沈黙の港

朝霞 櫻憂

オープニング

 ロングベイ・シティは、日が落ちると姿を変える。

 港のクレーンは闇の中で巨大な影になり、

 コンテナの壁には海風が当たるたび、低い金属音が響いた。


 海沿いの道には誰もいない。

 街灯の光が波に揺られ、路面に歪んだ形を落としている。

 港の奥では大型船のエンジンが遠く唸り、

 その音が街の底をくぐるように広がっていた。


 東側の住民街では、窓に灯りがぽつぽつと浮かぶ。

 古い家の並びはずっと変わらない。

 誰かが皿を洗う音や、テレビの音が遠くから漏れてくる。

 この街で最も静かな区域だ。


 一方で、南の歓楽街は別の顔をしている。

 ネオンが脈打つように明滅し、人の声が混ざり合う。

 笑い声、怒鳴り声、音楽、車のブレーキ。

 どの音も途切れず、夜が深まるほど輪郭が曖昧になる。


 北の山際では、スラムが暗がりの中に沈んでいる。

 街灯はまばらで、建物の外壁は崩れかけ、

 小道はどれも舗装が途切れていた。

 窓を塞ぐ板の隙間から、弱い光がちらりと漏れることがある。

 人が起きているのか、眠れないだけなのかは誰にもわからない。


 西には富裕層の地区がある。

 塀の高い屋敷に、白い照明が整然と並ぶ。

 道は掃除が行き届き、夜でも表情が変わらない。

 ロングベイの中で、最もよそよそしい区域だった。


 その四つの地区のあいだで、

 三つのファミリーが勢力を張り合っている。

 港を押さえる者、金を動かす者、裏社会の流れを操る者。

 均衡は保たれているが、それはただの静けさだった。

 少し揺れれば、どちらに転んでも壊れる。


 警察は表向き秩序の側に立つと言う。

 だが誰も信じてはいない。

 事件は減らず、報告は歪み、

 街の人々は真実より諦めを優先するようになった。


 ロングベイ・シティは、

 夜になると音だけがよく響く街だ。

 足音、車輪の回る音、遠くのサイレン、遠ざかる笑い声。

 それらが絡まり合って、ひとつの大きな流れになる。


 この日、港で上がった小さなざわめきが、

 やがて街全体を巻き込むことになるとは、

 誰も気づいていなかった。

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