自分の文章のルーツ

アイス・アルジ

第1話 ルーツ?

 〈ルーツ〉


 〝文章のルーツは?〟と聞かれ、どう答えるべきか……

 今までに読んできた文章(本)に影響されているのでしょうが、正直のところ、自分では良く分かりません。

 国語の教科書の影響が大きいかもしれませんが、定かではありません……(中学生のころまでは、ほとんどと言っていいほど本を読まなかったので)



 〈文章嫌い〉


 子供のころ、文章を書くのは大の苦手でした。当然、手紙とか日記は書いたことがありません。


〝お菓子がおいしかった〟と言う経験を文章にした場合、私はせいぜい「お菓子がとてもおいしかった」くらいしか書かなかったでしょう。

 文章力のある子供なら、きっと「お菓子がおいしくて、笑顔になりました。もっと欲しいと思いました」のような、魅力的な(気の利いた)文章が書けたでしょう。



 〈詩的表現〉


 もし、ある程度長い文章を書いたとしても、詩的な表現のほうが書きやすかったと思います。

 例えば「初の、朝露の一粒がこぼれ落ちるような、みずみずしい果実」の様な文章表現は苦手で、「みずむずしい果実/初めての朝露/一粒の雫/こぼれ落ちる一瞬」の様な詩的文章のほうが、素直に書けたと思います。


 どうしてかは分かりません…… 特に〝詩〟になじんでいたかは疑問です。好きな詩人として、最初に思い出すのは金子光春氏ですが、高校か大学のころのことです。(高校の教科書だったかもしれません)

 学校の作文以外で初めて書いたのは、詩だったかもしれません。



 〈SF〉


 子供のころ読んだ本と言えば、生物(進化)の本(あるいは図鑑)とかSFでしょうか。SFでは特に福島正実氏の〝後書き〟の影響は大きかったと思います。

 優れたSFとは、ただ面白いだけではなく〝メッセージ性や社会批判、読者に疑問を問うもの〟といった、SF評論。SFへの強い思い。心に届く言葉でした。

 ただ、影響と言っても、その内容についてであり〝文章のルーツ〟となっているかは疑問です。

(後書きを先に読むという、癖はつきましたが…… 〝後書きを先に読む皆様へ〟などという後書きもありました)



 〈音楽評論〉


 文章表現の影響とすれば、大学のころに読んでいた阿木譲氏の〝音楽評論〟でしょう。

 評論の中に、社会批判や自らの思いを込めた、印象深い文章。心を揺りさます語り口。(福島正実氏の後書きに通じるかもしれません)


 氏の主宰していた雑誌〝ロックマガジン〟音楽評論だけでなく、独自の〝詩的〟で〝哲学的〟なコラムとアートワーク…… 当時、カルト的ともいえる、凄い魅力がありました。(音楽的影響も)


 ここに評論の一部を抜粋してみます、

 ———〝このスカスカの退屈な日常に、このアルバムの音楽が最もバック・グラウンド・ミュージックとして適している。

 幼稚園児たちの学芸会、痴呆な人間たちの遊戯音楽として、彼らを僕は手放せない。

 もうすぐ戦争が起こるって。もうすぐ暗い時代がくるって。彼らの音楽を聴いていて思わないか。

 生きていることの不安は、死の不安より増大し、生のアイデンティティーはどこにも見つけられやしない。

 扉と窓の向こうには、何が見える。僕にはもう何も見えない〟———


 〝詩〟ともいえるような文章(心の叫びもいえる言葉)を読んで、心動かされない人がいいるなんて、私には思えない。

 

 当時、ほとんど誰も聞いていなかったマイナーなロック。自ら信念で、これらの音楽を紹介し続けた(カリスマ)阿木氏。自虐的でもあり、当時の世界(時代)の空気を鋭くとらえていた。

〝今〟の時代にも通じると思わないかい。



 〈科学書〉


 巧みな文章だと思ったのは(松岡正剛氏主宰の)工作舎の〝科学関連書籍〟です。ほとんど翻訳ものでしたが〝F・カプラ氏のタオ自然学〟〝ライアル・ワトソン氏のアースワークス〟〝アーサー・ケストラーのホロン革命〟など、実に素晴らしい、文学的とも言える翻訳でした(内容も)。

 すっきりとして無駄がなく、控えめながら明確に意図を伝える美しい文章。理想的に思えました。


 美しい翻訳文が、一つの理想なのかもしれない。


 タオ自然学の一部を引用すると、

 ———〝完全なブーツストラップでは、宇宙の全現象は、互いの自己調和によって決定される。この自然観が、東洋の自然感に極めて近いのは明白である。あらゆる事象が、相互に関連し合っている不可分な宇宙。そこに自己調和がなければ、話が合うはずもない。

 ブーツストラップの基礎となる自己調和。東洋神秘思想が強調してやまない全現象の合一性と相互関連性。ある意味で、このふたつは同じ考えのべつな側面にすぎない〟———


〝ブーツストラップ〟とは、当時の進歩的(魅力的)な宇宙理論、今では忘れられているかもしれない。(自己調和の象徴)

 美しい文章も、自己調和していなければならない。



 〈海外SF〉


 それからも主に読む本と言えば、海外(翻訳)物のSF、しかも短編ばかりでした。

 翻訳ものは、上手い文章ばかりではなく、直訳(誤訳)の様な分かりにくいものもありました。そんな時、自分だったらこう書くのに、などと(頭の中で)文章を書き換えていたものでした。


 それでも(高校から大学の頃……)小説は書いていませんでした。

 (遅かったですね。しかもまだ、文章はなるべく書きたくなかった)

 

 小説を書き始めたきっかけといえば、定年後。1年ほど前、とある短編SF(翻訳)を自分なりに書き直したことがきっかけです。(半分ほどで、まだ中断したままですが…… 久々に続けてみようか……)



 〈メール〉


 30歳代のころから、会社のPC、メールの使用が始まりました。メールが主になると、文章の良し悪しが非常に気になり始めました。いかに無駄がなく、分かりやすい文章を書くか…… よいトレーニングになったと思います。(PCが無ければ、小説を書く事は無かったでしょう)



 〈こだわり〉


 文章において、読んだ時の〝違和感〟が最も嫌いです。従って、違和感がなくなるまで、何度も書き直します。


 例えば、

「彼は、高校時代に陸上をやっていた。駅まで走ったが終電に間に合わなかった」とうような文章。普通でしょうが…… 私にとっては気になる文章です。

 陸上が得意のはずなのに、なぜ終電に遅れた? 後の文章中で説明するかもしれませんが、終電に遅れたのであれば〝陸上をやっていた〟とは書かず「彼は、駅まで走ったが終電に間に合わなかった」と書くでしょう。

 高校時代の〝陸上〟が重要であれば、「彼は、高校時代に陸上をやっていたので、終電に間に合った」と書くでしょう。

 高校時代の〝陸上〟も〝間に合わなかった〟ことも重要であれば、「彼は、高校時代に陸上をやっていたのに、終電に間に合わなかった。なぜかと言えば……」のように説明します。

 たぶん科学書、学術書の影響が大きいのでしょう。(今でも科学書や学術書は好きです)

 

 理論的に書いていると言ってもいいでしょう。

 いっぽう、理論的ではない、詩的な文章も好きです。

 矛盾するようですが、理論的で詩的な文章(表現)が好きなのだと思います。

 文章を書く事は、自分の中にある〝思い〟や〝疑問〟に答える事。そして、理想の形に整える事。彫刻の様な作業が好きなのでしょう。



 〈会話文〉


 理論的文章が好きなので〝会話文〟は苦手です。ほとんど会話だけで物語が語れる作家。才能のある方は、うらやましいと思います。

(私には、今時の文章は書けないでしょう)


 *海外SF(翻訳)にも関わりますが〝ハインライン作/福島正実訳〟の物語りは、とても感情移入しやすく、素晴しい文章だと思います。会話の訳し方、バランスが優れているのかもしれません。

 福島氏は、かなり意訳をされていたそうです(作家でもあるので)。時間的には古いですが、氏の訳は(新鮮で)今だに古さを感じません(SFでは〝古さは〟致命的とも言えます。〝クラーク作/都市と星作〟は数年前、新訳版が出たと思いますが、惜しむ声があり、いまだに福島訳版も廃版にはなっていなかったと思います(私は、さらに別の訳を読んでおり、残念ながら福島訳はまだ読んでいません)


 夏への扉の一部を引用してみますます、

 ———〝綿毛の化物のような仔猫時代から、ピートは単純明快な哲学を編み出していた。住居と食と天気の世話はぼくに任せ、それ以外のいっさいは自分もちという哲学である。だがその中でも、天気は特にぼくの責任だった。

 コネチカットの冬が素晴らしいのは、もっぱらクリスマス・カードの絵の中だけだ。その冬が来るとピートは、きまって、まず自分用のドアを試み、ドアの外に白色の不愉快きわまる代物を見つけると、(バカではないので)もう外へは出ようとせず、人間用のドアをあけてみせろと、ぼくにうるさくまつわりつく〟———


 ここには会話は出てきあませんが、(一人語りの様な)語り口の文章です。分かりやすく、自然に物語の中へ入ってしまうようです(小説ではなく、まさに物語り)。

 読むだけでなく、こんな文章を書くのは、きっと楽しいでしょう。



 〈日本人作家〉


 偏見かもしれませんが、主に日本人作家(SF作家以外)の文章は一貫性がない(理論的ではない)と感じていました。(海外作家が好きだった理由の一つでしょう)

 今では、日本人作家の小説も読むようになりました。例えば、梨木果歩氏の文章など、素晴らしい(美しい)と思います。


 話は変わりますが、ノーベル賞作家、大江健三郎氏の文章は、正直、日本語としてどこか不自然。そこが魅力? 英語の直訳のような…… もしかしたら意図的なのか? だから英語に翻訳しやすいのか? ノーベル賞を取るためには、英文が評価されなければなりません。


 〝ルーツ〟の一端は分析できたかもしれません。昔からマイナー思考だったようです。(完成度の低い文章になりましたが……)参考になれば幸いです。

 

(2025/11/21~*11/22)



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