プレシャス・サマー・バケーション〜あの夏の夢を忘れない〜

リチャード諏訪部

第1話

 ――出会いは偶然、ふとした瞬間だった――。


 「ねぇ、荒巻レンくん……だよね? 一緒に帰らない?」


 帰り道の信号待ちで、僕はある女の子に声を掛けられた。黒髪のツインテールをぴょこぴょこと揺らした、目立たなそうだけどよく見ればちょっとかわいらしい女子。


 「……ッ!」


 「あっ、待ってよ!」


 昔から人見知りな僕は、信号が青になると顔を真っ赤にしながら逃げるように走り去ってしまった。


 体力もなく決して脚も速くないので、すぐに追い付かれてしまったけれど。


 「はぁっ、はぁっ……もう、待ってってば! なんで逃げるのよ!?」


 「ハァ、ハァ……なんの用……?」


 息を切らしている彼女は、よく見れば知ってる顔だった。隣のクラス……3組の長内おさないさん……長内ユズハさん、だったかな?


 3、4年生の時は同じクラスだったのを覚えてる。あんまり喋ったことはなかったけど……。


 「だからさ、一緒に帰ろーよ! 荒巻くんちもこっちの方だよね?」


 「それはそうだけど……僕なんかと帰って楽しいかな?」


 生まれついての人気者、スター性のある人ってのは確かに存在する。6年生にもなれば僕でもそれはある程度は理解出来ていた。僕がそちら側の人間ではないということも。


 そういう人達のことがうらやましいと思うこともあるけど、こればっかりはどうにもならない。


 だから、なんで彼女が僕なんかを選ぶのか、ちょっとだけ疑問だったんだ。


 「キミさ、帰り道でよく見かけるけど、いっつもひとりで帰ってるじゃん。なんだか寂しそーだから、つい」


 「べ、別に……ひとりで帰るのなんて慣れっこだし、そんなことないよ。ていうか、そういう……長内さん、だよね? 君も一緒に帰る人いないじゃんか。人のこと言えるの?」


 その言葉を聞いた彼女はちょっとだけ、顔を赤くしていた。


 「……! わたしのことはいーの! いいから一緒に帰ろーよ!」

 

 彼女の勢いに気圧されて、僕は一緒に帰ることを決めた。


 7月、夏休みも近づく曇天の梅雨空のもと、僕たちは二人で通学路を歩いていった。


 「へー、荒巻くんゲームとか好きなんだぁ。○○モンとかやってる?」


 「まあ一応やってるかなぁ。最近▲▲無双とかしてることが多いけど」


 「そうなんだ。今度一緒にやらない? わたし一緒にやる友達もあんまりいないからさー」


 「長内さんさえよかったらいいよ。あ、僕の家こっち側だから。そろそろだね」


 「うん、バイバイ! 明日もよろしくね!」


 明日もよろしく、か。


 正直、うれしかった。むず痒いような気持ちもあったけど……。女の子から声を掛けられたのなんて、ホントに久し振りのことだったから。


 ちょっとしたことがきっかけで、人生というものは変わることがある。それがいい方にも、悪い方にも。人と人との出会いというものは、そういうものだ。それを嫌というほど味わうことになるひと夏の日々が、今まさに始まろうとしていたんだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 あの信号待ちでの出会いから2週間。僕と長内さんは毎日のように一緒に帰っていた。放課後も何度か一緒に遊ぶ程度の仲にはなっていた。


 たまにクラスの男子にひやかされたりしたけど、黙って何も言えない僕を尻目に長内さんが追っ払ってくれたりした。


 今日は終業式、午前で授業は終わりだ。明日から始まる夏休みに、僕たちは心を踊らせていた。


 「終業式の話長かったよねー」

 

 「あはは、ほんとにね。ちょっと退屈かもね、アレは」


 「明日から夏休みだけどさ、荒巻くんはなんか予定ある?」


 「うーん……家族で旅行に行ったり、おじいちゃんおばあちゃんちに行ったりはすると思うけど……それくらい?」


 「そっか! じゃあ予定あったら教えてね。わたしも教えるからさ! あー、楽しみだなぁ!」


 これは、空いてる日はずっと遊ぼうってことなのかなぁ。

 終業式あるあるだろうか、貯め込んだ重い荷物に苦労しながら、僕たちは通学路を帰っていった。


 もうそろそろ家の近くだ。分かれ道に差し掛かるところで、長内さんが歩みを止めた。


 「ねえ、名字で呼び合うのもなんかよそよそしくない? もう何回も遊んでるしさ。レン、って呼んでいいかな? わたしのことも名前で呼んでいいから」


 「う、うん……じゃあ、ユズハ……? でいいのかな? あらためてよろしくね!」


 「うん、それでよし! こっちこそよろしくね! じゃ、明日から夏休み楽しもうね! バイバーイ!」


 女の子と名前で呼び合うなんて、いつ振りだろうか。低学年の頃? それとも幼稚園まで遡るかもしれない。僕は少しだけ頬がほころんでいた。


 ユズハ……か。いい響きだな。

 明日からは小学校生活最後の夏休みだ。絶対忘れられない思い出を作ろうと心に決めた。

 

 ――いろんな意味で忘れられない夏休みになることを、この時の僕はまだ知らなかった――。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 夏休みに入って一週間が経った頃。僕はユズハに案内され近所の小さな山の麓へと向かっていた。

 

 「……? ここは? ちっちゃい小屋……?」


 「じゃーん! そうだよ! この小屋さぁ、ちょっとボロいんだけど誰も入ってないっぽいんだよね! ここをわたしたちの秘密基地にするの、どう?」


 秘密基地かあ。実は結構そういうの憧れてたんだよな。


 「いいね! 今度からここで遊ぼう!」


 「お菓子とかマンガとか持ち込んだりしてー、あとねー……」


 僕たちは希望に夢を膨らませていた。この夏、ここでいっぱい思い出を作るんだ、って。

 

 「ちょっとホコリっぽいから掃除もしよっか」


 「うん、そうだね……あ、窓はちゃんと開くみたいだね」


 僕たちが住むH市の夏は、内陸の盆地なだけにハンパなく暑い。窓を開けないと蒸し暑くて熱中症になってしまうだろう。当然のように開けることにした。


 「うん、これで風通しよくなったね」


 「とりあえず○○モンでもしよっか」


 僕たちは持ってきた○○モンで通信対戦を繰り返した。勝ったり負けたり、いい勝負だったのを覚えてる。


 「あー、おもしろかった。やっぱりレンって結構強いね。意外とやりこんでるよね」


 「ユズハこそ、相変わらずなかなか強いと思ったよ。ちょっと日が傾いてきたし、そろそろ帰ろっか」


 「うん、そうだね!」


 僕たちは歩みを揃えて、お互いの家の近くまで一緒に帰っていった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「あはははは! 何これ! 初めて読んだけどおもしろいねこの漫画!」


 ポテトチップスを摘みながら僕が持ってきたギャグ漫画を読んで、ユズハはゲラゲラと大笑いしていた。


 「そうでしょ? 僕も結構好きなんだよねこの漫画。あ、そろそろ仕掛けをしないと」


 「仕掛け?」


 「うん。クワガタとか採ってみたくてね。トラップを仕掛けるんだ」


 「へー。それでバナナとか持ってきてたんだね。レンもなんだかんだ男の子だよねえ」


 「まあね。ネットにちょっと熟したバナナを入れて木に吊るしとくんだ。明日の朝に行って回収するよ」


 「そうなんだ。楽しみだね!」


 僕たちは山の入口に入り、ちょうどよさそうな木を探して吊るした。


 「これでよし、と。さーて、どうなるかな」


 「明日がワクワクするね! 捕まってるといいね!」


 僕たちは期待に胸膨らませて、その場を後にした。


 *


 ――翌朝。


 「ふぁ〜あ、ねむぅ……あっ、見てみてレン! 虫がいっぱい集まってるよ! でもわたし、触るのちょっとこわいなぁ……」


 虫かごを持った僕たちは、トラップを仕掛けた木の前に来ていた。


 「僕が採ってあげるよ。どれどれ……カブト3匹、クワガタ4匹かな? ノコギリクワガタかなぁ? まあいいや、全部入れちゃおう」


 僕は手際よく木に集まっていた虫たちを捕まえ、カゴへと入れていった。


 「わーお、すごーい! レンカッコいい!」

  

 パチパチと拍手しながらユズハは喜んでいる。


 「へへ……ちょっとはいいとこ見せないとね」


 「それでさ、この虫さんたちどうするの?」


 「もっと大きいケース家から持ってくるよ。それで、秘密基地で飼うのはどうかな?」


 「いいね、それ! 自由研究とかにも使えそう!」  

 

 また僕たちにひとつ、楽しみが増えたのだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 きっかけというものは、どこにあるかはわからない。ちょっとしたことで関係は変わり、加速していくものだ。


 「久しぶりだね、レン。ねえねえ、旅行どうだった!?」

 

 「楽しかったよ。高原だから当たり前だけど、ここよりは涼しいしね。はい、おみやげ」


 僕はおみやげのりんごとぶどうのクッキーを渡す。喜んでくれるかなぁ……?


 「わぁ、ありがと♪ おうちでみんなで食べるね!」


 ユズハは満面の笑みを浮かべてる。よかったよかった。


 「でね、レン。それでなんだけどさ。明日隣のS市で夏祭りやるの知ってる? 七夕まつりっていうやつ」


 「聞いたことはあるけど……」


 「一緒に行かない? わたしも誰か誘ってお祭りに行ったこととかないんだけど……レンならいいかなって思って」


 「うん、いいね! 一緒に行こうよ! 楽しみだなー。僕も友達とお祭りいくのなんてしばらくぶりだから」


 「なんかね、花火がすごいってお母さんから聞いたよ! 夜の7時くらいからやるみたいだけど……もうちょい早く行くよね?」


 「うん。お昼食べてからいこっか」


 「決まりだね! 浴衣選ばないとね〜♪」


 どんな浴衣着てくるのかなぁ、明日が楽しみだ。僕も甚平とか着てこうかな……確かあったはず。


 早く寝ようと思ったけれど、興奮してその夜はなかなか寝付けなかった……。


 *


 次の日の14時頃、お昼を食べた僕はユズハの家まで迎えに行く。


 「はろはろ〜、レン! どう、この浴衣! 似合ってる?」


 出てくるなりハイテンションでVサインしてきたユズハに浴衣の感想を求められた。


 オレンジ色がベースの、明るい感じの浴衣だ。夏らしいし、ちょっと日焼けしてる今のユズハにはとても似合ってると思う。僕は内心、ドキドキしていたかもしれない。


 「うん、すごく似合ってるよ! 爽やかな感じがして夏らしくていいと思う」


 「えへへ……ありがとね。レンこそ、その甚平いい感じじゃん! てっきり普段着で来るかと思ったからちょっと意外だったけど」


 僕のイメージってそんな感じなのかなぁ。まあ別にいいんだけどね。


 僕たちは駅まで歩くと、電車とバスを乗り継いでS市の会場まで向かった。駅から降りると、すでにものすごい人でごった返していた。


 「うわー、すごい人混みだねぇ!」


 「ユズハ、はぐれたらやばいから手ぇ繋ごう!」


 思わず、僕は彼女の手を握りしめる。

 それは本当に自然な流れだった。

 その掌は柔らかく、しっとりとしていたことを今でも覚えている。


 華々しく飾りが並ぶ大通りを、僕はユズハの手を引きながら歩いていった。神輿が通り、鼓笛隊の笛の音がそこら中に響いている。


 僕たちの身長はどちらも150cmに届かないくらい。人混みの中だと埋もれてしまいそうだった。


 「ちょっと、レン! 引っ張り過ぎだって!」


 「ごめんごめん。でも、手は離さないでね」


 「もー、わかってるよ! あ、スーパーボールすくいだって! ちょっとやってかない?」


 口をとがらせたと思ったら、今度は屋台を見て笑顔になる。そんな彼女の百面相は、見ていてとても楽しかった。


 いくつか屋台で遊んで少し疲れたので、ベンチで休むことにした。 

  

 「あー、お祭りって結構おもしろいね!」


 「そうだね……あ、僕飲み物買ってくるよ。何がいいかな?」


 「えっと……ラムネ、とか? 無かったらなんでもいいけど」


 彼女のリクエスト通りラムネジュースを買って戻ってくると、短冊を渡された。


 「何これ? 短冊?」


 「さっきそこのおじさんに渡されたの。これに願い事を書いて飾り付けるんだって」


 「へー、なんかいいね、それ!」


 少しだけ考えると、僕はこう書いた。”ユズハと一緒に、ずっといられますように”


 「ねぇねぇ、なんて書いたのー?」


 「秘密だよ。悪いことは書いてないから安心して」

 

 「むぅ、ケチー。わたしはレンとずっと一緒にいられますようにって書いたからね!」


 考えることは一緒なんだな。なんとなく安心した。僕たちはラムネを飲み干し、短冊を飾り付けると、お祭りの大通りを再び歩みだしていった。


 ――その願いは叶うはずもないものだったということを、この時の僕たちはまだ知らなかった――。

 

 *


 すでに日は沈み、空はそろそろ暗くなりそうだ。時計をチラリと見ると、19時を回っているのがわかった。これから打ち上げ花火の時間がやってくる。


 僕たちは屋台で買ったフランクフルトを食べながらベンチに座っていた。


 「そろそろだよね、花火」


 「うん、もうちょっとだと思う。楽しみだね」


 そんなことを話してると、スピーカーからアナウンスがかかってきた。これかららしい。


 ドーン! ドーン! ドーン!


 轟音と共に花火は次々に打ち上がっていった。


 火薬は漆黒の夜空を彩る模様へと姿を変えていく。星型にうずまきにハート型に……手を変え品を変え炎色反応が起こす芸術を堪能した。


 ”たまやー! かぎやー!”


 至る所から声が上がる。僕たちもいつしか負けずに叫んでいた。


 極めつけは最後のスターマインだった。猛スピードで至る所から花火が連射されていく。


 夜空が一瞬にして光に埋め尽くすされる華やかさ、そしてそれがすぐに終わってしまう儚さ。その一瞬に込められた刹那の煌めきこそが、何よりも魅力なんだと思う。


 それは今の僕たち、短い貴重な子供時代を過ごす僕たちとなんとなくシンクロしてるような気がしたんだ。


 「あー、すごい綺麗だったね! 来てよかった!」


 「うん、僕もそう思うよ。……って、あれ?」 


 花火が打ち上がり終わったあとの静寂。周りを見渡してみると、カップルが至る所でいちゃいちゃしていた。キスをしてる人たちもいる。


 「う、うわ〜、なんか大胆だね、みんな……」


 「ねえ、ユズハ。僕たちもしてみる? その、キスを」

  

 普段なら僕はこういうことを言う奴じゃない。でもこの時は、何故か自然に口に出してしまっていたんだ。お祭りの雰囲気が僕を高揚させ、そうさせていたのかもしれない。


 「えっ、ええぇっ!? わ、わかった。レンなら、いいよ……?」


 僕はドキドキしながら、ユズハに顔を近づける。

 

 明かりに照らされるユズハのセミロングの黒髪は少しだけ汗ばんで濡れていて、黒目がちな瞳は吸い込まれそうなくらい美しかった。僕は勇気を出して、最後の一歩を踏み込んだ。


 初めての口付けは、さっき食べたフランクフルトの味が少しだけした。でも、それとは別になんか甘いような味もしていたような気がする。いつの間にか、僕たちは舌と舌も絡め合っていた。


 柔らかな口腔粘膜を貪りあっていくうちに、興奮して股間が燃えるように熱くなるような感覚もした。当時の僕には、それが何を意味するのかはまだ何かわからなかったけれど。


 「んっ、んちゅっ……ぷはっ! き、キスって、なんかすごくえっちなんだね……えへへ、ファーストキス、レンにあげちゃった……!」


 口から糸を引きながら、嬉しそうにユズハは話しかけてきた。


 「そうだね……僕も初めてがユズハで良かった。やっぱり一番好きな子とするのが一番だもんね」

  

 「い、一番、好きって……うん、ありがと……//」


 街灯の明かりに照らされる彼女の顔は、確実に紅潮していたように見えた。その後、お互いちょっと口数少なくなった僕らは余韻に浸りながら家へと帰るのだった……。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 熱いファーストキスを交わした花火大会の翌日。一歩だけ前に関係を進めた僕達は、いつものように秘密基地へと集まっていた。だけど、少しだけよそよそしい感じがした。


 なぜだろう、言葉が上手く出てこない。

 しばらくすると、しびれを切らしたかのように、ユズハが話し始めた。


 「き、昨日は、その、楽しかった、よ? それに、き、キス……すごかったよね」


 「う、うん……僕もあんなにすごいものだとは思わなかったよ」


 気分が落ち着かず、僕は狭い小屋の中を歩き回っていた。すると――。


 「う、うわっ!」


 「ど、どうしたの? レン! って、なにこれ!?」


 僕はつまづいて転んでしまったみたいだ。でも、ここは、なんだろう……?


 転んだ先の床には、隠し扉があったみたいだ。僕はその下に落っこちてしまったらしい。


 「いてて……ん、なんだろ、これ」


 僕が落っこちたところは、大量の本がクッションになっていた。おかげでケガはしないで済んだ。そして、その本を拾ってみる。


 「ちょっ……ユズハ、見てよこれ!」


 「どうしたのー、レン? って、なにこれ! ヤバくない!?」

  

 僕達が拾った本は、男の人と女の人がハダカになっていろいろしている……いわゆる世間一般でいう”エロ本”だった。


 「誰が置いてったのかなぁ……? ねえ、ユズハ。一緒に読んでみない……?」

 

 「うん……わたしも、キョーミなくはないから……」


 僕達はページをめくり、エロ本を読み進めていった。ユズハの表情を横目で見ると、集中しすぎて目が点になっている。


 「男の子と女の子って、こ、こういうことするんだ……」


 「うん……僕も、びっくりだよ」 


 僕は男兄弟しかいないし、ユズハは女兄弟しかいないらしい。つまり、僕達はほぼ初めて異性のあそこを見ることになった。それはお互いに、かなり衝撃的なものだった。


 僕達はドキドキしながら、さらにページをめくっていく。

 その先のページでは……男の人と女の人が交わっていた

 読んでいると、おそらくそれが”セ●クス”という行為なのがわかった。

 

 「こ、これがセ●クスなんだね……」


 「わたしも……単語だけは聞いたことがあるけど、見たのは初めてだよ……」


 ユズハの表情をチラリと見ると、昨日キスした時と同じくらい真っ赤になっている。


 その本には、セ●クスというのは男女好きな人同士がすること、と書かれていた。


 僕達は最後のページを読み終わり、本を閉じた。


 「す、好きな人同士かぁ……」


 僕はまた股間が熱くなるのを感じた。股間ががいつの間にかカチコチになっている。朝起きた時とか、よくこうなることがあるんだけど……それとはなんだか違う気がするんだ。


 「ねね、他にもいっぱい本あるよ! もっと読もうよ!」


 ユズハに請われて、僕は次の本を手に取った。

 今度はマンガ本だった。僕達と同じ年齢くらいの男の子と女の子が、恋愛やえっちなことをしていく内容だ。


 「この子たち、たぶん小学生くらいだよね……?」


 「こんな子供でも、出来るんだ……」


 僕達はあっという間にマンガを読み終えてしまった。そして二人同時に向かい合って、言葉を発した。

  

 「「ねえ」」


 ほぼ同時に発声した、僕らの声は被ってしまった。


 「あ、じゃあユズハ、先いいよ?」


 「うん……えっと、さ……昨日の続き、してみない? キスより先のコト……」


 やっぱり、考えることは一緒みたいだね。


 「僕もそれを言おうと思ってたんだ。先に言われちゃったね。さっきの本を読んで、そう思ったんだ


 「わたしね、初めての人はやっぱりレンがいい。っていうか、レンじゃなきゃやだ!」 


 「僕も、初めてはユズハがいい! 好きな人とするのが一番だから!」


 ジジジジ……とセミの鳴き声が鳴り響く中、僕達はお互い高らかに宣言するなり、昨日のように熱い口づけを交わしていった。


 「ちゅっ、ちゅ、んちゅっ……ぷふぅっ……ユズハの口の中、なんか甘く感じるよ……」


 「レンの口の中もそうだよ?」


 糸を引くような濃厚なキスの後、感想を述べ合う。お互いにキスの味は同じみたいだ。


 「じゃあ、続きを……しよ?」


 「うん……」 


 僕達はお互いの身体に手を伸ばす。そして服に手をかける。


 ――真夏の熱気に包まれる中、夢のようなひとときは始まろうとしていた――。


 *


 あの日、僕達は確かに一つになった。

 それは小学六年生の子供がするには早すぎたことなのかもしれない。けれども、勢いはすべてを凌駕し、互いを求める欲望は抑えきれなかったんだ。


 僕とユズハは絡みあい、溶け合って……次のステージへとステップアップしていた。


 この真夏の非日常は確実に僕らの人生を彩る一ページになる――そう確信していたんだ。


 一糸纏わぬ状態のまま、僕たちは再び熱い抱擁を交わした。幼い少年少女だった僕らは、背伸びしていたのかもしれないけれど永遠の愛を誓いあったんだ。


 ――現実はあまりにも非情で、永遠なんてものは存在しない。この夏の僕はそれを痛いほど知ることとなる――。


 *


 それからというもの、僕たちは「秘密基地」の中で逢瀬を重ねる度、愛を交わし合っていった。来る日も、来る日も。


 夏休みもあと少しという日のことだった。しばらくの間僕たちはともに祖父母の家に帰省していたので、久しぶりの再会となった。もちろん、いつものように体を重ね合て愛を確かめあっていたんだ。

 

 さすがに疲れてきたので、水筒に入った麦茶を飲みながら座って休む。


 「あー、気持ちよかったね。そうだ、明日は久々に川遊びとかしない? あそこの河原行こーよ! ちょっと涼みたいしさ」


 「確かにいいね! でも、3日前台風来てたよね? 大丈夫かな? 水とか増えてたら危なくない?」


 「もう大丈夫だよ! たぶん。気にしない気にしない♪さーて、どの水着着てこうかなぁ……」


 「……うん、そうだね! じゃあ、明日は河原で遊ぼう!」


 ――この時ほど、僕は過去の判断を悔いたことはない。人生をもし一度だけやり直せるなら、この日に戻って川に行かないようにユズハを説得してやりたい。

 

 だけど、どんなに望み願っても、過去というものは変えることはできない。そしてそれもまた、運命だったのかもしれない――。


 *

 

 今でも覚えている、人生を大きく変えた一日。その日はとても暑く、陽射しがギラギラとしていた。あまりの暑さに、空気が重力を持ってるようにすら感じられた。


 そんな中を、僕たちは自転車で河原へと向かう。小さい頃から慣れ親しんでいる場所だ。僕やユズハに限らず、この地区の子供ならたいていはそうかもしれない。


 近くにある子ども図書館に自転車を止めて、僕らは河原へと向かっていく。着替えると、いつものようにいちゃいちゃしながら水遊びに興じた。


 懸念していた増水のようなものはなく、川はいつもの様子を取り戻している。


 水を掛け合いながらキャッキャとはしゃぐ。高い岩の上からビビりながらも飛び込む。飽きてきたら河原に出て小石で水切り。僕らは暑さも吹っ飛ぶようなひとときを過ごしていた。


 「あー、やっぱり楽しいね、レン♡ここは涼めるしね」


 「うん! 来てよかったね、ユズハ」


 思えばこの時の僕は、有頂天になっていたのかもしれない。

 

 クラスのどうでもいい男子Aでしかなかった平凡な少年が、他の一軍陽キャ男子ですら経験していないことを経験してしまったのだから致し方ないのかもしれないが。


 好きな女の子に受け入れられたということは、大きな自信にはなっていたが、それ故に慢心にも繋がっていたのだろうか。


 「ねえ、レン。一緒に泳ごーよ!」


 「うん! いいよ!」  


 僕らは川の流れに沿って、何度も何度も泳いでいた。水の流れに乗るのが楽しくて仕方なかったんだ。水しぶきに濡れる彼女は、いつもとはまだ違う輝きを放っていたように見えた。


 だが……その時、ひとつの違和感を感じた。そしてその数秒後には、違和感は恐怖へと変わろうとしていた。


 「ユズハ、あれ見て! 凄い勢いで水がッ!」


 「やばい! 早く川岸に上がろう!」  


 僕は急いでユズハの手を取り、川岸へ向かう。だが……あとわずかというところで、その大きな水の奔流は僕らを非情にも呑み込んでいったんだ。


 「うわっ!……わぷっ! ゆ、ユズハっ!」


 僕らは手を繋ぎ止めたまま、下流へと流されていく。


 思えば本能的に僕は理解していたんだ。この手を離してしまったら永遠の別れかもしれない、と。


 だが、現実は無情だった。強大な水の力は繋ぎ止めていた僕らの手を引き離す。1m、2m……どんどんユズハが離れていってしまうのが見える。


 僕は怖くて、怖くて仕方がなかった。自分が死んでしまうことよりも、このままユズハと離れ離れになってしまうかもしれないことが。 


 でも、あの時。もがきながらも彼女は笑っていた――。


 *


 「おい、君、大丈夫か!?」


 僕はなんとか、救助のおじさんに助けられて川岸に上げられたみたいだ。必死の蘇生もあり、僕は意識を取り戻すことができた。


 でも、ユズハは!? 大丈夫なんだろうか。僕は慌てておじさんに話し掛ける。


 「おじさん! 僕の友達も流されちゃったんです! 女の子で、身長は僕と同じくらいで、髪はまあまあの長さで……」


 「そ、そうか! 任せなさい!」


 救助の人はさらに増えたけれど、ユズハは見つからなかった。最終的にはもっと大掛かりな捜索隊が出てきたけれど、やっぱり見つからなかった。

 僕は帰った後も、不安な時間を過ごし続けた。


 願いは虚しく……数日後、夏休みもそろそろ終わりに近付いた日。さらに下流でユズハと見られる少女の死体は発見された。


 「そ、そんな、そんなぁぁ……うっ、うっ、うわぁぁん!!!」


 僕は声を上げて涙を流し続けた。身体中の水分を吸い付くし枯渇させ、すべて涙滴に変えてしまうのかのように。


  僕がやっと出会えた、親友にして愛すべき人。永遠の愛を誓った人。それがたった一瞬で奪われてしまった。僕の思い描いていた未来予想図は、一瞬にして露へと消えてしまった。


 ……いや、あの時止めなかった、僕の責任だ。台風が過ぎた後ならこうなる可能性は高かったのに。何故あの時、止めることが出来なかったんだッ……! 


 僕はどこまでも自責の念に駆られ、自己嫌悪に陥った。


 葬儀で会ったユズハの両親にも、僕の両親にも責められることはなかった。でも、僕は自分で自分を許せなかったんだ。


 思い出の詰まったあの秘密基地にも、もう近づくことはなかった。自由研究なんて、もう知ったことではなかった。どうでもいい。


 無情にも時は流れ、新学期は始まる。しかし、僕の気持ちは抜け殻のままだった。


 ある時、クラスのお調子者にちょっかいを掛けられる。


  「なー、お前って長内と最近仲良かったよなあ? なんで死んだのかお前なら分かってたりするんだろ? 川で死んだって聞いたけど、まさかお前が見殺しにしてたりしてな」


 僕は生まれて初めて、ホンキで逆上した。

 自分が出したとは思えないような、低くて震えた声を出していた。


 「……うるさい。おまえに何がわかるんだよ」


 気付けば、取っ組み合い殴り合いのケンカを始めていた。これも生まれて初めてのことだったのかもしれない。


 当然のように先生に怒られてしまったが、それからの僕は空っぽになってしまった。


 すべてにおいて無気力。ろくに友達も作らず、何かに熱中することもなく。ただ漫然と中学生活、高校生活を過ごし、平凡な大学に入学し、平凡な企業の内定を得た。


 死んでしまいたいと思ったことも何度もあったけど、せっかくあの時僕だけでも助かったのだからユズハに申し訳ない気がしてなんとか押し留めていた。

 

 ただこうも思った。こんな思いをするのなら、いっそ生まれてこなきゃよかったのに、と。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 あの夏の夢のような日々から、10年の月日が経過した。

 

 僕はユズハの墓参りには、結局ここまで一度も行くことはなかった。でも、そろそろ自分の気持ちに決着をつけなければならない。そう思ったんだ。


 きっかけは、ユズハのお墓が再開発によって移転してしまうからだった。


 僕の住んでいるH市にあるM湖のほとりに彼女のお墓はあったんだけれど、近々ここに遊園地やショッピングモールを作る計画があるらしい。それで霊園も移転してしまうそうなんだ。


 ユズハの魂はきっとあそこに残ったままだ。そう信じていた僕は、お墓に向かって歩き出した。


 ユズハのお母さんから以前場所を聞いていたので、迷うことはなかった。墓を軽く掃除すると、花とお供え物を添え、手を合わせる。


 これでいい、これでいいんだ。さよなら、ユズハ。


 僕は墓を後にして帰ろうとする。その時、だった。


 『やっと、やっと来てくれたんだね……レン!』


 ――それは僕が見た白昼夢か、夢か幻だったのか、それとも神様が与えてくれた奇跡だったのか――。


 あれから10年後の8月。僕はユズハに再会することが出来たんだ。


 「ユズハ!? 本当にユズハなのか!?」


 『そうだよ。ずっと、ずーっとここにいたんだ。ホントはレンのそばにいたかったけど、ここから離れられないみたいでね……だから、ずっと待ってたんだ』


 ユズハはあの日の姿のまま、僕の目の前に存在していた。思わず、抱き締めようとする。

 だが、それは空振りに終わってしまった。


 「あれ……?」


 『あはは、わたしはユーレーだからね! 触ることは出来ないんだ。悲しいけどね。それにしても、レン、おっきくなったね! もうオトナなんだ』


 「ユズハ……あれから僕は、君に誇れるような生き方なんてしてこなかった。立派なオトナになんてなれてないんだよ……」


 「そっか……それもそれでいいんじゃないかな? レンの人生? なんだし。でも、レンに会えてよかったよ。まだまだこっちに来たらダメだからね?」


 「ああ! まだ、行かないから。安心してよ。……ずっと聞きたかったことがあるんだ。なんであの時……離れ離れになった時、ユズハは笑ってたの?」


 「笑ってたように、見えたんだ。それはレンに心から感謝してたからかもね。なんとなくだけど……わたし、あの時レンの子どもがお腹にいた気がするんだ。結局、産めないまま死んじゃったけど……産んでみたかったなぁ。ずーっと一緒だよって言ってたのに、ほんとにゴメンね。もっと一緒にデートとかして、中学生、高校生になって……オトナになってみたかった」


 「僕だってそうだ! ずっと、ずーっと、ユズハと一緒にいたかったよ! いっぱい遊んで、いろんなことを経験して、その……ああいうこともいっぱいして……そうやって一緒に大人になりたかった! でも……」


 「そんなに泣かないでよ、レン。そうだ、生まれ変わったら、今度こそ一緒になろうよ! そうしよ? その時はサッカーチームが出来るくらい子供も作ろうよ! だからその時まで、レンは精一杯生きて、人生を楽しんで! 約束だよ?」


 「……うん。約束するよ! 君に胸を張って言えるような生き方をこれからするから! だから……」


 「……そろそろ時間だね、レン。最後にこれだけは言わせて。ひと夏の間、短い間だったけどレンと過ごせて幸せだったよ。一緒にいてくれて、ありがとう。嬉しか――」


 「ま、待って、行くな、行かないでくれ、ユズハーーッ!!!」


 ユズハの姿は雲散霧消し、露へと消えてしまった。 


 僕はお墓の前に膝をつき、みっともなくわんわんと声を上げて泣き出してしまった。10年前のあの時、涙はすべて枯れ果ててしまったと思っていたのに。


 気付けばもう、日は傾いていた。僕は帰りに秘密基地の小屋があったところに寄ったが、もうそこには何もなかった。取り壊されてしまったのだろうか。


 でも、僕の心の中にはユズハと過ごした思い出が残っている。そこには確実に存在しているんだ。記憶の中で、小学六年生の少年少女だった僕らは永遠に生き続けているんだ。だからもう、寂しくなんかない。


 それにしても、僕はなんてことをしていたんだ。ふてくされて、無為に何年も過ごして、これじゃユズハに顔向け出来ないよ。人生を全うし、また彼女に逢いに行く時、胸を張って精一杯生きたと言えるように。今から必死で頑張らないとね。


 愛より歪んだ呪いはない、そんな言葉を聞いたことがある。一理あるかもしれないけど、呪いになってしまうような愛ならそれは愛じゃない、僕はそう思うんだ。


 確かにこの10年は僕にとって呪いのようなものだったのかもしれない。でも、今ここで断ち切るんだ。僕とユズハの愛は、呪いなんかじゃなかったと信じたい。


 ――深い心の霧はようやく晴れた。止まっていた時計の針は、ようやく動き出したんだ――。 


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 あれから時は経ち、僕も家庭を持つに至った。

 妻や娘とともに、自分なりには幸せに過ごせているつもりだ。


 「パパ、なんでないてるの?」


 「……いや、なんでもないよ」


 「モモちゃん、パパはね、柚子の木を見るとたまに泣いちゃうの。大事な人を思い出しちゃうんだって」


 「だいじなひと?」


 「そうだね……昔、すごく大事だった人だよ。もちろん、今パパが一番大事なのは、モモちゃんとママだけどね」


 「わーい! パパだいすき!」


 「ふふっ」


 ……その言葉は、半分はホンネで半分はウソだったのかもしれない。


 僕は約束の通り、人生を全うした時君に胸を張って言えるような生き方を出来ているだろうか。


 庭にそびえ立つ柚子の木の葉をちぎると一枚手に取り、僕は風に乗せて空へと飛ばす。


 ゆらゆらと宙を舞っていく柚子の葉を眺めながら想いを馳せ、願いを込めた。


 ――どうか天へと、届きますように――。

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プレシャス・サマー・バケーション〜あの夏の夢を忘れない〜 リチャード諏訪部 @tk0903

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