第2話


  俳句を詠んでいると、わりとムードが緩くなる…

 これは、だいたいどこでも同様の現象が起きます。


 なぜか? 分析してみると、まず「争っている」という状況は緊張を惹起する。

 「危険」アラームというか信号が、多くの人に緊張、それにつづくいろいろなネガティヴな感情や反応を連鎖反応的に喚起するのだと思います。


 で、意識的に緩めると、理性が戻って、冷静に判断反応ができるクーキに戻る…


 言ってみるとそれだけのことで、「イカって」諍いになるという、そこがムードというのか雰囲気を悪化させて、殺伐剣呑、険悪、そういうだから最終的には殺し合いというか戦争になるという、そういう運動性の萌芽となると、そういう機序になっていくのだと思う…これはたぶん集団心理の範疇の現象で、だいたい集団心理現象は不合理と、そういうのが常識と思う。


 たとえば、フロムの「自由からの逃走」は、ヒトラーのファシズムがなぜドイツのような理性の強いとされる民族の、文明国で生じたかという分析ですが、未読でっすが、要するに民族的心性として「家父長制」、つまり父親の権威が強く、で、従属的な性格の人が多い、つまり、トップダウンに指示を下されることに慣れているというか、自由裁量に任されるとかえって不安になる、そういう人が多いので、独裁的な、チャップリンが「胡散臭い」と戯画化したような独裁者の浅薄さに気づかなかった…概ねこういう分析やったと思う。


 つまり、集団になった場合は、理性がマヒしやすくて、集団のツボ? 弱点を突かれると、催眠術にかかったかのごとくに誘導操作されたり、そういうことが生じやすい。


  ヒトラーが「天才」的だったのは、そういう集団の弱みのようなところを嗅ぎ付け? 巧みに操った、そういう手管? だったのかも。

 日本の場合は、たぶん集団主義的な傾向が顕著で、で、同調圧力やらいじめで孤立させられるのを恐れる…もし集団を操作しようとする悪辣な何かが画策するとしたらそういうところがポイントになる?


 で、まあとりあえず、集団には理性というか通常の判断能力がない…そういうものとあきらめて、現実現象的に緊張をほぐす、緩める、ゆる体操やらヨガやら、俳句を詠んだりして注意をそらして争いを避ける…そういう心掛けが肝心と思う。

 脳天気にお花畑を夢見ているのもいいが、理屈抜きに現実に対症療法的に対処する場面も必要で、そういう理性もなくすようなおかしな狂った幻聴だという、まあ諦念が前提だ。ろう。


 

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晩秋のつれづれにいろいろと吟詠してみた哀愁の風景。 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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