三角形の正体 ①
H.shousetsu
第1話
これを書くにあたって、あの頃の記憶を辿った。
すると、胸の奥に沈んでいたあの戦慄が、ありありと蘇ってきた。
言葉にしようとするたびに、胸が詰まり、息が苦しくなる。
気がつけば、年甲斐もなく、大粒の涙が頬を伝っていた。
⸻
ドイツ・ベルリンのある夏。
僕は7歳。
父のスタジオに忍び込むのが僕の密かな楽しみで、いつもそのチャンスをうかがっていた。
目的はただ一つ——最新のパソコンでゲームをすること。
禁止されているのは知っているけれど、そのちょっとした背徳感がまたたまらない。
⸻
父のスタジオは、まるで時間が止まった別世界だ。
壁には古びた銃、錆びついた剣、戦時中の勲章が飾られ、
その中心には一枚の旗が掲げられている。
血のように赤く、黒い鉤十字が刻まれたその旗——それは、父の誇りなのだ。
「これは歴史だ」と語る彼の顔は真剣なのだけれど、
僕にはよくわからないし、“歴史”と言われてもイメージは沸かない。
けれど、なぜか。
あの布を見ていると、僕はいつも不思議な感覚にとらわれる。
まるでその布が静かに呼吸しているように思えて仕方がないのだ。
——そしてよく見ると、旗の所々に、赤黒く、血液のような染みが点在している。
⸻
その日も、父が仕事に出た後。
僕はソファーに腰かけ、クッキーを齧りながら、虎視眈々と母の隙を狙っていた。
母が二階に上がったのを見計らって、僕はスタジオへ向かう。
静かにドアを開けると、“トントントン”と階段を降りる足音がして、
僕は扉を半開きにしたまま、慌ててソファーに戻り、
何事もなかったかのような表情を浮かべる。
再び階段を昇る足音を確認し、爪先立てた足でそろそろとスタジオへ向かう。
逸る気持ちを抑えきれず、思わず小走りになる。
が、次の瞬間、足に急ブレーキがかかったように、僕の体はぴたりと固まった。
半分開かれた扉の間から、“それ”が見えた瞬間だった。
⸻
自分と同じ身長くらいの、真っ白な三角形。
発光しているのに、周囲の闇をより濃く染めてしまうような、
不自然な輝きを放っている。
そして表面には、火の玉のようなものが無数に漂っていた。
それはまるで、生きていた。
ゆっくりと一定のリズムを刻み、少しうつむき加減に進んでいる。
浮遊しているはずなのに、まるで足があるかのように、一歩一歩進んでいる。
部屋を、大きく円を描くように歩み、僕の前を横切るその瞬間、部屋の空気が変わった。
重く、冷たく、湿っているような、そんな感じがした。
モニターの明かりすら心細く感じるほど、部屋の奥が暗かった。
⸻
“それ”が僕を見たのだ。
三角形のからだをぐねりとひねらせ、こちらを向いている。
目がないはずなのに——目が合っている。
そう感じずにはいられなかった。
⸻
その瞬間、思わず息を止めた。
三角形の上を浮かぶ火の玉の奥から、何かがこっちを見返している。
数えきれないほどの「誰か」が、その中に閉じ込められていた。
怒り、苦しみ、後悔、悲しみ、絶望……
叫び声は聞こえなかったけれど、確かに「感じた」。
僕の心に直接、鋭く突き刺さる何かを。
⸻
全身が凍りつくような感覚の中で、僕はようやく叫び声を上げた。
そして、すべての思考を断ち切るように、部屋を飛び出して階段を駆け上がり、
二階の母の胸に飛び込んだ。
涙が止まらなかった。
⸻
それが何だったのか、今でも分からない。
けれど、ただ一つ確信していることがある。
⸻
あの物体の中にいたものは——
あの旗が奪った命たちの魂だったのではないかと。
そう思うだけで、今でも背中に冷たいものが走る。
⸻
——それは、三角形だった。
真っ白で、大きくて、発光していた。
つづく
三角形の正体 ① H.shousetsu @H-shousetsu
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