マジカルプリンセス・タミコ

hibana

マジカルプリンセス・タミコ

 椅子の背もたれをサッと拭いて多実子タミコは「いたっ」と呟く。

「あらやだ……こんなところ、ささくれだってたの」と言いながら左手の親指の腹を見た。ぷっくりと血が浮かんでいる。

 絆創膏を探していると、玄関でインターホンが鳴った。こんな時に、と思いながら「ちょっとお待ちくださいねえ」と、聞こえているはずもないが言っておく。絆創膏を引っ掴んで、玄関まで急いだ。


 玄関のドアを開けると、スーツ姿の男性が立っている。多実子が怪訝に顔を顰めれば、スーツの男はその場で跪き、「お迎えに上がりました、姫さま」などと言った。


 やだわ。今どきの詐欺は随分と劇場型なのね。


 多実子は顎に手を当てて、「どちらさま?」と尋ねる。男は「お迎えに上がりました、姫さま」とまた言った。それ以外台本を用意されていないのだろうか。困ったわね、と多実子は眉を顰める。

「悪いけど、この歳になって変な宗教に改宗するつもりはないわ。人生に不満も不足も見当たらないし」

「いえ、姫さま。恐れながら姫さまの人生には決定的に欠けているものがございます」

「聞こうじゃないの」

「マジカルでございます」

「なんて?」

「マジカルパワーでございます」

「あー……はいはい、マジカルパワーね。ごめんなさいね、あたし今……忙しくて……。アイスを食べごろにするために冷凍庫から冷蔵庫に移したところだし……」

 お引き取り願える? と言えば男は緩く頭を振った。「女王様に必ず多実子さまをお連れするよう言われてございます」と言う。多実子はぴくりと肩を震わせて、「名前……」と呟く。いよいよ警察を呼ぶべきかと後ずさりした。

「警戒なさらないでください。私はお迎えに上がっただけでございます」

「そりゃ警戒もするわよ。こっちの名前は知られてるのに、あなたの名前すらこっちは知らないんだから」

「これは失礼いたしました」

 男は滑らかな手つきで名刺を差し出す。そこには『ユイマール王国 第一騎士団長 チャンプル』と書いてあった。思わず多実子は笑ってしまい、「よく出来た小道具ねー」と自分の頬に手をあてる。


「姫さま、中へ入れていただけませんか」

「この流れでさすがに入れないわよ。あのね、騎士団長さん。確かに面白いけど人を騙すには面白すぎるわ。劇場型詐欺ならもっとドラマチックにしてちょうだい」

「姫さま、詐欺ではございません」

「その“姫さま”ってのはなんなわけ? あたしがなんちゃら王国の姫だって言ってるの?」

「ユイマール王国でございます」

「こんなおばあちゃん捕まえて姫ってあんた……」


 このままでは埒が明かないと思ったのか、男は不意に指を鳴らした。ぼふっと煙が顔を直撃し、多実子は「わっ」と目を閉じる。

「これが私の本当の姿でございます、姫さま」

 多実子は目を開ける。


 そこにいたのは、かなりデフォルメされた――――というか、いっそぬいぐるみのようですらある、鹿みたいな生き物だった。

 口をあんぐり開けて多実子は「おもちゃ?」と言いながらそれを拾い上げる。するとそのぬいぐるみのような何かは、「中に入れてくださいますか?」と言った。喋ったわ、と言いながら周囲を見渡すが何もない。


「えー……困ったわね、なんなのかしらこれ。どういう手品?」

「強いて言えば、マジカルでございます」

「なるほどマジカルなわけね」


 人は動揺すると、問題そのものを人の目に触れないよう隠す本能がある。その時の多実子もそうで、とにかくご近所さんの目に触れないようにそのぬいぐるみのような何かを抱いて玄関のドアを閉めたのだった。






「多実子さまの母君は、ユイマール王国の先代女王陛下の二番目のご息女でございました」

「そのユイマール王国ってのはどこにあるのよ」

「この世界を起点に言いますと、鏡の向こう側にございます」

「マジカル?」

「はい。マジカルでございます」


 とりあえず茶を淹れてやりながら、多実子は疲れてため息をつく。彼(彼?)の言うことを信じたわけではないが、あまりにも状況が変すぎる。ぬいぐるみは指パッチンで、今は人間の姿に戻っていた。彼が言うにはどちらかというとぬいぐるみの方が本来の姿らしいが。

「しかし多実子さまの母君は、こちらの世界の男性と恋に落ち、駆け落ちなさいました」

「するかもね、母さんは父さんのこと大好きだったから」

「そして現女王陛下……多実子さまから見れば母君のお姉さまということになりますが」

「伯母さんってこと?」

「ええ。女王陛下から賜っております。多実子さまが十八歳になった暁には、マジカルパワーに目覚めるはずだから、ユイマール王国にお連れするようにと」

 ずずずとお茶を飲みながら多実子は眉を八の字にする。「十八?」と訊き返した。


「あたし、七十二よ。もうちょっとで後期高齢者だわね」

「そんなはずは……。多実子さまは今年、確かに十八回目の誕生日のはずです」

「“そんなはずは”って言われても。大体そんなの見りゃわかるでしょ」


 多実子は正真正銘七十二歳である。つまり七十二回目の誕生日を迎えたということだが――――

 待てよ、と多実子は考える。


 多実子の誕生日は二月二十九日である。

『四年に一度しか歳を取らないの?』人生でうんざりするほど言われてきた言葉だ。

 実際、そんなわけはない。うるう年以外の年では多実子の誕生日は二月二十八日になる。ちゃんと毎年誕生日は来て、歳を重ねている。

 しかし、考えられるとしたらそれしかない。


「……誕生日は確かに、十八回目かも?」

「そうでしょうとも」

「それはいいとしてもよ。あたしをそのなんちゃらランドに連れて行ってどうするわけ?」

「ユイマール王国でございます」

「あたしになんか用なの、叔母さんは」

「多実子さまにお会いになりたいのでは?」

「そう? まあ……それなら会おうかしら。この歳になって会ったことない親戚が会いたいって言ってくれるなんて滅多にないわ。お互いいつどうなるかわからない歳だろうし、お会いしましょう」

「そう言っていただけて私も嬉しゅうございます」


 それからチャンプルとかいうぬいぐるみのような生き物は「こほん」と空咳をする。片目を瞑り、「しかしながら姫さま、“いつどうなるかわからない歳”というのは間違いでございます」と言った。

「いつどうなるかわからないわよー。平均寿命がいくら伸びたってね、七十超えたら覚悟しないと」

「それはこちらの世界での話でしょう」

「えっ」

「ユイマール王国の人間には寿命という概念がございません」

「またそんなこと言って! 母さんは老衰で死んだわよ」

「それは母君が選んだことにございましょう。ユイマール王国の人間は、肉体の年齢を好きに固定できるのでございます」

「それはちょっとマジカルが過ぎるわよ。今からでも不老の妙薬とかいって、変な薬を売りつけてくるんじゃないでしょうね」

 チャンプルは瞬きをして、「よろしいですか、姫さま」と人差し指を立てた。


「人生で一番、あなたさまが輝いていた日を思い出すのです」

「いま輝いてないって言うの? 失礼しちゃうわ」

「人生で一番、でございますよ」


 多実子は不満げに頬を膨らませながらも、渋々目を閉じ思い出す。ちょうど、多実子がだった頃のことだ。あの頃はすらりとした手足で、歌っても踊っても人々の視線を釘付けにした。花のような十代。そんな時代が自分にもあった。

 次に目を開けた時、多実子はまず四六時中悩まされてきた腰の痛みがなくなったことに気づいた。「あら?」と思わず上げた声が、鈴の転がるようだった。

 慌てて鏡の前に立とうと立ち上がった足は軽やかで、家具の合間を縫うようにしてもどこも突っかからない。


 鏡には、確かにあの頃の自分がいた。

「はぁー……」と感嘆のため息をつく。


「我ながら傾国だわね。時代が時代ならトップアイドルだったわよ」

「さすがです姫さま。お美しくいらっしゃる」

「ヤバいわマジカル」

「これがあなたさまの人生に欠けていたものでございます。多実子さまは本来、ユイマール王国の姫君でマジカルの正統後継者。何不自由ない暮らしを約束されていた方でございます。おいたわしや姫さま……。しかしそのような暮らしもこれが最後。共に王国へ帰りましょう」

「あ、なんか飛躍したわね。王国には行くけど、叔母さんに挨拶するだけだからね」


 まあいいわ、と多実子は伸びをする。背骨が鳴らないことに感動を覚えながら、「連れていってちょうだい。手土産は何がいいかしら。急だったからなんにもないわ。貰い物のお煎餅でいいかしらね」とお茶請けにとっておいた煎餅の箱を棚からおろした。

 ふと、自分の指先を見る。さっき棘が刺さった指も治っている。一体どういうメカニズムなのだろう。体が丸ごと十八歳の頃に戻っているとでもいうのだろうか。

「この姿だと服がダルダルね。痩せてた頃に着てた服、あるかしら」

「多実子さま、マジカルでございます」

「マジでございます??」

 言いながら多実子はもう一度目を閉じて、「このころ着てた服は……えーっと」と呟く。

 そして目を開けた時、多実子は女学生時代に来ていた制服姿だった。黒のセーラー服である。「やだ、懐かしい!」と多実子は感激する。


「じゃ、行きましょ。叔母さん、お煎餅が好きだといいけど。母さんは好きだったし、きっと大丈夫よね」

「ユイマール王国にはそういった食べ物はございません」

「よかった。なんかすごい高級品だってことにしてもバレないわね」


 何か言おうとしたチャンプルが言葉を呑みこみ、「さて姫さま、こちらでございます」と鏡の前までエスコートする。「ドキドキするわ。母さんの子供時代の話とか聞けるのかしら」と多実子は両手をこすり合わせた。

 液体のように波立つ鏡の前で、「あっ、こっちと向こうで時間の流れが違うとかやめてよ? 向こうで一日過ごしたらこっちで一年経ってるとか。年末には孫と息子夫婦が来るんですからね」と眉を顰めれば、チャンプルは「心得ました。ユイマール王国には決まった『一日』などの単位がございませんが、私めがこちらの世界での一日の経過をお知らせいたします」と言う。多実子はかなり不安になってきたが、「挨拶してお話するだけだから大丈夫よね」と自分を納得させるように頷いた。

 それからチャンプルのエスコートで鏡の中に飛び込む。液体の中を揺蕩うような一瞬があって、それを抜けた先に草原があった。






 母は十年前、八十五歳で死んだ。その三日前に亡くなった父の後を追うように、大往生だったと思う。幼いころから母を見てきたが、ごく一般的な主婦だったはずだ。王国だとか姫だとかマジカルだとか、そんなことは一言も聞いたことがないし、母から何か偽りの空気を感じたこともなかった。

 これが本当なら、何も言わないままいなくなってしまった母を恨むところだけれど。


 そう思いながら多実子は草原を抜ける。ユイマールは美しい国だった。


 空の色は夕暮れに夜が混ざり始めるうす紫で、時間が経ってもずっと変わらない。草木は生き生きと緑だ。樹木すら、子供が描いた絵のように緑だ。


「多実子さま、あそこに見えますでしょう。女王陛下がおわすお城にございます」

「ここは本当に、子供が夢に見るような国ねえ」

「素晴らしい国でしょう」

「まあ素敵な国だわね」


 チャンプルはぬいぐるみ擬きの姿になっている。そちらが本来の姿なのだから当たり前と言えば当たり前だが。

「しかしながら姫さま、お城へ行くには城下町を抜けなければなりません」

「いいわね、城下町。何か名物とかある? お腹がすいたわ」

「いいえ、姫さま。城下町はいま魔物被害で大変なことになっております。速やかに抜けなければなりませんよ」

「なんか不穏なこと言い出したわね。ここ、魔物なんて出るの?」

「出ます」

「マジカルはどうしたのよマジカルは」

 姫さま、と神妙な顔でチャンプルは多実子を見る。


「実はマジカルは王家の血を継ぐ者、しかも女性にしか使えません」

「設定を小出しにしないで、詐欺師くさいわよ。大体あなたも姿を変えたりしてるじゃないの」

「女王陛下のお力でございます」

「じゃあ女王陛下叔母さんは一体何をしているのよ。魔物をほったらかしにしてるわけ?」

「女王陛下だけではとてもじゃありませんが追いつかないのです」

「ははーん」


 多実子は自分の顎に手をあてる。ようやく話が見えてきた。

 駆け落ちした妹の娘をわざわざ呼び戻すなんて、ただ会いたいだけのはずがないとは思っていた。

 このぬいぐるみの言うことを信じるのなら多実子は一応王家の血を引く女で、マジカルパワー(?)を持つ。王国の危機に助力を求められるに違いない。

 この国のことは全く知らないが、親戚が困っていると言うのなら手を貸すことくらいやぶさかではない。自分が特別な力を持っていて、それを求められているというのは悪い気分ではないし。


 城に近づけば近づくほど、チャンプルの言うとおりひどい有様だった。人々が打ちひしがれている姿を見て、多実子は『どんなことを頼まれても受けてあげよう』という思いを強くする。七十二歳、向こうの世界では仕事も子育てもやり切った。体もすっかり若返ったことだし、見知らぬ土地でボランティアに明け暮れるのも悪くない。


 なんとか無事に城に着き、すぐに奥へと通される。「ここが、謁見の間でございます」とチャンプルが言った。多実子はごくりと喉を鳴らす。


 重い扉が開かれ、赤い絨毯に何段かの階段の先、玉座があった。厳しい顔つきの綺麗な女の人が座っている。

 ああ、と多実子は不思議な気持ちがしていた。

 母によく似ている。双子だったのかもしれない。母はもっと柔和な顔つきの人だったが、目も鼻も口もすべて瓜二つだ。


「はじめまして……」

「よく来ましたね、フシの子」


 フシ――――。多実子の母は節美フシミといった。あるいはそれは、あの世界での通名だったのかもしれないが。

「えーっと……多実子っていいます。お会いできて光栄です。これ、こっちの世界のお煎餅」

「ありがとう。私はティダ。あなたの母の、姉です」

「母さんからは、全然聞いていなくて……。でもこうしてお会いできたのは本当に嬉しいです。この歳になると親戚もどんどん減っていって……」

 伯母は盛大にため息をつく。「フシはあなたに何も教えていないのね。それどころか、なんて呪いを残して」と言った。


「チャンプルに聞いたでしょうが、あなたは本来肉体的に歳をとらないことを選ぶ自由がありました。これはマジカルパワーではなく、この国の住人はみなそうなのです。それを長い間老いとともにあったあなたの人生はさぞつらかったでしょうね……」

「えっ、同情されてる?? 確かに歳とるのはいいことばっかりじゃなかったけど、同情されるとちょっと腹立つわね。悪くないものよ、おばあちゃんになってちょっとずつ色んなことが他人事になっていくのも」

「でもその姿から戻りたくはないでしょう?」

「ぐぅ……だって動きが軽やかで……」


 ティダは瞬きを一つして「タミコ、お願いがあるのです。呼びつけておいてこんなこと、厚顔無恥にも程があるのだけど」と話し始める。来たわね、と多実子は思った。顔も知らない伯母が自分を頼ってくれたのだ。なるべくなら受けてあげたい。自分に一体何が出来るのだろうか、という高揚感すらある。


「今、王国は魔物被害で摩耗しています。人口はこの五十年ほどで半分になってしまいました」

「そんなに……!」

「ユイマールの国民は老いません。マジカルパワーがあれば滅多なことでは死にません。ですので今から数百年前、この国では生殖に関わる行為が禁忌とされました。『これ以上の人口増加を防ぐため』として」

「はあ……。そうなんですか……」

「しかし人口が減少した今は違います。子作りを解禁しなければなりません」


 いまいち、何の話をしているのかわからない。「大変ですねえ」と多実子は言っておく。ティダは頷き、「しかし子作りが禁忌とされた時代が長すぎました。国民はみな、生殖に関わる行為に忌避感があります」と続けた。

「かくいう私も、子作りの方法を書物でしか知りません。王家が率先して模範を示すべきと心得ておりますが」

「ま、待ってください。何の話をしているの? 魔物を倒すために力を貸してくれって話じゃ?」

「魔物を倒す? タミコ、そんなことは兵士の仕事です。王家の者がやることではありません」

 多実子は混乱し、「えー……でもマジカルパワー持ってるの王家しかいないんでしょ? じゃあ王家なにやんの?」と自分のこめかみに手をあてる。


「子作りです」

「こ、子作り!?」

「タミコ、あなたはあちらの世界で子を産み育てたと聞きます。この国で王家の血を引く者として子作りし、民に模範を示してほしいのです」

「ふーん……ちょっと何言ってるかわかんないから帰るわね。会えてよかったわ、伯母さん。またね」

「お待ちなさい。あなたにしかできないことなのです」

「ううん。あのね、伯母さん。それはあたしにしかできないことなんかじゃないわ。というかあたしにはできないわよ。七十二よ、あたし」

「あなたもユイマール人。肉体年齢などないのと同じです」

「むりむり。子ども産めっての? そんな簡単なことじゃないのよ。保健体育の授業ならいくらでもやったげるから、産むのはそっちでやってちょうだい。育てるのもよ」

 黙ったティダがため息をつき、「そうですね。このようなことを、あなたのような歳若い娘さんに頼むべきではありませんでした」とどこか遠いところを見る。


「タミコ、突然呼びつけて突拍子もないお願い事をしてしまい申し訳ありません。あなたはフシによく似ている……なんだか懐かしい気分です。私も会えて嬉しかったですよ。こんなところだけれど、よければゆっくりしてお行き」

「……はい」


 ティダはチャンプルに目配せし、チャンプルは「かしこまりました」と恭しく頭を下げた。それから「多実子さま、こちらへ」と多実子の手を引く。

「お部屋をご用意してございます。今日のところはゆっくりお休みになられますよう」

「……ありがとう」

「お食事はお部屋にお運びしましょう」

 通されたのは、旅行でも泊まったことがないほど広い部屋だ。ふかふかのベッドに腰かけ、多実子は長めのため息をつく。チャンプルが気遣わしげに「やはりどうしても子作りをしてはいただけませんか? この国有数の美男子を取り揃えているのですが」などと言った。多実子は呆れて、「そんな、商品みたいに人のこと言うもんじゃないわ」と注意する。

「ロマンスなんて傍から見てる分にはいいけれど、この歳になったら当事者になるのはご勘弁願いたいわ。愛だの恋だの、あんなに面倒なことって一度で十分。子育てはもう一度してみたいと思うけど……ああ嘘。やっぱり嘘。あんなに大変なこと、もうできないかも」

「そういうものですか」

「大体、伯母さんが言ってることって変よ。だって魔物がいる限り何の解決にもなってないでしょ? 先にそっちをどうにかするべきだと思うけど」

「女王陛下は魔物を討伐するには人口を増やして国力を増強する必要があるとお考えでございます」

「とはいえ子どもが育つのに何年かかると思っているのかしら。気の長い話ねえ。この国の人たちは『老いないことを選べる』ってだけで早く大人になれるわけじゃないんでしょ?」

「何年かかっても耐えるのです。それしか有効な手がございません」

「そうかしら?」

 そのままごろんとベッドに仰向けになると、チャンプルは「はしたのうございます、姫さま」と言った。確かにこのようなことは、多実子も十八歳の姿でなければやらなかっただろう。随分姿かたちに引きずられているようだった。


 ふと思いついて、姿を七十二歳に戻してみる。当然だが十八歳の自分の面影がそこにあった。「この姿だって悪くないわ。少なくとも、同情されるほどじゃないわよねえ」と頬杖をつく。

 すると指先がちくりと痛んだ。今朝がた棘が刺さったところだ。傷が治ったわけじゃないらしい。元の姿に戻れば傷はそのままというわけだ。

 小さな傷が煩わしく、多実子はまた十八歳の姿になる。


「なんだか疲れちゃった。ご飯の前にちょっと眠るわね」

「かしこまりました。二時間ほど経ったら起こしましょう」

「うーん、起きれるかしら」


 このまま寝たら、今までのことが全部夢で、いつもの自室で目を覚ましたりして。

 そんな風に思いながら目を閉じる。余程疲れていたのか、眠りはすぐに多実子を呑み込んだ。







 夢を見た。


 多実子は十八で、四十の母が実家のベランダで穏やかに微笑みながら多実子を見おろしている。

 ねえタミちゃん、と風に乗って声が聞こえてきた。

『ねえタミちゃん、何歳の時が一番いい時だと思う?』


 変なことを聞くのだな、と多実子は思った。まだ十八だった多実子からすれば、今が一番いい時だった。だけど今のままでは子供すぎる、もっと大人になりたい、とそんな風に思ってもいたから、『十九かしら』と答えたと思う。


『母さんもよ』と母が頬杖をついた。『母さんもね、これからが一番いい時だと思うの。明日が一番いい日だと思うのよ。タミちゃんはよくわかってる』と。


 多実子はその日、恋人と出かける日だった。後に夫になるその人は多実子より五つ上で、だからだろうか。多実子はどうしてだかいつまでも大人になれない気がして、あの人に追いつけない気がしていて、いつだって過去より今が、今より先の自分が、ずっと羨ましいような気がしていた。

 母もそうだっただろうか。わからない。だけどどこかで歳をとることをやめられたはずの母が老いることを受け入れていた理由は、なんとなくわかる気がした。






 微かな揺れに目を覚ます。「おや」とチャンプルの声が聞こえた。

「まだ一時間経ったところですが、お目覚めであればお食事をご用意いたしましょう」

「ずっとここにいたの? なんだか悪いわね」

「私の仕事ですから」

 今は何時なのかしら、と思いながらカーテンを開ける。そういえばこの世界には時間の概念がないんだったかしら。不便だわね、と思いながら外を見ると、相変わらずうす紫の空の下に黒い影が蠢いているのが見えた。


「何あれ」


 黒い影が人々を襲っている。ぬいぐるみたちが一生懸命黒い影を棒のようなもので叩いているが、反撃にあってバタバタと倒れていく。


「あれ……魔物?」

「はい」

「なんでそんなに冷静なの? あなたの仲間、すごいやられてるんだけど」

「私どもは人間ではありません。女王陛下の作った兵士でございます」

「全然勝てる気配ないわよ」

「困ったことに」

「えー……。今すごく困惑しているわ。さっき『何年かかっても耐えるのです』みたいなこと言ってなかった?」

「申し上げました」

「耐えられる? これ」

「兵士は数多くおります」

「すごい失礼なこと言うけど、ゼロに何かけてもゼロって感じの戦力よ、これ。見てる限り」


 チャンプルは面喰った様子で「何とか被害を食い止めております。しばらく相手をしていれば魔物も去っていきますし」と言う。「それはね、いい餌場だと思われているわよ」と多実子は冷静に指摘した。

「やっぱり子ども産んで育ててなんて悠長なこと言ってる場合じゃないんじゃない? それも大事なことだと思うけど」

 言いながら多実子は顎に手をあてる。「ねえ、騎士団長さん」と呼びかければ、チャンプルがややあって「はい」と返事をした。


「マジカルパワーって王家の血を引く娘しか持たないのよね?」

「ええ、まあ」


 多実子は腕まくりする。「いっちょ、やってやろうじゃないの」と勇ましく拳を握った。

「多実子さま……?」

「やるなら形から入らなきゃね。姿見はない?」

「こちらに」

 鏡の前で多実子は目を閉じる。イメージするは、戦う女の子だ。


 目を開ければ、ふりふりのスカートを履いた自分の姿があった。「いいじゃなーい」と多実子はポーズを取ってみる。「でも参照元の影響が強すぎるかしらね。セーラーじゃない方がいいわ」と言ってまた目を閉じた。次の瞬間には、ふんわりとピンクのエプロンドレスを着ている。

「武器は何がいいかしら。ステッキ? でも冷静に考えるとステッキでどう戦うのかわからないし……でもあたしが扱える武器なんてあるのかしら……」

 目を閉じて考えると、右手にずっしり重みを感じる。目を開けるとそれは、棒――――というか、めん棒だった。


「……あたし、給食のおばちゃんだったのよ」

「キュウショク?」

「ショックだわ……確かにこいつで随分食材を叩いてきたけど、あたし内心ではこれを武器だと思っていたのかしら」

「まさか……戦うおつもりですか? 多実子さまは王家の姫君。何かあったらどうなさるのです!」

「まあいいわ。こいつで魔物アレをぶん殴るわよーっ」

「お待ちください、多実子さま!」


 窓を開け、縁に足をかける。そのままジャンプした。十八歳の体は軽く、どこまでも飛べそうだ。


「この国の辞書に“ノブレスオブリージュ”って言葉を追加してやるざますわよーっ!!」


 魔物に殴りかかり、そして、ものの見事に振り払われふっ飛んだ。


 瓦礫の山に埋もれながら多実子は「こりゃ滅ぶわ、この国」と呟いた。






「なーにがマジカルパワーなわけ? 普通にふっ飛ばされたわよ」

「マジカルには厳しい修業が必要でございます。女王陛下も子どもの頃から修業を積んでおられました」

「そういうことは早く言ってちょうだい。特別な力を持っているならいけると思ったじゃない」

「使ったことのない力をいきなり実戦で使おうというのは些か無謀かと」


 多実子は立ち上がって土ぼこりを払いながら「も~、いたーい」と嘆く。

「こんなんじゃダメね。もっと強い武器が必要だわ」

「ま、まだやるつもりでございますか?」

「試行錯誤できるうちはやるわ」

 もっと強い武器を、と念じるとめん棒は包丁へと変わった。「愛も夢もへちまもないわね、包丁って……」とうんざりしながらも、それを握り締める。「覚悟ーッ」と言いながら魔物へと突進していき、蹴っ飛ばされた。


「まだまだ!」


 手を変え品を変え突進していくも、まったく歯が立たない。ハラハラしている様子のチャンプルが、「私どもにお任せください、姫さま」と多実子を宥めようとする。


 やがて何度目かのチャレンジで、ふっ飛ばされた多実子は頭を強く打った。血が飛び散って、視界が赤くなる。朦朧とする意識の中で、多実子は膝を抱える自分の姿を見た。


『もうやめたい』


 ふてくされた顔の多実子は、十四歳ごろだろうか。確か、ピアノのレッスンから逃げ出した時のことだと思う。


『もう、やめたいの?』


 そんな多実子に声をかけた人がいた。背が高くて、歯の白い人だった。当時男の人はみんな煙草を吸っていて歯が黄色くなっている人ばかりだったから、その人の歯はどうにも眩しく見えたものだった。




 多実子はハッとする。「今、死んだ!?」と言いながら起き上がると、体のどこにも傷はない。不思議に思ったが、ようやく理解した。

 多実子の体は十四歳の頃に戻っている。十八歳の頃よりさらに手足が細く、胸がない。

 姿を変えれば体の状態も変わる。だが、


(……傷は、なくなったわけじゃない。今朝負った些細な傷が消えていなかったように、たぶん、十八歳の姿になったら傷はそのまま残っているはず。ということはあの姿にはもう、なれない)


 武器を用意しなければ。遠距離攻撃できる武器か、長い武器。あの魔物に力では勝てない。接近戦では多実子が不利だ。

 薙刀を持っていった。薙刀を引っ張られて頭を潰されてダメだった。

 弓矢を飛ばした。魔物は一足飛びで多実子の目の前まで来て、ふっ飛ばされた。

 十五歳の姿になったり、十歳の姿になったり、もうめちゃくちゃだ。


 多実子がふっ飛ばされた拍子に大きな建物が崩れて、逃げ遅れた人の上に瓦礫が落ちてくる。多実子はその人のことを身を挺して守った。二十五歳の頃の姿で。ちょうど、息子を生んだ頃の姿だった。






『もうやめたい』


 十四歳の多実子が膝を抱えている。

『いくらやってもできるようにならないんだもの』

 まあ、べそなんかかいちゃってみっともない。


 また、多実子は自分の姿を見ている。十四歳の多実子はふてくされていて、その前には十九のあの人が立っていた。

『そう。いくらやってもできるようにならないんだ?』

 その人は、まるで大人が子供の主張を受け止めたふりするかのようにそう繰り返した。というか実際、大人が子供の主張を受け止めるふりしただけの響きだった。

 たぶんその時の多実子もそれがわかっていて、尚のことふてくされた顔をしてぎゅっと自分の膝を抱えていた。


『じゃあ、きみ、ピアノを弾く人じゃないのかもよ』


 そう、彼が言った。

 意味がわからなくて、思わず多実子は顔を上げてしまった。あの人は悪戯っぽく笑って『踊りませんか、お嬢さん』と右手を差し出している。


『きみ、ピアノを弾く人じゃなくて、踊る人なのかもしれないよ』

『どういう意味?』

『そんなに暗い顔をしていないで。もっと楽しいことはたくさんあるってことさ』


 十四歳の多実子が、彼の手を握る。

 ふっと笑いながら多実子は「悪いひと」と呟いた。


「随分な言い草じゃないか。そりゃ、あのを不幸にしたんなら極悪人だがね」


 多実子は振り向き、そこにあった皺だらけの顔を見て思わず顔を綻ばせてしまう。白い歯だけはそのままで、彼も笑っていた。


「あら、あなたについて行って散々な目にあったわよ、色男さん。女の子たちからずいぶん恨まれたんだから」

「ぼくのエスコートに不満があったなら言ってほしかったな」


 多実子は若い姿でつんとすまして、自分の髪を撫でたりして見せる。それから片目を瞑って右手を差し出した。

「あの日みたいにダンスに誘ってくださらないの?」

「こんなじじいに、きみみたいな素敵なお嬢さんを誘うなんてできるかよ。つりあわないぜ」

「しょうがない人ねえ」

 目を閉じながら、多実子は自分の髪を指で梳かす。次の瞬間には、多実子は七十二歳の姿だった。奇しくも、五年前に死んだ彼と同じ歳だ。


「いいのかい、ぼくなんかに合わせて」

「どんなに若くなったって、あなたがダンスに誘ってくれないなら意味がないもの」

「なんて男冥利につきる台詞だ」

「そうでしょう? あなたの奥さんってできたひとね」


 彼が多実子の手を取る。

「ぼくは極悪人で、きみはできた奥さんで」

「世界はあたしを中心に回っていて」

「さすがお姫さまだ」

「からかってる?」

「からかってるよ。自分の嫁さんがどこぞの国のお姫さまだったなんて」

 緩やかにステップを踏みながら、「ねえ。あなた、あたしがお姫さまだって知ってたの?」と尋ねてみる。「まさか」と彼は笑った。


「じゃあ、どうしてあたしだったの? どうして、あたしを選んだの?」


 あの頃彼は、ピアノ教室で講師のアルバイトをしていた学生で、家柄も学歴も申し分なく将来有望。若い女の子はみんな、彼目当てにピアノ教室に通い詰めたものだった。その上彼も相当なプレイボーイで、身を固めるなんて考えられない人だった。


「ぼくがきみを選んだと思っているの? どうして?」

「どうしてって……。あたしに言わせないでよね。手当たり次第に味見してたくせに」

「ぼくは選んでいただいた立場ですよ、きみに。ダンスに誘ったら、きみはぼくの手を取った。そうだろ」


 多実子はじとっとした目で彼のことを見た。彼は「なんだい、その顔は」と心外そうに目を見張る。

「こんなに素敵な女の子がぼくを選んでくれたなんて、今でも信じられないよ」

「まァ! 相変わらずね、すけこまし!」

「信用がないんだなぁ」

 言葉と裏腹に機嫌よくくるりと回りながら多実子は、「質問の答えになってないわよ。どうしてあたしだったわけ?」と再度問いかけた。彼はちょっと黙って、何か考えている様子だった。『考えなきゃ答えられないような質問だってこと?』とムッとして、多実子は彼の足を踏んづけてやろうかと思う。


「ねえ、たみちゃん」


 懐かしい響き。

 多実子のことを“たみちゃん”と呼んだのは母とこの人だけだ。だけど響きは全く違っていて、この人の“たみちゃん”は他にたとえようもなく甘い。


「いつも親の仇を睨むようにしてピアノに向かっていた、きみのことが好きだったよ」

「なぁに、それ」

「『この子は本当にピアノが嫌いなんだろうなあ』ってずっと思ってた」


 多実子は顔を赤くして、『そんな顔してないわよ』『ピアノを親の仇のように嫌ってた子ならもっとたくさんいたわよ』などと言い返そうとしたが、なぜだか彼は本当に愛おしげに多実子を見るので何も言えなくなってしまった。


「でも、やめなかったね」


 左手が離れる。二人とも一歩前に出るようにして、また左手を繋いだ。

「いやだいやだと言いながら、きみはピアノをやめなかった。何度ぼくの足を踏んだって、ダンスもやめなかった。それできみは、いつの間にかあの教室の誰よりピアノが上手くなって、ダンスだって踊れるようになっていた」

「そんな昔のこと、覚えてないわ」

「ぼくが覚えてるよ」

 彼がそっと多実子の頬を撫でる。「たみちゃん、きみはなんちゃら王国のお姫さまかもしれないが、その前にぼくの大事なたった一人のお姫さまだ。これ以上痛めつけられるところは見たくない。きみはきっと、戦う人じゃないんだよ。もうやめたらどうだい」と言ってそのまま多実子を抱きしめた。

 それで、その彼の言葉で、多実子はすっかり覚悟を決めてしまっていた。

 彼も困ったように苦笑して「」と続ける。


「きみは誰より負けず嫌いの女の子だ。このまま負けっぱなしでは、誰よりきみが悔しかろう。ぼくにできることはここでこうして、『もうやめたらどうだい』ときみの足を引っ張ることだけだが、きみは決して止まりはしないだろうね」

「……ええ。ありがとう」


 そうだ。多実子は昔から、自他共に認める負けず嫌いだ。

 だから彼がここで『もうやめたら』と言う限り、多実子は絶対に諦めはしないだろう。だって多実子は昔から、周りに“どうせできない”と思われることほどやりたくて仕方がない性分なのだ。


 みるみるうちに元気が湧いてきて、多実子は「あいしてる」と彼の頬に口づけして、彼から離れる。「行ってくるわね」と手を振れば、彼は仕方なさそうに笑って手を振り返してくれた。







 目を覚ます。体は傷もなく綺麗だ。

 そしてこれがいつの姿だか、多実子はわかっていた。十八歳八か月十五日目。彼と式を挙げた日だ。

 最初に戦った時の姿は十八歳一か月。彼にプロポーズされた日だった。


「多実子さま! もうやめましょうっ」

「“もうやめよう”って言われると俄然燃えるタイプなのよね、あたし」

「多実子さまがその身を捧げてまで戦うことはありません! 私たちにお任せください!」


 元々ショートヘアだった多実子が、式のために伸ばしていた髪を風に揺らす。


「……26,280」

「はい?」

「単純計算で、365×72よ」

「な、なにをおっしゃっているんです?」


 先ほどまで多実子は、一年一年違う自分として、それを消費する戦いをしていた。つまり変身は72回が限度だと考えていた。

 だけど、一年ずつ違う自分であるという定義はそもそも自分がそう無意識に決めていたというだけで、なんら制限のあるものではない。


「あたしって毎日毎日、のよね」


 彼にプロポーズされた日の自分と、式を挙げた日の自分は全く違うのではないか、同じ十八歳だとしても。

 厳密にいえば、彼にプロポーズされる前日の自分とプロポーズされた日の自分は全く違う。あたしは十八歳三十日目の自分になりたいと思ってもいいし、十八歳三十一日目の自分になりたいと思ってもいいのだ。


「だからあたしは、26,280回変身してもいいってこと」

「何をおっしゃっているかわかりません! お降りくださいませ姫さま!」


 実際のところ、ろくに戦える状態というのはその半分もないだろうが、こういうのはなるべく高らかに吠えるべきだ。


「つまりあと26,280回も死ねるわ。うるう年もあるからもっとよね。ほんと、実り多い人生を送ってきてよかった! それだけ試行錯誤すればじゅーぶん。悪いけど、ぶっ倒すわね」


 武器は刀だ。結局、人生で一番よく見たのは時代劇のチャンバラだし、多実子にもなんとか扱えそうな気がするからだ。

 お待ちください姫さま、とチャンプルが叫んでいる。


「何度も肉体の年齢を固定し直すというのは、不可能ではないかもしれません。しかし、の話です。肉体の年齢を固定し直すための思考が追いつかなければ、そのまま死んでしまいます」

「それが大丈夫なのよ」


 あの人がいるから、と多実子は答える。

「いつだってあの人があたしを捕まえて、選ばせてくれるから。そのためにずっとあそこにいてくれるんだって」

「? あの人、とは……?」

 確か孫がやっているゲームに、近い概念があったと思う。セーブポイントだとか、ロード画面だとか、そういう感じだ。


 刀を構えて、多実子は「チェストーーーッッッ」と威勢よく踏み出す。


「姫さま!! しかしそうお怪我をなされては!!」

「これくらい、息子をひねり出した時の方がもっと痛かったわよ! 経産婦ナメんじゃないわ!」


 魔物に斬りかかり、またふっ飛ばされた。

 瓦礫がパラパラと落ちていくなか、多実子は血を吐きながら「ま、んなこたないかぁ……」と呟く。


「んにゃ! 負けないわよーっ」


 いくら2万も残機があるとはいえ、そのうち戦える年齢を考えたらこの体も惜しい。まだ動けるようなので刀を振り回してまた突進した。

 何回くらい死んだだろうか。最後の方は夫ともろくに挨拶せず、Uターンしては魔物に斬りかかった。そのうちマジカルの使い方もわかってきて、力強く刀を振ることができるようになっていた。やっと魔物にダメージが通り始める。


 それから呆れるほど刀を振り下ろし、多実子は頬についた汚れを拭った。

 動かない魔物を刀の先で突っつく。


「う……動かないわ……」

「多実子さま……」

「あたし勝った? あたし……勝った……!?」


 刀を掲げ、思わずガッツポーズする。明らかにドン引きしているチャンプルに、「そこ! なに引いてんの!?」と切っ先を剥ければ、「ひっ」と明らかに怯えられた。


「ま、あたしにかかればこんなもんよ! めちゃくちゃ死んだし今になって震えてるけど、人間やろうと思えばできないことってないわね!」

「多実子さま……」


 ぬいぐるみ兵たちがわらわらと集まってきて、多実子のことを畏怖の目で見ながら魔物の死体を片付け始める。

 すると伯母ティダの姿が現れ、「なんてこと……」と言いながら何か布で多実子の顔を拭き始めた。多実子はこの時十一歳の少女の姿だった。


「この百年、追い払うので精いっぱいだった魔物を、倒したというの……!?」

「恐れ多くも女王陛下、追い払えてもいなかったと思うのですけど」


 困惑する伯母に多実子は「子作りの件、正式にお断りいたしますわね。あたしのこと、待ってる人がいるんです」と片目を瞑って見せた。







 孫がスマートフォンを操作しながらちらりとテレビを見る。「あ、この子」と指さした。最近人気のアイドルだ。

「あたし、似てるって言われんだよね」

 十七歳の孫はちょっと嬉しそうだった。それを見た息子が、「確かに似てるなぁ……」と呟く。


「というか、若いころの母さんに似てないか?」

「そうなの? おばあちゃん、可愛かったんだ」


 多実子はテーブルに肘をつき、ため息をつく。指の先の小さな傷はもうすっかり治っていた。


「ありがと。でもばあちゃん、アイドルやめようかな。魔女っ子の方が忙しくて」


 そう言うと、孫は気持ちよく笑い、息子は『ついにボケたんじゃなかろうな』と多実子を見る。


 もっぱら多実子の最近の悩みは、この二人のことである。息子はマジカルパワーを継いではいないだろうが、寿命自体はユイマール人として永遠に近いものを選ぶことができる。孫の方はもっと深刻で、王家の血を引く娘としておそらくいつかマジカルパワーに目覚めるだろう。というかもうすぐ十八になるので刻一刻とその日は近づいている。孫は誕生日もうるう日ではないし、順当にもう数ヶ月でその日が来るはずだ。


 母はおそらく、多実子に大切な人たちと同じ時を歩んでほしいと思い真実を話さなかったのだろう。その愛情自体は理解できるが、そのおかげで大変な目に遭った。だから多実子は二人に話をするべきだと思うが、しかしこんな荒唐無稽な話をどのように伝えればいいものか。


「ねえ……あんたたち」

「なんだよ、改まって」

「何歳の時が、一番いい時だと思う?」


 四十七歳の息子は「心理テスト?」と半笑いで言いながらもちょっと考えるそぶりを見せる。「ま、この子が生まれたときだよな」と言いながら愛娘の頭をガシガシと撫でた。

 孫はといえば、撫でられながらも全く気にする様子を見せず、「うーん」とスマートフォンを見ながら口を開く。


「まだかなー。まだあたし、一番いい時って来てないと思う」

「これからってこと?」

「だといいなーって」


 ふっと笑って、多実子は「ばあちゃんもそう思う」と言った。「母さんもその歳でまだなの!?」と息子は驚いて目を見開く。


 まあ、そんなに悩まなくても良さそう。そんな風に思って、多実子は笑った。


 母さんきっと、幸せだったのね。人生を無限に延長することもできたはずの彼女が、夫の死んだ三日後に自分の人生を終わらせて、あんなに満足そうな顔をして。

 あたしも死にたい時に死ぬわ、と呟く。母さんがそうであったように。







 久しぶりに魔物に手こずって死んだ。せっかくなので夫とピアノを弾きながら多実子は愚痴る。

「伯母さんったら、まだあたしに王家の後継者を産ませるの、諦めてないのよ」

「王家ってのはそういうの大変そうだなぁ」

「あたしはこんなにも魔物と戦って頑張ってるし、正しい子作りの啓蒙だってしてあげてるのに。まだ手伝えって言うの? それだけはやらない! って言ってるのに」

 はは、と夫は笑って頬杖をついた。


「お婿さん候補は美男子ばかりなんだろ? 試しに話くらいしてみたらどう」

「本気で言ってるの?」


 頬杖をついたまま、夫は多実子を上目遣いで見る。この人が甘える時の、いつもの仕草だった。『この女は自分以外に絶対に靡かない』という確信を持っていなければ、このような挑発的な視線は寄越してこない。

 失礼しちゃうわ、と思いながら多実子は鍵盤を叩く。


 ぽろんぽろんと曲とも言えない音を響かせて、またちらりと彼を見た。彼は先ほどより幾分か寂しそうな顔をして、「いいんだよ。きみには永遠に近い時間があって、ぼくはその中の、一瞬だけ通り過ぎたようなものなんだからね」と言う。


 このひとは本当に、こういうところが極悪人なのである。


 多実子は彼の髪を犬を撫でるようにして、それから額にキスした。

 見つめ合う。

「そうよ。永遠に近い時間なのよ。あなた、ずっと待っていられる?」

「……ああ」

「あなたみたいなプレイボーイ、本当にあたしのことだけを待っていられるかしら」

「きみが思っているほど、ぼくは遊んでないけどな」

「よく言うわ」

「待っているよ、きみだけを」

「いい子ね」

 今度は唇にキスして、多実子は立ち上がった。


「恋だの愛だの、そんな面倒なこと二度と御免だわ」

「おや。ぼくらの日々は“面倒なこと”で片付けられてしまったのかい?」

「あたしにはあなた一人で十分だって言ったのよ。またね」


 彼はいつものように眩しげに手を振って、見送ってくれた。




 目を覚ました多実子は自分の体を見る。二十七歳、何でもない日の、ただ家族三人で笑い合っただけの日の自分で立ち上がった。

 魔物は体を震わせ興奮している。

「あの人と会わせてくれてありがとね。でもそう何度も会ってると特別感がなくなるし、もう倒すわね」

 そう言って、多実子は刀を構える。魔物が突進してきて、多実子は刀を横に凪いだ。

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マジカルプリンセス・タミコ hibana @hibana

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