『AI探偵ユズキの依頼簿――副業サイトから始まった事件』

髙橋P.モンゴメリー

第一話 AI安楽椅子探偵、はじめました

第一章 AI安楽椅子探偵、はじめました


 その欄を埋めるかどうかで、三十分くらい迷っていた。


 副業サイトのプロフィール編集画面。

 名前、年齢、経歴、得意分野。そこまでは普通だ。けれど最後の「ひとこと自己紹介」のところで、坂本淳はカーソルを点滅させたまま固まっている。


 最初に書いていた文章は、あまりにも平凡だった。


 「はじめまして。ライティングや簡単なリサーチが得意です。丁寧な対応を心がけます」


 嘘ではない。けれど、これまでその文章で十件以上の提案を送り、一件も採用されていない現実がある。

 画面の右上に表示された数字が、その事実を静かに示していた。


 提案数「12」

 成約数「0」


 売れない。


 ライターとしても、副業人材としても、そしてたぶん男としても。

 自分でそう思ってしまうあたりが、さらに状況を悪くしているのだろうと分かってはいる。


 ワンルームの部屋は、ディスプレイの光だけが天井をぼんやり照らしていた。

 時計は夜の一時を回っている。机の端には、コンビニのパスタの空き容器と、飲みかけのペットボトルの麦茶。


 坂本淳、三十五歳。

 去年、勤め先の小さな広告代理店が縮小して契約打ち切りになり、今は近所のコンビニで夜勤のアルバイトをしながら、合間にこうして副業サイトで仕事を探している。


 そんな生活を始めてから、もう九カ月が過ぎていた。


「このままじゃ、一生ゼロのままだな」


 つぶやいて、淳はため息を一度だけ吐いた。

 プロフィール文を全部選択して、削除キーを押す。画面から文字が消える。


 空白になった枠に、ふと浮かんだことばがあった。


 AI安楽椅子探偵。


 最近、タイムラインでよく流れてくる言葉たち。 AI占い、AIお悩み相談、AIで人生設計、AIによる恋愛診断。

 画面の向こうで、見知らぬ誰かが軽い調子で「人生」を扱っている。そこそこ人気も出ている。


 どうせ自分は真面目に書いても選ばれない。

 だったら、少しくらいふざけたほうがいいんじゃないか。


 そんな投げやりな考えと、悪ふざけの衝動が、ちょうどいい温度で混ざり合っていく。


 淳はキーボードに指を置いた。


 「AI安楽椅子探偵やってます。あなたの身の回りのちいさな謎を、チャットとAIを使って一緒に解き明かします」


 そこまで打って、一度手を止める。


 安楽椅子探偵。 部屋から一歩も出ずに、会話と情報だけで事件を解決する探偵のこと。高校のときに読んだミステリーに、そんな人物が出てきた。

 もちろん、ここで扱うのは「事件」なんて言えるほど大げさなものではない。


 なくしたもの。 気になる相手の行動。

 職場の空気、家族の変化。


 そんな、ニュースにもならない日々の違和感たち。


「……まあ、来ないよな」


 自分で自分にツッコミを入れながらも、淳は続きの文章を打ち込む。


 「料金は一件五百円。大事件じゃなくてかまいません。むしろ、大事件はお断りです。『これ、なんでだろう?』くらいのことを、一緒に考えましょう」


 ふざけているようで、本音でもあった。 誰かの人生を左右するような決断に、責任なんて持てない。

 でも、誰にも打ち明けずに胸の内で転がり続けているような、ちいさな「なんでだろう」なら、話を聞いてみたい。


 そのとき、画面の端に別のウィンドウがちらりと姿を見せた。


 AIチャットの履歴。


 そこには、今日の昼間に自分が投げた問いが残っている。


 「なぜ自分は売れないのでしょうか」


 半ば冗談のつもりだった。

 それに対して返ってきた長文の回答は、意外にもまともで、少しだけ胸に刺さるものだった。


 あなたは「売れない人」ではなく、「まだ適切な場所と出会えていない人」かもしれません。


 あの一文が、頭の片隅に残っている。


 適切な場所。


 ここがそうだとは、とても思えない。

 けれど、何もしないよりは、何かおかしなことでもしてみたほうが、まだマシなのかもしれない。


 淳はプロフィール文を読み返し、「公開する」のボタンにカーソルを合わせた。


「……はい、どうぞ」


 誰に向かってともなく、そう呟いてクリックする。

 画面が一瞬だけ暗転し、「プロフィールを更新しました」の文字が表示された。


 AI安楽椅子探偵、誕生。

 といっても、それを祝ってくれる人は、この世界のどこにもいない。


 淳は椅子にもたれかかり、天井を見上げた。

 薄い石膏ボード越しに、上の階の住人が歩く足音が響いている。


 誰かと話をしてみたい。

 ただ、そんな気持ちも、声に出すには少し照れくさい。


 スマホで副業サイトのアプリを立ち上げ、通知設定を確認する。

 新規メッセージが来たら、すぐに分かるように。


 確認を終えると、ようやく重たい腰を上げて、食器を流しに運んだ。

 明日は夜勤。起きる時間を考えると、そろそろ寝なければいけない。


 それから三日間。


 通知は、一度も鳴らなかった。


 そのあいだも、淳の生活はたいして変わらない。 夕方に起きて、簡単な夕飯を食べ、コンビニへ向かう。

 レジに立ち、弁当を温め、宅配便を預かり、深夜には品出しを手伝う。


 客が減る午前三時ごろ、店内のテレビは通販番組に切り替わる。 健康器具や掃除グッズが、きらびやかな笑顔とともに紹介される。

 その度に、リモコンを操作する店長の指が目に入る。


 リモコン。


 テレビをつけるとき、人はあたりまえのようにそれを探す。 見つからないと、ちょっとイライラする。

 ソファの隙間、テーブルの下、キッチンのカウンター。


 ふと、淳は思う。

 もし「リモコンが見つからないんです」という相談が来たら、五百円分の価値のある推理ができるだろうか。


「いやいや、そんなの自分で探してよ、だよなあ」


 小声で笑って首を振る。

 その笑いも、すぐに溶けて消える。


 三日目の夜勤明け。

 夜明け前の空が少しだけ白み始めるころ、淳はコンビニからの帰り道を歩いていた。


 冬から春へと季節が移る途中の、まだ冷たい空気。

 吐く息は白いが、どこか柔らかさも含んでいる。


 マンションの前に着き、エントランスのドアを開けたところで、ポケットの中のスマホが震えた。


 眠気でぼんやりしていた頭が、その感触だけで少し覚醒する。


 通知。


 画面を点けると、副業サイトのアイコンに赤い丸が付いていた。


 新着メッセージ 1件


 心臓が、ほんの少しだけ大きく跳ねる。

 こんな時間にくるのは、冷静に考えればおかしい。悪戯かもしれないし、ただのシステムのお知らせという可能性だってある。


 それでも、指先は自然とアプリを開いていた。


 ログイン画面を抜け、メッセージのタブを押す。

 そこには、見慣れないユーザー名とともに、一行だけの文が表示されていた。


 はじめまして。テレビのリモコンが見つからないんです。


 エレベーターの前で立ち尽くしたまま、淳はその文を何度か読み返した。


 ふざけてつけた肩書きに、最初に届いたのは──

 まさに、さっきまで頭の中で想像していたような相談だった。


 けれど、そのときの淳はまだ知らない。 その「リモコン探し」が、十年前の失踪と繋がっていることを。

 そして、自分の孤独とも繋がっていくことを。


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『AI探偵ユズキの依頼簿――副業サイトから始まった事件』 髙橋P.モンゴメリー @shousetsukaminarai

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