなたは覚えてる。私がいなくなっても、私がいたことはちゃんと残ってる。

 だから、怒らないで。私が弱かったせいで、あなたに迷惑かけたかもしれないけど……

 私、頑張ったんだよ。本当に、本当に頑張った」


灯花は最後に、かすれた声で言った。


「私がいなくなったら、時々思い出して。

 世界でいちばん短い手紙、書いてみたから」


僕は、彼女の言葉を一字一句、そのまま書き留めた。


手紙はたった三十三文字だった。


『ありがとう。

 私がいたことは、嘘じゃなかったよ。

 さようなら』


時計の針が零時を回った瞬間、灯花の瞳から涙が止まった。


「……あれ? 私、なんでここにいるんだっけ?」


声のトーンが変わった。

表情が変わった。

笑顔が、写真の中の灯花そのものになった。


「すみません、急に泣きすぎちゃって。なんか、変な夢見てたみたいで……」


新しい灯花は、濡れた目をこすりながら笑った。


僕は黙って、手紙を差し出した。


「これ、預かってたよ。君に渡すようにって、前の君が」


灯花は不思議そうに手紙を受け取った。

三十三文字を読んだ瞬間、彼女はぽろぽろと涙をこぼした。


「……うそ、こんなこと書いてる……

 私、こんなに優しい子だったんだ」


それから灯花は、毎週店に通うようになった。

「前の私」が好きだったカレーの作り方を教えてもらったり、

屋上のお弁当の話をしたり、

UFOキャッチャーで取ったぬいぐるみを一緒に抱きしめたり。


ある日、灯花が言った。


「ねえ、佐藤さん。

 私、前の私に手紙書きたいんですけど……いいですか?」


僕は新しい原稿用紙を差し出した。


灯花は、今度は笑顔で書いた。


『はじめまして。

 あなたがいたおかげで、私、ちゃんと生きてるよ。

 ありがとう。

 これからも、よろしくね』


手紙は、また三十三文字だった。


僕は思う。

人の想いって、意外と短い言葉で届くものなのかもしれない、と。


だから僕の店は、これからも開け続ける。

誰かの「本当の気持ち」を、ちゃんと届けるために。


――世界でいちばん短い手紙を、今日も誰かが書きに来る。


(終)

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