第15話

 朝の教室は、昨日よりさらに空気が重かった。


 扉を開けた瞬間、視線が一斉にこちらを向き、

 俺の顔を確認した途端、目をそらす。


(……おはようって言う前に、空気に挨拶したくなるな)


 席に向かうだけで、ひそひそ声が耳に刺さる。


「昨日も竜紋が光ったって話、マジ?」

「覚醒寸前らしいぞ」

「王族が監視つけてるんだって」

「下手に関わると巻き込まれるぞ……」


 あからさまに距離を取るやつもいれば、興味本位の目で見てくるやつもいる。


(……誰だよ、そんな設定盛ったの)


 ため息をつきかけたところで、アリシアが机に体を乗り出してきた。


「ライガ君、気にしちゃダメだからね!」


「いや、無理だろ。これで“気にするな”は逆に高度だよ」


 ガルドも隣で腕を組んだ。


「とりあえず、しばらく一人でどっか行くなよ?」


「子ども扱いされてない?」


「いや、実際狙われてんだからしょうがねぇだろ」


 リュミナはノートを開きながら、冷静に言葉を挟む。


「噂の広まり方が異常に早いわ。

 内容も、妙に“整理されてる”。

 誰かが意図的に編集して流してる可能性が高いわね」


「編集?」


「全員の証言が“似た形”で出回ってるのよ。

 普通なら、人によって言い回しや焦点がバラバラになるのに」


(……つまり、“誰か”がまとめて広げてるってことか)


 魔術師団か、王族か、その手先か。

 どれにしても、ろくなもんじゃない。


 その時、胸の奥が、きゅっと縮むように疼いた。


「……っ」


 思わず胸元を押さえる。


「ライガ君?」

 アリシアがすぐに気づく。


「大丈夫?」


「痛みってほどじゃねぇけど……なんか変な感じだ。息が浅くなる」


 リュミナがじっと俺の胸元を見る。


「竜紋の反応ね。昨日の“記憶”を見た影響か……

 それとも、外部から何か刺激されているのか」


「刺激ねぇ……」


 嫌な予感しかしない単語だった。



 その日の放課後、全学年が体育館に集められた。


 教師陣が前に並び、その背後に、見慣れたローブ姿――魔術師団の連中が立っている。


(うわ、本気で“公式な場”って感じだな)


 担任が前に出て、魔道具で声を拡張しながら話し始めた。


「急な話だが、三日後に“学内模擬試合”を行う」


 ざわっ、と全体が揺れる。


「え、今!?」

「このタイミングで?」

「魔獣事件の直後だろ……?」


 生徒たちのざわめきがあちこちで弾けた。


 担任は続ける。


「王都からの“指示”だ。

 生徒の戦闘能力と、緊急時の反応速度を測るのが目的だと説明を受けている」


(指示、ね)


 その言い方だけで、これは「教師たちの望んだ行事じゃない」と分かった。


 ちらりと振り向くと、魔術師団の男が薄く笑っている。


(あぁ……そういうことね)


 胸の竜紋が、またじんわりと熱を持った。



 模擬試合は個別の一対一。

 試合形式は、魔法掲示板に投影された組み合わせ表で即座に公表された。


 学年別に名前がずらりと並ぶ中――俺の名前を探して、目が止まる。


 一年・アルヴェルディア・ライガ

 対

 二年・ヴァルク・ディエン


「……誰?」


 思わず声が漏れた。


「マジかよっ!?」

 先に叫んだのはガルドだ。


「ヴァルク・ディエンって、あの“学院騎士団候補生”だぞ!?」


「え……あのヴァルク!?」

 アリシアも顔色を変える。


「誰?」


「ライガ君、もう少し院内の有名人に興味持とう?」

 リュミナがため息をつきつつ説明を始めた。


「二年のトップクラス。実力はすでに半端な下級騎士以上。

 王族派の貴族で、学院騎士団への推薦枠がほぼ内定してる人よ」


「そんなやつと、一年の俺が当たる意味は?」


「偶然じゃないわね」

 リュミナは即答した。


 ちらっと視線を横にやると、魔術師団の一人が、まるで“成果物”を見るような目で掲示板を眺めていた。


(……やっぱり、仕組まれてる)


 胸の竜紋が、じりじりと熱を上げる。


 逃げろ、と言っているのか。

 それとも――戦え、と言っているのか。



 体育館を出たところで、銀の髪が視界に入った。


「アルヴェルディア君」


 ソラ・エルフェイン。

 生徒会の副会長は、廊下の端で俺を待っていたらしい。


 アリシアたちが警戒モードに入る前に、俺は手で制した。


「ソラさん?」


「……少し、いいかしら」


 淡い蒼の瞳が、真っ直ぐ俺を射抜く。


「模擬試合の組み合わせ、見たわ」


「見ました」


「あなたの相手――ヴァルク・ディエン。

 学院騎士団候補生。二年の中でも突出した実力者。

 そして、“王族派”の家系」


 ソラは微かに声を落とした。


「生徒会に入ってきた情報によると、

 “彼の対戦相手だけ、妙に時間をかけて決められた”らしい」


「妙に時間?」


「他の組み合わせは、ほとんど機械的に決まった。

 でも、あなたのカードだけは、“王都から確認が入った”」


 王都。

 つまり――王族か、その周辺だ。


 アリシアが歯を食いしばる。


「それって……ライガ君をわざと危険な相手と戦わせるってことだよね?」


「実験ね」

 リュミナが静かに言った。

「竜紋持ちがどこまで戦えるか、“公式な舞台”で観察するための」


 ガルドが拳を握る。


「ふざけんなよ……

 模擬試合ってのは、もっとこう、わちゃわちゃ楽しむもんだろ……」


 ソラは、そんなガルドをちらりと見てから、また俺に視線を戻した。


「逃げる、という選択肢は難しいわ」


「やっぱり」


「王族の意向が入っている以上、辞退すれば“逆に怪しまれる”。

 無理に回避しようとすれば、もっと性質の悪い場で試されるかもしれない」


(……詰んでるな)


 逃げても詰み。

 戦っても、何をされるかわからない。


「でも、“何も知らないまま”戦うのと、

 “危険だと分かっていて”準備するのでは、結果が違ってくる」


 ソラの声が、少しだけ柔らかくなった。


「だから言いに来たの。

 これはただの模擬試合じゃない。

 “あなたの力を測るための舞台”よ」


「……ありがとうございます」


 素直に頭を下げた。


 ソラは少しだけ目を瞬かせ、そのあと、ほんの微かな笑みを浮かべる。


「礼はいいわ。

 こうしておけば、生徒会としても“何も知らなかった”とは言わずに済むもの」


「ソラさんは……その、どっち側なんですか?」


「どっち側、とは?」


「王族側か、俺達側か」


 ソラは少しだけ考え、短く答えた。


「学園側よ」


「学園側?」


「私は、生徒会の副会長。

 “この学園で過ごす生徒たちが、理不尽に傷つけられるのは許せない”」


 そう言い切る瞳には、迷いがなかった。


「あなたが何者であれ、

 “学園の一員”である限り、私は無視しない」


 アリシアが目を丸くする。


「……なんか、かっこいい」


「同意」

 リュミナも小さく頷く。


 ガルドは腕を組んだまま、じっとソラを見ていた。


「お前、意外と“いいやつ”なんだな」


「意外と、は余計よ」


 ソラは肩をすくめると、踵を返した。


「三日後までに、準備できることは全部しておきなさい。

 ……あなた達なら、そうするでしょう?」


 言い残し、生徒会室の方へ歩いていく。


 背中を見送りながら、胸の竜紋がわずかに脈打った。


(……見てる、か)


 竜も、あの連中も、みんな“こっちを”見ている。



 寮に戻る道すがら、アリシアが口を開いた。


「ライガ君……どうするの?」


「どうするって?」


「逃げるか、戦うか」


 真正面から問われる。


 リュミナも静かにこちらを見ていた。

 ガルドは、何も言わずに俺の答えを待っている。


(逃げるか、戦うか、ね)


 正直――逃げたい。


 面倒ごとは嫌いだし、命の危険があるなら尚更だ。

 でも。


 頭の隅に、灰色の空と、青白い竜の姿がよぎった。


 守れ――

 あの声が、耳の奥に残っている。


 昨日の訓練場。

 俺が動かなかったら、誰かが死んでいた。


(……たぶん、今も)


 俺が逃げても、別の誰かがこの“舞台”に乗せられるだけだ。


 竜紋が、静かに熱を帯びる。


「……逃げないよ」


 気づけば、口が勝手に答えていた。


「逃げたって、どうせ追いかけてくる連中だ。

 だったら――正面から殴って、勝って、“舐めんな”って言ってやる」


 アリシアが目を見開き、それから笑った。


「うん、その方がライガ君らしいね!」


「よっしゃ、燃えてきた!」

 ガルドが拳を突き上げる。

「三日で仕上げてやるよ、お前を“二年食いの一年”に!」


「表現が物騒なんだよ、お前は」


「私は弱点の洗い出しと対策ね」

 リュミナが冷静に言う。

「相手が騎士団候補なら、剣技と基礎魔法の連携が得意なはず。

 そこを逆手に取る方法を考えましょう」


「頼りにしてる」


「当然」


 自然に言葉が出た。

 彼女たちといると、“一人じゃない”と素直に思える。


 胸の竜紋が、またひとつ、静かに脈打った。



 その夜、学園裏の森では、別の準備が進んでいた。


「結界の調整はどうだ?」


「問題ない。模擬試合の会場周辺に、呪紋の痕跡を薄く散らしておいた。

 あの竜紋は、必ず反応する」


「暴走しやすくなるか?」


「少なくとも、“制御が難しくなる”程度には」


「それでいい。

 あの少年が人の形を保てなくなれば――

 『危険な存在』として処理する口実になる」


 低い笑い声が、森の闇に溶けていく。


「三日後だ。

 “事故”は続く。

 その度に、我らの思惑に近づいていく」


 月は雲に隠れ、森は深い影に沈んだ。


 その影の中で、誰かが静かに息を潜めていることを、

 彼らはまだ知らない。


 ソラ・エルフェインは、離れた枝の上で、

 その会話の一部始終を聞いていた。


「……やっぱり、そういうことね」


 小さく呟き、彼女は夜の闇に溶けるように姿を消した。


 ――三日後。

 “舞台”は整いつつあった。

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平凡だと思っていたら、俺だけ“古代最強種族の血”が濃すぎた件 新条優里 @yuri1112

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