黙って去るのは

弓納持水面

 冒険家

「共同声明は採択されませんでした」

 ラジオからそんな声が聴こえた。


 年に一度、地球環境に対する国際会議がある。今年で何回目になるだろうか?だが、今回も結論は出ない。恐らく来年も。


 先に豊かになった国々は本音では乗り気ではないし、未だ豊かになれない国々は金をせびりたいだけ。


 そんな会議の結論が出るはずもなく、結論がでなかった事実だけが積み上がる。こと環境に関しては頑張って欲しいと、各国が思っている。


 男はかつて冒険家だった。世界で2番目に高い山にも単独で登ったし、北極点にも立った。今は引退し、その時得た名声を使い、下手くそな写真と文筆で生き延びていた。男は現実を生き延びる事は冒険より困難だと噛み締めながら、過ごしている。


 過去の冒険中、男は一つの知見を得た。悟りと言ってもいい。それは近く人類は滅びるという事。


 高くそびえ立つ山々、広大な氷原。本来なら人間の力の及ぶところではない。


 だが人間の欲望はそれら全てを変えた。ひとり、ひとりの豊かさを求める小さな欲望が世界を変えたのだ。


 世界には全人類が豊かになるだけの資源はない。だが、経済的に発展した豊かな生活を送るには、が必要で、その資源を使う程、環境は壊れてゆく。


 すでに豊かになった国に環境の為に「不便さを許容しろ」と言っても無理だし、未だ豊かでない国に環境の為に「豊かになるのを諦めろ」とも言えない。


 だから、人類は遠からず地球環境の変化で起きる大量絶滅の引き金を引く。今のペースなら遅くとも1000年はかからないだろう。


 無論、人類も絶滅の例外ではなく、絶滅を免れたにしろ文明は崩壊するだろう。崩壊せずとも後退は余儀なくされる。


「人類の終わりも、そう遠くないな」


 ラジオに向かい、そう男が呟いた時、男の家の電話が鳴った。今時、珍しい固定電話だ。連載している山岳誌の締め切りには、まだ余裕がある。


 くだらない営業の電話だろうと思ったが、三度鳴って切れ、また鳴った。そのかけ方を知っているのはかつて現役だった時のマネージャーしかいない。


 また誰か還ったのだろうか?元マネージャーが連絡してくる心あたりはそれぐらいだ。


 冒険家は死と隣合わせの職業で、男も知り合いを何人か失っていた。ただいつも聴いているラジオではそんな話は出ていなかったが。


 俺らがニュースになるのは、今じゃ死んだ時ぐらいだ。そう冗談を言っていた同業者。彼は妻と子を残し雪原に消えている。


「おはよう。まだ鍛えてるか?」


 そう切り出した元マネージャーの話は予想外なものだった。世界一のいけ好かない金持ちが男に会いたいらしい。仕事を依頼したいと言う話だ。


「電気自動車には興味はないが?」


「だが冒険には興味はあるだろ?」


 冗談混じりに言葉をかえすと元マネージャーは再契約を申し出てきた。確かに今だに訓練は欠かさず、肉体は頑強さを保っている。


 引退したのは心理的な虚しさに起因していたから、気持ちの整理さえつけば冒険家に戻るのもやぶさかでない。それに過去の名声の名残りで食べてゆくのが厳しくなっていると言う事実もある。


「世界一の金持ちの依頼か。で、何をすれば良いんだ?」


「火星探査だよ。探査船で火星まで行って戻って来る。まだ着陸と再離陸出来る技術はないから、火星の軌道をまわるだけだが……」


 マネージャーが言うには公転上、半年後に火星行きのベストタイミングが訪れるらしい。だが今の技術では火星まで行き戻るのに最短で2年半かかる。


 しかもそのうち300日は火星の軌道でタイミング待ちの待機。物資の都合上、人員は1名が限界。補給は出来ないし、何かあっても救助は望めない。


「常人には到底無理だ。だがお前さんなら……」


 そう、男には可能だ。かつて冬のデナリで一ヶ月以上、音信不通だった経験がある。天候不順で雪洞に籠もっていたのだが、男には苦にならなかった。その時は燃料が切れ、ギブアップしたが、食料や燃料があれば、いくらでも大丈夫な自信がある。


「しかし半年後とは急な話だな。火星が近づくタイミングは分かっていただろうに」


「某国が同じ計画を進行中だと分かったらしい。世界初は譲りたくないんだろう」


 某国は面子を重んじるが、人の命が軽い。許容範囲が広い分、無理気味な計画でも進めるだろう。失敗しても事実上の独裁者が怒りださないがぎり、人、物、金を注ぎ込めるのも強みだ。


「しかし、金持ちは初の火星行きが、自国民でなくて良いのか?」


「着陸する時は自国民にするらしい」


 金持ちの国は月に最初に降りた時も今は無き共産国と競っていた。競争こそが豊かさの原動力。その豊かさは人類を滅ぼす諸刃の剣だ。


 だが誰もが見ぬふりを続けている。


「了解した。火星を肉眼で見る機会を逃す程衰えちゃいない」


 人類が地球上から黙って去るまで、残された時間は少ないだろう。だったら一足先に地球を飛び出すのも悪くないと男は思った。


 成功しても、失敗しても冒険家として生きたと言えるのだから。

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黙って去るのは 弓納持水面 @yuminaduki

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