『寂しい人』最終章
鈴木 優
第1話
『寂しい人』最終章
鈴木 優
― そして、風は春を連れてきた ―
夏の気配が、街の輪郭をやわらかく溶かしていた。
彼は、駅前のベンチに腰を下ろし、手帳を開いた。
そこには、彼女のノートから書き写した言葉が並んでいる。
『私は、誰かに見つけてほしかった。
でも、見つけられるのが怖かった。』
その言葉の余白に、彼は自分の文字でこう綴った。
『僕は、君を見つけた。
そして、君に見つけられた。』
風が吹き抜ける。
あの日と同じように、どこからか桜の香りがした。
彼は立ち上がり、あの桜の木がある丘へと向かった
季節は巡り、桜はすでに葉桜になっていたが、彼にとってその木は、花の有無に関係なく、特別な場所だった。
丘の上には、ひとりの女性が立っていた。
白いワンピースに、風に揺れる髪。
彼女は、彼の方を振り返り、微笑んだ。
『......来てくれたんだね』
『うん。約束、したから』
彼女は、そっと手を差し出した。
彼はその手を取り、ふたりは並んで木の下に座った。
『ここ、好きだったの』
『うん。君の詩に、何度も出てきた』
『でもね、もう"待つ"場所じゃないの。
今は、"始める"場所にしたい』
彼は彼女の横顔を見つめた。
その瞳には、もう迷いがなかった。
『私ね、ようやく気づいたの。
誰かに赦されることより、自分で自分を赦すことの方が、ずっと難しいって』
『でも、君はそれを......』
『うん。あなたが、私の言葉を受け止めてくれたから。
私も、自分を少しだけ、許せた気がする』
沈黙が、ふたりの間に流れる。
けれど、それは不安ではなく、安らぎの沈黙だった。
『これから、どうするの?』
彼女の問いに、彼は空を見上げた。
『まだ、はっきりとはわからない。
でも、誰かの痛みに寄り添えるような仕事がしたい。
君の言葉が、僕をそう導いてくれたから』
彼女は、そっと頷いた。
『きっと、できるよ。あなたなら』
彼は、胸の奥が温かくなるのを感じた。
『君は?』
『私は……もう、ここにはいられないの』
彼は、はっとして彼女を見た。
『でも、大丈夫。
私は、ちゃんと歩き出せる。
あなたが、私の声を聞いてくれたから』
彼女の姿が、少しずつ光に溶けていく。
『ありがとう。
あなたに出会えて、本当によかった』
彼女の声が、風に乗って彼の胸に届いた。
そして、彼女は静かに微笑んだまま、光の中へと消えていった。
彼は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
けれど、涙は流れなかった。
彼女が残してくれたものが、確かに自分の中にあると感じていたから。
彼は、手帳を開き、最後のページにこう記した。
『風の中で、君は笑っていた。
僕は、君の声を忘れない。
そして、僕もまた、誰かの声になれるように生きていく。』
丘を下りる道すがら、彼は空を見上げると雲の切れ間から、やわらかな光が差しているのが見えた。
春は終わり、夏が始まろうとしていた。
彼の歩みは、もう迷っていなかった。
風が吹いた。
その音は、どこか懐かしく、そして優しかった。
『あ〜 今日は、冷たい方にしておこう』
完
『寂しい人』最終章 鈴木 優 @Katsumi1209
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