闇バイト ~搾取される若者たち~

瀧本 あがき

第1話 【闇バイト ケース①:置き配】

蓮はテーブルに座り、高校時代から友人の亮と恭平とふざけ合っていた。

焼肉屋の個室には、肉の焼ける音と若い男たちの笑い声が満ち。個室全体に煙の匂いがこもり、テーブルには空になったジョッキやグラスがいくつも並んでいる。

顔を赤らめた蓮は追加注文しようとメニューを手に取り、店員呼び出しのベルを押した。


少しして、ふすまの向こうから「失礼します」と柔らかい声。着物姿の店員が正座で控え、端末を構える。

蓮は店員を見ることもせず、メニューをくるりと回して見せ、「これとこれ、あー、これも。追加で」と指で示すだけでだるそうに注文した。


店員が嫌な顔せず注文の内容を復唱し終えると、亮が「え、まじ?蓮ちゃんお金持ち〜♪」と茶化す。

店員は空いたジョッキを片付けて静かに部屋を出ていく。


店員が去ると、亮がにやにやしながら続ける。

「てかほんと蓮、最近どったの?こないだもブランド服買ってたし。なに、ママ活でもしてんの?」

気持ち悪い仕草で身体をくねらせ、唇に指を当ててアヒル口にして見せる亮。

蓮は「やめろ気持ちわりぃ。てかちげーわ」と笑いながら、舌をべーっと出しゲーっと吐く真似をする。


「まあ、ちょっとね〜♪」

蓮が濁すと、亮は「なんだよそれー」と不満げに言うが、酒の肴にしたかっただけなのか深追いせずすぐに引き下がる。

横で聞いていた恭平が「まあまあ」と笑って場をなだめ、

「そんな羨ましいなら亮がママ活すれば?」と軽く返す。


「やだよ!それならパパ活するわ!」

亮は拒否した後握りこぶしを作り、真剣な表情で宣言する。

「いやなんでそっちなんだよ」

恭平が突っ込むと、突っ込みが嬉しかったのか亮は豪快に笑い、その後しなを作る。

「ねぇ蓮パパぁ〜♡亮子、欲しいのがあるの〜♡」と上目遣いで迫る。

「ばっ、まじやめろ!ほんと吐く!」

蓮が笑いながら突き放し、恭平は腹を抱えて笑い転げた。


ひとしきり笑ったあと、恭平が目元をぬぐいながら「はー、腹痛ぇ。涙でた」と息を整える。

「てかさ、こうやってバカできんのももう少しかな。就活とかさ、マジで絶滅してほしいわ」

その言葉に亮が「やめろぉ!急に現実戻すな!」と頭を抱え、蓮も「それなー」と苦い顔。


「はは、ごめんごめん」

恭平は笑い、そして「このあとどうする? 現実逃避でオールのカラオケ行っちゃう?」と提案した。

「「いいねー」」

二人がハモり、自然に次の行き先が決まった。


――――


オールでカラオケし、気分良く帰宅する蓮。だが、気持ちよい気分はそこまでだった。

玄関を開けると、ちょうど父親が出勤するようで靴を履こうとしている。

そして目が合った瞬間、ため息をつかれる。


「蓮、またこんな時間に帰ってきたのか。あまり口うるさく言うつもりはないが、そろそろ――」

「ちっ…、はいはい、了解ですよお父さまー。朝早くからお疲れ様でーす」

父親が言い終わる前に、わざとらしく頭を下げて、さっさと靴を脱いで上がる。


階段の途中で背中に声が飛んできた。

「おい蓮!まだ話は――」


うるせ、と心の中で吐き捨てながら、部屋の扉を勢いよく閉める。

ドン、と鈍い音がして、父親の声はそこで消える。

色々めんどくさくなり、帰宅したそのままの姿でベッドに身を投げる。


(毎日毎日、決まった時間に決まった格好でお仕事お仕事。the社会の歯車って感じだな。あーはなりたくねえわ…)

心の中で父親を見下す。だが就活が近いせいか、ほんの一瞬だけ父親の姿と自分の未来が重なり胸の奥がどよっと重くなる。

(あーくそ!しんじ先輩にこのまま仲間に入れてもらえねーかな。金もそろそろ欲しいし)


ポケットからスマホを取り出し、いつもしんじに連絡するときに使うアプリを立ち上げる。

しんじが紹介してくれた、やたら秘匿性の高いやつ。

時間が経つと勝手に履歴が消える、便利というか、まあ…、そういう用途のためのアプリ。


(証拠、残ると面倒だしな)

俺のバイトはいわゆる闇バイト。

普通のメッセージアプリなんかでやり取りしてたら、速攻アウトだ。


しんじに連絡を送ると、ほんの数分で返事が返ってきた。


〈置き配の仕事、3日後用意できる〉


ベッドに寝転がったままスマホを掲げて、あざっす!とスマホに感謝の意を示す。

「あーマジでいいな、根回し用にちょっとかわいい後輩アピするために飲みに誘っておくか」と、感謝の返信と共に誘いのメッセージも送っておく。


「ふあー。なんか色々めんどくさくなってきたな、寝よ」

蓮は着替えをすることも、シャワーを浴びることもなくそのまま眠りに落ちた。


――三日後。

太陽がほぼ頭の真上まで来てる時間。

蓮は布団の中でぐだぐだ転がりながら、ようやく体を起こした。

あくびを噛み殺しつつ、しんじにもらった置き配の仕事をこなすため、適当に顔を洗って家を出る。


ロッカーの前に着く頃にも、まだ眠気が抜けてない。

だが手つきだけは慣れていた。アプリにあった番号を思い出しながら入力し、指定された荷物をサッと回収する。

今日も何も考えず、言われた通りに動くだけ。


目的地に向かう途中、運送会社のトラックが目の前を通り過ぎた。

蓮はひょいと手を上げて、ふざけ半分に敬礼。

「同業者さま〜お疲れ様でーす!」

朝から必死に働いている配送業者のことを考え、今の自分の立場を考えるとなんだか気分が良くなり、鼻歌を歌い始める蓮。


(毎回思うけど、中身なんなんやろなー。まあ確認はせんけど。てか、見ん方が絶対いいってしんじ先輩言ってたし。『知らなかったです〜っ』て言えるように、余計なことは見んのが正解よ。あー俺って従順でいい後輩〜)

そんな風に心の中で自画自賛をしているうちに、目的地に着く。


こういうのは、立ち止まりすぎると逆に怪しい。

蓮は、買い物袋でも置くみたいな自然さで荷物をそっと置き、そのまま通り過ぎるように歩いて行く。

途中で忘れちゃいけない証拠写真もパシャリ。

アプリで送信した後、勿論フォルダから消しておく。


「よーしっ!終わり終わり!やること終わったし大学でも行こ。あいつら誘って遊ぶか〜

両手をぐいっと伸ばしながら、気楽な足取りで大学へ向かった。


大学に着くと、まだ教室では講義の真っ最中だった。

蓮がそっと後ろの扉を開けると、一番後ろの席で恭平と亮がだるそうに座っている。

気付いた亮が、口元を緩めて小声で言った。


「よー蓮。重役出勤じゃん」

蓮も小さく笑って席に滑り込む。

「まーなー。てかさ、この前行った、店めちゃ美味かったじゃん。今度女子誘ってまた行かね?」


亮は首を横に振りながら眉を下げながら返す。

「またぁ?悪いけどもう金ねえよ。てかお前もこの前あんだけ使ったのに、まじで最近羽振り良すぎだろ」


その言葉に、蓮はどこか満足げに「まーな」と鼻で笑う。

亮は冗談っぽく手を合わせて拝みながら、

「なー、まじで最近どした?俺にも紹介してよ蓮さまぁ。わたし!やっぱり自分の貞操は大事にしたいの!」


「そのネタもういいって」

蓮は軽く笑い飛ばし、小声で続けた。

「まあ、特別にな…、絶対ほかのやつには言うなよ?」


亮は即座に身を乗り出す。

蓮は、声を落として言った。


「高校ん時、中退したしんじ先輩覚えてる? あの人にさ、ちょっと可愛がってもらってて」

それを聞いた恭平が、眉をひそめて口を挟む。

「え、しんじ先輩とつるんでんの? やばくね? いい噂聞かないけど…」

亮は恭平の発現に驚いたように「そうなん?」と目を丸くする。


蓮は「何も分かってないな」と言った後、片手をひらひらさせる。

「ばーか、そういうの偏見なんだって。しんじ先輩マジで面倒見いい人よ? 俺、この前さ、高級な夜のお店に連れてってもらったんだわ。めっちゃVIPみたいな扱いでさー、いや、もうまじ憧れたわー」

思い出してるのか、蓮はどこか遠くを見ながらニヤける。


恭平は戸惑った顔で「へ、へぇ…、すごいね」と曖昧な返事。

亮はそもそも理解が追いついてないのか「VIPかー」とだけ、羨ましそうにつぶやく。


蓮は、それな2人の反応を羨望と解釈し気持ち良さそうに続けた。

「そんでさ。俺、しんじ先輩に信用されてっから特別に仕事まわしてもらってんのよ」


恭平が真剣な目つきになって問う。

「…どんな仕事?」

その真面目さに気をよくしたのか、蓮はさらに得意げに口角を上げた。


「荷物、運ぶだけ」


ぱっと手を開いて見せる。

「で、五万。ヤバくね? ロッカーから取って、置き配して写真撮って終わり。めんどくさい人間関係ゼロ。最高じゃね」


その言葉を聞いた瞬間、恭平の顔色が変わった。

「…え、それって…」

亮は「え?なになに?」と不思議そうにする。


蓮は恭平の反応を見て、露骨に嫌なそうな顔をする。

「あー…、そういう反応ね?」

「それ、闇バイトってやつだろ。マジでやめとけって。ほんとにやばいぞ」

亮もようやく理解が追いつき、青ざめた。

「まじで!?おい蓮、それヤバいやつだってよ!」


蓮はめんどくさそうに手を振る。

「大丈夫だって。しんじ先輩からちゃんとアドバイスもらってるし」


恭平と亮がなおも食い下がる。

「いや、でも…」

「なあ、恭平がヤバいって言ってるしきっとあぶねえって」


蓮は顔をしかめ、一気に不機嫌になる。

「あーもういい。白けたわ。帰る」

そのまま立ち上がる。


「えっ? お、おい蓮!」

亮が慌てて引き留めようとするが、蓮は周りの学生の視線も完全無視で、そのまま無言で教室を出ていった。



講義中で静まり返った廊下を、蓮は大股でズカズカと歩いた。

「ったく、あいつら分かるやつだと思ってたのに。ほんっとメンタル弱ぇわ」

吐き捨てるように言い、

「せっかく甘い蜜、分けてやろうと思ったのによ。アホかよ」

とさらに悪態をつく。


自販機コーナーに着くなり、苛立ちをぶつけるように自販機をガンッと蹴り飛ばす。

金属の響く音が誰もいない廊下にやけに大きく広がった。


そのまま小銭を突っ込み、炭酸を買う。

プルタブを開けると、一気に胃の奥に流し込むように飲み干した。

「っぐえっふ…」

と汚らしいゲップを響かせ、近くのベンチにドスンと腰を落とす。


背もたれにのけぞるように腕を広げ、天井を睨む。

前髪を乱暴にかき上げ心の中で毒を吐く。


(どいつもこいつも、賢くねぇわ。あいつらも結局、親父と同じだったか。毎日コツコツ仕事して、はいご苦労さまって人生。つっまんねぇよ。俺は違ぇっての。人生なんて楽してなんぼだろ。やってるヤツはみんなやってるし、真面目ちゃんだけ損してんの、なんで分かんねぇかなー…)


ため息ひとつ吐いて、しばらくぼんやり天井を眺める。


チャイムが鳴り、講義の区切りを知らせた。

その音でようやく、自分がしばらく呆けていたことに気付く。

手に残っていた缶をもう一度口に運ぶが、炭酸が抜けかけていて、思わず顔をしかめる。

「…まず」

ぼそっとつぶやき、まだ中身が残っている缶を、横のゴミ箱に投げ捨てた。


「…帰ろ」

感情の抜けた声を落とし、蓮は大学を出ていった。



――数日後。

駅前の雑多な居酒屋。蓮はしんじと約束通り飲みに来ていた。


蓮はジョッキを片手に、しんじへ恭平と亮の話をうんざりした顔でぶちまけていた

「いやマジ、あいつら根性なさすぎっすよ。ちょっとビビりすぎっていうか」

「そっかー…、話しちゃったかー」

蓮が話しに夢中になっている間に、明後日の方向を向きながらしんじがボソッとつぶやく。

「…え?なんすか?」


話すことに夢中になっていた蓮は聞き取れず聞き返すもしんじは答える様子はない。

少ししてしんじが蓮の方に顔を向ける。

一瞬、しんじが感情を感じさせない目をしていたように感じたがすぐにそれは消え、鼻で笑うように息を漏らす。


「なんでもねえよ。しかし、…なんも知らねえ奴って、だいたいそう言うんだよな~」

声は笑ってるのに、どこか乾いた感じで、しんじが蓮の言葉を肯定する。

それでも蓮は、肯定してくれる人がいる。そんな気がして気分が軽くなる。

しんじはジョッキを一気にあおると、コトンと机に置き、身をぐっと乗り出した。


「気にすんなよ蓮。見つかったら、『なにも知りませんでしたぁ!(泣)』で押し通せば、ぜっっってー大丈夫だから」

片手で目元を覆ってわざとらしい泣きマネをしてみせるしんじ。

「っすよね!ほんとそれ!ビビりすぎなんすよあいつら!」


「でだ。もしもの時は、すぐに俺に連絡な?“すぐ”だぞ。俺がなんとかすっから。…まあ、そんな事態になるわけねぇけどよ」

がははと、身振り手振りを交え、大きく笑いながら言う。

腕を振るたびに、しんじの高そうな腕時計とシルバーのチェーンが光る。


「やっぱしんじ先輩だけっすよ!」

蓮は、かわいい後輩を演じることを意識し、少しオーバーに喜んでみせる。

しんじはニヤっと口角を上げると、

「なあ蓮、今お前…金、困ってたりする?」


「え?まあ…、ちょっとだけっすけど。なんでっすか?」


「いやな、今ちょうどかきいれどきなんだわ。いつもより多めに運んでもらえたら助かるんよ」

ほんの一瞬、しんじの目がすっと冷えたように見えたが、蓮はそこに気づかない。

従順アピールのチャンスだとしか思わなかった。

「全然やりますよ!まかせてください!」


即答。

しんじは露骨に上機嫌になり、また泣きマネをしながら蓮の肩を叩いた。

「おー!やっぱ蓮は最高だわ!俺、ほんと後輩運だけで生きてるわ~!」

そして勢いよく手を叩き、


「よし!今日は全部俺のおごり!好きなの頼め!」

蓮は「マジっすか!!」と子どもみたいに声を上げ、勢いよくメニューを開き物色する。

だから気付かない。


向かいの席で、しんじが冷めた眼つきで蓮の顔を眺めていることに。

まるで、自分の父親を見るときの蓮のような、あの見下し憐れむような、そんな目で見ていることに。



しんじと飲んだ翌週──蓮は、いつもより多く依頼された紙袋を届ける為、何度もロッカーと往復しながら街を早足で歩いていた。

蓮は多くの品物を任され、妙な高揚を覚えていた。『これだけの量を任されてる』その事実が信用されている証拠の様に感じ、


(やっぱ俺はできる方なんだよ。親父みたいにガチガチに働かなくても、生き方わかってる奴はこっち側にいる)

指定された場所に着くと、本日何個目になるかいつものように袋をそっと置き証拠写真を撮る

そのまま歩きながら写真を送信し、フォルダから消していると

「すみませーん、ちょっといいですかー?」

と声をかけられる。


心臓が『ドクン!』と驚くほど大きな音をたてて高鳴り、心臓を通して胸の奥の方からじわじわと熱くなってくるのを感じる。


一気にのどの渇きを感じ、思わず漣はごくりと唾を飲み込み喉を鳴らす。

(……大丈夫、焦るな…。俺は他とは違う)

自分に言い聞かせ、平常心を心がけ振り向く。


すると、そこには普通の服を着た年配の男性と女性が立っていた。


「どうもおにいさんすみません。○○駅に行きたいんですけど、この近くであってますかね?」

警戒していただけに逆に意表を突かれたように呆ける蓮。

少し遅れて先ほどまでの自分の反応がビビっていたように感じ、無性に自分と目の前の二人に腹ただしさがあ込み上げてくる。

「しっ!知らねえよ!自分で調べろ!」

蓮は苛立ちを二人にぶつけるようにし、そのまま踵を返し去っていく。


(くそっ!くそっ!俺はビビってねえ!)

誰に向けたのか分からない怒りを胸の中で吐きながら、大股で肩を揺らすように歩く。

自分を大きく見せようとするその姿は、自分でも分かるほど格好悪く感じたが、蓮は認めるのが嫌で意識的に考えるのをやめる。


「すいませーん」

背後からまた声。カッとなった頭のまま振り返りざま叫ぶ。

「しつけえぞ!」

しかしそこにいたのは、さっきの二人ではなかった。

制服姿の警官が二人、まっすぐこちらを見て立っていた。

「あー、お忙しい所すみません。お兄さん、ちょっと今お時間いいかな?」


一人はにこやかな表情で蓮に話しかけ、もう一人は少し後ろの方で肩にある無線機に何やら伝えている。

「…っ!」

完全に意表を突かれてしまった蓮は、平常心を取り繕うことも忘れ思わず目を大きくし声を失ってしまう。

先ほど去っていった激しい心臓の鼓動が、より大きくなって戻ってくる。


「んなんs…。な…、なんすか…?」

想像以上に喉が渇き喋りづらい。先ほどは潤せた唾も今は思うように出てきてくれない。

そんな漣の反応を気にした様子もなく、警官の一人が柔らかい笑みを崩さない。


「あー、驚かしてすみません。ちょっとお時間を頂きたいだけなんです、今大丈夫ですか?」

(ばっ、ばれてるわけじゃない…?)

警官の腰の低さに安心し、冷静さを少し取り戻す。


(とっ、とりあえず、しんじ先輩に連絡だ)

「なんす、か。忙しいんすけど」と、持ったままだったスマホをあたかも誰かとやり取り中だったかのように操作し、しんじにメッセージで現状を伝える。

(これでよし!)

ひとまず救援の連絡が出来たと安堵する蓮。


「すみません、本当に少しだけです。すみませんね」

腰が低く謝罪の言葉をしきりに言うが引く様子のない警官に、苛立ちと焦りが湧いてくる。

が、警官は蓮の不機嫌さからくる拒絶の雰囲気を気にかける事なく続ける。


「先ほど、あちらに何かを置いて行かれましたよね?」

(見られてたっ…!)


動揺が走るがすぐにしんじに言われた教えを思い出し、肩をすくめて笑ってみせた。

「は、配達っすよ。頼まれて…。もう終わりなんで」


「そうですか。さっき置かれた荷物、送り状だけ確認させてもらえますか?中は見ませんので。すぐ終わりますよ」

「いや、だからもう仕事終わったって言ってんじゃないすか。依頼者の情報とか、俺も知らないっすよ」

その瞬間、話していた警官が振り返り、もう一人になにやらアイコンタクトをする。

何も発しない。

ゆえに、余計蓮に嫌な予感を駆り立たせ、ぞわぞわとした感覚が押し寄せてくる。


(…どうすんだよ。どうすれば…、いい…)


考えようとしても、緊張で頭がまったく動かない。


「…お兄さん。実はですね、このあたりで不審な物が置かれていたという通報が入ったんです。中を確認したら怪しい物が入っていた、と」

(…っ…!)


更に心臓が大きく跳ね、耳の奥で血の音がドクドクと鳴りなりやまない。

「お兄さんが悪いと言っているわけではありません。ただ、何件か似たケースが続いてましてね。何も記載のない紙袋が、何も関係ない場所に置いてあるっていう手口です」


警官は、一歩だけ近づく。

蓮の逃げ道を塞ぐほどではない。だが、その一歩だけで圧がぐっと強くなる。

「ですので、確認だけ、ね?。一緒に戻りましょう。置かれた荷物、見せてもらえますか?」

喉が砂を詰められたように乾き、言葉が出ない。


蓮は言い訳を探すように目線を彷徨わせるが、

気付けばもう一人の警官が静かに立ち位置を変え、漣の逃げる方向はふさがれていた。


(…やべえ…、やべえ…。しんじ先輩…、返事、早く…)


スマホを見るが、メッセージは来ていない。

画面が手汗でじっとり濡れている。

「…いや、本当にただの配達で…」

「じゃあ、問題ありませんね。確認して終わりです」


警官は微笑み、穏やかな声で返す。

しかしその微笑みと穏やかな声に、逃がす気のない気迫を蓮は確かに感じた。


――置き場まで戻ると、

警官が紙袋をそっと持ち上げ、外装を眺める。

「…送り状、なし。宛名も、差出人も、どこにもないですね」

蓮の喉がひゅっと鳴る。


さっきまで話しやすい雰囲気が安心だったのに、今はその雰囲気が逆に不安をあおる。


「お兄さん。どういう荷物か、本当に知らないんですか?」

「しっ、知らない…。本当に知らないんだ…!」

自分でもびっくりするほど弱い声だった。

しんじに教わった決まり文句のはずなのに、今は全然心に力が入らない。


もう一人の警官が、今度は聞こえる距離で無線に短く告げる。

「本部、こちら3-2。今、現場で当事者一名確認。説明に不審あり。追加応援、ゆっくりで構いません」

無線への言葉がまっすぐに漣へ突き刺さる。

逃げ場のない包囲網が、静かに形を成していく。


「お兄さん。このままわからないままですと、私たちもそのままというわけにはいきません。何か送り先や宛先がわかる物、ありませんか?ここに持って来られたってことは、依頼が記されたものがありますよね?」

「…」


蓮が黙りこむと、警官はゆっくり視線を伏せ、それから何か紙を取り出す。

「お兄さん。ひょっとしてこういうアプリで連絡されてました?」

差し出された紙の一覧には、いくつものアプリのロゴが並んでいた。

その中に、しんじから使い方を教わったアプリのアイコンがあった。


(…ばれてるっ!)


反射的に凝視してしまった蓮を見て、警官は静かに、しかし確実に確信するような目をした。

「その反応…、知ってる、ということですね」

「知らない!」


咄嗟に口が動いたが、言った瞬間に後悔した。

自分のスマホのホーム画面には、まさにそのアプリがある。

隠しようもない。


「失礼ですが、そのスマートフォン、見せていただけませんか?」

バッとスマホを胸に抱え込む。

「ふっ…、ふざけんなよ!プライバシーの侵害だぞ!」

「そうですか。では、荷物の中を確認させていただきます」

「それこそふざけんな!これは配達品だろ!勝手に触んな!お前ら警察だからってよ、そんな権限ないだろ!」

蓮は叫び返す。

頭の中に、ドラマでよくある警察との押し問答が浮かび、思いそこにすがる。


「あ、ああ!それにこういうの、任意…、とかなんだろ!?俺は、ぜっっっってー認めねえからな!」

妙案だと思った。

これで押し返せると。

だが警官はどこか冷めた目で蓮を見返すだけだった。

「…ふう。よく言われるんですよね、それ。ですがすみません。現行犯の場合は違います」

「…は?」

妙案だと思った案が即座に否定される。


「塚田さん、確認を」

「はっ」


合図と同時に、後ろの警官が紙袋へ手を伸ばす。

「おいっ!やめろって!まだ話──!」


蓮は思わず飛びかかるように手を伸ばす。

だが先ほど話していた警官に腕を押さえられ、びくともしなかった。


全力で抗っても、腕は鉄のように動かない。

もがき、噛みつかんばかりに抵抗している間に、

「開きました。こちらです」

蓮にとって、死刑宣告のような重い言葉が落ちた。


袋が開かれ、のぞいた中には、

透明な小袋に包まれた、少量の白い粉。


(…………は?しんじ先輩…、こんな、こんなヤバい物だなんて…、聞いてないっすよ…)

顔から血の気が一気に引いていくのがわかった。


「知らない…、知らないんだ……!本当に知らなかった…!」

後ずさりしようとするが、腕を掴ばれたままでは逃げることすらできない。


「お兄さん。知らなかったかどうかは、証明になりません」

警官の声が、やけに真っ直ぐ蓮に刺さる。

その瞬間、床がぐらついたように感じた。

膝に力が入らず、蓮はその場に崩れ落ちる。


視界がゆがむ。焦点が合わない。

警官の声が遠くのトンネルの奥みたいにくぐもって聞こえる。

掴んでいた手が離され、蓮は地面に投げ出されるような形で座り込む。


(…やばい、やばいやばいやばいやばい……!そうだ…、しんじ先輩…、しんじ先輩!!)


反射的にスマホを取り出し、警官がすぐ横で見ていることも忘れて、しんじとのチャットを開く。

先ほどのメッセージに、既読がついていた。


(やった…!気付いてもらえた!これでどうにかなる!)


希望が差し込むように胸が熱くなり、手に力が入る。

(と、とにかく…電話!電話で…この状況を…!)

震える指で発信ボタンを押す。


トゥルル、トゥルル、トゥルル──


(つ、つながらない…?なんでだよ…何してんだよ……、しんじ先輩……)


トゥルル、トゥルル、トゥルル、トゥルル──


(嘘だろ……、はやく…、はやく出てくれよ…!)


画面ばかりが胸の前で震え、呼び出し音がむなしく響く。

「お兄さん。どこにかけようとしてるか、大体検討はつきます。──諦めた方がいい」

警官が諭すように言うと、

「うるせぇ!!黙ってろよ!!もうすぐなんだ…もうすぐ出るんだよ……!なぁ、そうだろ!? しんじ先輩!!」


蓮の叫びは、もう理性の外にあった。


額を地面に押しつけるように身体を丸め、震えながら叫ぶ。

「なあ…もう、いいだろ……!?はやく出てくれよ……!もういいって…わかったから!わかったって!だから、はやく…。助けてくれるって…助けてくれるって言ったじゃんかよ…!嘘じゃねえかよ!!!なあ!! おい!!しんじぃぃぃっ──!!」


叫びは途中でひしゃげて、喉の奥で潰れた。

返事はない。

画面の呼び出し音だけが空気を震わせ、やがて途切れた。




──完──




【立証された場合の起こりうる実際の罪状】

1.薬物関係罪(所持・譲渡・運搬など) — (数年〜無期の懲役や、高額罰金に至るケースも)

刑罰は薬物の種類と行為(所持/輸送/営利目的など)で変わる。

2.幇助・共犯(犯罪幇助) —

「知らなかった」と主張しても、運搬・保管などで「幇助(共犯)」と認定される可能性あり。幇助は本体犯と同様に処断され得る。

3.公務執行妨害罪 — (3年以下の拘禁又は罰金等)

警察の職務に対し暴行・抵抗を加えたり、物理的に捜査を妨げたりした場合、公務執行妨害(刑法95条)が成立し得る。

4.証拠隠滅の可能性 — (3年以下の懲役または30万円以下の罰金)

証拠を意図的に削除・破棄した場合、証拠隠滅罪(刑法104条)が念頭に入る。スマホの写真を削除する行為は、場合によって別の罪や捜査上の不利を招く。


【参照】

・覚醒剤取締法(法令原文) — e-Gov

・警視庁:薬物違反に関する注意喚起(処罰の概要) — 警視庁公式。

・覚醒剤事件の刑罰(弁護士解説) — 弁護士サイト(刑罰の実務解説)。

・闇バイト(受け子)と逮捕の実例・解説記事(刑事弁護情報) — 法律相談系記事。

・刑法(公務執行妨害・証拠隠滅の条文・解説) — e-Gov/解説記事。



―――――――――――――――――



【あとがき】

蓮の物語はどうだったでしょうか?

この作品は筆者の処女作になります。

異世界転生作品が大好きなのに、ほぼ真反対のジャンルが処女作…。おそらく需要は圧倒的にこちらの方が極小極狭で比べるまでもないでしょう汗。

自分で自分のチョイスがわけがわかりません(笑)


 ここでそうなった経緯をひとつ書かせてください。


数年前から、ニュースで『闇バイト』の話題をよく目にします。

正直、最初は「そんな内容の物まであるんだー」くらいの感覚で、どこか遠い出来事のように思っていました。

ですがある日、警察庁が学校向けに周知依頼している啓発資料を見つけて、驚きました。

「こんなにも様々な手口が存在し、実際の被害者がこんなにもいるんだ」と。

それをきっかけに、「自分にも周知のために何かできないか」。そう考えこの作品を書きました。


初めての執筆で至らない部分も多いと思いますが、

読んでくれた方が少しでも「闇バイトって怖いな。危険だな」と思ってくれたなら、本当に嬉しいです。

また、色々な所を調べたうえで書いていますがなにぶん専門分野ではありませんので、どこか差異がありましたらご了承ください。


 今回は割とあからさまな『闇バイト』を題材にさせていただきましたが、次回以降は「なぜそれが犯罪なの?」と思うような『闇バイト』をテーマに書いて行きたいと思います。

もし続きが気になる方、勉強になったよって方、被害者を減らすためにもっと広まって欲しいって思っていただけた方がいらっしゃいましたら評価して頂けると嬉しいです。

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