終末のハナカマキリ

淡内 梢

終末のハナカマキリ

 その日、僕は学校の屋上で空を眺めていた。


 夕暮れの空に広がる赤いグラデーションは刻一刻と色を変化させ、徐々に明るさを失っていく。

 屋上を吹き抜ける爽やかな風が、とても心地良く感じられた。


 しかし、風の中に僅かに混じる血生臭さと、時折聞こえる悲鳴が僕の意識を現実に引き戻す。


「それで……」


 僕は背後にいる人物に声をかけた。


「君は本当にソレを食べるの?」


「もちろん」


 背後にいる少女は手を休めることなく答えた。先ほど仕留めたゾンビを器用に捌いていく。


 校庭から断末魔の叫び声が聞こえてきた。

 金網のフェンスに指をかけ下を覗き込むと、担任の教師が仰向けに倒れていた。


「あー、先生やられちゃったよ」


 他人事のような呟きが口から漏れる。

 担任は目を大きく見開いたままゾンビにはらわたを喰われていた。



 いつもと変わらない学校生活が一変したのは、午後の授業が始まってしばらく経った頃だった。


 突然現れたゾンビに学校は混乱に陥った。


 教師も生徒も次々とゾンビになっていき、校内を徘徊している。

 まるでホラー映画の中に放り込まれたかのような状況に、僕の感情は次第に麻痺していった。


 逃げ回るのにも疲れ、迫るゾンビの群れをただ眺めるだけになった時、突然ゾンビたちが進む方向を変えた。


 その先には、一人の少女が立っていた。


 僕と同じくらいの年頃に見える少女は、両手に小さな鎌を握っている。


 群れの先頭にいたゾンビが少女に手を伸ばした瞬間、少女の鎌がその頭部を切り裂いた。

 それを合図にしたかのように、少女は鎌を振るい目の前のゾンビを次々と仕留めていく。

 無駄のないその動きは舞のように鮮やかで、僕は思わず見惚れてしまった。


「別に助けたわけじゃない」


 動かなくなったゾンビを引きずり、屋上へ続く階段を上りながら彼女は言った。


「食糧をりにきたら、たまたま貴方がいただけ」


 ――こうして僕は今、彼女と屋上で二人きりになっている。



「ゾンビって、どうやって食べるの?」


 彼女の作業を眺めながら、興味本位で尋ねてみる。


「肉は血抜きをしてから一晩干す。そのあと燻製にするけれど、それには我々の種族が暮らす土地の木を使わないといけない」


「意外と手間がかかるんだね。そのまま食べるもんだと思ってた」


 すると彼女は僅かに眉をひそめ、心外だと言わんばかりの顔をした。


「そんなわけない。人間だって牛や豚に直接かぶりつかないでしょう」


「たしかにそうだ」


 彼女の答えがツボに入ってしまい、僕は思わず吹き出した。


 ひとしきり笑った後、ふと気になった。


「でも、今までゾンビなんていなかったよね?」


「それは気づいていなかっただけ。ゾンビは昔から存在した。けど自然界でこれだけ急激に増えたのは百年ぶりね」


 彼女はまるで百年前を体験したかのような口振りだった。


「……君の種族は、みんな人と同じ姿をしているの?」


「そう」


「何で?」


「そう進化したから」


 彼女は切り分けた肉の血抜きをしながら答えた。


 最初は偶然、人の姿に似た者が生まれたのだろう。

 ゾンビは生きた人間に引き寄せられる性質がある。そのため、人の姿をしている者が必然的に多くの獲物ゾンビを獲得でき、より多くの子孫を残すことができた。


 そんな彼女の話を聞いて、ある言葉が思い浮かんだ。


『擬態』


 敵に見つからないため、あるいは獲物を捕らえるため、生き物の中には他の生物に似た姿へと進化する種がいる。


 彼女もまた、人とは全く異なる存在でありながら、人の姿を借りて狩りをしているのだ。


 僕の頭にはもう一つ、思い浮かんだものがあった。

 どこで見たのかは覚えていない。けれど、その美しさだけは強く印象に残っていた。


「君はハナカマキリみたいだね」


 僕の言葉に彼女は怪訝な顔をした。


「何それ?」


「花に擬態して、花に集まる虫を捕らえる昆虫だよ。ランの花にそっくりで、すごくキレイなんだ」


 擬態して獲物を捕らえる生き物は他にもいる。けれど、両手に鎌を持ちゾンビを仕留める姿と、花のように可憐な見た目を兼ね備えた彼女には、ハナカマキリの例えがぴったりだと思った。


「そう……」


 興奮気味に話す僕とは対照的に、彼女はあまり興味を引かれないようだった。


 その時、


 ガンッ――


 屋上に続く鉄製のドアが向こう側から勢いよく叩かれ、僕は息をのんだ。

 彼女も手を止めてドアの方を見ている。


 ゾンビか、それとも生存者か。


 短い静寂の後、金属越しにくぐもった呻き声が響いた。


「ゾンビか。けど食糧はもう十分獲ったから」


 少女は何事もなかったかのように手元の作業を再開した。

 鍵を開けられなかったのか、ゾンビの気配はドアから遠ざかっていった。


 無意識に息を止めていたようで、僕は大きく息をついた。体にはじっとりとした嫌な汗をかいている。


「よかった……」


 そう呟いたのは、ゾンビが去ったからではない。ゾンビだろうと、生きた人間だろうと、彼女と二人きりのこの場所に誰かが踏み込んでくるのが嫌だったからだ。


 会話が途切れ、沈黙が流れる。


 校庭から聞こえていた悲鳴は徐々に消えていき、聞こえてくるのはゾンビの呻き声だけになっていた。


 日は沈み、あたりは暗くなっていく。

 それにもかかわらず、街に灯りがともることはなかった。


「ねぇ」


「今度はなに?」


「もし、僕がゾンビになったら――」


 ひと呼吸置いて、僕は言った。


「僕のこと食べてくれる?」


 肉を干し終えた彼女はこちらを向いた。

 黙ったまま、しばらく僕を見つめている。


「……考えておく」


 彼女の口から出たのは、そんな答えだった。

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