1
山道を一本外れたところに、古い倉庫があった。
錆びたトタンの外壁は何度も修理された跡があり、
扉は片側だけが歪んでいる。
外は風の音だけが響き、人の気配は完全に途絶えていた。
倉庫の中には、一本の裸電球だけが吊り下がっていた。
その光が、床に置かれた椅子と、
椅子に縛りつけられた男の顔を照らしていた。
男は目隠しをされ、口に布を詰められている。
もがいた跡がロープに残り、
靴の裏には泥が固まっていた。
足音が近づいた。
ゆっくり、規則正しく。
恐怖を煽るような間を取ることもなく、
ただ、普通に歩いてくる音。
「……お待たせいたしました」
その声が聞こえた瞬間、男の呼吸が乱れた。
この場に似合わない身綺麗な男が姿を見せた。
黒のロングコート。
整えられた髪。
感情のない落ち着いた目。
「失礼」
サイラスは男の背後に立ち、
目隠しの布を丁寧に外した。
男の目が光に慣れた瞬間、
サイラスの顔が正面に現れる。
「はじめまして。
私はサイラス・ヴァーンと申します」
その声は穏やかで、怒りの濁りが一つもない。
男は口に布を詰められたまま、声にならない叫びを漏らした。
「この場にあなたをお連れした理由は、ひとつだけです。
あなたのお仕事が、私どもの領域に深く踏み込んでいたからです」
サイラスは壁に立てかけられた小さな工具箱を開け、
その中から、磨かれた短い刃物を選んだ。
手袋をした手で、それを軽く持ち上げる。
「ご安心ください。
必要以上の苦痛を与えるつもりはございません」
サイラスは男の右手を軽く持ち上げ、
一本の指をまっすぐ伸ばした。
「これは警告の意味もございますので、
どうかお許しください」
刃が下ろされた。
一撃。
迷いが一切ない。
男の指が床に落ち、椅子が軋んだ。
男は布越しに叫び、身体を震わせた。
「……お痛みは理解いたします。
ここから先は、私ではなく」
サイラスは後ろへ一歩下がり、部下を見る。
「どうぞ。
外の情報を、すべて引き出してください」
「かしこまりました」
部下は工具を肩に担ぎ、
男の前へ立った。
倉庫にはしばらく、
椅子の軋み、金属の小さな音、男の押し殺した叫び声が続いた。
サイラスはその間、
倉庫の窓の外を静かに眺めていた。
山の稜線が淡く白んでいくのを、何の感情もなく見つめている
時間が経ち、
部下がサイラスのほうへ歩いてきた。
「……話しました。
外の組織の拠点、仲介人、潜り込ませていた者。
全部吐きました」
「ありがとうございます」
サイラスは男の背後に立ち、
手袋をしたまま、男の頭に軽く触れた。
「最後に、もう一つだけ。
どうか静かにお眠りください」
サイラスは金属の棒を持ち上げ、
男の後頭部に向けて振り下ろした。
鈍い衝撃が倉庫に響く。
二度目はなかった。
男の身体は脱力し、完全に崩れた。
男の頭部が崩れ落ち、倉庫の中に静寂が広がった。
サイラスは工具を置き、コートの袖を整える。
表情は変わらない。
まるで、面倒な書類仕事を一つ終えただけのような淡々とした姿。
部下が血のついた床を見下ろして言った。
「サイラス様……処理は、どういたしましょう」
サイラスは軽く顎に指をあて、わずかに考える素振りを見せたのち、静かに答えた。
「この状態では……海に“偶然流れついた死体”という設定は無理ですね」
床には大量の血、
切断した指、
頭部の陥没。
どれも、この街の外から来た男の末路だった。
「焼いてください。
骨と灰だけになれば、もう誰にも判別はできません。」
「はい。すぐに」
部下が合図し、別の部下たちが遺体を引きずっていく。
外には、簡易の焼却施設として使われる鉄製ドラム缶が置かれていた。
その場を見送りながら、サイラスは付け加えるように言った。
「それと――」
部下が振り返る。
「彼をこの街に引き入れた協力者がいましたね?」
「はい。港に店を構える男です。
昨日、あちらの組織の者と密会をしていたとのこと」
「なるほど」
エイドリアンは胸ポケットから手帳を取り出し、ゆっくりページを繰った。
確認する必要はないのだろう。
しかしサイラスは必ず記録を取る。
「その男は……外傷を残してはいけません。」
「承知しました」
「海へ投げ込みます。
外から来た者に手を貸した報いとして、
静かに消えるのがふさわしいかと」
「痕跡は?」
「一切残さないでください。
失踪として扱われるよう、
生活に必要な身の回りの物はすべて家に残すように」
「かしこまりました」
サイラスは手帳を閉じる。
「外から来た者は焼却。
この街の裏切り者は水葬。
それぞれ適した終わり方というものです」
声は落ち着いており、
教会で祈りを捧げる神父のような静けさすらあった。
「私は街へ戻ります。
朝のうちに読んでおきたい本がありますので」
サイラスは倉庫の扉に手をかける。
「処理が終わりましたら、必ず報告を」
「はい、サイラス様」
扉を開けると、山の冷えた空気が流れ込んだ。
サイラスは一切振り返らず、倉庫を後にした。
背後で、
焼却の準備をする金属音が静かに響く。
沈黙の港 朝霞 櫻憂 @sakura2401233
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